学位論文要旨



No 214412
著者(漢字) 菅野,徹
著者(英字)
著者(カナ) カンノ,トオル
標題(和) 豚水胞病ウイルスの抗原性及び病原性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214412
報告番号 乙14412
学位授与日 1999.09.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14412号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
内容要旨

 豚水胞病(swine vesicular disease:SVD)は豚の急性伝染病で蹄部及び鼻口唇部の水疱形成を主徴とする。しかし、臨床症状のみでは口蹄疫をはじめとする他の水疱性疾病と鑑別することができない。このためSVDは口蹄疫及び水疱性口炎と共に国際獣疫事務局(Office International des Epizooties:OIE)によりList A疾病に指定され、家畜及び畜産物の国際間における流通に最も被害を与える国際重要伝染病に位置づけられている。

 この疾病の病原体である豚水胞病ウイルス(SVDV)はピコルナウイルス科エンテロウイルス属に分類され、その血清型は単一とされるが、免疫拡散試験、serum antibody blocking testにより分離株間で若干の差がみられることが報告されている。しかし、各分離株間における詳細な抗原性の比較等の抗原解析についてはこれまで行われておらず、各株に対するモノクローナル抗体によるSVDVの抗原解析が待たれている状況にあり、とくに各株間においてその抗原性状を規定する中和抗原決定基の特定は極めて重要な研究課題となっている。また、SVDVの病原性に関してはその分離株間において多様性がみられることが報告されている。さらに、野外調査の結果、本病の発生とは無関係にSVDV抗体を保有する豚群が存在することも知られ、このことは本病が自然界において不顕性感染の様式で存在することを示している。我が国におけるその様な豚群からの分離株は豚接種試験で豚に水疱を発症させるに至らず、一部の接種豚の接種部位に局所病変をつくるにとどまる。しかし、このような非病原性株と、発病豚から分離された病原性株の豚への病原性の差を生む要因については明らかにされていない。

 最近の遺伝子工学的技術の進歩に伴い、SVDVの遺伝子構造に関する知見が蓄積されつつあり、現在までに日本分離株である病原性J1’73株、非病原性H/3’76株及び英国分離株である病原性UK/27/72株の全塩基配列の決定がなされている。また、非病原性H/3’76株については感染性cDNAの作出に成功している。そこで本研究ではSVDVの中和抗原決定基及び病原性関与遺伝子を特定する目的で、本ウイルス遺伝子の構造及び機能解析を行い、下記の成績を得た。

 第1章ではSVDVの抗原性状を分子レベルで解明することを目的に、中和モノクローナル抗体及び中和抵抗性変異株の作出による中和抗原決定基の特定を行った成績を記載した。

 SVDV非病原性H/3’76株を豚腎由来株化細胞であるIBRS-2細胞にて増殖させ、ウイルスを精製した。この精製ウイルスを用い、本ウイルスに対するモノクローナル抗体を作出した。中和能をもつ8種類のモノクローナル抗体が得られ、これとウイルスを混合培養することにより、各抗体が認識する部位が変異し中和抵抗性を獲得した37株の中和抵抗性変異株を得た。さらに、交差中和試験を簡便に行えるスタブ法を開発し、これを用いて8種類のモノクローナル抗体と37株の中和抵抗性変異株の交差中和試験を実施して、各モノクローナル抗体の認識する中和抗原決定基の交差判定を行った。その結果、本ウイルス粒子上には少なくとも5つの中和抗原決定基が存在することが明らかとなった。その部位を明らかにするため、中和抵抗性変異株の構造タンパクをコードする遺伝子領域の塩基配列を決定し、アミノ酸変異部位すなわち本ウイルス粒子上の中和抗原決定基を特定した。SVDVとポリオウイルスの各構造タンパクのアミノ酸配列を比較した結果、特定された5群の中和抗原決定基はポリオウイルスの中和抗原決定基とほぼ同位置に存在することが確認され、ポリオウイルスに準じてSVDV中和抗原決定基をサイト1(VP1-87と88)、サイト2a(VP2-163)、サイト2b(VP2-154)、サイト3a(VP1-272と275及びVP3-60)、サイト3b(VP2-70と233及びVP3-73と76)と命名した。次いでSVDVのアミノ酸配列と相同性が高く,既にX線解析により3次元立体構造モデルが構築されているウイルスを検索した。その結果、ポリオウイルスとライノウイルス14型のアミノ酸配列がSVDVのアミノ酸配列と相同性が高いことから、この両ウイルスのアミノ酸配列及び構造を鋳型としてhomology modelling法によりSVDVの3次元立体構造モデルを構築した。3次元立体構造モデル上において、5群の中和抗原決定基を構成する全てのアミノ酸はウイルス粒子表面に位置することが推測された。

 第2章ではSVDVの感染性cDNAクローンから得たウイルスがその親株と同じ生物学的性状を示し、それら性状の規定遺伝子を特定するための基礎的知見を得ることを目的として、SVDV病原性株の感染性cDNAクローンの作出とそれから得たウイルスの生物学的性状を親株と比較した成績を記載した。

 豚水胞病ウイルス病原性J1’73株のcDNAライブラリーを用い、各種制限酵素で切断し結合させることにより、本株の完全長cDNAを構築し哺乳動物細胞発現ベクタープラスミドに組み込んだ。これをCos-7細胞にトランスフェクトすることにより感染性ウイルスを回収し、得られたウイルスをvSVLSJ1とした。vSVLSJ1ウイルスの生物学的性状を親株であるJ1’73株及び非病原性H/3’76株の感染性cDNAクローン由来ウイルスであるvSVLS00ウイルスと比較した。その結果、in vitroでの性状は、抗原性、ブラックサイズ、一段増殖性ともJ1’73株と同様の性状を示した。豚接種試験においてもvSVLSJ1ウィルス接種豚全頭の四肢にJ1’73株接種豚と同程度に明瞭な水庖発症が認められ、一方vSVLS00ウイルス接種豚には水庖の発症が認められなかったことから、vSVLSJ1ウィルスは豚への病原性も保持していることが確認された。これらの結果から、両感染性cDNAクローン由来ウイルスはその親株同様のin vitro及びin vivoの生物学的性状を保持していると考えられ、両感染性cDNAクローンを用いたSVDV遺伝子の機能と生物学的性状との関連を解析することが可能となった。

 第3章では、第2章から得られた知見を基に、SVDVの病原性及び非病原性株のin vitroでのブラック性状の差とin vivoでの豚への病原性の差を規定する遺伝子を特定する事を目的に、SVDV病原性株の感染性cDNAと非病原性株の感染性cDNAを用いて、両株間で組換えウイルス及び部位特異変異ウイルスを作出し、上記性状の規定遺伝子を解析した成績を記載した。

 病原性J1’73株と非病原性H/3’76株の感染性cDNAクローンを組換えることにより、両者の組換えウイルスを作出し、両株のin vitroマーカーであるプラックサイズに関与するウイルス遺伝子の解析を行った。組換えウイルスのプラックサイズの変化をその組換え遺伝子領域と対比させた結果、これを規定するのは制限酵素Bst1107I-BssHII領域(nt 2233-3368)であることが明らかとなった。本領域中には8カ所のアミノ酸相違点が確認された。そこで、各8部位のアミノ酸を1カ所づつ他方の株のアミノ酸に変異するよう、両感染性cDNAクローン上にて部位特異変異を導入した。H/3’76株の塩基配列上の2842位または3355位の1カ所をJ1’73株の塩基に変異させたウイルス(vSVLS104MJ1及びVSVLS201MJ1)は、両株の中間サイズのプラックを形成した。さらに、2842及び3355位とも変異させたウイルス(vSVLS104/201MJ1)はJ1’73株と同様の大型プラックを形成した。一方、J1’73株の塩基配列上の3355位の1カ所をH/3’76株の塩基に変異させたウイルス(vSVLS201M00)はH/3’6株と同様の小型プラックを形成した。この結果から、両親株のプラックサイズを規定するウイルス遺伝子は塩基番号2842及び3355の塩基であり、とくに3355位の塩基が主要な決定因子であることが推測された。次に、本ウイルスの病原性遺伝子を特定するため、得られた種々の組換えウイルスと部位特異変異ウイルスの豚接種試験を行った。その結果、これらのウイルスの病原性の有無はプラックサイズの大小と相関することが明らかとなった。すなわち、病原性を規定するのは制限酵素Bst1107I-BssHII領域(nt 2233-3368)であり、さらにH/3’76株の塩基配列上の2842位及び3355位の2カ所をJ1’73株の塩基に変異させたウイルス(vSVLS104/201MJ1)接種豚全頭に水疱の発症が認められ、J1’73株の塩基配列上の2842位または3355位の2カ所をH/3’76株の塩基に変異させたウイルス(vSVLS104/201M00)接種豚全頭には水疱の発症が認められなかった。このことから、プラックサイズと同様に豚への病原性においてもウイルス遺伝子上の塩基番号2842及び3355位の塩基が関与することが明らかとなった。

 本研究で明らかとなった、SVDVの中和抗原決定基の成績は、本病の発生が散発しているヨーロッパや常在国の分離株を用いた抗原解析による本ウイルスの分子疫学的研究や、モノクローナル抗体を用いた診断技術の開発に有用と思われる。また、病原性遺伝子の特定により得られた知見は、本ウイルスの自然界における存続様式の解明、並びに本病の撲滅のためのワクチン開発に有効利用されると思われる。

審査要旨

 豚水胞病(swine vesicular disease:SVD)は豚の急性伝染病で蹄部及び鼻口唇部の水疱形成を主徴とし、口蹄疫及び水庖性口炎と共に国際獣疫事務局(Office International des Epizooties:OIE)によりList A疾病に指定される国際重要伝染病である。本疾病の病原体である豚水胞病ウイルス(SVDV)はピコルナウイルス科エンテロウイス属に属し、その血清型は単一とされるが分離株間で若干の差がみられることが報告されている。しかし、各分離株間における詳細な抗原性等の比較についてはこれまで行われておらず、モノクローナル抗体による各株間の抗原解析が待たれている。特にその抗原性状を規定する中和抗原決定基の特定は極めて重要な研究課題となっている。また、SVDVの病原性に関しては分離株間において多様性がみられ、さらに野外調査の結果から豚に水庖を発症させない非病原性株が存在することも報告されている。このような非病原性株と、発病豚から分離された病原性株の豚への病原性の差を生む要因については明らかにされていない。

 そこで本研究ではSVDVの中和抗原決定基及び病原性関与遺伝子を特定する目的で、本ウイルス遺伝子の構造及び機能解析を行い、下記の成績を得た。

 第1章ではSVDVの抗原性状を解明することを目的に中和抗原決定基の特定を行った。豚水胞病ウイルス非病原性H/3’76株に対する8種類の中和モノクローナル抗体を作出し、これとウイルスを混合培養することにより37株の中和抵抗性変異株を得た。交差中和試験により5つの中和抗原決定基が存在することが明らかとなった。さらに変異株の塩基配列を決定することによりアミノ酸変異部位すなわち中和抗原決定基を特定した。特定した5群の中和抗原決定基をサイト1(VP1-87と88)、サイト2a(VP2-163)、サイト2b(VP2-154)、サイ3a(VP1-272と275及びVP3-60)、サイト3b(VP2-70と233及びVP3-73と76)と命名した。次いでポリオウイルスとライノウイルス14型のアミノ酸配列及び構造を鋳型としてhomology modelling法によりSVDVの3次元立体構造モデルを構築し、5群の中和抗原決定基を構成する全てのアミノ酸がウイルス粒子表面に位置することを確認した。

 第2章では分離株間の性状の差を規定する遺伝子を特定することを目的として、病原性株の感染性cDNAクローンの作出とそれから得られたウイルスの生物学的性状をその親株と比較した。病原性J1’73株の完全長cDNAをcDNAライブラリーから構築し、発現ベクターに組み込んだ。これをCos-7細胞にトランスフェクトすることにより感染性ウイルスを回収し、得られたウイルスをvSVLSJ1とした。vSVLSJ1のin vitroにおける抗原性、プラックサイズ、増殖性はいずれもJ1’73株と同様であり、豚接種試験においてもその病原性はJ1’73株と同様であった。これにより、感染性cDNAクローンを用いたSVDV遺伝子の機能解折が可能となった。

 第3章では、第2章で得られた知見を基に、SVDVの病原性及び非病原性株のブラック性状の差と豚への病原性の差を規定する遺伝子を特定することを目的に、病原性株と非病原性株の感染性cDNAを用いて、両株間の組換えウイルス及び部位特異変異ウイルスを作出して、上記性状を規定する遺伝子を特定した。組換えウイルスのプラックサイズを規定する領域は制限酵素Bst1107i-BSssHII領域(nt 2233-3368)であることが明らかとなった。さらに、本領域中の両株のアミノ酸相違点各8カ所に部位特異変異を導入し、得られた変異ウイルスのブラックサイズを解析した結果、塩基番号2842及び3355位の遺伝子が関与することが明らかとなった。豚感染試験の結果、組換え及び部位特異変異ウイルスの豚への病原性はブラックサイズの大きさと相関する結果が得られた。すなわち、病原性を規定するのは制限酵素Bst1107I-BssHII領域(nt 2233-3368)であり、塩基番号2842及び3355位の塩基が病原性にも関与することが明らかとなった。

 本研究で明らかとなったSVDVの中和抗原決定基に関する成績は、各国分離株を用いた抗原解析による分子疫学的研究や、モノクローナル抗体を用いた診断技術の開発に有用と考えられる.また、病原性遺伝子の特定により得られた知見は、本ウイルスの自然界における存続様式の解明、並びに本病の撲滅のためのワクチン開発に有効利用されるものと思われる。

 以上、本論文は豚水胞病ウィルスの抗原性及び病原性遺伝子に関する新知見を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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