学位論文要旨



No 214417
著者(漢字) 藤谷,順子
著者(英字)
著者(カナ) フジタニ,ジュンコ
標題(和) 換気性閾値を用いた片麻痺者の全身持久力の検討
標題(洋)
報告番号 214417
報告番号 乙14417
学位授与日 1999.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14417号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 山田,芳嗣
内容要旨 背景と目的

 障害者における全身持久力は,日常生活・社会生活復帰に必要な資質であると同時に,機能維持およびQOLにも関係する因子であり,かつ,長期予後・健康増進のために重要である.ことに脳血管障害者においては,近年,長期予後に対する心臓血管疾患の重要性が指摘されている。

 本研究では,脳血管障害片麻痺者の全身持久力の指標として換気性閾値(ventilatory threshold以下VT)を測定し,その長期追跡をおこなって,日常生活活動性との関連を探ることを目的とした.単に低下の程度をさぐるのみならず,今後の臨床において,脳血管障害者に対する長期的な運動習慣の獲得と維持を効果的に指導し,もって全身管理,およびさらなる疾患と障害の予防に益するための端緒となることを意図したものである.

 VTはWassermanにより無酸素(性)閾値(AT),すなわち代謝アシドーシスと,それに伴うガス交換の変化が起こる直前の仕事量,または酸素摂取量として提唱されたものであるが,呼気ガス分析にもとづき得られた値であるのでVTの語を用いる。循環・呼吸・代謝の総合機能をあらわし,亜最大下の運動負荷試験で得られ,安全な運動処方につながる利点があるため,脳血管障害者での利用に適していると考え,用いた。

研究1目的

 脳血管障害片麻痺患者のVTを測定し,その移動レベルとの関係を検討し,また,健常者の値との比較を行う.

対象と方法

 1993年5月から12月までに東京都リハビリテーション病院において入院または外来治療を受けた患者中,初発脳血管障害による片麻痺男性で,重篤な内科・整形外科的問題がなく,紙面での承諾を得た症例について,運動負荷試験を行った。また,対照群として,35-70歳の健常男性34名の協力を得た.

 運動負荷試験には自転車エルゴメーター(フクダ電子社製ストレステストシステムML-5000)を使用し,ランプ負荷(40rpm,片麻痺者では15w/分,健常者では30wまたは45w/分)にて運動負荷試験を行い,呼気ガス分析装置(アニマ社製AT4000)にて15秒毎に呼気ガスを収集し,得られた呼気ガスの値から,Vslope法を基本にVTを決定した.運動負荷試験には医師が付き添って行い,12誘導心電図および1分間毎の血圧をモニターした.

結果

 1)健常者の値;健常男性で求められた年代別VTおよび最高酸素摂取量(以下PeakVO2)の平均値は,それぞれ35-44歳:15.3,27.9,45-54歳;16.1,26.7,55-64歳;14.6,22.3,65-70歳:15.1,21.9(ml/min/kg)であった。全例ではVT;15.3(ml/min/kg)およびPeakVO2;24.7(ml/min/kg)であった。

 2)片麻痺者の値;検査施行した片麻痺者は78名,そのうちVTが検出可能であったのは63名(81%)であった。この63名の年齢は平均54.5歳(30〜76歳)であり,運動負荷により心電図上の虚血性変化が2名に,不整脈の発生が5名に認められた.検査中止理由は目標心拍数到達1名,心電図変化2名,血圧上昇20名,息切れ9名,下肢疲労31名であり,PeakVO21095(567〜1809)ml/min,体重あたり17.7(9.4〜28.1)ml/min/kgであった。求められたVTは平均716ml/minで,体重あたりの値で示すと11.6ml/min/kgであった.VT時の心拍数は103±13.5拍/分であり,推定最高心拍数(220-年齢)の62.3±8.9%であった.

 片麻痺者63名の実用移動レベルは屋外歩行自立40名,院内歩行自立12名,車椅子併用6名,車椅子5名であった。各群のVT値を比較すると屋外自由群と車椅子群,屋外歩行群と併用歩行群の間にp<0.05で有意差が認められた。また,いずれの群においても,健常者の値と比較するとp<0.01で有意差が認められた

考察

 1)健常者の値,片麻痺者の値とも過去の報告とおおむね一致した。

 2)片麻痺者では健常者に比し有意にVTが低下しているばかりでなく、片麻痺者のなかで実用移動レベルによる有意差があった.実用的な移動能力が日常生活の運動量をある程度反映していると推察された。

研究2目的

 自宅生活している脳卒中片麻痺者に運動負荷試験を期間をおいて再検し,VTの変化および日常生活活動性との関連を検討することによって,運動負荷試験の結果も踏まえた主治医からの指導や日常生活での需要により,運動習慣が身につき,全身持久力を改善させ得るのかどうか検討する.

対象と方法

 1993年5月から1994年4月までに東京都リハビリテーション病院にて運動負荷試験を行った187名のうち,初発脳血管障害片麻痺者,歩行自立,運動に支障となるような併存症のない57名を追跡の対象とした.30名が再検査を受け,この30名を検討の対象とした.平均年齢は53.6歳(35〜76歳)であり,脳血管障害発症から初回検査までは平均10.1カ月(2〜49カ月),初回検査から2回目検査までの平均期間は9.4カ月(6〜12カ月)であった.

 指標としては,以下のものを収集検討した。1)運動負荷試験;研究1と同様の方法で行い,VTを求めた。2)日常生活活動性;11問よりなる質問紙を利用して各回の検査の際に調査した.3)歩行時心拍;12名においては,初回検査の際,4分間の定常歩行を行い,歩行時の心拍を測定した.

 検討のための層別化;対象群を第2回検査時の日常生活の活動性によって層別化した.まず就職している群9名と,在宅療養群21名に分け,さらに,就職群を,ほぼフルタイムの旧職に復帰し,公共交通機関を利用して通勤しているサブグループA(n=4)と,自営業,親族会辻などで自宅ないしは徒歩圏で働いているサブグループB(n=5)に分けた。在宅療養群は,活動性の高いサブグループC(n=10),すなわち毎日6000歩以上の歩行または1時間以上の歩行またはスポーツを行っている群と,そのような活動性を持たないサブグループD(n=11)に分けた.

結果

 1)運動負荷試験の結果(全例);30名計60検査中,危険な不整脈と虚血性変化は検出されず.50検査(83%)でVTが判定可能であった.2回とも判定が可能であったものは22名であった.初回検査での値はPeakVO2;1112.5±325.4ml/min,peakVO2/kg;17.7±4.2ml/min/kg,VT;730,1±216.1ml/min,VT/kg;11.4±3.5ml/min/kg,VT時の心拍数101.7±14.8beat/minであった。第2回検査での値はPeakVO2;1338.9±390.7ml/min,PeakVO2/kg;21.1±4.7ml/min/kg,VT;870.6±203.9ml/min,VT/kg;13.6±3.0ml/min/kg,VT時の心拍数103.5±18.5beat/minであった。1回目に比し,2回目ではpeakVO2もVTも有意の改善を示した.

 2)日常生活の活動性での検討:就職群と在宅療養群で年齢に有意差があったため,各世代の標準値で補正した値を用いて比較した。A群,C群では換気性閾値の上昇がより明らかで,B群,及びD群では換気性閾値の改善が有意ではなかった.

 3)歩行時心拍;12名中4名で,VT時心拍が歩行時心拍よりも10拍/分以上高く,歩行のみでは十分な運動強度といえないことが推察された。

考察

 脳血管障害者の全身持久力を経時的に測定した報告は乏しく,退院後患者の,半年以上の長期間の追跡,また生活活動性との関係を検討したものは本研究が始めてである.脳血管障害者に対し,有酸素運動を処方することで体力を改善させようという報告は散見され,効果も示されつつあるが,いずれも短期(4週から12週)であり,参加型プログラムの提供が主となっている。本研究では,運動負荷試験の結果を参考にした主治医からの助言と指導のみでもある程度の効果が得られることを示すとともに,日常生活の活動性による差も示した.活動性の低い職業生活をおくっている症例,不活発な在宅生活を継続している症例により重点を置いて外来指導,あるいは地域でのプログラムを提供することが必要であろう.

今後の展望と問題点

 今後解決すべき課題としては,VTの生理的意味の探求,片麻痺者個々に適した運動負荷強度推定式の作成,女性での検討,妥当性のある日常生活活動性の指標の検討等が挙げられる。また,臨床的には,運動負荷試験に食事指導も含めた定期的なチェックシステムの構築,健康増進を目的とした障害者スポーツの普及が必要と考えている.

審査要旨

 本研究では,脳血管障害片麻痺者の全身持久力の指標として換気性閾値(ventilatory threshold以下VT)を測定し,その長期追跡をおこなって,日常生活活動性との関連を検討し、下記の結果を得ている。

1.脳血管障害片麻痺患者のVTの測定

 初発脳血管障害による片麻痺男性78名に運動負荷試験を行い,63名でVTを検出した。求められたVTは平均716ml/minで,体重あたりの値で示すと11.6ml/min/kgであった.

 この63名の実用移動レベルは屋外歩行自立40名,院内歩行自立12名,車椅子併用6名,車椅子5名であった。各群のVT値を比較すると屋外自由群と車椅子群,屋外歩行群と併用歩行群の間にp<0.05で有意差が認められた。また,いずれの群においても,健常者の値と比較するとp<0.01で有意差が認められた

 すなわち、片麻痺者では健常者に比し有意にVTが低下しているばかりでなく、片麻痺者のなかで実用移動レベルによる有意差があった.実用的な移動能力が日常生活の運動量をある程度反映していると推察された。

2.長期追跡結果

 初発脳血管障害片麻痺者,歩行自立,運動に支障となるような併存症のない57名を追跡の対象とし、30名を追跡することが出来た。初回検査から2回目検査までの平均期問は9.4カ月(6〜12カ月)であった.

 指標としては,以下のものを収集検討した。1)運動負荷試験、2)日常生活活動性(4群に層別化)、3)歩行時心拍。

 運動負荷試験の結果、全例での検討では、1回目に比し,2回目では最高酸素摂取量ももVTも有意の改善を示した.

 日常生活の活動性で比較すると、ほぼフルタイムの旧職に復帰し,公共交通機関を利用して通勤している群(n=4)と,在宅療養していても活動性の高い、すなわち毎日6000歩以上の歩行または1時間以上の歩行またはスポーツを行っている群(n=10)では換気性閾値の上昇がより明らかで,自営業,親族会社などで自宅ないしは徒歩圏で働いている群(n=5)および、在宅療養で活動的な生活を送っていない群(n=11)では換気性閾値の改善が有意ではなかった.

 また、歩行時心拍を測定した12名中4名で,VT時心拍が歩行時心拍よりも10拍/分以上高く,歩行のみでは十分な運動強度といえないことが推察された。

 以上、本論文は運動負荷試験で求められる換気性閾値を用いて脳血管障害者の全身持久力を測定し、日常生活活動性との関係を明らかにした。

 障害者における全身持久力は,日常生活・社会生活復帰に必要な資質であると同時に,機能維持およびQOLにも関係する因子であり,かつ,長期予後・健康増進のために重要である.ことに脳血管障害者においては,近年,長期予後に対する心臓血管疾患の重要性が指摘されている。

 従来、脳血管障害患者の全身持久力を経時的に測定した報告は乏しく,退院後患者の,半年以上の長期間の追跡,また生活活動性との関係を明らかにしたは本研究が始めてであり、臨床的意義も高く、学位の授与に値するものと考えられる。

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