先天性代謝異常症の研究は、一つの酵素の欠損が一つの疾患をおこすという概念から始まり、近年の分子遺伝学の進歩とともに、疾患が遺伝子異常により引き起こされると考えられるに至った。先天性代謝異常症を対象とした医療には、正確な診断が前提となる。従来の診断は酵素活性の欠損や異常物質の検出によってなされ、現在も古典的な生化学的検査の重要性に変わりはない。しかし、こうした代謝を司る酵素や蛋白の遺伝子配列が次々に明らかにされた結果、直接塩基配列を調べるDNA診断が臨床上も可能になりつつある。 本研究では、臨床の場において経験した症例を中心として、7疾患の遺伝子診断を行なった。第一部は遺伝素因の占める割合の大きい先天性代謝異常症として肝型糖原病を、第二部は食事などの環境因子により臨床症状が左右される代謝異常として脂質代謝異常症を対象とした。 第一部では、肝腫大、低血糖、発育障害などの臨床症状を示す肝型糖原病のうち、日本人の糖原病Ia型では共通の変異が、糖原病III型では多様な変異が存在することを明らかにした。 糖原病Ia型の解析では、glucose-6-phosphatase遺伝子に点変異(G727T)を同定した。血縁関係のない3家系4例すべてがこの変異のホモ接合体で、日本人の対照にもヘテロ接合体を認めたことから、G727T変異は日本人糖原病Ia型の主要な変異であると考えられた。変異の簡便な検出法により、Ia型患者の正確なDNA診断が可能になった。その後G727T変異は中国人Ia型からも報告され、多型マーカーが一致することから、二つのエスニックグループが分かれる以前から存在する古い変異であることが考えられた。 糖原病III型患者のdebrancher遺伝子解析では、Ia型と異なり多様な変異を同定した。10例の患者から8個の異なる遺伝子変異を明らかにした。これらはすべて今まで報告されていない変異で、IVS14g+1→tのスプライシング変異は、debrancher遺伝子における世界でも最初の報告になった。ユダヤ人患者には頻度の高い変異が存在するが、日本人患者では変異が極めて多様であることが示された。また、debrancher遺伝子座の新しい多型マーカーを8か所明らかにした。こうした遺伝子変異と多型性マーカーの同定は、糖原病III型の遺伝子診断の先駆けになると思われる。さらに、患者の遺伝子解析から予想されるdebrancher蛋白の大部分はC端が欠失しており、C端に酵素が正常に働くための重要な領域があることが推測された。 第二部では、さまざまなタイプの高脂血症を起こす先天性脂質代謝異常症の正確な遺伝子診断が行なえることを示した。 リポ蛋白リパーゼ(LPL)欠損症とアポ蛋白CII欠損症は、中性脂肪値が10,000mg/dlを超える高カイロミクロン血症を示す稀な常染色体劣性遺伝病であり、血族結婚のある家系から報告されていることが多い。本研究で診断したLPL欠損症には血族結婚はなく、二つの遺伝子変異の複合ヘテロ接合体であった。こうした複合ヘテロ接合体の診断には遺伝子解析が有用であった。また、同じLPL遺伝子変異をもつ患者とのハプロタイプの比較から、共通の日本人の祖先を持つと考えられた。 アポ蛋白CII欠損症患者は遺伝子解析によって、スプライシング変異のホモ接合体と診断できた。また、両親には知りうる限り血縁関係はなかったが、ハプロタイプの解析からは一人の日本人の先祖に遡れることが示唆された。 家族性高コレステロール血症はLDLコレステロール値が高くなるため虚血性心疾患の原因として重要であり、4家系の遺伝子変異を同定して確定診断を行なった。 III型高脂血症はアポ蛋白Eの変異により -VLDLが血中に停留する疾患で、中性脂肪とコレステロール値がともに高値を示す。こうした臨床像からIII型高脂血症を疑った11例を、アポEの解析により確定診断することができた。このうち1家系から今まで報告のないアポE2変異体E2Toranomon(Q187E)を明らかにした。こうした変異体を見い出すには、遺伝子解析が有用であった。患者はアポE2変異体に糖尿病や過食という増悪因子が加わることで、III型高脂血症を発症したと考えられ、食事療法を厳格に行なうことで血清脂質は正常化した。また遺伝子診断によりQ187E変異のヘテロ接合体と診断した娘は、血清脂質が正常で、無症候の変異キャリアーと考えられた。娘にも食事療法を励行して高脂血症の予防を行なうことが可能になった。 低HDL血症の症例は、遺伝子解析により新しい変異を有するLCAT欠損症のホモ接合体と診断し得た。LCAT欠損症は角膜混濁、貧血、蛋白尿という三徴を示し、なかでも腎障害の進行が予後を左右し、蛋白制限が有効であることが知られている。この症例に蛋白制限を指導するという治療の確実な根拠が得られた。 本研究では7疾患の先天性代謝異常症30家系から、19の遺伝子変異を同定し、そのうち11がはじめて明らかにされた新奇な変異であった。先天性代謝異常症の診断には、塩基配列の検討による分子遺伝学的方法が極めて有用であることが示された。患者の代謝のどこに異常が起こっているかを正確に診断することは、代謝異常の是正を目指す将来の遺伝子治療につながると期待される。また、無症候の変異を有するキャリアーを正確に診断することは、疾患の予防につながると考えられる。さらに、先天性代謝異常症の分子遺伝学的研究は、遺伝子の構造と機能の関係を明確にし、先天性代謝異常症という難病に対する根治的治療法の開発の端緒になると考えられた。 |