学位論文要旨



No 214427
著者(漢字) 石橋,要
著者(英字)
著者(カナ) イシバシ,カナメ
標題(和) 細胞内蛋白質チロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の調節 : 初代培養肝細胞のホルモン応答における役割
標題(洋)
報告番号 214427
報告番号 乙14427
学位授与日 1999.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14427号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 講師 長谷川,成人
内容要旨

 サイクリックAMP(cAMP)は、肝細胞においてグリコーゲン分解・細胞増殖などの広範な細胞応答の引き金を引くことが知られている。cAMPは成熟ラット肝細胞にグルカゴン等の刺激ホルモンを加えると生成されるが、ホスホジエステラーゼ(PDE)により瞬時に分解され始めることから、刺激に伴う細胞内cAMP量の変化とは、その生成系と分解系が機能した結果であると解釈される。このようなcAMPの肝細胞内代謝は初代培養肝細胞において培養条件に依存した細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化、細胞骨格構造の変化によって調節されることが予想されながらも、その調節機構について不明な点が数多く残されていた。そこで、初代培養肝細胞の実験系に資する新たな知見を得ることを目的にこの機構の解明を試みた結果、ホルモン等の刺激により肝細胞に蓄積されるcAMP量が、細胞内のチロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の変化により調節される新たなホルモン刺激応答調節機構を見いだした。

(1)ハービマイシンによる細胞内cAMP蓄積の促進

 初代培養肝細胞の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化と同細胞の刺激にともなう細胞内cAMP蓄積量との関わりについて探る目的で、1Mのチロシンキナーゼ阻害薬ハービマイシンを添加して各時間単層培養した肝細胞を37℃で10分間刺激したときの細胞内CAMPを定量した(表1)。

表1 ハービマイシン存在下で各時間培養した肝細胞をグルカゴン、フォルスコリシで刺激したときの細胞内cAMP蓄積量

 その結果、ハービマイシン未処理細胞を刺激したときのcAMP蓄積量は培養時間を通じて一定であったのに対して、ハービマイシン処理細胞の刺激にともなうcAMPの蓄積は未処理細胞と比較して顕著に促進されていた。このようなハービマイシンによるcAMP蓄積量促進効果は、ハービマイシンとともに4時間培養した細胞において最大であったため、以降の実験には4時間培養細胞を使用した。

(2)ハービマイシンによるPDE阻害効果

 上述のハービマイシシによるcAMP蓄積促進効果は、ハービマイシンのPDEに対する阻害作用が原因であることが以下の実験結果から判明した。

 1.PDE阻害薬 3-isobutyl-1-methylxantine(IBMX)もしくはRo-20-1725を100Mフォルスコリンによる刺激(37℃、10分間)の10分前から細胞に添加して、無添加の場合と比較すると、ハービマイシシ処理、未処理間で蓄積されるcAMP量の格差は無くなり、ハービマイシンによる上記促進効果は消失することが示された(図 1A)。

 2.ハービマイシンによるPDE活性の阻害効果について直接的に観察するために、さまざまな濃度のハービマイシンとともに培養した肝細胞をAと同様に1 mM IBMXと100 Mフォルスコリンで処理して細胞内cAMP量を高め、ハービマイシン処理にともなう格差を解消させた時点から、IBMXとフォルスコリンを除き、37℃でインキュベートしたときの細胞内cAMP量を追跡した(図 1B)。その結果、培養液中に添加したハービマイシンの濃度に依存してより高濃度のcAMPが細胞内に残存することが観察され、cAMPの分解速度がハービマイシンの用量に依存して減少することが示された。

図1 PDE活性に対するハービマイシンの影響(PDE阻害条件下でのハービマイシンによる細胞内cAMP蓄積量への影響(A)とハービマイシンによる細胞内cAMP分解速度への影響(B)、説明は本文参照)
(3)微小管構造の破壊にともなうハービマイシンのPDE阻害効果の消失

 ハービマイシンによるPDE阻害効果は細胞の無傷性が失われると(破砕細胞系では)、消失された。細胞の破砕に伴って失われる無傷細胞特異的な要素として、生細胞の形態を支える細胞骨格が考えられたため、細胞骨格蛋白質の構造変化がハービマイシン効果に及ぼす影響について検討した。アクチン重合阻害薬サイトカラシンDもしくは微小管重合阻害薬コルヒシン、ビンブラスチシをハービマイシンとともに添加して培養した細胞の刺激にともなう細胞内cAMP量を測定した結果、微小管重合阻害薬がハービマイシン無処理細胞に対して影響のない濃度範囲で、用量依存的にハービマイシンのPDE阻害効果を減少させ消失させた(図2)。このことから、この効果には重合状態の微小管構造が必要であることが示唆された。

図2 ハービマイシン効果に対する細胞骨格系蛋白質重合阻害薬の影響(100Mフォルスコリン刺激(37℃、10分間)による細胞内cAMP蓄積量、n=3で値は平均値±S.D.、説明は本文参照)
(4)ハービマイシンのPDE阻害効果を減弱させるインスリン

 PDE阻害機構におけるハービマイシンの標的チロシンキナーゼは不明であったが、インスリンはPDEを活性化して、その糖・脂質代謝に対する作用の少なくとも一部(例えば抗脂肪分解作用)を担うことから、このチロシンキナーゼの1つはインスリン受容体であると考えられた。そこで、ハービマイシシのPDE阻害機構におけるインスリン受容体キナーゼの関与について検討した。その結果、1Mグルカゴンで10分間刺激したときに蓄積されるcAMP量はハービマイシンとともに培養された細胞において顕著に促進されるが、培養後、グルカゴンで刺激する前にインスリンとともに37℃で10分間インキュベートすると、インスリン受容体のリン酸化の回復とともにcAMP蓄積量は減少することが観察された(図3)。このことから、ハービマイシンによるPDE阻害効果はインスリンによって顕著に減弱されることが示唆された。

(5)インスリンによる-チューブリンのチロシンリン酸化の亢進と微小管の脱重合

 これまでに「インスリン受容体キナーゼは直接チューブリンをチロシンリン酸化すること」や「インスリンを添加された細胞の微小管は脱重合すること」が知られていたため、これらのインスリン作用と重合状態の微小管構造を必要とするハービマイシンのPDE阻害機構とが結びつくことが期待された。そこで、同PDE阻害機構におけるチューブリンのチロシンリン酸化とそれに基づく微小管構造変化の位置づけを試みた。その結果、ハービマイシンとともに培養した細胞の-チューブリンのチロシンリン酸化は顕著に阻害されており、その細胞内には重合状態の微小管構造が観察された(図4)。しかし、ハービマイシシ処理細胞を(4)と同様にインスリンとともにインキュベートすると、-チューブリンのチロシンリン酸化の回復とともに微小管重合レベルは低下することが観察された。-チューブリン分子のC未端のチロシン残基がリン酸化されると、微小管重合が妨げられることは既に知られていることから、ハービマイシンはこのリン酸化を阻害して微小管重合を促すことが示唆された。

図表図3 ハービマイシンによるPDE阻害効果に対するイシスリンの影響(n=3で値は平均値±S.D.、枠内には、インスリン受容体-鎖に対するモノクローナル抗体による免疫沈降物について、抗リン酸化チロシンモノクローナル抗体(a-d)および抗インスリン受容体-鎖ポリクローナル抗体(a’-d’)を用いたイムノブロッティングにより検出したインスリン受容体分子) / 図4 インスリンによる-チューブリンのチロシンリン酸化と細胞内微小管の構造変化(抗ホスホチロシン抗体による免疫沈降画分(a-d)ならびにTCA沈殿物(a’-d’)について、抗-チューブリンモノクローナル抗体(DM1A)を用いたイムノブロッティングにより検出したインスリン受容体分子(上段)およびDM1Aで染色した微小管の共焦点蛍光顕微鏡観察像(下段)、A-Dはa-d(a’-d’)に対応)

 以上の(4)、(5)から、インスリンによる(1)チューブリシのチロシンリン酸化とイシスリン受容体の自己リン酸化は相関し、さらに、(2)チューブリンのリン酸化に伴う微小管の脱重合とハービマイシンのPDE阻害効果を減弱させる活性も相関することがら、インスリン受容体キナーゼがハービマイシンの標的である可能性が強く考えられた。

(6)ハービマイシンによるグリコーゲンホスホリラーゼ活性の促進

 ハービマイシンのPDE阻害効果により影響される肝細胞の機能としてグリコーゲン分解を想定し、グリコーゲンホスホリラーゼ活性を指標として肝細胞の糖代謝に対するハービマイシンの作用について検討した。その結果、ハービマイシン処理細胞をグルカゴンで刺激したときのホスホリラーゼ活性は、無処理細胞に比べ刺激開始直後から急速に上昇し、僅か30秒で最大活性に達した(図5A)。このハービマイシンによるホスホリラーゼ活性促進効果に対するインスリンの影響について調べるために、(4)、(5)と同様にハービマイシン処理後インスリンとともにインキュベートした細胞を、30秒間刺激したときの同酵素活性ならびに細胞内cAMP量を測定した(図5B)。その結果、ハービマイシンによるホスホリラーゼ活性ならびにcAMP蓄積に関する促進効果は、インキュベーション中にインスリンを加えると両者とも顕著に減弱した。

 以上の結果から、インスリンの肝細胞内刺激伝達がハービマイシンによって培養時間を通じて妨げられたのに伴いその活性を阻害され続けたある種のPDEは、培養後のインスリン添加によってインスリン刺激伝達系が作動した結果活性化され、cAMPの分解を担い、ホスホリラーゼを不活化することが示唆された。一方、ハービマイシン無処理細胞の細胞内cAMP量もしくはホスホリラーゼ活性に対してインスリンは(4)-(6)を通じて略無作用であったことから、通常の初代培養肝細胞において、インスリン刺激に依存したPDEの活性化ならびにホスホリラーゼの不活性化を検出することは非常に困難であること、この原因としては肝細胞のある種のPDEの基礎活性が高いことが考えられた。この基礎活性がハービマイシンによる長時間の処理で低下された結果、インスリン刺激依存的なPDE活性化に因るホスホリラーゼ不活性化がはじめて浮き彫りにされると想像された。

結論

 得られた知見を総合し、模式的に示した(図6)。ラット肝細胞においてインスリン受容体キナーゼが活性化されると、チューブリンのチロシン残基にリン酸基が入り、微小管は脱重合するが、ハービマイシンによってチロシン残基にリン酸基を欠くチューブリンが増加すると微小管の重合が促進され、PDE活性が抑さえられた状態となる(同A)。Aの状態の細胞を刺激したときの細胞内cAMP濃度は顕著に上昇し、Aキナーゼ活性化を経て、グリコーゲンホスホリラーゼ活性化によるグリコーゲン分解機能が増強される(同B)。

図表図5 グリコーゲンホスホリラーゼ活性に対するハービマイシンとインスリンの効果(A、Bとも1Mグルカゴンで刺激、説明は本文参照) / 図6 細胞内チロシンリン酸化に基づく微小管形態変化によるPDE活性の制御(説明は本文参照)

 本研究ではハービマイシン処理という特殊な条件下ではあるが、細胞内蛋白質チロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の変化によるPDE活性の調節機構を発見し、詳細に検討した結果、そのメカニズムと肝細胞に対するインスリン作用との関わりを導くに至った。肝臓におけるインスリン作用が本研究で得られた知見を反映するものであれば、本研究は肝臓のインスリンに対する迅速な応答の検討に重要な手掛かりを与えるものである。

審査要旨

 環状3’,5’-AMP(cAMP)は,肝細胞においてグリコーゲン分解や細胞増殖などの広範な細胞応答を惹起することが知られている。成熟ラット肝細胞にグルカゴンなどのホルモンを添加すると,細胞内ではcAMPが生成するが,ホスホジエステラーゼ(PDE)により急速に分解されることから,刺激に伴う細胞内cAMP含量はその生成系と分解系によって調節されている。このような細胞内のcAMP動態は,肝細胞の初代培養条件に依存した細胞内蛋白質のチロシン残基リン酸化や細胞骨格構造の変化によって制御されることが予想されながらも,その機構については不明な点が多く残されている。「細胞内蛋白質チロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の調節-初代培養肝細胞のホルモン応答における役割-」と題した本論文では,ホルモン刺激によって肝細胞に蓄積するcAMP量が、細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の変化によって調節されるという,新たなホルモン刺激応答の調節機構を見出している。

1.ハービマイシンによる細胞内cAMP蓄積の促進

 初代培養肝細胞の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化とホルモン刺激による細胞内cAMP蓄積量との関連について,チロシンキナーゼ阻害薬であるハービマイシンを用いて検討した結果,ハービマイシン処理細胞ではアドレナリン受容体,グルカゴン,フォルスコリン刺激にともなうcAMPの蓄積が未処理細胞と比較して顕著に促進された。ハービマイシン処理の効果は肝細胞との培養時間に依存し,4時間培養された細胞において最大であった。

2.ハービマイシンによるPDE阻害効果

 ハービマイシンによるcAMP蓄積の促進効果は,PDE阻害薬(3-isobutyl-1-methyl-xantine,IBMXまたはRo 20-1725)の存在下で消失し,さらに,細胞内で蓄積したcAMPの分解速度は,ハービマイシン処理細胞で減少していることが見出された。すなわち,ハービマイシン処理は何らかの機構でPDEを阻害していることが明らかにされた。

3.微小管構造の破壊によるハービヒマイシンのPDE阻害効果の消失

 ハービマイシンによるPDE阻害効果は,細胞を破砕し細胞骨格蛋白質を破壊すると消失した。また,アクチン重合阻害薬のサイトカラシンD,あるいは微小管重合阻害薬であるコルヒシン,ビンブラスチンは,ハービマイシンのPDE阻害効果を消失させた。すなわち,ハービマイシンの効果は重合状態にある微小管構造が必要であることが示唆された。

4.ハービマイシンのPDE阻害効果を減弱させるインスリン

 PDE阻害作用をもつハービマイシンの標的チロシンキナーゼの少なくても一つはインスリン受容体であると考えられたので,ハービマイシンのPDE阻害機構におけるインスリン受容体キナーゼの関与について検討した。その結果、グルカゴンで肝細胞を刺激したときに蓄積するcAMP量はハービマイシンとともに培養された細胞において顕著に促進されたが、培養後、グルカゴンで刺激する前にインスリンとともに肝細胞をインキュベートすると、インスリン受容体のリン酸化の回復とともにcAMP蓄積量は減少することが観察された。すなわち、インスリンはハービマイシンによるPDE阻害効果を顕著に抑制し,cAMP分解系を促進することが示された。

5.インスリンによる-チューブリンのチロシンリン酸化と微小管の脱重合

 ハービマイシン処理した細胞の-チューブリンのチロシンリン酸化は顕著に阻害されており,重合の促進された微小管構造が観察された。しかし,ハービマイシン処理細胞にインスリンを添加すると、-チューブリンのチロシンリン酸化の回復とともに微小管の重合レベルは低下した。すなわち,ハービマイシンは-チューブリンのリン酸化を阻害して微小管重合を促すこと,またハービマイシンの標的はインスリン受容体キナーゼであることが示唆された。

6.ハービマイシンによるグリコーゲンホスホリラーゼ活性の促進

 ハービマイシンのPDE阻害効果により影響される肝細胞の機能としてグリコーゲン分解を検討し,グルカゴン刺激によるホスホリラーゼの活性化がハービマイシンによって確かに増強されること,また,ハービマイシンのホスホリラーゼ活性化とcAMP蓄積の促進効果は、ともにインスリンで減弱することが見出された。

 以上を要するに,本論文では,ラット肝細胞の初代培養系を用いて,細胞内蛋白質(チューブリン)のチロシン残基リン酸化に基づく微小管構造の変化が,PDE活性を調節し得ることを見出している。さらに,肝に対するインスリン作用の一つであるホスホリラーゼの不活性化を肝初代培養系で初めて再現させ,インスリンの作用がこのチロシン残基リン酸化を介してPDEを活性化し,cAMPを分解した結果である可能性を提唱している。これらの研究成果は、インスリンに感受性をもつ有用な肝細胞の初代培養系を提供するとともに,肝細胞に対する諸種のインスリンの作用機構を解明する上で重要な知見を与えるものであり、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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