審査要旨 | | 環状3’,5’-AMP(cAMP)は,肝細胞においてグリコーゲン分解や細胞増殖などの広範な細胞応答を惹起することが知られている。成熟ラット肝細胞にグルカゴンなどのホルモンを添加すると,細胞内ではcAMPが生成するが,ホスホジエステラーゼ(PDE)により急速に分解されることから,刺激に伴う細胞内cAMP含量はその生成系と分解系によって調節されている。このような細胞内のcAMP動態は,肝細胞の初代培養条件に依存した細胞内蛋白質のチロシン残基リン酸化や細胞骨格構造の変化によって制御されることが予想されながらも,その機構については不明な点が多く残されている。「細胞内蛋白質チロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の調節-初代培養肝細胞のホルモン応答における役割-」と題した本論文では,ホルモン刺激によって肝細胞に蓄積するcAMP量が、細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化に基づく微小管構造の変化によって調節されるという,新たなホルモン刺激応答の調節機構を見出している。 1.ハービマイシンによる細胞内cAMP蓄積の促進 初代培養肝細胞の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化とホルモン刺激による細胞内cAMP蓄積量との関連について,チロシンキナーゼ阻害薬であるハービマイシンを用いて検討した結果,ハービマイシン処理細胞ではアドレナリン受容体,グルカゴン,フォルスコリン刺激にともなうcAMPの蓄積が未処理細胞と比較して顕著に促進された。ハービマイシン処理の効果は肝細胞との培養時間に依存し,4時間培養された細胞において最大であった。 2.ハービマイシンによるPDE阻害効果 ハービマイシンによるcAMP蓄積の促進効果は,PDE阻害薬(3-isobutyl-1-methyl-xantine,IBMXまたはRo 20-1725)の存在下で消失し,さらに,細胞内で蓄積したcAMPの分解速度は,ハービマイシン処理細胞で減少していることが見出された。すなわち,ハービマイシン処理は何らかの機構でPDEを阻害していることが明らかにされた。 3.微小管構造の破壊によるハービヒマイシンのPDE阻害効果の消失 ハービマイシンによるPDE阻害効果は,細胞を破砕し細胞骨格蛋白質を破壊すると消失した。また,アクチン重合阻害薬のサイトカラシンD,あるいは微小管重合阻害薬であるコルヒシン,ビンブラスチンは,ハービマイシンのPDE阻害効果を消失させた。すなわち,ハービマイシンの効果は重合状態にある微小管構造が必要であることが示唆された。 4.ハービマイシンのPDE阻害効果を減弱させるインスリン PDE阻害作用をもつハービマイシンの標的チロシンキナーゼの少なくても一つはインスリン受容体であると考えられたので,ハービマイシンのPDE阻害機構におけるインスリン受容体キナーゼの関与について検討した。その結果、グルカゴンで肝細胞を刺激したときに蓄積するcAMP量はハービマイシンとともに培養された細胞において顕著に促進されたが、培養後、グルカゴンで刺激する前にインスリンとともに肝細胞をインキュベートすると、インスリン受容体のリン酸化の回復とともにcAMP蓄積量は減少することが観察された。すなわち、インスリンはハービマイシンによるPDE阻害効果を顕著に抑制し,cAMP分解系を促進することが示された。 5.インスリンによる-チューブリンのチロシンリン酸化と微小管の脱重合 ハービマイシン処理した細胞の-チューブリンのチロシンリン酸化は顕著に阻害されており,重合の促進された微小管構造が観察された。しかし,ハービマイシン処理細胞にインスリンを添加すると、-チューブリンのチロシンリン酸化の回復とともに微小管の重合レベルは低下した。すなわち,ハービマイシンは-チューブリンのリン酸化を阻害して微小管重合を促すこと,またハービマイシンの標的はインスリン受容体キナーゼであることが示唆された。 6.ハービマイシンによるグリコーゲンホスホリラーゼ活性の促進 ハービマイシンのPDE阻害効果により影響される肝細胞の機能としてグリコーゲン分解を検討し,グルカゴン刺激によるホスホリラーゼの活性化がハービマイシンによって確かに増強されること,また,ハービマイシンのホスホリラーゼ活性化とcAMP蓄積の促進効果は、ともにインスリンで減弱することが見出された。 以上を要するに,本論文では,ラット肝細胞の初代培養系を用いて,細胞内蛋白質(チューブリン)のチロシン残基リン酸化に基づく微小管構造の変化が,PDE活性を調節し得ることを見出している。さらに,肝に対するインスリン作用の一つであるホスホリラーゼの不活性化を肝初代培養系で初めて再現させ,インスリンの作用がこのチロシン残基リン酸化を介してPDEを活性化し,cAMPを分解した結果である可能性を提唱している。これらの研究成果は、インスリンに感受性をもつ有用な肝細胞の初代培養系を提供するとともに,肝細胞に対する諸種のインスリンの作用機構を解明する上で重要な知見を与えるものであり、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。 |