学位論文要旨



No 214429
著者(漢字) 萬谷,博
著者(英字)
著者(カナ) マンヤ,ヒロシ
標題(和) 脳発生過程における細胞内I型PAFアセチルハイドロラーゼの発現とLISI遺伝子産物による活性制御
標題(洋)
報告番号 214429
報告番号 乙14429
学位授与日 1999.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14429号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 序論

 Platelet-activating factor acetylhydrolase(PAF-AH)は、血小板活性化因子(PAF)のグリセロール骨格2位のアセチル基を加水分解し不活性にする酵素として同定された。PAF-AHには大きくわけて組織型(細胞内)と血漿型(細胞外)のアイソフォームがあり、組織型にはさらにI型、II型のアイソフォームが同定されている。

 I型PAF-AHは、当初、牛脳より精製・cDNAクローニングがなされ、1、2、、の3つのサブユニットより複合体を形成する酵素であることが示されていた。本酵素の触媒活性は相同性の高い1、2、の2つの触媒サブユニットよりなるダイマーにより担われている。牛脳においては12ヘテロダイマーが主要な触媒サブユニットであったが、大腸菌にそれぞれのサブユニットを発現させると1及び2ホモダイマーが形成されることから、生体内にもこれらホモダイマーが存在する可能性が示唆されていた。

 一方、サブユニットは触媒活性を持たず、I型PAF-AH複合体中での機能は全く明かとされてなかった。しかし、サブユニットが、滑脳症の代表疾患であるMiller-Dieker症候群の原因遺伝子として同定されていたLIS1遺伝子産物と同一であったことから、本酵素およびPAFが脳の形態形成において重要な因子となっている可能性が示唆されていた。サブユニットの構造中にはWDリピートと呼ばれる約40アミノ酸からなる7回の繰り返し配列がある。WDリピートは三量体Gタンパク質のGなど、他のタンパク質へ結合し機能を制御するタンパク質に見い出されている。一方、X線構造解析から1が三量体Gタンパク質のGTP結合サブユニットGや低分子量Gタンパク質であるp21rasに類似した構造を有することが示されている。このことから、構造的にはI型PAF-AHは三量体Gタンパク質様の酵素であり、サブユニットがaサブユニットの触媒活性を制御している可能性が考えられた。

 そこで私は本研究において、I型PAF-AHの脳発生過程における役割を理解する手がかりとして、脳神経系の発生過程に注目し本酵素の発現を解析した。さらに、サブユニットによる酵素活性制御について検討した。

方法・結果1.発生過程脳におけるPAF-AH活性サブユニット組成の変化

 ラット胎児及び成体の脳における各サブユニットの発現を、ウェスタンブロット及びin situハイブリダイゼーションにより調べた。胎児期においては1、2、、3つのサブユニットが神経細胞に発現していることが観察された。一方、成体においては2とのみ発現しており、1は発現していなかった。また、成体の他の臓器においても1は検出されず、2とのみが発現していた。脳の発生過程における各サブユニットの発現を調べてみると、1は胎生中期から生後直後に最も強く発現し、以降成長に伴って減少していくことが観察された。2との発現にはほとんど変化はなかった。この結果から、脳の発生過程において1は発現調節を受けていることが分かった。また、成体には従来牛脳で見い出されていた121からなる複合体とは異なる触媒サブユニット(22)が発現していることが示唆された。そこで、胎児と成体の脳で実際に形成されているアイソフォームをFPLCシステムおよびクロスリンク法を用いて解析した。可溶性画分をハイドロキシアパタイトカラム及びMono Qカラムを用いて分離し、各カラムの溶出画分中の各サブユニットをウェスタンブロッティング及び酵素活性測定により検出した。ハイドロキシアパタイトカラムにより、に結合した状態の触媒サブユニットとに結合していない状態の触媒サブユニットが分離された。この触媒サブユニットのみの画分をさらにMonoQカラムで分離すると、胎児と成体由来の活性はそれぞれ1つのピークとして異なる塩濃度で溶出された。胎児由来のピークには1、2両サブユニットが、成体由来のピークには2のみが検出された。各ピーク中の触媒サブユニットはBS3を用いたクロスリンク実験を行った結果、それぞれ12、22よりなるダイマーを形成していることが確認された。このことから、胎児期ではヘテロダイマー型、成体では2ホモダイマー型の触媒サブユニットが発現していることが示された。以上の結果から、1が発現している時期には触媒サブユニットは12ヘテロダイマーを形成し、1のない成体においては2ホモダイマーが形成され、1の発現調節により触媒サブユニットの組成変化が起こることが明かとなった。このようなサブユニット組成の違いによる機能的な差異について検討した。3H標識したDFP(セリンエステラーゼの活性セリン残基に特異的に反応し、不活化する)を用いて、各ダイマーへの取り込みを調べたところ、ヘテロダイマーの場合1にDFPが取り込まれるが2には取り込まれず、12中の2の活性がマスクされている可能性が考えられた。また、リン酸イオンは11と12の活性を阻害し22の活性には影響しないこともわかった。これらのことから、2つの触媒サブユニットの機能が異なる可能性が示唆された。

図1 ラット発生過程脳におけるI型PAF-AH各サブユニットmRNAの発現
2.活性サブユニットに対するの結合と酵素活性の制御

 上述したように、生体内には、少なくとも3つの触媒サブユニットの組み合わせ(11、12、22)が存在する可能性がある。このうち、牛脳、ラット胎児脳に発現している12に関しては、と可逆的に結合することが示されているが、の結合による酵素活性への影響は観察されなかった。そこで次に、11、22に関して、の結合性、による酵素活性制御について検討した。各サブユニットリコンビナントタンパクは、大腸菌及びバキュロウィルス発現系により発現した。まず、glutathione-S-transfelase(GST)と融合した触媒サブユニット(GST-1、GST-2)を固定化したグルタチオンセファロースカラムを用いて11、22ととのin vitroにおける結合性を調べたところ、両者とも非常に効率良く結合することが分かった。次に、各触媒サブユニットとをin vitroで混合し酵素活性への影響を調べた。11、12はによる活性の変化は11は活性がやや減少し、12はやや上昇する傾向を示したものの、その程度は強いものではなかった。一方、22の活性はにより非常に顕著に上昇した。以上のように、11、12、22はに同様に結合するものの、はそれぞれの触媒サブユニットに対して異なった活性制御をすることが分かった。12から22に組成が変化することにより、が結合した際のPAF分解活性を促進させていることが推測される。

図2 の結合による触媒活性への影響
3.LIS1/遺伝子の変異による影響

 ところで、最近Miller-Dieker症と同様のI型滑脳症に分類されるIsolated Lissencephaly Sequence(ILS)患者において、LIS1/遺伝子内の点突然変異が報告された。この変異はWD-40リピート間で非常によく保存されている149番目のHisがArgに置換したものである。そこで、この変異によりが酵素活性に及ぼす影響について検討した。H149Rの変異を導入したをバキュロウイルス発現系で作成し、in vitroの系で触媒サブユニットと混合したところ、22の酵素活性への影響は全く見られなかった。さらに、このH149RはGST融合触媒サブユニットに全く結合しない事がわかった。すなわち、滑脳症患者の脳内では、H149Rの変異によりbは活性サブユニットへの結合能が消失し、そのためPAF-AH活性の制御が起こらなくなっていることが明かとなった。このことから、の変異や発現量の低下により酵素活性を制御できないことが、I型滑脳症の直接の引き金である可能性が示唆された。

まとめと考察

 ラット脳においてI型PAF-AHは、胎児期に一過性に1が発現し、発生に伴って12型から22型に触媒サブユニット組成が変化することが示された。1と2の酵素活性には異なる性質が観察され、I型PAF-AHは組成変化により何らかの機能を変化させている可能性が示唆された。また、in vitroにおいては触媒サブユニットの酵素活性を制御し、その制御は触媒サブユニットの組成により著しく異なっていることが明らかとなった。さらに、Type I滑脳症患者に見い出された点突然変異は触媒サブユニットへの結合と酵素活性の制御ができないことが示された。このことから、滑脳症患者脳内においても、の変異や発現減少により酵素活性制御ができなくなっているものと思われる。このような活性制御機構は細胞内PAF量を調節し、脳の形態形成を制御するようなシグナル伝達系がにおいて、PAFがシグナル分子として機能していることが想定される。一方、が微小管に結合するという知見が最近報告された。このことから、は微小管の安定性を増すことにより神経細胞移動すなわち脳形態形成を制御している可能性も考えられる。この仮説では、活性サブユニットから離れたbサブユニットが微小管機能を制御することになる。この場合、と触媒サブユニットの結合はPAF-lysoPAFの加水分解により制御されているのかもしれない。今後、PAFあるいはPAF-AHの次の標的やPAF-AH本来の基質の検索、I型PAF-AHのサブユニットとして以外のの機能の解析により、実際にはどの仮説があてはまるのか明らかになっていくものと考えている。

参考文献1.Hattori,M.,Arai,H.and Inoue,K.(1993)Purification and characterization of bovine brain platelet-activating factor acetylhydrolase.J.Biol.Chem.268,18748-187532.Hattori,M.,Adachi,H.,Tsujimoto,M.,Arai,H.and Inoue,K.(1993)Miller-Dieker lissencephaly gene encodes a subunit of brain platelet-activating factor acetylhydrolase.Nature 370,216-218
審査要旨

 細胞内I型PAF-アセチルハイドロラーゼ(PAF-AH)は1993年に当教室にて若いウシの脳より1、2、サブユニットからなる酵素として単離された。1,2には触媒部位が存在し、ヒトではが欠損すると無脳回症、Miller-Dieker,症になることなどがこれまでに判っていた。本論文はI型PAF-AHの脳形態形成過程での役割解明をめざして、ラットの発生過程での各部位におけるサブユニット組み合わせ変動、サブユニットによる活性制御を検討したものである。

発生過程における脳PAF-AHサブユニット(1、2、)の組み合わせ変動

 ラット胎児および成体の脳における各サブユニットの発現をウエスタンブロットおよびin situハイブリダイゼイションにより調べた。胎児期脳においては1、2、が発現し、成体脳では2とが発現、1の発現は認められなかった。1の発現は胎生中期から生後直後に最も強く発現し、以降成長に伴って減少した。次に実際に組織内に存在するアイソフォーム(サブユニットの組み合わせ)をクロスリンク法、FPLCシステム、ウェスタンブロット法を用いて検討した。その結果、胎生脳12よりなるヘテロダイマーおよび12よりなるオリゴマーが成体脳では22ホモダイマーと22よりなるオリゴマーが検出された。生後直後ではヘテロダイマーとホモダイマーの両者が検出された。12あるいはそのとの複合体は脳形態形成の最も活発な時期のニュウロンにのみ発現していることが判明した。

12と22の相違点

 1と2サブユニットはアミノ酸配列で相互に60%のホモロジーを示す類似のタンパク質であるにもかかわらず、それらの組み合わせで生じるそれぞれのダイマーの性質は異なることが判った。リコンビナント12、11、22を大腸菌あるいはヴァキュロウイルス発現系〔SF9細胞〕で作製してその性質を比較検討した。リン酸イオンは11と12の活性を阻害したが、22の活性は阻害しない。12ヘテロダイマーをDFP処理すると、1中の活性セリン基のみが標識され、2の触媒部位はマスクされ、それゆえ12は11と類似した性質を示す可能性が示された。

活性サブユニットに対するの結合と酵素活性への影響

 12、11、22各ダイマーへのの試験管内結合を調べたところいずれのダイマーにもは同程度の親和性で結合した。22ダイマーの酵素活性を著しく促進したが、11あるいは12ダイマーの活性にはほとんど影響を与えなかった。

 MD症と類似のI型無脳回症であるILS(Isolated Lissencephaly Sequence)ではの149HisがArgに置換していることが最近判明した。この置換体を作製したところ、いずれのダイマーとも結合せず、活性への影響も認められなかった。サブユニットがサブユニットへの結合を介して脳形態形成過程に関わる可能性が示された。

 以上、本研究は発生過程において脳組織におけるPAF-AHサブユニットの組み合わせが劇的に変動する事を発見しそれを詳細に検討したもので脳の生化学、発生生物学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判定した。

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