学位論文要旨



No 214432
著者(漢字) 小林,研介
著者(英字) Kobayashi,Kensuke
著者(カナ) コバヤシ,ケンスケ
標題(和) 電子間相互作用と電子格子相互作用の競合する金属酸化物の分光学的研究
標題(洋) Spectroscopic Studies of Metal Oxides with Competing Electron- Electron and Electron-Lattice Interactions
報告番号 214432
報告番号 乙14432
学位授与日 1999.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14432号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木下,豊彦
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 内田,慎一
内容要旨

 物質の多様性を生み出している二大要因として、電子間相互作用と電子格子相互作用が挙げられる。例えば、電子間相互作用は磁性を生み出す主要因であり、一方、電子格子相互作用は電荷密度波(CDW)やポーラロンの形成を引き起こす。この二つの相互作用は、理論的取扱いを容易にするためにも個別に取り扱われることが多いが、実際には多くの系で二つの相互作用は競合している。例えば古くから知られているmagnetiteにおけるVerwey転移や、近年非常に注目を集めている遷移金属酸化物におけるstripe orderなどの現象を理解するには、二つの相互作用を同時に扱う必要があると考えられている。このように両者の競合は、現代の固体物理の中でも未解決の点が多く、今後の研究が期待されている。その中でも、電子同士が電子格子相互作用による実効的な引力を通じて、お互いのクーロン反発力に打ち勝って対を作る、というスピンー重項電子対の形成は、二つの相互作用の競合が表れている典型的な現象であり、spin-Peierls転移、bipolaronの形成、超伝導など、様々な興味深い現象を引き起こす原因となっている。したがって、この現象は、電子間相互作用と電子格子相互作用、そして両者の競合が物性に与える影響を理解するうえで、最適な研究対象である。我々は、NaV2O5、Ti4O7、Ba1-xKxBiO3(BKBO)という3種類の金属酸化物に対して光電子分光法による研究を行った。この3種類は、それぞれスピンー重項電子対に関係のある特徴的な相転移を示すことで知られている。以下にそれぞれの物質系に対する研究結果の概要を紹介する。

 NaV2O5は、第二の無機spin-Peierls物質として、近年盛んに研究されている。最近では、この系は単純なspin-Peierls物質ではなく、電荷整列を伴った一重項を形成することが分かってきたが、その特徴ある物性はなお多くの研究者の関心を集めている。結晶構造は、ピラミッド型のVO5が稜または角を共有した層状構造を形成した間隙に、Naイオンが挿入されたものであり、b-軸方向に一次元系を形成している。帯磁率は34K(「spin-Peierls」転移温度)で急激な減少を示し、スピン一重項電子対を形成する。それ以上の温度領域では、帯磁率はスピンS=1/2の一次元反強磁性Heisenbergモデル(交換相互作用J〜560K)によく従っている。バンド計算によれば本系は金属であるが、局所的なクーロン力を取り入れると、絶縁体であることをうまく説明できる。したがって、この系は典型的な一次元Mott-Hubbard絶縁体あるいは一次元反強磁性体とみなすことが出来る。我々は、本系の一次元性に注目し、その一粒子励起スペクトルを角度分解光電子分光法を用いて120K(〜J/5)と300K(〜J/2)で調べた。ただし、サンプルは、低温での光電子分光測定を可能にするため、伝導度の良いNa0.96V2O5を用いた。このNa欠損系の帯磁率は、転移点以上では無欠損のものと同様である。実験の結果、本系の電子状態がO2pバンドも含めて極めて良い一次元性をもっていることがわかった。また、酸素のバンドが殆ど温度変化をしないのに対し、V3dバンドの角度分解光電子スペクトルは、極めて顕著な温度変化を示すことが分かった。その温度変化の原因を調べるために、実験を、一次元t-Jモデルの有限温度での一粒子励起スペクトルの厳密対角化法による計算結果と比べたが、両者は非常に良い対応を示していることが分かった。すなわち、理論計算で得られる特徴的なスピノンとホロンと呼ばれる分散に対応した構造が実験でも見えており、本系において強相関一次元系に特有な性質である「スピン電荷分離」が起きていろことを示唆している。また、実験のスペクトルに見られる有限温度効果についても、スペクトルの形状ばかりではなく、スペクトル強度自体がエネルギー運動量空間内で大きな移動を起こすという点でも、理論は実験をよく再現していることが分かった。以上の結果は、一次元Mott-Hubbard絶縁体におけるスピン電荷分離を初めて観測したということに加えて、スピノンバンドに存在するFermi面的なエネルギーのcutoffの存在によって、一粒子励起スペクトルに顕著な有限温度効果が起きるという理論的な予測を実験的に初めて検証したという点でも意義深いものである。

 Ti4O7は、Magneli相と呼ばれる一連の化合物群の一種であり、実空間でのスピン一重項電子対(bipolaron)状態が実現している系として注目を集めてきた。本物質は154K以上では金属的な伝導を示すが、それ以下ではbipolaronを作り、半導体的な伝導を示すようになる。この高温絶縁体相はbipolaronが動き回るいわばbipolaron liquidと呼べるような状態になっていると考えられている。さらに140K以下の低温絶縁体相ではその電子対が整列を行う。これはbipolaronの結晶化に対応する秩序無秩序転移であり、magnetite Fe3O4で見られるようなVerwey転移に対応する。我々はこの系について、転移温度付近で高分解能光電子分光測定を行い、3種類の相それぞれに対して、特徴的な光電子スペクトルを得た。まず、高温金属相でのスペクトルはFermi edgeを持ち、確かに金属であることを示している。ただし、Fermi level上での強度は小さく擬ギャップ的な振る舞いを見せており、スペクトル強度の多くはより高エネルギー側のincoherent部分に移っている。また、低温絶縁体相では、電荷秩序形成に伴う明白なギャップが観測された。さらに、高温絶縁体相のスペクトルはちょうどFermi level上で強度が0になり、gaplessになっていることが分かった。この相のスペクトルについてFermi level付近での形状を定量的に解析した結果、スペクトル強度はFermi levelから測ったエネルギーの二乗に非常によく比例していることが判明した。これは、高温絶縁体相がbipolaron liquidとなっていることを考慮すると、Efros-Shklovskiiが理論的に予言した乱れた系における「soft Coulomb gap」が見えている可能性を強く示唆するものである。さらに、Fe3O4の金属相のスペクトルに対しても同様の解析を行い、そのスペクトルが温度に依存する有限の状態密度とsoft Coulomb gapの重ね合わせで理解できることを見いだした。このことから、Ti4O7とFe3@O4とはVerwey転移温度直上で、長距離クーロン力が支配的である一方で、電子格子相互作用とランダムな電荷分布の効果が競合していることが理解された。さらに、Verwey転移温度よりもずっと高温側では均一な金属相へと移行するが、逆に転移温度より低温側では電荷秩序が形成されるという統一的な物理的描像を両者に対して得ることに成功した。

 Ba1-xKxBiO3(BKBO)は、三次元perovskite構造を持つ。その母体物質BaBiO3は、CDW絶縁体であるが、BaをKで置換していくことによってホールをドープしていくと、x=xc(〜0.38)付近で、転移温度約30Kの超伝導体へと転移する。この転移温度は、非銅系の酸化物超伝導体としては非常に高い温度であり、その超伝導のメカニズムに関心が持たれてきた。我々は、BKBOの単結晶(x=0.0-0.6、0.6以上は固溶限界)を用いて、O1s吸収端でのX線吸収分光(XAS)及びX線光電子分光(XPS)を行い、BKBOの電子状態を系統的に調べた。このような系統的な研究は本研究が初めてである。XASの結果により、BKBOの非占有電子状態は、ホールドープ量xに依存して系統的に変化することが分かった。また、吸収端近傍の構造について、x=0.30と0.40の間で顕著なスペクトル強度の増大が見られた。これは、x=xcにおける金属絶縁体転移に対応する。BKBOに対しては、BaxPb1-xBiO3(BPBO)が関連物質として知られているが、両者のXASのデータを比較することによって、ドーピングによって引き起こされる電子構造の変化が定性的に異なっていることを明らかにした。一方、BKBOのXPSの結果からは、ホールドープに伴う化学ポテンシャルのシフトを求めることが出来た。得られたシフトの大きさはバンド計算においてrigid bandモデルを仮定した場合と比べて、半分程度の大きさである。Fermi流体論による解析によれば、この結果はBKBO内での準粒子間の相互作用が極めて弱い斥力かあるいは引力である可能性を意味している。また、この事実は、BKBOの金属側での超伝導や絶縁体側での電荷不均化・CDW相の存在との関連を示唆するものである。

 以上の3種類の特徴的な金属酸化物の研究を通して共通に観察されたことは、温度あるいはホールドープ量の変化によって、光電子スペクトルの強度が広いエネルギー範囲にわたって顕著に移動することであった。また、その原因は3種類の物質によって異なる事も明らかになった。すなわち、NaV2O5では一次元系特有の強い電子間相互作用、BKBOにおいては構造相転移に伴って変化が表れることから電子格子相互作用が、それぞれ主な要因である。また、Ti4O7では、両者の競合によって、特異な電子状態の変化が生み出されていることが明らかになった。物性を支配している低エネルギー励起状態は本質的に多体効果であるため、その研究はまだ緒に就いたばかりであるが、本研究では典型的な3種類の物質について電子間相互作用と電子格子相互作用、および両者の競合がどのように物性に影響を与えているかを実験的に定量的に検証できた。

審査要旨

 本論文の公開審査会は平成11年8月20日に行われた。審査委員のひとりである小形正男助教授が出張中であったが、事前に論文提出者による説明が行われており、同助教授による審査は書面によって行われた。

 本論文は、6章からなり、全体は分かりやすい英文で書かれている。第1章では、今回の研究対象としたNaV2O5,Ti4O7,Ba1-xKxBiO3の3つの酸化物の物性の概略が述べられており、電子-電子相互作用と電子-格子相互作用が競合する系での物性現象の多様性、研究の背景等について記述されている。第2章では、本論文で主要な研究手法となった光電子分光法の原理、及び論文提出者が中心となって組み立てた光電子分光装置の詳細や性能について述べられている。第3章では、一次元型Mott-Hubbard絶縁体NaV2O5の光電子分光実験の結果と考察、第4章で、バイポーラロン系Ti4O7の光電子分光による相転移の研究、第5章ではX線光電子スペクトルと吸収スペクトルによるBa1-xKxBiO3の絶縁体-超伝導体相転移の研究について述べられていて、第6章で全体のまとめがなされている。

 まず、第3章の1次元量子スピン系NaV2O5(ただし実際の実験ではNa0.96V2O5を用いた)の角度分解光電子分光の結果では、その一次元的な電子状態を明瞭に観測し、そのV3dバンドに、理論的に予測されていたスピンー電荷分離(spinon-holon)をあらわす分散を見い出した。又、その分散やスペクトル強度に明瞭な有限温度効果が現れることを初めて実験的に検証している。

 第4章では、Ti4O7について、転移点付近で高分解能光電子分光実験を行い、金属(M)相、高温絶縁体(HI)相、低温絶縁体(LI)相の3つの相を区別した詳細な観測結果が述べられている。ここでは、LI相はbipolaron solid(電荷整列状態)、HI相がbipolaron liquid(電荷無秩序状態)として解釈されており、そのフェルミレベル付近の状態密度におけるギャップの開き方について、解析を行っている。そして、LI相のエネルギーギャップがHard Gapであるのに対して、HI相のギャップが、乱れた系においてEfros-Shklovskiによって予言された、Soft Coulomb Gapであることを見い出した。また、Fe3O4の金属相についても同様の解釈が可能であることを示唆した。

 第5章では、非銅系酸化物高温超伝導体Ba1-xKxBiO3(BKBO)のO1sのX線吸収分光、及びO1s,Bi4f,Ba3d光電子スペクトル測定の結果について記述されている。Metal-insulator transitionを示すxのところで明らかなスペクトルの変化を観測し、又、スペクトルの構造をバンド計算や参照物質であるBaPb1-xBixO3(BPBO)のものと比較検討した。これらの解析からBKBO内の準粒子間の相互作用が極めて弱い斥力か引力であること、またそのことと金属相における超伝導や、絶縁相における電荷不均化、CDW相の存在との関連を議論している。

 このように本論文には、電子-電子相互作用と、電子-格子相互作用が競合する系での分光研究の結果から、それらが物性に与える重要な情報が含まれており、しかも第3章で見い出されたスピンー電荷分離の検証や、第4章における電荷秩序が、整列している状態から乱れた状態に移る際の、バンドギャップの開き方に関する議論など、物性物理における新しい知見を含んでいる。また、これらの議論をとおして、今後解決すべき問題が明確に示唆されており、その内容は価値の高いものであると判断される。

 この博士論文の主要部の一つである第3章の内容は、溝川貴司、藤森淳、磯部正彦、上田寛、遠山貴巳、前川禎通の各氏との共著論文が3報(遠山、前川氏との共著論文は1報)発表されている。この内容は、サンプルの提供を磯部、上田氏から受け、理論部分は、遠山、前川両氏に依存しているが、その他の測定、解析や検証等は論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。また、第5章の主要部は、溝川貴司、井野明洋、松野丈夫、藤森淳、佐俣博章、三代周、永田勇二郎、F.MF.de Groot氏との共同研究として、論文が発表されている。サンプルは、佐俣、三代、永田氏から提供を受けているが、その他の測定、解析や検証等は論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 以上のように、小林研介氏提出の博士論文は優れた内容を有しており、博士(理学)を授与できるものと審査委員全員が認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50712