学位論文要旨



No 214434
著者(漢字) 礒部,正彦
著者(英字)
著者(カナ) イソベ,マサヒコ
標題(和) 量子スピン系物質AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)の合成と構造、物性
標題(洋) Synthesis,Structure and Physical Properties of Quantum Spin Systems AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg and Ca)
報告番号 214434
報告番号 乙14434
学位授与日 1999.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14434号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 井本,英夫
 東京大学 助教授 田島,裕之
内容要旨

 高温超伝導物質発見以来、物質科学、固体化学、固体物理学などの多くの分野にわたって、新規な物性を示す新物質の探索・開発研究が盛んになってきている。S=1/2の低次元磁性体研究は、その量子効果のために古くから多くの研究がなされてきたが、高温超伝導がS=1/2の2次元磁性体にホールを導入することにより実現することが明らかになるにつれ、S=1/2の低次元磁性体の研究はより活発になってきている。しかしながら、その中心は銅酸化物である。

 バナジウム酸化物は、V2O3やVO2などの2元バナジウム酸化物が、金属-絶縁体転移を示すことより、多くの研究が行われてきた。また、バナジウムブロンズと呼ばれる3元系化合物においては、構造と触媒活性、2次電池としての応用などの研究が行われている,しかし、S=1/2(V4+)の低次元磁性体(量子スピン系)という側面からの研究は、これまでほとんど行われていなかった。

 本研究で取り上げた、1連の化合物群AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)は、VO5(Square Pyramidal)が稜または角共有した層状構造を形成しており、その層間にAイオンが挿入された構造をとる。これらの物質は、非常に多彩な構造と物性、特に低次元磁性を示し、銅酸化物と並んで、系統的研究を可能にする量子スピン系を形成している。本研究により、以下に示すような、スピン・パイエルス的な相転移、スピン梯子(スピン・ラダー系)におけるスピンギャップ挙動など様々な量子相転移が観測された。

’-NaV2O5

 ’-NaV2O5では,VO5(結晶構造図参照;V4+O5:灰色,V5+O5:白色)が稜または角共有した層状構造の間に、Na+が挿入されている。構造的にV4+(S=1/2)が酸素を介して、1次元鎖を形成していると考えられた。本研究において、35K以上の帯磁率は1次元的な構造を反映して、S=1/2 1次元Heisenbergモデルの理論曲線(Bonner-Fisher)とよく一致し(J=560K,g=2)、35K以下では、スピン・パイエルス転移と考えられる急激な帯磁率の減少を観測した。その後、他の実験(帯磁率の異方性、単結晶X線回折,NMR,ESRなど)からも、35K以下での格子のdimerizationとスピン1重項基底状態の形成を観測し、スピン・パイエルス転移であると考えられた。スピン・パイエルス物質は、無機化合物としては、CuGeO3につづいて2例目であり、新しい量子スピン物質として世界的に注目された。

’-NaV2O5

 しかしながら’-NaV2O5は、これまでのスピン・パイエルス物質が理論から導かれる2/kB・TSP=3.53に良く合うのに対し、6.44と大きく異なっていた。これより、’-NaV2O5がこれまでのスピン・パイエルス転移とは異なる、新規のスピン・パイエルス的な転移を示す可能性が示唆された。

 更なる詳細な物性を研究するために、大型の単結晶育成を試みた。擬2次元系NaVO3-NaV2O5に注目し、DTA,高温X線回折により、状態図を検討し、NaVO3をフラックスにしたフラックス法により、’-NaV2O5の大型単結晶(20x3x2mm)育成に成功した。単結晶の帯磁率は、a軸が容易軸になっており、スピン・パイエルス転移の特徴である、転移点以下において、全方向の帯磁率が0に向かって減少しているのを確認した。

 また、’-NaV2O5はNaを欠損させることができる。Naを欠損させるということは、V4+(S=1/2)の1次元鎖にV5+(S=0)を導入することになり、1次元鎖を乱すことに相当する。帯磁率と光交流法による比熱の測定より、スピン・パイエルス的な転移はNa0.97V2O5付近で抑えられ、また、帯磁率はNa欠損にともない低温でのCurie項が増大するが、2Kまでの帯磁率の測定より、磁気秩序は見られ々かった。これは、スピン・パイエルス物質CuGeO3が、わずかな不純物ドープによって、磁気秩序を示すのと対照的である。一方、Na欠損は、ホールをドープすることにも相当する。実際、すべて半導体的ではあるが、室温での電気抵抗は、Na欠損とともに減少し、また、その温度変化は1次元系のバリアブル・レンジ・ホッピング伝導と考えられる挙動を示した。

 その後の研究により、’-NaV2O5の室温の結晶構造もこれまでのものとやや異なり、さらに’-NaV2O5の相転移は、スピン・パイエルス転移というよりも、電荷秩序に伴いスピン1重項状態に転移する、電荷・スピンの自由度と格子が結びついた新規な転移であると考えられ、より興味がもたれている。そして現在もなお、世界的に活発な研究がなされている。

-LiV2O5

 -LiV2O5は、’-NaV2O5と同様に混合原子価V4+,V5+をもつ物質である。-LiV2O5の構造も、’-NaV2O5同様、層状構造で、VO5(結晶構造図参照、V4+O5:灰色,V5+O5:白色)が稜または角共有した層状構造の間に、Li+が挿入されていて、構造的にV4+が酸素を介して2本の1次元鎖、またはV4+のジグザグ鎖を形成している。帯磁率は1次元的な構造を反映して、S=1/2 1次元Heisenbergモデルの理論曲線(Bonner-Fisher)と一致する(J=308K,g=1.8,スピンギャップはない)。S=1/2 1次元物質と考られるが、スピン・パイエルス的な転移は起こさない。また7Li-NMRから0.5Kまで、SRにおいても2Kまで磁気秩序は観測されず、このことは、S=1/2 1次元銅酸化物SrCuO2,Sr22CuO3などと異なり、より理想的な1次元物質であることを示している。

-LiV2O5

 また、’-NaV2O5同様に大型単結晶の育成を試みた。結果、LiVO3をフラックスとするフラックス法により、針状の大型単結晶(18x2x2mm)の育成に成功した。

 単結晶の帯磁率はa軸が容易軸になっており、粉末の試料に比べて、低温で帯磁率の増加は少ない。これは、欠陥あるいは不純物が少ないためと思われる。

 さらに、-LiV2O5’-NaV2O5同様に、Liを欠損させることができる。帯磁率は、欠損にともない、低温でのCurie項が増大する。しかし、2Kまでの帯磁率の測定より、’-NaV2O5同様に磁気秩序は見られない。電気抵抗は、すべて半導体的であるが、室温での電気抵抗は、Li欠損とともに減少する。-LixV2O5の電気抵抗はx=1.0では熱活性型によく合うが、他は複雑な温度変化を示した。

CaV2O5

 CaV2O5の構造は’-NaV2O5の構造と非常に似ている(構造図参照)。しかしながら、’-NaV2O5がV4+とV5+の混合原子価に対して、CaV2O5はV4+(S=1/2)のみである。V4+O5(灰色)が稜または角共有した層状構造の間に、Ca2+が挿入されている。この構造はスピン・ラダー物質SrCu2O3の構造とよく似ている。よってこの物質もスピン・ラダー物質であることが期待された。帯磁率は400K付近になだらかなピークをもち、低温になるにつれて、0に向かって減少している。20K以下では、不純物または欠陥に伴うと思われる、わずかな増加が見られる。CaV2O5をスピン・ラダー物質と仮定して、帯磁率より、スピンギャップを見積もると〜520Kとなる。さらに51V-NMRの測定より、低温でのスピン1重項状態を確認し、1/T1から、〜600Kと見積もられた。帯磁率よりCaV2O5の相互作用Jは〜600Kと見積もられ、スピン・ラダー系の理論から導かれる〜J/2と一致しなかった。大きなスピンギャップの値より、dimerではないかという議論があるが、NMRの結果より、d電子はdxy軌道を占めると考えられ、縦木と横木方向に相互作用があり、新しいスピン・ラダー物質であることが示唆される。

CaV2O5
MgV2O5

 MgV2O5の構造は、面内ではCaV2O5の構造と同じだが、面間はb軸方向に1/2ずれており、c軸が2倍になっている。面内がほとんど同構造であることから、MgV2O5もスピン・ラダー物質であることが期待された。帯磁率は100K付近になだらかなピークを示し、15K以下ではより急激に減少している。この物質の高磁場下での磁化曲線では、およそ12.5Tのところで磁化の立ち上がりを観測し、これは、スピン1重項から3重項への転移によると思われた。スピンギャップを見積もると〜17Kとなる。SRの測定より2.5Kまで磁気秩序を示さないこと、また、非弾性中性子散乱より〜23Kに対応する磁気散乱ピークが観測されたことより,MgV2O5もスピンギャップをもつ、新しいスピン・ラダー物質であると考えられる。

CsV2O5

 CsV2O5も混合原子価V4+,V5+をもつ物質である。CsV2O5の構造は、V4+O5とV5+O4が稜または角共有した層状構造の間に、Cs+が挿入されている(結晶構造図参照)。構造的にV4+O5-V4+O5が角共有して2量体を形成していると考えられる。帯磁率はおよそ90Kで最大値をとり、低温においては0に向かって減少し、20K以下ではわずかに増加する。この帯磁率はS=1/2の2量体モデルに良く合い、J=146(=146K),g=1.8を得る。また、51V-NMRの実験からも低温でのスピン1重項状態を確認し、1/T1の測定から、〜160Kが得られている。

CsV2O5

 以上、AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)はV4+O5(S=1/2)の結合様式により、いろいろな構造をとり、それに伴い多様な物性を示す(下表)。これらの化合物の、共通の特徴はV4+(S=1/2)が5配位(Square Pyramidal)をとることである。これがCu2+(S=1/2),Ti3+(S=1/2)の化合物と異なる。また、このSquare Pyramidalも、物質によって微妙に歪んでおり、構造と物性の関連性は興味深い。本研究において、スピン・パイエルス的な相転移を示す’-NaV2O5,スピン・ラダー物質CaV2O5およびMgV2O5,1次元物質-LiV2O5、ダイマー物質CsV2O5の1連の量子スピン系バナジウム化合物群が見出された。また、’-NaV2O5,-LiV2O5においては、大型の単結晶育成にも成功した。これから中性子散乱やNMR、光電子分光などによる、量子スピン系物質の更なる詳細な研究が期待される。

図表
審査要旨

 本論文の主な成果は、一連のバナジウム酸化物AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)の磁気的性質を明らかにし、電荷・スピン・格子の協力現象による新規な相転移や磁性イオンの特徴的な幾何学的配列に起因するスピン・ギャップ形成によりその多くの基底状態がスピン一重項状態にあることを見出したことにある。本論文は全5章からなり、第1章では研究の背景や動機について、第2章では試料合成法や実験方法について、第3章ではAV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)の合成と単結晶育成そしてそれらの電気的・磁気的性質についての結果と考察について述べている。第4章では、構造的特徴と磁気交換相互作用の観点から物質全体を概観し、磁気交換相互作用やギャップの大きさの違いについて議論を展開している。第5章では結論が述べられている。

 第3章において、’-NaV2O5については、大型単結晶育成に成功したこと、磁化率はV4+(d1,S=1/2)の一次元鎖配列から期待される通り、鎖内交換相互作用J=560Kの典型的な一次元反強磁性ハイゼンベルグモデルに従い、しかも35K以下で格子の変形を伴いながら非磁性スピン一重項状態への相転移を示すことが述べられている。この相転移はスピン・パイエルス転移の特徴を示しているが、通常のスピシ・パイエルス転移では説明できない側面が数多く見られ、この相転移は電荷秩序を伴う新規な相転移現象であることにも言及している。また、Na欠損により相転移は抑えられること、キャリアーが添加されること、長距離磁気秩序は対応する銅酸化物とは対照的に観測されないこと、などが述べられている。一方,V4+のみの単一原子価化合物であるCaV2O5とMgV2O5では、V4+の配列様式はジグザグ鎖あるいは梯子状と見なせること、CaV2O5については核磁気共鳴実験で、MgV2O5については磁化測定および中性子散乱実験で、ともに基底状態はスピン一重項状態であること、しかしながら、スピン・ギャップの大きさはCaV2O5は〜500K、MgV2O5は〜20Kと非常に異なることが述べられている。基底状態がスピン一重項状態であることから、CaV2O5とMgV2O5は二本足スピン梯子系と考えられ、これは、銅酸化物以外のスピン・ギャップをもつスピン梯子系物質として初めての発見である。CsV2O5では、V4+O5ピラミッドが稜共有の2量体を形成していて、磁化率はJ=146KのS=1/2の2量体モデルに良く従い、基底状態はスピン一重項状態であること、スピン・ギャップの大きさは、Jと同程度の〜160Kであることが述べられている。以上の物質がスピン・ギャップ系であるのに対し、-LiV2O5はV4+ジグザグ一次元鎖をもつ物質で、磁化率はJ=308Kの典型的な一次元反強磁性ハイゼンベルグモデルに従い、極低温まで長距離磁気秩序もスピン・ギャップ挙動も示さず、典型的な一次元磁性体であることが述べられている。

 第4章においては、これらAV2O5を結晶構造と磁気交換相互作用の観点から概観し、また、結晶構造パラメータから磁気交換相互作用の大きさを見積もり、ギャップの大きさについて考察している。即ち、AV2O5はすべて層状物質で、構造を構成する共通の要素はバナジウム原子とそれをを取り囲む5つの酸素原子よりなるVO5ピラミッドであり、S=1/2のV4+O5ピラミッドの配列様式からみると、’-NaV2O5は角共有の一次元鎖を、-LiV2O5は稜と角を共有するジグザグ一次元鎖を形成し、CaV2O5とMgV2O5は稜と角を共有して梯子状ネットワークを、CsV2O5稜共有の2量体を形成していて、このうち-LiV2O5を除いてすべて基底状態はスピン一重項状態で、’-NaV2O5では格子系との協力現象により、CaV2O5とMgV2O5では二本足梯子状配列により、また、CsV2O5ではもとからの2量体化により、それぞれスピン・ギャップが形成されるとしている。簡単な点電荷モデルより、最低エネルギーをもつ軌道はdx2-y2で、そこを占める電子間の磁気交換相互作用の大きさは、酸素を介する角共有の場合の方が稜共有の場合より大きく、CaV2O5とMgV2O5におけるスピン・ギャップの大きさの違いは、梯子の横木方向と縦本方向のJの違いにより説明できるとしている。

 尚、第3章の大部分は既に学術雑誌として出版されたものであり、上田寛、加賀美千春、岩瀬秀夫、安岡弘志、藤井保彦、中尾裕則、吉浜知之、西正和、中島健二、加倉井和久、澤博、滝澤晃一、後藤恒昭との共同研究であるが、中性子散乱実験や核磁気共鳴実験など専門的技術を要する測定実験は別にして、試料作製、単結晶育成、分析、電磁気物性測定、、データ解析、考察等、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上まとめると、本論文は、VO5ピラミッドを構成単位とする一連のバナジウム酸化物AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)について固体化学的手法を駆使して高品質の試料を合成し、また一部の物質については大きな単結晶育成にも成功し、スピンと電荷と格子の協力現象による新しい相転移を示す物質やスピン・ギャップをもつスピン梯子系物質、ダイマー物質、擬一次元磁性体など新しい量子スピン系物質を見出し、世界的な研究の先駆けとなり、また、この分野の発展に多大な貢献をした点において高く評価されるもので、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。

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