高温超伝導物質発見以来、物質科学、固体化学、固体物理学などの多くの分野にわたって、新規な物性を示す新物質の探索・開発研究が盛んになってきている。S=1/2の低次元磁性体研究は、その量子効果のために古くから多くの研究がなされてきたが、高温超伝導がS=1/2の2次元磁性体にホールを導入することにより実現することが明らかになるにつれ、S=1/2の低次元磁性体の研究はより活発になってきている。しかしながら、その中心は銅酸化物である。 バナジウム酸化物は、V2O3やVO2などの2元バナジウム酸化物が、金属-絶縁体転移を示すことより、多くの研究が行われてきた。また、バナジウムブロンズと呼ばれる3元系化合物においては、構造と触媒活性、2次電池としての応用などの研究が行われている,しかし、S=1/2(V4+)の低次元磁性体(量子スピン系)という側面からの研究は、これまでほとんど行われていなかった。 本研究で取り上げた、1連の化合物群AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)は、VO5(Square Pyramidal)が稜または角共有した層状構造を形成しており、その層間にAイオンが挿入された構造をとる。これらの物質は、非常に多彩な構造と物性、特に低次元磁性を示し、銅酸化物と並んで、系統的研究を可能にする量子スピン系を形成している。本研究により、以下に示すような、スピン・パイエルス的な相転移、スピン梯子(スピン・ラダー系)におけるスピンギャップ挙動など様々な量子相転移が観測された。 ’-NaV2O5 ’-NaV2O5では,VO5(結晶構造図参照;V4+O5:灰色,V5+O5:白色)が稜または角共有した層状構造の間に、Na+が挿入されている。構造的にV4+(S=1/2)が酸素を介して、1次元鎖を形成していると考えられた。本研究において、35K以上の帯磁率は1次元的な構造を反映して、S=1/2 1次元Heisenbergモデルの理論曲線(Bonner-Fisher)とよく一致し(J=560K,g=2)、35K以下では、スピン・パイエルス転移と考えられる急激な帯磁率の減少を観測した。その後、他の実験(帯磁率の異方性、単結晶X線回折,NMR,ESRなど)からも、35K以下での格子のdimerizationとスピン1重項基底状態の形成を観測し、スピン・パイエルス転移であると考えられた。スピン・パイエルス物質は、無機化合物としては、CuGeO3につづいて2例目であり、新しい量子スピン物質として世界的に注目された。 ’-NaV2O5 しかしながら’-NaV2O5は、これまでのスピン・パイエルス物質が理論から導かれる2/kB・TSP=3.53に良く合うのに対し、6.44と大きく異なっていた。これより、’-NaV2O5がこれまでのスピン・パイエルス転移とは異なる、新規のスピン・パイエルス的な転移を示す可能性が示唆された。 更なる詳細な物性を研究するために、大型の単結晶育成を試みた。擬2次元系NaVO3-NaV2O5に注目し、DTA,高温X線回折により、状態図を検討し、NaVO3をフラックスにしたフラックス法により、’-NaV2O5の大型単結晶(20x3x2mm)育成に成功した。単結晶の帯磁率は、a軸が容易軸になっており、スピン・パイエルス転移の特徴である、転移点以下において、全方向の帯磁率が0に向かって減少しているのを確認した。 また、’-NaV2O5はNaを欠損させることができる。Naを欠損させるということは、V4+(S=1/2)の1次元鎖にV5+(S=0)を導入することになり、1次元鎖を乱すことに相当する。帯磁率と光交流法による比熱の測定より、スピン・パイエルス的な転移はNa0.97V2O5付近で抑えられ、また、帯磁率はNa欠損にともない低温でのCurie項が増大するが、2Kまでの帯磁率の測定より、磁気秩序は見られ々かった。これは、スピン・パイエルス物質CuGeO3が、わずかな不純物ドープによって、磁気秩序を示すのと対照的である。一方、Na欠損は、ホールをドープすることにも相当する。実際、すべて半導体的ではあるが、室温での電気抵抗は、Na欠損とともに減少し、また、その温度変化は1次元系のバリアブル・レンジ・ホッピング伝導と考えられる挙動を示した。 その後の研究により、’-NaV2O5の室温の結晶構造もこれまでのものとやや異なり、さらに’-NaV2O5の相転移は、スピン・パイエルス転移というよりも、電荷秩序に伴いスピン1重項状態に転移する、電荷・スピンの自由度と格子が結びついた新規な転移であると考えられ、より興味がもたれている。そして現在もなお、世界的に活発な研究がなされている。 -LiV2O5 -LiV2O5は、’-NaV2O5と同様に混合原子価V4+,V5+をもつ物質である。-LiV2O5の構造も、’-NaV2O5同様、層状構造で、VO5(結晶構造図参照、V4+O5:灰色,V5+O5:白色)が稜または角共有した層状構造の間に、Li+が挿入されていて、構造的にV4+が酸素を介して2本の1次元鎖、またはV4+のジグザグ鎖を形成している。帯磁率は1次元的な構造を反映して、S=1/2 1次元Heisenbergモデルの理論曲線(Bonner-Fisher)と一致する(J=308K,g=1.8,スピンギャップはない)。S=1/2 1次元物質と考られるが、スピン・パイエルス的な転移は起こさない。また7Li-NMRから0.5Kまで、SRにおいても2Kまで磁気秩序は観測されず、このことは、S=1/2 1次元銅酸化物SrCuO2,Sr22CuO3などと異なり、より理想的な1次元物質であることを示している。 -LiV2O5 また、’-NaV2O5同様に大型単結晶の育成を試みた。結果、LiVO3をフラックスとするフラックス法により、針状の大型単結晶(18x2x2mm)の育成に成功した。 単結晶の帯磁率はa軸が容易軸になっており、粉末の試料に比べて、低温で帯磁率の増加は少ない。これは、欠陥あるいは不純物が少ないためと思われる。 さらに、-LiV2O5は’-NaV2O5同様に、Liを欠損させることができる。帯磁率は、欠損にともない、低温でのCurie項が増大する。しかし、2Kまでの帯磁率の測定より、’-NaV2O5同様に磁気秩序は見られない。電気抵抗は、すべて半導体的であるが、室温での電気抵抗は、Li欠損とともに減少する。-LixV2O5の電気抵抗はx=1.0では熱活性型によく合うが、他は複雑な温度変化を示した。 CaV2O5 CaV2O5の構造は’-NaV2O5の構造と非常に似ている(構造図参照)。しかしながら、’-NaV2O5がV4+とV5+の混合原子価に対して、CaV2O5はV4+(S=1/2)のみである。V4+O5(灰色)が稜または角共有した層状構造の間に、Ca2+が挿入されている。この構造はスピン・ラダー物質SrCu2O3の構造とよく似ている。よってこの物質もスピン・ラダー物質であることが期待された。帯磁率は400K付近になだらかなピークをもち、低温になるにつれて、0に向かって減少している。20K以下では、不純物または欠陥に伴うと思われる、わずかな増加が見られる。CaV2O5をスピン・ラダー物質と仮定して、帯磁率より、スピンギャップを見積もると〜520Kとなる。さらに51V-NMRの測定より、低温でのスピン1重項状態を確認し、1/T1から、〜600Kと見積もられた。帯磁率よりCaV2O5の相互作用Jは〜600Kと見積もられ、スピン・ラダー系の理論から導かれる〜J/2と一致しなかった。大きなスピンギャップの値より、dimerではないかという議論があるが、NMRの結果より、d電子はdxy軌道を占めると考えられ、縦木と横木方向に相互作用があり、新しいスピン・ラダー物質であることが示唆される。 CaV2O5MgV2O5 MgV2O5の構造は、面内ではCaV2O5の構造と同じだが、面間はb軸方向に1/2ずれており、c軸が2倍になっている。面内がほとんど同構造であることから、MgV2O5もスピン・ラダー物質であることが期待された。帯磁率は100K付近になだらかなピークを示し、15K以下ではより急激に減少している。この物質の高磁場下での磁化曲線では、およそ12.5Tのところで磁化の立ち上がりを観測し、これは、スピン1重項から3重項への転移によると思われた。スピンギャップを見積もると〜17Kとなる。SRの測定より2.5Kまで磁気秩序を示さないこと、また、非弾性中性子散乱より〜23Kに対応する磁気散乱ピークが観測されたことより,MgV2O5もスピンギャップをもつ、新しいスピン・ラダー物質であると考えられる。 CsV2O5 CsV2O5も混合原子価V4+,V5+をもつ物質である。CsV2O5の構造は、V4+O5とV5+O4が稜または角共有した層状構造の間に、Cs+が挿入されている(結晶構造図参照)。構造的にV4+O5-V4+O5が角共有して2量体を形成していると考えられる。帯磁率はおよそ90Kで最大値をとり、低温においては0に向かって減少し、20K以下ではわずかに増加する。この帯磁率はS=1/2の2量体モデルに良く合い、J=146(=146K),g=1.8を得る。また、51V-NMRの実験からも低温でのスピン1重項状態を確認し、1/T1の測定から、〜160Kが得られている。 CsV2O5 以上、AV2O5(A=Li,Na,Cs,Mg,Ca)はV4+O5(S=1/2)の結合様式により、いろいろな構造をとり、それに伴い多様な物性を示す(下表)。これらの化合物の、共通の特徴はV4+(S=1/2)が5配位(Square Pyramidal)をとることである。これがCu2+(S=1/2),Ti3+(S=1/2)の化合物と異なる。また、このSquare Pyramidalも、物質によって微妙に歪んでおり、構造と物性の関連性は興味深い。本研究において、スピン・パイエルス的な相転移を示す’-NaV2O5,スピン・ラダー物質CaV2O5およびMgV2O5,1次元物質-LiV2O5、ダイマー物質CsV2O5の1連の量子スピン系バナジウム化合物群が見出された。また、’-NaV2O5,-LiV2O5においては、大型の単結晶育成にも成功した。これから中性子散乱やNMR、光電子分光などによる、量子スピン系物質の更なる詳細な研究が期待される。 図表 |