学位論文要旨



No 214437
著者(漢字) 谷,茂
著者(英字)
著者(カナ) タニ,シゲル
標題(和) フィルダムの地震災害と災害防止システムの研究
標題(洋)
報告番号 214437
報告番号 乙14437
学位授与日 1999.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14437号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東畑,郁生
 東京大学 教授 龍岡,文夫
 東京大学 教授 小長井,一男
 東京大学 助教授 山崎,文雄
 東京大学 助教授 古関,潤一
 中央大学 教授 国生,剛治
内容要旨

 フィルダムには設計基準に基づき近代的技術によつて築造されたものと、経験的技術に基づき築造された、ため池(小規模アースダム)とがある。日本にはため池が約10万箇所、堤高15m以上の農業用フィルダムだけでも約1,500箇所ある。本論文はため池を含めた農業用のフィルダムについての地震災害についての調査・解析から地震災害の原因の検討、災害防止のための安全性評価手法、および災害防止のためのデータベースシステムについて述べたものである。

 フィルダムの築造の歴史は約1600年前に始まるが、耐震設計についてはは第二次世界大戦以後、本格的に設計基準が制定されるとともに研究が行われた。フイルダムの地震被害については、近年の地震被害の調査・解析を行い地震時挙動と被災原因の検討を行った。日本では設計基準に基づき設計・施工されたフィルダムについては、設計震度を大きく越える地震によっても致命的な被害を受けたものはなく、大部分は軽微な被害にとどまっている。これらのダムは補修によって完全に機能を回復している。近年発生した兵庫県南部地震でも特に大きな被害は生じていない。諸外国の事故の事例についても調査したが、水締めダム等の特殊な事例を除いて大きな被害は生じていない。このように’大地震を受けてもフィルダムでは致命的な被害を受けていない事実’から経験則的に大規模フィルダムの耐震性は高く、現ダム設計手法(物性値の決定手法、安定性の評価法)による耐震性の検討は総合的に見て十分な妥当性を持つていることが明らかになった。

 ため池については経験的技術により築造されているため過去の地震で多くの被害を受けており、崩壊及び大幅な沈下により貯水が不可能になるような大きな被害を受けたものもある。それらの事例についての、調査・解析から、そのほとんどが基礎地盤もしくは堤体のの液状化を原因とするものであり、その他の条件のため池では被害は発生しても大部分は中程度の被害に留まっている。これらのことから、ため池のような盛土構造物では液状化現象が大きな被害の場合の主要な原因であることが明らかになった。また、ため池の被災位置は底樋がある旧河道の中心であるミオ筋に集中していることから、底樋の存在が被災原因の1つと考えられる。H.B.Seedは男鹿地震のため池の調査事例等を引用して、地震被害の大部分ははパイピング、間隙水圧の再配分により地震後遅れて決壊する’delayed failure’であると指摘していが、近年の被害事例では短時間(直後〜1時間)に決壊しているものが大部分であった。被害後の適切な応急処置が二次被害の発生を防止したと考えられ、応急措置が重要であることを示唆している。兵庫件南部地震における活断層直近でのため池の被害例からは、活断層から100m以内では被災率、被災程度も大きくなり、活断層直近では特に耐震に配慮する必要がある。

 ため池の被災限界とその要因について、特にマグニチュードと被災限界との関係について検討した。過去の災害データの解析からマグニチュードとため池に被害の発生する震央距離の限界(限界震央距離)に図-1に示すような一定の関係が認められた。このマグニチュードと限界震央距離の関係はすでに提案されている地盤に液状化が発生するマグニチュードと限界震央距離の関係とほぼ同じになり、限界震央距離付近でのため池の主な被災原因が液状化であることが明らかになった。またマグニチュードと各地区の限界震央距離から、その地区の予想最大被害率の間に図-2に示す関係が認められた。

図-1 マグニチュードとため池に被害が発生する限界震央距離の関係図-2 マグニチュードと各地区の震央距離から求められる予想最大被害率

 フィルダムの地震時安全性の評価法して、1土質、地盤情報に基づく簡易安全性の評価法、2液状化を考慮したすべり解析による安全性の評価法、3有限要素法による安全性の評価法(Densificationモデルによる液状化解析)による検討を行った。実際の事例について上記の評価手法を適用し、その有効性と適用限界について検討した。土質分類、N値、軟弱地盤の層厚等の情報から行うため池の地震時における簡易安定性の解析では、概ね実際の被害・無被害を説明できた。

 また、簡易液状化解析とすべり解析を組み合わせて行う解析法によって、すべり安全率と沈下量の間に一定の関係が認められ、ため池の地震時の沈下量を概ね推定できた。有限要素法を用いた動的応答解析ではDensificationモデルで間隙水圧を算定し、いくつかのため池について解析し、実際の被害と比較したところ、解析パラメータを変えることにより天端の沈下量についてはよい一致を見る事が出来た。この解析に必要なパラメータについても相対密度から簡便に求める式を定めた。以上のことから、たなめ池については提案する簡便な方法で安定性の評価を行い、特に堤高が10m程度を越えるため池、フィルダムについてはすべり解析での安定性評価を行うとともに動的応答解析法での安定性の検討を併せて行うことが適当と考えられる。

 兵庫県南部地震では多くの土木構造物に多くの被害が発生し、これら施設のデータベース化の必要性が言われた。ため池の数は10万箇所以上にも及ぶので、災害時に個々のため池に関する情報を提供し、被害の可能性のあるため池の抽出と点検を行い、新たな二次災害を防ぐことが重要である。このために、「ため池防災データベース」及び「農業用ダムデータベース」の構築を行った。現在、「ため池防災データベース」は全都道府県に配置されていて、約7万箇所のデータが入力されている。実際の地震での適用でも高い災害予測能力が検証され、防災システムとして確立した。

審査要旨

 本論文は、提出者が農業工学研究所に勤務する研究者として、ため池堤体の地震安定性を追究してきた成果を、まとめたものである.わが国にはおよそ10万箇所のため池があり、農業用フィルダムという名称で呼ばれる堤高15m以上のものだけでも、1500ヵ所に達する。また、堤体の設計手法をとってみても、戦後の設計基準に基づいているものの他に、過去の経験的技術に依存しているものも、数多く存在している。そのような雑多な状況の中で耐震性を向上させるためには、単に設計基準を変更するだけでは不十分であり、既存のため池、特に近代以前に築造されたものについて、改築以外に何らかの実行可能な手だてを講ずる必要があった。

 本論文で重点的に扱われているのは、既存ため池堤体の耐震性評価と強大地震の発生直後の被害迅速調査である。前者に関しては、堤体を構成する土の物性について詳しい情報が得られる場合には数値計算手法による動的解析が提案されている。しかし、とりわけ小型のため池では、詳しい情報を期待できることは少なく、過去の被災経験をまとめることによって何らかの法則を見い出すことを目指さざるを得ない。また、後者の地震発生直後の対応については、数多くのため池をすべて地震直後に調査して回ることは膨大な時間を要し、災害対策の立ち上げに遅れを生じてしまう。そこで、数多くのため池の中から、被害を被っている可能性の高いものを抽出し、それから優先的に調査、対策立案にかかることが、提案されている。以下に、十二章で構成されている本論文の内容を紹介する。

 第一章の緒言に続き、第二章では世界のフィルダム築造の歴史を概括し、近世以前にも合理的なダム築造の思想のあったことを紹介した。また、近代以降に着目して、土木構造物の耐震設計法の変容を、まとめている。

 第三章は、地震によるため池とフィルダムの被害の歴史を記述している。とりわけ近年の19回の地震に際して、詳しい被害調査の行なわれた結果が、ここで述べられている。それらによれば、地震マグニチュードと被害発生の限界震央距離との間に、一定の関係のあることが、知られている。また、ため池堤体の被害のほとんどが基礎もしくは堤体の液状化によるものであり、地震慣性力だけで決壊などの大きな被害に至った例が、ほとんどないことも、示されている。

 次に、論文提出者自身がおこなった被害調査の知見が、記述されている。第四章は1983年日本海中部地震が対象で、調査結果をまとめることにより、堤体被害の程度が基礎の地盤の土質に強く依存することが示された。また、築造後10年以内の新しいため池に被害の多いこともわかった。これは、土は年代とともに強度を増すという年代効果の存在することが原因であろう、と推測されている。そしてさらに、ため池の地震被害の大半が震後しばらく遅れて発生している、との既往研究成果が紹介された。この知見に基づけば、地震後すみやかに被害状況の把握と修復が行なえれば、破堤と洪水に代表される大規模な被害を回避できることになる。

 第五章の対象は、1995年兵庫県南部地震における被災状況である。当該地域のため池は規模の小さいものが多かったものの、既往の地震に比べると被害の程度は高かった。そして四章と同様に、基礎の地盤が土質材料でできている堤体に、被害が多く発生したことが、判明した。決壊した二箇所のため池でボーリングを行ない、詳しい調査を実施した。その結果、液状化が原因で著しい被害の発生したことが判明した。一方、地震断層から数メートル以内の距離に存在したため池において、被害の程度が全く異なっていた例があったが、その原因については未解明のまま残された。

 経験的な知識として、震央から遠いほど、ため池に限らず地震災害の度合の減少することがある。第六章では、過去のため池被害についてもデータを収集し、震央距離と被害の有無との関係を過去の事例について検討した。それによれば限界震央距離というものが存在し、それより遠方ではため池被害が発生しないこと、そして地震マグニチュードが増えるとともに、限界震央距離はも長くなることが、判明した。マグニチュードと限界震央距離との関係は、従来提唱されていたマグニチュードと液状化発生限界距離との関係に似通っており、ため池の地震被害と液状化との間に密接な関係がある、という前章での議論と、照応している。

 以上のようにため池の地震時被災は決して珍しい事象ではない。一方高さ15mを越えるフィルダムは、同じ土質材料で築かれた堤でありながら、一部のhydraulic fillingで築かれたものを除き、高い耐震性を有することが、経験的にも解析的にも知られている。このような差異の原因を調べたのが第七章であり、両者の間では基礎地盤の強固さと堤体締固め度に違いがあり、それが耐震性の相違につながっていることが示された。

 地震で被災したため池は、原状に復旧するだけでは不十分で、ある程度は耐震性も向上させつつ修復することが重要である。第八章では、論文提出者がこれまでに関係した復旧事例を取り上げ、その効果を検討している。基礎をセメント混合土で強化した復旧事例については、振動台模型実験が行なわれた。この事例では現実には滅多に施工されないと思われるほどに手厚い復旧方法が実施されたが、実験結果は予想通り、ため池が高い耐震性を得たことを示した。これとは対象的に、繰り返し復旧されたにもかかわらず再三被災を繰り返しているため池の事例も、あわせて検討した。堤体の液状化が原因で被災した例では、原状復旧ではまったく不十分であり、繰り返し液状化が発生して被災を被っていることが示された。

 本論文の研究目的の一つに、ため池の地震被害予測がある。ため池において最も重大な地震被害とは、決壊と貯留水の越流、下流における洪水である。そこで被害予測においても堤体の変形と沈下の予測が中心的な目的になった。土構造物の変形予測手法のなかで最も強力なものは、非線形動的有限要素解析であろう。論文提出者も、そのような手法の開発に関係しており、その結果が第九章で引用されている。しかし現実には、このような水準の高い手法が実用できるのはまれであり、もっと限定されたデータ量で作業可能な簡易手法の方が実用性は高い。本論文で試用されている簡易解析は、円弧滑り面を用いる極限安定解析である。そこへ水平方向の地震慣性力を静的に考慮し、かつ地中の過剰間隙水圧の上昇を取り込んでいる。数多くの被災事例について簡易解析を実行し、滑り安全率と堤体の沈下量との相関関係を得た。きわめて簡易ではあるがこの手法により、地震時の被災状況を迅速に推定できるようになった。

 第十章では大地震直後にため池の被災状況を迅速に推定し、実地被害調査と対応を素早く行なえるようにする方法を、提案した。地震が発生するとマグニチュードと震央位置とは、かなり早い時点で確定する。それをもとに近隣のため池に対して入力地震動を推定し、ため池データベースに蓄積されている形状と土質データを利用して、被災(沈下)程度を算定する。本方法で被害大と推定されたため池は、実際の地震でも大きく被災しているので、推定結果の信頼性は高い。したがって、被害が大きい、と判定されたため池から、現地調査や被災対応を優先的に開始することができる。

 第十一章では、今後に残された課題を列挙した。それら課題には、地震動の強さ推定に強震観測ネットワークを利用すること、震度法による安定解析の限界、動的有限要素解析との使い分け、気象条件(地震直前の降雨の有無)が被災程度に及ぼす影響などがある。

 第十二章は全体の総括と結論である。

 以上をまとめると本論文は、地震動に起因するため池堤体の被災現象を、事例調査、模型実験、解析の三方向から研究したものである。その成果は農業基盤施設であるため池の耐震性向上のために有用であり、地盤工学と耐震工学上の業績は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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