学位論文要旨



No 214438
著者(漢字) 伊山,潤
著者(英字)
著者(カナ) イヤマ,ジュン
標題(和) 耐震フェイルセーフ構造に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 214438
報告番号 乙14438
学位授与日 1999.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14438号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑村,仁
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 教授 神田,順
 東京大学 助教授 大井,謙一
内容要旨

 1995年兵庫県南部地震では、構造部材が座屈や破断という形態で破壊した被害が数多く見られ、この原因と対策については現在もなお研究が進められているところである。ただし、部材の一部は破壊したものの構造物全体の倒壊は免れることのできた建築物が数多く見られており、被害報告の総括としては現行耐震規定を容認する比較的楽観的なものが多く見受けられる。しかし、部材が破壊しても構造物が倒壊しなかったのは、構造物に暗黙的または無意識的に付与された耐力の余裕や不静定性などの冗長性によるものであると考えられ、冗長性が構造物に与える影響についてはほとんど研究がなされていない現状では、暗黙的に付与される冗長性に無条件に期待をすることはできないと思われる。本論文はこの観点に立ち、構造物に内在する暗黙の冗長性を設計計算という客観的技術活動の舞台に導くための基礎となる研究を行なったものである。

 本論文では、地震力により一部の構造要素が破壊しても構造物の崩壊を回避し安全を確保することをフェイルセーフと定義し、このような構造物の動的挙動に着目する。兵庫県南部地震の被害で、構造部材が破壊したにもかかわらず崩壊を免れた鉄骨造建物の例を写真1に示す。この構造物は主としてブレースで地震水平力に耐えるブレース構造として設計されている。しかし、地震力によって全てのブレースは破断した後も力学的釣合いを失うことなく、大きな残留変形が残ったものの崩壊だけは免れることができた。この構造物が、ブレース破断後も崩壊を免れたのは、柱梁が剛接合されていたことにより、ブレースが破断した後もラーメン構造として力学的釣合を保つことが出来たからである。つまりこの構造物は主要システムであるブレース構造とバックアップシステムであるラーメン構造の二つのサブシステムから構成される構造システムである。実際の構造システムは多数のサブシステムから構成されていると考えられるが、本論文では最も単純な二つの構造サブシステムを持ちフェイルセーフが期待できるフェイルセーフ二相構造系の動的挙動について考察を行った。

 フェイルセーフ二相構造モデルは図1のように、一つの質点Mに二つの構造要素A、Bが並列に接続されている振動モデルとしてモデル化した。Aが主要サブシステム、Bがバックアップサブシステムを示すものとし、Aの剛性と降伏耐力はBのそれらより大きく設定した。A、Bは完全弾塑性系であるとし、それぞれへの入力エネルギーが定められたエネルギー吸収能力に達すると破壊すると考える。このような振動系が地震動水平力を受けると、サブシステムAとBが共同して地震外力に抵抗するが、サブシステムAの方が剛性が高く小さな変形で塑性化するので、最初はサブシステムAが塑性化してエネルギーを吸収し、まずサブシステムAが破壊する。その後はサブシステムBが単独で地震外力に抵抗してエネルギーを吸収する。サブシステムBが破壊したときに全体構造システムの崩壊となる。

 このフェイルセーフ二相構造モデルは、サブシステムAの破壊時に剛性が小さくなり固有周期が長くなる。したがって、構造物が健全な時の固有周期T1が地震動の卓越周期に一致して大きなエネルギー入力があったとしても、サブシステムAが破壊して固有周期をより長い周期T2に変化させることで、その後の入力エネルギーを低減させることが出来る可能性を持つと考えられる。

 地震時におけるフェイルセーフ二相構造のエネルギー入力を、それぞれT1、T2を固有周期として持つ単一構造のそれと比較して考えてみる。図2はエネルギー入力が時間に比例して大きくなることを仮定してエネルギー入力の時刻歴を模式的に表したものである。図中「T1、T2に対応するエネルギー入力時刻歴」とはそれぞれT1、T2を固有周期として持つ単一構造へのエネルギー入力時刻歴を意味する。二相構造はサブシステムAが破壊するまではT1を固有周期として持つ単一構造と同じ挙動をするので、エネルギー入力はT1に対応するエネルギー入力時刻歴に従う。サブシステムAの破壊後は固有周期がT2になるので、T2のエネルギー入力時刻歴と平行に増加してゆき、地震終了時までの入力エネルギーは図中のiEとなる。このように、T1、T2に対応するエネルギー入力時刻歴がわかれば、二相構造へのエネルギー入力時刻歴も推定でき、耐震性も推定できる。例えば、地震動のエネルギースペクトル形状として比較的ピークの鋭い形状を想定すると、地震動の卓越周期と耐震性の関係はおよそ図3に示すような形状となる。単一構造では卓越周期がそれぞれの固有周期と一致する付近で共振により耐震性が低下する。一方、二相構造の耐震性はT1とT2の中間付近で最低となるが、共振によるエネルギー入力の増大を抑えることができるため、最低の耐震性は二相構造の方が高い。したがって、フェイルセーフ二相構造はどのような卓越周期を持つ地震波に対しても安定した耐震性を保有することが期待できるのである。

 フェイルセーフ二相構造の有効性は地震動特性や構造特性に大きく影響を受けると推察される。そこで本論文では、地震動特性と構造特性を変化させて、二相構造の耐震性を応答解析で確認し、それぞれの特性と二相構造の有効性との関連性について調査した。外力地震動としては、任意の周波数特性および時間-周波数特性を再現するために、フーリエ逆変換およびウェーブレット逆変換を用いて作成した模擬地震動を用いた。フーリエ振幅スペクトルについては一般にこれがピークを持つことから、ある卓越周期においてピークを持つスペクトル形状を想定した。また地震動の時間-周波数特性を表すウェーブレット特性についてはまだ研究途上であるが、本論付録に付したウェーブレット変換と入力エネルギーとの関連性に基づき、一撃による入力エネルギーと卓越周期の時間的変化の二つを設定してウェーブレット逆変換により模擬地震動を作成した。一方、フェイルセーフ二相構造の構造特性としては、二つのサブシステムの剛性、降伏耐力、塑性変形能力、エネルギー吸収能力比を変化させたモデルを作成して応答解析を行なった。その結果、二相構造の有効性が高いのは、1)地震動スペクトル形状が鋭い場合、2)健全時と主要構造破壊後の固有周期の差が大きい場合、3)塑性変形能力が小さい場合、4)地震動の卓越周期が時間と共に長周期から短周期に変化してゆく場合であることがわかった。

 特に単一構造とは異なる特徴として、フェイルセーフ二相構造が地震動の卓越周期の時間的変化の影響を強く受けることが示され、地震動の卓越周期が時間と共に短周期から長周期に変化する最悪の場合には、二相構造の耐震性は加速度倍率で単一構造の0.7倍にまで低下することがわかった。ただし、兵庫県南部地震で観測された66波を用いた解析では、卓越周期の変化の傾向とフェイルセーフ構造の有効性との間には明確な関連が見られず、むしろ卓越周期やスペクトルのピークの鋭さとフェイルセーフ構造の有効性との間に明確な関連が見られたことから、地震動特性がフェイルセーフ構造の有効性に及ぼす影響としては、卓越周期およびスペクトル形状が支配的であり、卓越周期の時間変化の影響は2次的であると考えられる。

 将来起こりうる巨大地震動の特性を予測することが困難であることを考慮し、卓越周期およびエネルギースペクトルのピーク値を大きな変動を持つ確率変数としたモンテカルロシミュレーションにより、フェイルセーフ二相構造の崩壊確率を求め、単一構造のそれとの比較を行なったところ、検討した全ての場合において、フェイルセーフ構造の崩壊確率が単一構造のそれを下回り、フェイルセーフ構造が耐震信頼性を向上できることが解析により示された。

 既に述べたように、フェイルセーフ二相構造に内在する二つの固有周期をそれぞれ持つ単一構造へのエネルギー入力時刻歴がわかれば、その地震動に対するフェイルセーフ二相構造の耐震性は図3で示したように予測されるが、応答解析との比較によってこの予測が解析結果と非常に良く一致することが示された。また、フェイルセーフ二相構造の崩壊確率についても、予測が可能であることがわかった。

図表写真1 倒壊を免れた被害建物の例 / 図1 二相構造モデル / 図2 二相構造へのエネルギー入力(概念図) / 図3 二相構造と単一構造の耐震性比較(概念図)

 本論文では、フェイルセーフ二相構造の挙動を応答解析やモンテカルロシミュレーションにより明らかにし、その挙動が定量的におよそ予測可能であることを示した。フェイルセーフ二相構造の耐震性は地震動の周波数特性、位相特性、構造物の特性、およびそれぞれの確率分布の関係によって、大きく変化する。必ずしもフェイルセーフ構造の耐震性は単一構造を凌駕するというわけではなく、地震動や構造物の特性によっては、適切な単一構造を採用したほうが耐震性が期待できることもあると思われる。本論文の成果は、フェイルセーフ二相構造の耐震性と地震動特性および構造特性との関係を明確にしたことで、単一構造等他種構造形式との耐震性比較の手段を提供し、新しい設計手法の構築への手掛りを与えるものである。

審査要旨

 現代都市を襲った1995年兵庫県南部地震では、現行規範で設計された建築構造物も数多く被害を受けたが、その一方、構造部材の一部が破壊したにもかかわらず、構造系全体としては安定を保ち崩壊を免れた構造物も見られた。このような幸運は構造物に内在する余裕度によるものと考えられているが、どのような機構によってそのような余裕が生まれるか、またこれを意図的に用いてより安全性の高い建築構造物を設計することが可能であるかという視点での研究は今までなされてこなかった。本論文は、大地震時に一部の構造部材が破壊しても構造系全体の安全性を保つように意図的にシステム構成した構造物を「耐震フェイルセーフ構造」と定義し、その設計技術を確立するための基礎的研究を行ったものである。本論文は次の6章から構成されている。

 第1章は序章として本研究を開始するに至った経緯、本研究の目的、および関連する既往の研究がまとめられている。

 第2章では、先ず、一部の構造部材が地震により破壊しても残存部材が構造全体の安定を保持して崩壊を免れる耐震フェイルセーフ構造の基本となる数理モデルを作成した。これは二相構造と称し、地震外乱に抵抗するメイン部材とそれと併存する冗長的バックアップ部材の二つの並列要素からなる一質点系である。この二相構造モデルと同じ耐力と変形能力を持つメイン部材のみからなる単相構造モデルをあわせて作成し、地震入力の定常性を仮定して両者の耐震性能を比較した。そこでは、時間軸上での地震エネルギー入力を一様と仮定し、その総量が構造物の固有周期で決まるとした。その結果、二相構造のほうが単相構造より強い地震に耐えることができ、それは単相構造が共振卓越周期をもった地震動に遭遇すると非常に大きなエネルギー入力を被るのに対し、二段階の固有周期をもった二相構造ではそのような共振現象を回避することができることによるものであることを明かにした。

 第3章では、第2章において静的なエネルギーの釣合いから導かれたフェイルセーフ構造の成立原理と効果を模擬地震動を用いた動的応答解析により検証した。先ず、第2章の簡易解析で前提とした時間軸上での均一なエネルギー入力をもたらす模擬地震動を用いて数値シミュレーションを行い、構造崩壊を限界状態とする地震動の強さが簡易解析による値と一致する傾向を確認した。そこでは、二相構造の耐震性能に関わる因子として、地震動の振幅スペクトル形状、構造物の固有周期、構造物のエネルギー吸収能力をパラメータとする検討を行い、フェイルセーフ効果を高めるために必要なバックアップ部材の設計要件を明らかにした。次に、エネルギー入力の時間的均一性の前提をはずした場合の性能評価を行うために、時間軸上で地震動の卓越周期に変化が起こる位相差分分布が非一様な模擬地震動を用いて検討した。この場合にも、地震動のウェーブレット変換から得られる入力時刻歴情報を用いれば、第2章の簡易解析が適用できることを確認し、フェイルセーフの効果が動的な共振現象の回避によるものであることを検証した。

 第4章では、実際に観測された地震動記録を用いて二相構造の耐震性能を応答解析により調査した。多点観測された兵庫県南部地震の加速度記録を用いて、地震動の振幅スペクトル形状の鋭さや入力の時間的変化などの現実的な地震動特性のもとでの二相構造の有効性を明かにした。特に重要な知見は、第3章の模擬地震動を用いた解析で懸念されたフェイルセーフ効果を喪失させる最悪地震動(卓越周期が時間とともに短周期から長周期に変化する位相スペクトルをもった地震動)が少なくとも兵庫県南部地震の記録には存在しないことを確認したこと、地震動特性のうち振幅スペクトルの形状がフェイルセーフ効果に対して支配的であることを示したことである。

 第5章では、モンテカルロシミュレーションを地震応答解析と組み合わせて二相構造の安全性に関する確率論的な検討を行った。ここでは、地震動の強さやスペクトル形状を確率変量と考えて構造の崩壊確率を算定し、二相構造は単相構造よりも崩壊確率が小さくなることを確認した。さらに、その崩壊確率が第2章で述べられた共振回避に基づく簡易解析を援用することによって見積もることができることを示した。このことは、地震動特性を確定できない一般的な設計環境において、二相構造を採用することによって耐震信頼性を向上させることができることを確率論の視点から示したものである。

 第6章では、結論として本論文の内容を総括し、本研究によって得られた結果の意義と今後の研究課題について述べている。

 本論文は、これまで構造要素として認識されず構造的には余分なものであるとされてきた要素を積極的に評価し利用して耐震設計を行うという新しい考えに基づくものである。これを実行するためには、現実の複雑な構造物のなかのメイン部材とバックアップ部材を分別するシステム同定の手法が必要となるが、この問題については本論文の対象外としており今後の研究課題である。しかし、本論文で示したフェイルセーフ構造の最も基本となる二相構造の耐震性能評価方法がシステム同定の手掛りになり、今後の耐震設計技術の発展に寄与するところは大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51130