学位論文要旨



No 214441
著者(漢字) 細川,恭史
著者(英字)
著者(カナ) ホソカワ,ヤスシ
標題(和) 沿岸汀線部における浄化能力の向上と生態系の修復に関する工学的研究
標題(洋)
報告番号 214441
報告番号 乙14441
学位授与日 1999.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14441号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 古米,弘明
内容要旨

 我が国沿岸は都市前面の海域を中心に周密で多様な利用が進んでいるが、環境への負荷も大きく、水質の改善や生態系の修復が強く望まれてきた。これまでは、沿岸汀線部における、水質浄化能力や生態系の修復技術の知見は極めて限られていた。ここでは、緊急に改善が要請されている内湾・内海沿岸汀線部を主な対象に、自然浄化作用の促進強化、および、沿岸生態系の修復の技術を検討した。いずれも、生息生物の作用が重要な役割を演じている。そこで、有機物と栄養塩を対象物質に選び、典型的な生物や生態系を取り上げ考察した。

 水質浄化機構を解析し、自然浄化能強化の方策を整理した。まず、閉鎖的モデル内湾を例に、自浄作用と水理的な海水の交換とを同時に考慮した簡易な式を提示し、それぞれの役割を比較した。その結果、閉鎖的内湾域全体では海水交換と自浄作用とは同じ程度に水質に寄与していること、外海水との交換が極めて悪い湾奥部ほど浄化作用がより重要になってくること、を示した。

 次いで、湾奥沿岸汀線部でよく見られる典型生物からサイズの異なる3種を選び、(1)ヨシの栄養塩貯留とヨシ原の粒状物の捕捉作用、(2)二枚貝の生物濾過作用、(3)石積み間隙における粒状物の沈降捕捉と生物膜の接触酸化作用について、浄化能の高い場所づくりや海域の構造物への浄化機能付加の観点から検討した。ヨシに関しては、室内栽培実験・三浦半島のヨシ原における現地観察・および水理実験や数値モデルにより検討した。早い成長により、春先から夏の終わりにかけ、大きな栄養塩吸収が見られた。成長期の平均で、窒素(N)で1.2 mg/shoot/d、Pで0.1 mg/shoot/dの取り込み速度であった。アンモニア態窒素の選好吸収傾向と、塩分阻害の起きる濃度を見いだした。ヨシ原面積当たり、Nで1.4 kg/ha/d、Pで0.1 kg/ha/dといった能力であった。枯死後の栄養塩の海への回帰は、Nに関しては、含有量の約2割を2ヶ月間で溶出させる初期溶出の後ゆっくりとした2次溶出が始まり、その速度値は1-3 mg/shoot/dと取り込み速度の1〜3割程度であった。茎が直立して生えていることによる微細粒子の沈降促進作用を検証した。航空写真により25年間の土砂堆積の大きさを見積もり、栄養塩含有量から栄養塩貯留量を推定した。このヨシ原では、ヨシの年間栄養塩取り込み量と比べ、Nでは約半分、Pでは1.5〜3.5倍の堆積貯留量となった。沈降促進作用の水理機構を水路実験により解析した。茎に対し円柱粗度を初期値として与え、水位、流速、抗力係数を繰り返し計算により同時に解くことで、低レイノルズ数のヨシ原内流れを求めることができた。沈降速度を与えることでヨシ原周辺での粒子挙動が算定できるようになった。毎秋枯れヨシを刈り取らずとも、ヨシ原の存在自体で栄養塩の貯留効果があることがわかった。

 二枚貝による粒状有機物の濾別作用を検討した。室内実験から個体の能力を求め、その上で、現地の生息状況観察から場所の能力を算定した。閉鎖性内湾での典型種から、護岸壁等に密生しているムラサキイガイと干潟によく見られるアサリを選んだ。成体の濾過速度は、両者類似の値であった。生息密度などを考慮し1日当たり場所当たりの見かけ濾過速度を算出すると、ムラサキイガイの生息する直立護岸壁で50-100m3/m2/d、アサリの生息する干潟で1-2m3/m2/dとなる。しかし、生息範囲を考慮すると、干潟面におけるアサリの生息範囲は沖合い1kmほどにも及び、沿岸の水際線幅1m当たりの濾過速度としては、直立護岸に比べ干潟で1桁大きくなり、1-2×103m3/m程度となった。

 礫表面の付着微生物膜などによる海水中の懸濁成分の除去の機構を、水路実験により検討した。長さ30mの水路に礫を積み、東京湾奥の運河部海水を流下させた。海水でも1ヶ月目から生物膜の形成が確認され、SSの良好な除去が見られた。有機物の除去率は概ね1〜3割程度と少ないが、生物膜の酸素消費が継続して認められた。水路内の滞留時間が長いとSSの除去効率は向上し、4時間では概ね6〜8割程度に達した。濁りの除去総量では滞留時間が短いほど大きく、滞留時間1時間(流量360m3/d、間隙流速1.7cm/s)では1.8kg/dとなった。このときの除去効率は5〜7割であった。大量の海水を引き受けた方が、沖合い海域の懸濁物除去には寄与が大きい。

 自然の浄化作用は、浄化にあずかる個々の生物個体の生理的能力向上よりも、生息場所の拡大、接触水量の増加、生息環境の改善などの努力により促進強化されやすい。といった浄化能力向上方策の原則を表-1のように把握できた。

表-1 浄化機能強化のための方策

 生態学的修復を「沿岸に見られる特徴的な生物相による普通の生態系の修復」と定義し、生態系の構造や機能の修復技術を干潟を中心に検討した。干潟の生物相や物質循環では、底生生物が中心的役割を果たす。ここでは、(1)干潟地形を作ったとして、そこに沿岸生物が定着するか、(2)定着生物たちは、普通の干潟とよく似た生物相になるのか、(3)定着生物たちは、そこで相互作用を有した物質循環系を形成するのか、(4)形成された物質循環系は普通の干潟に比べてあまり変わらないものになっているのか、を検討した。生物定着の検討のため、浮遊幼生期の運搬や広がりを検討した。屋内に設置した干潟実験水槽に対する底生生物の新規加入・定着と生物相の様子を調べた。また、干潟実験水槽と自然干潟とを対比し有機物の生産と消費を比較した。

 有性生殖後の発生初期に海面を浮遊する時期を持つサンゴを例に、潮流場での幼生の浮遊軌跡を計算した。一潮汐の上げ下げにより礁外縁部を岸に沿って3-6km程度往復し、数日から数週間の浮遊では下手側に十数〜数十km流下する。幼生の広域の浮遊がわかった。

 干潟生態系を構成する生産者・消費者・分解者の殆どは、浮遊期を有する。浮遊幼生や浮遊個体を外海から取り込めるなど、外海とつながった一部開放系メソコスム装置(干潟実験施設)を構築した。屋内の20m2程度の水槽に風乾した底泥を敷き、東京湾海水を無処理で導ぎ、潮汐による干満を繰り返した。人為的な生物持ち込みをせずとも、1年ほどでメソコスム装置内に干潟生態系が形成された。生産者(付着藻)、消費者(マクロベントス)のいずれも沿岸干潟の典型種であり、図-1に示すように分解者(バクテリア)も含め生息密度比は内湾自然干潟と類似の構成であった。いずれも、導入海水とともに装置内に運び込まれたものと思われる。干潟生態系は、回復力が強く修復の早い系であることが示された。また、生態系形成期に、無機Nで100〜300 mg/m2/dの栄養塩の取り上げ速度が測定された。基礎生産が行われ、物質循環系が形成されていたことを示す。3年間の連続運転でも、妥当な生息種構造と生息密度が維持され、種々の環境変動にも拘わらず、装置内で安定的に生態系が維持されていた。

図-1 干潟生物サイズと生息密度

 干潟実験施設の生態系と自然干潟の系とについて、有機物の生産・消費関係を比較した。内湾干潟では、濾過食性二枚貝を中心に、基礎生産量とは不釣り合いな大きな消費者密度が観察される。沖合からの流入懸濁粒状有機物の摂取により、高密なベントス個体数に対する説明が可能であることがわかった。負荷の状況に応じて生物種や生息量が柔軟に変化対応する様子が示唆された。

 以上の知見から、干潟泥を用い内湾汀線部に緩やかな潮間帯を作り、沖合い水との海水の交流を確保すれば、周辺の干潟からの浮遊幼生などが定着するなど、干潟生態系の自然な形成が可能であることが解った。干潟生態系は回復力の強い柔軟な系であり、生態系の自己デザインの作用を引き出すような手の入れ方が重要である。

 浄化能力の向上に際しても生態系への配慮が、生態系の修復に対しても浄化機能向上が求められている。力点の置き方やアプローチの仕方にそれぞれ特有のものがあるが、持続可能な物質循環系の形成として相互に共通点がある。

審査要旨

 我が国は島国であり長い海岸線で囲まれている。また、多くの都市・工業活動は河口平野から海岸線に沿って立地している。その結果沿岸域は埋め立てによる改変の影響や水質汚濁の影響を大きく受ける存在となっている。一方、近年になってこのような沿岸域への各種の環境負荷の増大に対処する方策が求められるようになり、沿岸域における生態系の保全・回復を図る具体的な手法の提示への社会的要請は大きなものとなっている。

 本論文は「沿岸汀線部における浄化能力の向上と生態系の修復に関する工学的研究」と題し、大きく4章よりなっている。

 第1章は「我が国の閉鎖性内湾や内海における沿岸環境の現状と技術課題の概観」であり、4節よりなっている。日本の沿岸域環境の、価値、特性を整理するとともに、沿岸域環境の現状と動向、環境保全のための技術的課題を述べている。その中で、沿岸環境問題の全体像を示す見取り図を示し、併せて本論文が対象とする領域を明らかにしている。具体的な検討課題としては、沿岸域水系内での浄化作用の機構解明の対象として、ヨシ原、干潟、岩壁面の典型的な沿岸地形を選んでいる。また、劣化した沿岸生態系の修復・創出に関しては、サンゴ礁、干潟、ヨシ原の生態系回復のための条件を求めることを論文の目的として示している。

 第2章は「浅海汀線部における浄化のメカニズムと浄化工法」であり、5節からなっている。沿岸ヨシ原の役割として、刈り取りを行わなくても、ヨシ原での栄養塩貯留による沖合い海域への栄養塩負荷抑制の効果があることを確認している。また、ヨシ原による水質浄化は粒子状汚濁物質に対する沈降促進作用と栄養塩吸収同化作用に分けて評価することが適切であることを明らかにしている。

 干潟における物質循環の中では二枚貝が懸濁性の汚濁物質の濾過食者として重要な役割を有している。干潟における水質浄化にかかわる代表的な二枚貝としてアサリを、壁面に付着しやすい二枚貝としてムラサキイガイを対象としてそれぞれの懸濁物質のろ過速度の評価を行っている。いくつかの仮説的推定としてではあるが、護岸の壁面に付着するムラサキイガイでは、護岸幅1mあたりで1日80-160m3程度の海水を濾過することが出来るのに対して、干潟におけるアサリは、東京湾の盤洲干潟の例では幅1m沖合い1kmの干潟において、1日1-2×103m3の海水を濾過していることを試算している。遠浅の干潟の存在は水質浄化の効果が大きいことを定量的に確認するもので興味ある成果といえる。

 第3章は「生態系の修復に関する技術」であり、5節からなっている。沿岸の底生生態系では、おおむね大きさが数cmの底生生物(マクロベントス)までで殆どの生物種がカバーされ、物質循環が担われている。マクロベントスの再生産は多くの場合海域浮遊という過程を経て生息適地を求めて再定着し、生息域を拡大していく。

 那覇港サンゴ礁生態系にあっては、浮遊幼生が移動する海域範囲、河川からの赤土の堆積、濁りの分布の各条件を考慮して適地を選定すれば、サンゴ礁再生戦略を立てていくことが可能であることを実証している。このような解析、経験をもとに、干潟を例とする生態系回復のためのメソコスム実験と現地調査を行っている。そして人工的な干潟の造成を進める際の工学的設計手法の提案を行い、計画段階、設計段階、施工段階において配慮すべき事項を的確に整理している。特に生態系の修復プロセスにあっては、生物定着の様子をよく観察しながら時間をかけた造り方をすべきであるという指摘は示唆に富むものといえる。生物の生息の場を提供する土木技術的手法を適切に応用していけば、生態系を回復し、生息域を拡大していくことが可能であることを示す成果をあげている。

 第4章は「まとめと課題整理」である。

 以上のように、本論文は、沿岸汀線部における水質浄化のメカニズムの解析をもとに、沿岸域の生態系修復・創造にかかわる技術的な対策を示すことに成功しており、環境工学の発展とりわけ海域における生態工学の技術的進歩に大きな貢献をなすものである。よって本論分は、博士(工学)の博士論文として合格と認められる。

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