学位論文要旨



No 214449
著者(漢字) 田中,富三男
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,フミオ
標題(和) 二波長での放射率相互の関係を利用した放射測温法の研究
標題(洋)
報告番号 214449
報告番号 乙14449
学位授与日 1999.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14449号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤村,貞夫
 東京大学 教授 舘,すすむ
 東京大学 教授 安藤,繁
 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 教授 石川,正俊
内容要旨

 放射測温法は、非接触、高速測定が可能であるため、鉄鋼業をはじめ多くの工業プロセスにおいて広く活用されているが、放射率をいくらに設定するかという原理的な問題がある。とくに鉄鋼業では、’70年代から急速に普及した連続溶融亜鉛めっきライン(CGL)や連続焼鈍設備(CAPL)において、合金化あるいは酸化により放射率が変化する溶融亜鉛めっき鋼板、冷延鋼板の温度測定精度が問題とされるようになった。

 これらのプロセスは生産性が高いため、放射率変化に気づかずに誤った温度制御をして生産を続けると短時間でも大量の不良品を生じ、それをスクラップ化したり、あるいは低級品に用途変更することの経済的損失は極めて大きい。

 放射率の問題を解決するための手法は従来からも種々提案されているが、複数の波長における放射率の間に何らかの関数形を仮定して、放射率と温度を推定する放射率補正法がある。二色法、多色法といった従来法の最大の問題は、アプリオリに仮定した関数形が適当でない場合が多く、測定誤差が大きいことである。また、多色法では3つ以上の分光放射輝度を検出して温度を推定するが、最少2つの分光放射輝度から温度を求める方がより合理的であり、また測定のためのハードウェア、ソフトウェアも簡便かつ安価にできる。

 したがって、もし二波長における放射率相互の関係をより現実に即した関数形で表現することができれば、簡便なシステム構成で、従来より高精度な放射測温が可能になると考えられる。

 新たな放射測温法のアルゴリズムを検討するにあたり、まず温度が未知の物体の分光放射輝度を検出したときに、どのような情報が得られるのかを明確にする必要がある。分光放射輝度を異なる二波長で検出し、ある温度を仮定すれば、二波長における見かけの放射率(x,y)が定義できる。温度を変化させれば見かけの放射率も変化するが、黒体の分光放射輝度を表すウィーンの式を用いることにより、見かけの放射率相互の関係がy=g(x)というユニークな式で表現されることを導くことができる。

 一方、物体表面の真の放射率の変化は、合金化や酸化といった物体に固有な表面状態の変化によって引き起こされる。このとき二波長における真の放射率相互の関係がy=f(x)という式で表現されることが既知であれば、関数fと関数gの交点の座標として真の放射率が得られ、同時にウィーンの式から温度が求められる。解が安定して得られるためには、関数fと関数gが安定して交点を結ぶ必要がある。

 この新しい放射測温法(以後TRACE法と記す)では関数fが既知で一定であることを仮定している。一般的に放射率は温度、測定条件(波長、角度、偏光)、表面状態の関数であるが、測定条件は一度決められたら変化しないし、また表面状態の変化にともなう放射率の変化はすべて関数fそのものに投影されているから、TRACE法が成立するための前提条件は、関数fが温度Tに関わらずに一定で再現性があることである。

 高温の工業プロセスにおいて、金属材料表面の放射率変化をもたらす代表的要因は合金化反応と、酸化反応である。それぞれCGL、CAPLの炉内において合金化反応と酸化反応により放射率が大きく変化する溶融亜鉛めっき鋼板と冷延鋼板を試料として、TRACE法の前提条件が成立するか実験的に確かめたところ、表面状態の変化機構が異なるため、放射率の変化、および放射率相互の関係にはそれぞれの特徴が現れたが、二波長における放射率相互の関係は、ともに温度に関わらずに一定で再現性が認められた。このことは金属材料の光学定数におよぼす温度の影響が小さいためと考えられ、鉄鋼材料の光学定数(屈折率と吸収係数)に関する従来の研究報告からも説明することが可能である。

 溶融亜鉛めっき鋼板、冷延鋼板ともにTRACE法の前提条件が成立すると判断できたために、それぞれに対して放射率相互の関係を関数fとして定義し、関数fと時々刻々に検出したふたつの分光放射輝度から、TRACE法の原理に基いて試料表面の温度を計算で求めたところ、それらは試料に溶着した熱電対で測定した温度と精度良く一致していた。ただし、冷延鋼板の場合は酸化初期の段階において測定値が不安定化する問題が認められ、検出波長を変えて測定を行っても問題は解決されなかった。

 この差異は、溶融亜鉛めっき鋼板の場合は関数fと関数gが安定して交点を結ぶのに対して、冷延鋼板の場合は両者の傾きがほぼ等しくなって交点を安定して結ばないことに対応していた。溶融亜鉛めっき鋼板を加熱し、表面を合金化させると、亜鉛中に鉄が拡散してゆき組成の異なる数種の金属間化合物が形成することで、放射率が変化する。一方、冷延鋼板を高温で酸化させると、鉄表面に薄い酸化膜が形成することで、放射率が変化する。

 冷延鋼板の酸化初期において解が不安定化するという問題を解決するためには、酸化鋼板表面の放射率の振る舞いを、光学的モデルを用いたシミュレーションにより解明し、解を安定化させるための測定条件を探索する必要がある。酸化鋼板表面を、金属基板上に透明な酸化薄膜がのった光学的モデルで表し、酸化にともなう放射率の振る舞いを計算して考察した結果、二波長における薄膜の屈折率がほぼ等しいと、酸化初期において関数fと関数gの傾きがほぼ等しくなるために、解が不安定化することを明らかにした。このことは、鉄酸化物の屈折率が放射測温で利用される近赤外域で波長に関わらずほぼ一定であることを考慮すると、波長の選択によって酸化初期における解の不安定性を解決することが困難であることを示唆している。

 そこで、波長以外の測定条件として選択が可能な、角度(測定面法線と熱放射のなす角度)と偏光をパラメタとして同様なシミュレーションを行い、解を安定化させるための条件を調べた結果、同一波長におけるふたつの直線偏光に対する放射率相互の関係式を用いることが有効であることを見いだし、それを実現するための放射計の光学系を設計した。

 この光学系からなる偏光型放射計を試作し、冷延鋼板を酸化させながら異なる直線偏光の放射率を測定した結果、シミュレーションの予測通り酸化初期から安定して解が得られることが明らかとなった。

 以上の研究結果をふまえつつ、さらに現場的なニーズに対応した測定が可能かどうかを総合的に評価するための実験を行った。すなわち、本来は鋼種やめっき厚が異なる場合は異なる材料として取り扱うべきであるが、操業の簡略化のために、できれば同一の関数fを使用して測定したいという現場的要請があるため、温度のほかに鋼種、めっき厚の異なる試料を用いて実験を行ったところ、いずれも鋼種、めっき厚に関わらず関数fを一定と見なしてよく、またTRACE法に基づく温度計算値も精度良く求まることが明らかとなった。この結果は、鋼材の放射率におよぼす炭素などの微小添加元素の影響が小さいことや、合金化が亜鉛中への鉄の拡散で起こることから考えて、亜鉛めっき鋼板の放射率にめっき厚が本来影響をおよぼさないと考えられること、で説明することができる。

 実プロセスのシステムとしては、溶融亜鉛めっき鋼板測定用には二波長型、冷延鋼板測定用には偏光型の放射測温システムを開発し、製鉄所のCGL、CAPLに多数適用した。適用した放射測温システムの温度測定値と接触式温度計の測定値とを比較した現場実験からは、両者の標準偏差としてCGLで5.8℃、CAPLで4.0℃の結果が得られ、放射率を自動補正しながら高精度な測温を実現していることが確認できた。

 最後に、他の金属材料が合金化や酸化により放射率が変化するときのメカニズムについて考察し、固溶体をつくらずに共晶をつくる二元合金の測定や、クロムや銅が酸化するときの測定にTRACE法が適用できる可能性を示した。

 本研究では、おもに2種類の鉄鋼製品を対象としてTRACE法の適用可能性を検討したが、さらに多くの材料に適用を拡大してゆくためには、対象となる材料の表面状態の変化機構と、放射率の振る舞いを充分に研究する必要がある。種々の材料の放射率相互の関係をデータベースとして構築するための実験的研究を進めるとともに、表面状態の種々の変化機構に対応した光学的モデルを構築して放射率の振る舞いを調べる解析的研究を進めることが、今後に残された課題である。

審査要旨

 非接触で高速な測定ができる放射測温法は,鉄鋼業をはじめ多くの工業プロセスにおいて広く活用されているが,対象の放射率の決定に問題がある.とくに鉄鋼業では,プロセス中での合金化あるいは酸化に上り放射率が変化するため,温度測定精度が低下する.従来もこの問題解決のため,種々の方法が考案され,本論文に関連する複数波長における放射率を利用する方法も試みられたが,いずれも問題を残している.

 本論文では,鉄鋼業において扱われる材料,プロセスを限定して,二波長,あるいは,一波長で2つの偏光における放射率相互の関係を現実に即した形で表現することにより,見通しのよい方法で,この問題の解決を図っている.

 論文は8章より構成されている.

 第1章は「序論」で,従来の放射測温における放射率の取り扱いに関する研究をレビューし,残された課題を記述している.

 第2章は「新しい放射率補正法」と題し,本論文で提案する方法の原理を述べている.

 二波長における,対象の放射輝度から,温度を仮定して求まる見かけの放射率相互の関係が関数1で表され,一方,対象の二波長における真の放射率相互の関係を表す関数2が既知であれば,関数1と関数2の交点の座標として真の放射率が得られ,これと黒体放射の法則から温度が定められることを示している.実際の鉄鋼プロセスにおいては表面状態の変化をもたらす要因が1つに限定される場合が多く,実用上許容できる誤差範囲で,関数2を一意に決定でき,温度が決定できるというのが本方法の眼目である.

 第3章「2種類の鉄鋼材料に対する二波長での放射率相互の関係」では,高温の工業プロセスにおいて,金属材料表面の放射率変化をもたらす代表的要因が合金化反応と、酸化反応であることを指摘し,溶融亜鉛めっき鋼板と冷延鋼板を対象とした実験で,二波長における放射率相互の関係は,ともに温度に拘わらず一定で再現性があることを示し,本方法により求めた温度は熱電対で測定した温度と良く一致したことを報告している.ただし、冷延鋼板の場合は酸化初期の段階において測定値が不安定化する問題が認められ,検出波長を変えた測定でも問題は解決されなかったと指摘している.

 第4章「光学的モデルによる酸化・冷延鋼鈑の放射率の挙動解析」では,前章の解の不安定化の原因を明らかにするため,酸化鋼板表面の放射率の振る舞いを,光学的モデルを用いて表現し,解を安定化させるための測定条件を検討している.同一波長における2つの直線偏光に対する放射率相互の関係を用いることが有効であることを見いだし,それを実現するための放射計を設計している.

 第5章は,「放射計試作機による実用化可能性の検証」と題し,偏光型放射計を試作して,冷延鋼板の測温を行い,酸化初期から安定した解が得られることを明らかにしている.現実的なニーズに対応した測定の可能性を実験により総合的に評価した結果,鋼種,めっきの厚さによらず関数2を一定と見なしてよく,本方法に基づく温度測定値が精度良く求まることを明らかにしている.

 なお,実プロセスの測定システムとしては,溶融亜鉛めっき鋼板測定用には二波長型,冷延鋼板測定用には偏光型の放射測温システムを開発し,製鉄所の連続溶融亜鉛メッキライン(CGL),連続焼鈍設備(CAPL)に多数適用し,本方法による温度測定値と接触式温度計の測定値とを比較した結果,標準偏差としてCGLで5.8℃,CAPLで4.0℃の結果が得られ,放射率の自動補正により高精度な測温が実現できることを確認している.

 第6章は,「適用対象の範囲拡大」と題し,測定温度範囲を拡大するために,測温範囲に応じて測定波長を選択した二波長型放射計と二偏光型放射計,ならびに,鋼板の幅方向の温変分布を測定するために開発した走査型二波長放射計を実プロセスに適用し,良好な結果を得たことを示している.

 第7章「他の金属材料への適用可能性に関する考察」では,他の金属材料が合金化や酸化により放射率が変化するときの変化のメカニズムについて考察して,本方法の適用可能性について述べている.すなわち,固溶体をつくらずに共晶をつくる二元合金の場合や,クロムや銅が酸化する場合の測定に関して,既に報告されている放射率データ集の値を基に考察を加え,本方法が適用できる可能性の高いことを指摘している.

 第8章は「結論」で,主たる成果を纏め,本方法の適用に関する展望,残された課題について記述している.

 以上要するに,本論文は,放射測温において従来問題とされてきた放射率の補正の問題について,二波長での放射率の関係,あるいは,一波長で2つの偏光に対する放射率の関係に着目して,鉄鋼における材料,プロセスにおいて有効な放射測温法を考案して実用化し,実際の現場において効果を上げたもので,計測工学上の貢献が大きい.博士(工学)の学位論文として合格と判定する.

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