学位論文要旨



No 214455
著者(漢字) 柏木,立己
著者(英字)
著者(カナ) カシワギ,タツキ
標題(和) 耐塩性酵母産生キラー因子の立体構造及び構造安定性
標題(洋)
報告番号 214455
報告番号 乙14455
学位授与日 1999.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14455号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 原田,繁春
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨 序論

 酵母等のある種の株(キラー株)は、キラー因子と呼ばれる蛋白質を分泌し、競合する他の酵母を死滅させる。キラー株は、自身の産生するキラー因子に対して抵抗性を有する。

 SMK因子は、味噌麹中より見い出された耐塩性酵母Pichia farinosa KK1株の産するキラー因子である。SMK因子のキラー活性は塩濃度の上昇に伴い増大する。そのキラー作用機序は未だ不明であるが、感受性株のPタイプ-アデノシントリホスファターゼとの関連性、細胞膜に対する非特異的な破壊作用等の知見が、最近得られている。SMK因子は、核染色体上の遺伝子にコードされた前駆体(222アミノ酸残基)として発現され、翻訳後修飾により、の2サブユニット(それぞれ63、77アミノ酸残基)からなる、分子量約14,000の成熟型蛋白質となり、菌体外に分泌される。両サブユニットは、ジスルフィド結合を形成せずに、非共有結合的に会合した状態で、成熟型SMK因子を構成する。この成熟型蛋白質が安定に存在できるのは酸性条件下のみであり、中性〜アルカリ性条件下では、両サブユニットが速やかに解離してキラー活性を失う。

 SMK因子のキラー活性の作用機構や、pHに依存した構造不安定性の原因等を解明することは、有用微生物の選択的制御技術等の実用化のみならず、細胞生物学の諸相をより深く理解するためにも重要である。そこで、これらの問題の解明の糸口となる知見を得るために、X線結晶構造解析、質量分析(MS)等の方法により、成熟型SMK因子の立体構造と構造安定性に関する研究を行った。尚、SMK因子の構造安定性を研究するに当たっては、MSによる蛋白質のpH滴定実験を試行し、その有効性を検討することも本研究のもう1つの目的である。

SMK因子のX線結晶構造解析

 pH3.5付近で、沈殿剤として硫安(2.7M)を用いることにより、SMK因子の結晶(空間群P43212、a≒81Å、c≒118Å、非対称単位当たり2分子)を得た。

 この結晶の構造を多重重原子同型置換法(MIR法)により解析した。探索の結果、白金、水銀を含む重原子誘導体結晶を得た。X線回折強度データは、DIP100型X線回折計(マックサイエンス社)、巨大分子用坂部式ワイセンベルグカメラ(文部省高エネルギー物理学研究所、放射光実験施設)で収集した。MIR法による位相決定、溶媒平滑化法、分子平均化法による位相改良により得られた電子密度図に基づいて構築したモデルに対して、結晶学的精密化を行い、1.8Å分解能での信頼度因子R値は0.186となった。

SMK因子の立体構造の概観

 図1にSMK因子の立体構造を示す。SMK因子は、両サブユニットが協同して折り畳まり、単一のドメインからなる楕円体型の構造を形成している。二次構造は、5本鎖逆平行シートの片面に、2本のヘリックスが並んで配置しており、/ sandwichというフォールディングパターンに分類される。各サブユニット内には、それぞれ1個のS-S結合が存在する。

 SMK因子前駆体では、両サブユニットは、約60残基からなるペプチドによって繋がれている。サブユニットのC末端とサブユニットのN末端は、成熟型SMK因子の分子上部に、空間的に約10Å程度の距離に近接している。従ってペプチドは、独立したドメインとして、成熟型SMK因子分子上部を覆い隠すように存在していると推定される。SMK因子前駆体は、キラー活性を有していない。SMK因子の分子上部は3本の長いループに覆われているが、これらのループは、"前駆体→成熟体"の変化に伴って初めて分子表面に露出すると予想されるので、キラー活性等の機能発現と何らかの関係を有する可能性もある。

図1 SMK因子の立体構造図各サブユニットを、それぞれ薄、濃の灰色で表示した。水素結合によって相互作用し合っているカルボキシル基を付記した。
塩濃度とSMK因子の構造との関係

 硫安を用いて析出させたSMK因子の結晶(AS結晶)の構造解析の後、ポリエチレングリコール(PEG)を沈殿剤として用いた条件(25%(w/v)PEG4k、pH4.0)に於いても、SMK因子の結晶が得られた(PEG結晶)。両結晶は殆ど同型であったが、X線回折強度に10%程度の変化が観測され、完全に同一な結晶とは見做せないことが判明した。そこで、イオン強度の変化がSMK因子の構造に及ぼす影響を明らかにするために、PEG結晶の解析も行い、1.8Å分解能で信頼度因子R値が0.172となる構造を得た。2つの結晶中のSMK因子の立体構造を比較した結果、原子座標のroot mean square deviationの値は、原子間で0.16Å、全原子間で0.32Åしかなく、また局所的な構造変化も見い出されなかった。種々のNaCl濃度に於いてSMK因子の円偏光二色性(CD)スペクトルを測定したが、溶液中に於いても、塩濃度の変化に伴うSMK因子の二次構造の変化は観察されなかった。これらの結果は、塩濃度の上昇が、SMK因子の立体構造ではなく、このキラー因子の標的細胞の感受性そのものに対して影響を与えていることを示唆している。

SMK因子の構造と機能の関係

 塩基性残基は、SMK因子分子の下部にかなり局在して分布していた。AS結晶とPEG結晶の差は、前者では塩基性残基の近傍に幾つかの硫酸イオンが静電的に結合している(6箇所)のに対して、後者ではそうした硫酸イオンが存在していないことにあった。SMK因子には細胞膜を破壊する作用があるらしいことが明らかにされつつある。硫酸イオンとリン脂質の親水性頭部との構造類似性に照らして考えると、同蛋白質の細胞膜に対する作用部位は、硫酸イオン結合部位が集中している分子底部であると推定される。

SMK因子とKP4因子との比較

 SMK因子と一次構造上ホモロジーのある蛋白質は現在のところ見い出されていない。しかしSMK因子の立体構造は、KP4因子という担子菌Ustilago maydisの産する単量体型のキラー因子と極めて類似していることが明らかとなった。両蛋白質は、共に/ sandwichと呼ばれるフォールディングパターンに属しているが、そのフォールディングトポロジーは全く同一であった。/ sandwich構造中にはsplit モチーフという構造単位が頻繁に見い出される。この構造単位には、右手系、左手系の2通りの繋がり方があり、右手系の方が左手系よりも圧倒的に多いことが知られている。両キラー因子は、それぞれ2つのsplit モチーフを有しているが、何れも稀にしか見られない左手系であった。こうした立体構造上の共通点が、キラー因子という範疇に分類される両蛋白質に分かち合われているという事実は、両者の間に進化的或いは機能的な関係があり得ることを示唆している。

SMK因子のpH依存的な解離、変性の機構

 酸性残基も、SMK因子の分子下部に局在して分布していた。その内の幾つかは、カルボキシル基同士の水素結合を形成している(図1)。これらの相互作用に於ける中性カルボキシル基がpHの上昇に伴い脱プロトン化し、負に荷電したカルボキシル基の間の反発により構造不安定化が起こり、最終的にサブユニットの解離が起こることが予想される。

 こうした推測を検証し、更に詳細な情報を得るために、MSを用いてSMK因子の解離、変性機構を解析した。エレクトロスプレーイオン化質量分析法(ESIMS)は、イオン化条件が穏和であり、native状態の蛋白質を検出することが可能であるため、この手法を用いてSMK因子のpH滴定実験を行った。質量分析計はThermoquest製のTSQ700を用いた。図2にSMK因子の質量スペクトルを示す。pH4.5より酸性側ではヘテロ二量体が圧倒的に強く検出されているが、pH4.6付近になるとその強度が急激に落ち込み、各サブユニットに解離していることが分かる。pH3.5、pH4.5に於けるヘテロ二量体の多価イオンは、分布幅が狭いこと等から、高次構造を保った状態にあることを示唆しており、SMK因子は解離の直前までnative状態を保持していると考えられる。同様の結果は、CDスペクトルによっても観測された。

図2ESIMSを用いたSMK因子のpH滴定実験の結果(a)pH3.5、(b)pH4.5、(c)pH4.6、(d)pH4.7に於けるESI質量スペクトルを表示した。HD、は、それぞれヘテロ二量体、各サブユニットの多価イオンピークを示し、また肩の数字はそのイオンの価数を表している。

 これらの結果から推定されるSMK因子の解離、変性過程は、図1に示した複数のカルボキシル基間水素結合が無秩序に壊れることにより、全体構造が徐々に崩れて解離に至るような、非協同的な過程ではなく、むしろ、ある特定のカルボキシル基の脱プロトン化を直接的な端緒として、変性、解離が急激に起こるような、協同的、二状態的な過程であると考えられる。

結論

 SMK因子の成熟型蛋白質を、X線結晶構造解析、MS等の手法を用いて研究し、以下の様な知見を得た。

 ・SMK因子の成熟過程に於いて失われるペプチドの存在部位、及びその存在の有無が成熟型蛋白質の構造に及ぼす影響を明らかにした。

 ・SMK因子の活性の塩濃度依存性の原因が、SMK因子の立体構造の変化ではなく、同キラー因子の標的細胞の感受性にあると考えられることを示した。

 ・SMK因子の細胞膜に対する作用を反映すると推定される、塩基性残基クラスター部位を確認した。

 ・SMK因子と担子菌産生キラー因子との間に、進化的、機能的関連があり得ることを見い出した。

 ・SMK因子のpH依存的な解離、変性現象のメカニズムを、分子構造レベルで明らかにした。

 ・尚、SMK因子のMSによる構造研究に於いては、ESIMSによる蛋白質のpH滴定実験を行い、蛋白質の構造、物性の研究にそれが有効であることを示すことができた。

審査要旨

 酵母などのある種の株は,キラー因子とよばれる蛋白質を分泌し,競合する他の株などを死滅させる。味噌麹中より見い出された耐塩性酵母Pichia farinosa KK1株が産生するSMKキラー因子は,一本鎖の前駆体蛋白質が翻訳後修飾を受け,のサブユニットから成る分子量約14,000の成熟型蛋白質として分泌されて,キラー活性を示す。その作用機序に関しては,感受性株のアデノシントリホスファターゼとの関連や,細胞膜に対する非特異的な破壊作用などが指摘されている。

 酸性下で構造的に安定なSMK因子の作用機序を三次元構造の知見に基づいて明らかにすることは,有用微生物の選択的な利用のみならず,細胞生物学の諸相の理解にも重要である。本論文の研究では,X線結晶構造解析によってSMK因子の三次元構造を解明し,さらに,質量分析法等を併用してその構造安定性などを解析している。

SMKキラー因子の三次元構造

 研究では,まず,硫酸アンモニウム(AS)溶液により析出させた正方晶系に分類されるAS析出結晶について,多重重原子同型置換法のX線結晶構造解析によって,成熟型SMK因子の三次元構造(挿入図に示す)を分解能1.8Åで解明した。構造は,両サブユニットが協同して折り畳んだ,単一のドメインからなる楕円体型をとり,5本鎖の逆平行シートの片面に2本のヘリックスが並んで配置する/サンドイッチの折りたたみに二次構造的には分類される。SMK因子の三次元構造は担子菌Ustilago maydisが産するKP4キラー因子との類似性を有し,両者の間には進化的および機能的に密接な関連性があることも見出している。

図表

 SMK因子の前駆体には,のサブユニットの間に,約60残基からなるペプチドが介在する。サブユニットのC末端とサブユニットのN末端は,成熟型分子の上部に近接していることから,前駆体分子の上部を覆い隠すように独立したドメインとして存在しているペプチドが切り出されて露出する分子の上部表面が活性の発現に重要であると考察している。

 さらに,ポリエチレングリコールを結晶化剤として,AS析出結晶とほぼ同型なPEG析出結晶を得て,分解能1.8ÅでのX線結晶構造解析を行っている。これら結晶中のSMK因子の三次元構造は,原子座標の根二乗平均偏差の値が原子間で0.16Å,全非水素原子間で0.32Åと小さく,ほぼ同一である。しかし,AS析出結晶では塩基性アミノ酸残基の近傍の6ヶ所に硫酸イオンが結合しているのに対して,PEG析出結晶ではこれら硫酸イオンは存在しない。塩基性残基はSMK因子の分子下部に多く局在しており,この硫酸イオンの結合部位が集中している分子底部が同因子の細胞膜に対する作用部位であると考察している。

SMK因子のpH依存的な解離と変性

 SMK因子の分子下部に酸性残基も局在し,いくつかはカルボキシル基同士の水素結合を形成している。水素結合を形成して静電的に中性なカルボキシル基がpHの上昇に伴って解離し,静電的に反発してサブユニットの解離をもたらすと考えられる。

 解離機構に関するさらに詳細な知見を得るために,エレクトロスプレーイオン化質量分析法(ESI-MS)を用いてSMK因子のpH滴定実験を行った結果,酸性側ではもっぱらヘテロ二量体が検出されるが,pH4.6以上では急激に各サブユニットへの解離が起こることを見出した。ヘテロニ量体のESI-MS多価イオンの分布状態等から,SMK因子は解離の直前まで高次構造を保持すると考えられ,円偏光二色性(CD)スペクトルによっても同様の結果を得た。これらの結果から,SMK因子の解離と変性の過程は,特定のカルボキシル基間の水素結合の切断を端緒として協同的に急激に起こる二状態的な過程であるとしている。また,CDスペクトル測定では,NaCl濃度の変化に伴う二次構造の変化が認められず,塩濃度の上昇は,SMK因子の三次元構造ではなく,その標的細胞の感受性に影響を及ぼすとの可能性を指摘している。

 本論文は,耐塩性酵母のSMKキラー因子について,三次元構造をX線解析により明らかにし,その成熟過程,細胞膜との相互作用部位,類縁蛋白質との進化的および機能的な関連性,解離と変性のpH依存,活性の塩濃度依存などについて有用な知見を与えている。よって,本論文は,蛋白質の構造化学,構造生物学および薬学に寄与するところ大であり,博士(薬学)の学位の授与に値する内容を有すると判定した。

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