学位論文要旨



No 214456
著者(漢字) 牧野,眞吾
著者(英字)
著者(カナ) マキノ,シンゴ
標題(和) コンビナトリアルライブラリーのスクリーニングを目的とした、フレキシブルな分子のドッキング方法の開発
標題(洋)
報告番号 214456
報告番号 乙14456
学位授与日 1999.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14456号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
内容要旨

 薬物は標的生体高分子に結合することで、その生理活性を発現することが知られている。したがって、酵素などの受容体の立体構造が解明されてる場合は、その受容体に対して特異的に結合可能な化合物をコンピュータで選択または設計できれば、新規阻害剤の創出に大きく貢献できるはずである。さらに、近年のX線やNMRによる三次元タンパク構造解明の加速化、コンピュータの高性能化、ドッキング計算のプログラム開発により、Structure Based Drug Design(SBDD)を行う基盤が整えられてきた。この方法では、立体構造が解明されている受容体に対して活性未知の化合物をドッキングして、その複合体の安定性を評価することで合成やアッセイする化合物を選択する。この計算で大きな問題となるのは、回転可能結合(フレキシブル結合)による非常に多くのコンフォメーションが、ドッキング対象化合物にとって可能な点である。ドッキング計算で構造的自由度を考慮するには多大な計算時間と適切な計算アルゴリズムが必要であるため、初期のドッキング計算では、この自由度を完全に無視した計算が行われていた。その後、構造的自由度を無視したドッキング計算でHIVプロテアーゼに阻害活性がある化合物が発見されて注目を集めたが、データベース中の化合物の初期コンフォメーションが受容体と複合体形成できる可能性は極めて低いので、ドッキング計算の精度向上には化合物の構造的自由度の考慮が必然である。しかし、化合物のフレキシブル結合数が多いとコンフォメーション空間が莫大になるので、構造的自由度を考慮したドッキング計算を大規模化合物データベースに適用するのは非常に困難である。したがって、ドッキング計算方法の大幅な効率化が望まれる。

 まず、構造的自由度を考慮した自動ドッキング計算のプログラムを構築した。本研究のドッキングにおけるコンフォメーション探索では、化合物中の構造的自由度を有さないフラグメントをドッキングした後、順次フラグメントを付加して受容体中でコンフォメーション探索を行う方法(階層的コンフォメーション探索法)を採用した。この階層的コンフォメーション探索法では、受容体構造によりドッキング対象化合物のコンフォメーション空間が制限されるので、化合物のコンフォメーションを発生させてから、受容体にドッキングする方法に比較して効率がよいと考えた。また、ドッキング対象化合物を特別な水素原子タイプでプロトン化した後、局部的相互作用に基づいてその水素原子の有無を変化させることにより、化合物の複数プロトン化状態を同時に考慮してドッキング計算する方法を開発した。(図1)

図1 化合物の複数プロトン化状態を同時に考慮したドッキングと階層的コンフォメーション探索

 開発したプログラムを用いてACD15068化合物をジヒドロ葉酸還元酵素に対してドッキングして得られた上位36個の化合物を示したが、既知阻害剤(MTX)とその誘導体の多くが安定複合体を形成可能だと判断されて選択されているのがわかる。(図2)

図2 ACD15068化合物のジヒドロ葉酸還元酵素に対するドッキング結果

 次に、仮想化合物ライブラリー生成とその効率的なドッキング計算を行うプログラムの開発を行った。これまで、受容体構造から阻害活性を有すると思われる仮想化合物を自動発生するプログラム(DENOVOプログラム)について数々の報告がなされてきたが、ほとんどの報告では有機合成ルートを考慮せずに仮想化合物を生成しているので、シュミレーションで有望な化合物を見付けても、それを実際に合成することは非常に困難であった。また、アミド結合構築が可能なプログラムも存在したが、合成できる化合物の多様性は極めて限定され、「薬らしさ」を欠如する可能性が高いと考えられる。以上の問題を回避するために、アミド化縮合反応に限定しない仮想有機化学反応により化合物ライブラリーを生成するプログラムを開発した。しかし、仮想反応により生成される化合物ライブラリーを階層的にコンフォメーション探索すると、反応基質由来の共通部分構造を繰り返しドッキングすることになるので、計算効率の点で好ましくない。そこで、反応基質のドッキング計算を行った後、そのコンフォメーション情報を仮想反応の過程で反応生成物に継承させることで、反応生成物の共通部分構造を同時にドッキングできるようにした。(図3)

図3 仮想有機化学反応とコンフォメーション継承

 また、安定複合体を形成できない反応中間体を効率的に除去できることも、仮想反応とドッキング計算を順番に行うことの利点である。(図4)

図4 ドッキング計算による反応中間体の効率的除去

 さらに、この共通部分構造の同時ドッキング方法の概念を拡張し、反応生成物の類似部分構造を考慮してコンフォメーション探索の対象空間を限定することでコンフォメーション探素を効率化するプログラムの開発を行った。このプログラムは、ドッキング対象化合物をクラスター化した後,各クラスターの代表化合物のドッキング計算により得られるコンフォメーションにより、クラスター中の個別化合物のコンフォメーション探索空間を制限することでドッキング計算を効率化する。(図5)この計算方法を使用したテストにで、計算時間が5倍以上に短縮できることが判明した。

図5 プログラムELECT++の化合物類似性によるコンフォメーション探索効率化法

 また、真空中のドッキング計算では考慮されない溶媒効果を複合体の安定性評価に反映させるために、複合体形成時に解放される水分子によるエントロピー増加量を近似する評価関数の開発についても行った。まず、レセプター内部を20方向に伸張したベクトルにより定義した後、レセプター内部のリガンド体積を計測して水分子によるエントロピー増加に比例量だと考えた。(図6)この評価方法を使用して、ドッキング結果のコンフォメーションを選択したところ、計算結果と阻害活性値に高い相関を見出すことができた。

図6 解放される水分子によるエントロピー増加量を近似する評価関数

 本研究では、これまでのドッキング計算の分野で頻繁に行われてきた既存化合物ライブラリーのスクリーニングや、少数の合成困難な化合物の設計を主目的とするのではなく、特に、コンビナトリアルライブラリーの設計に重点を置いてプログラムを開発した。今後は、これらプログラムによる化合物ライブラリーの設計を通じて創薬効率化に貢献したいと考えている。

審査要旨

 本論文は、コンビナトリアルライブラリーの設計に重点を置いて、そのスクリーニングを目的としたフレキシブルな分子のドッキング方法の開発について述べたものである。

 第一章では、大規模化合物ライブラリーのスクリーニングに応用可能な、ドッキング対象化合物の構造的(コンフォメーション)自由度を考慮したドッキング計算のプログラムを構築している。本論文におけるドッキングのコンフォメーション探索では、化合物中の構造的自由度を有さないフラグメントをドッキングした後、順次フラグメントを付加して受容体内部でコンフォメーション探索を行う方法(階層的コンフォメーション探索法)を採用している。この方法においては、ドッキング対象化合物のコンフォメーション空間が受容体構造により制限されるので、化合物のコンフォメーションを発生させてから受容体にドッキングする方法に比べて効率的である。一方、ドッキング対象化合物のプロトン化状態は、受容体との相互作用に大きな影響を与えるが、受容体内部の局部的酸性度がバッファの酸性度と異なるなどの理由により、ドッキングに先立って化合物のプロトン化状態を決定することは不可能であると考えられる。そこで、ドッキング対象化合物を特別な水素原子タイプでプロトン化して、受容体との局部的相互作用に基づいて水素原子の有無を変化させることにより、ドッキング計算において複数プロトン化状態を同時に考慮することを可能にしている。さらに、ドッキング計算のスピード向上を目的として、複合体エネルギーの評価方法、コンフォメーション探索法、構造安定化方法の改良を行って、大規模化合物ライブラリーをスクリーニングするためのプログラムを開発している。次に、X線結晶解析で三次元構造が解明されているリガンド/受容体複合体を用いて、開発したプログラムのドッキング計算のテストを行い、X線複合体構造をほぼ再現できることを明らかにしている。さらに、大規模データベース(ACD)の15068化合物をジヒドロ葉酸還元酵素に対してドッキング計算したところ、計算に使用した化合物中に存在する既知阻害剤とその類似化合物のほとんどを高順位で選択できることを見い出している。この結果は、ドッキング計算により化合物データベースから活性を有する化合物を選択できるケースがあることを示し、特定の標的受容体に対する阻害剤の開発において、購入対象化合物を選択するための一次スクリーニングとして役立つ可能性を示したものと評価される。

 第二章では、仮想化合物ライブラリーの生成とその効率的なドッキング計算を行うプログラムである「DREAM++」の開発について述べている。これまでに報告されている仮想化合物を自動発生するプログラム(DENOVOプログラム)の多くは、生成する化合物の合成の容易さについては考慮していないので、プログラムにより選択された仮想化合物を合成するのが非常に困難な場合もままあった。また、アミド結合により仮想化合物を生成させるプログラムも報告されているが、化合物の薬らしさ、多様性などの点で問題があると考えられる。こららの問題に対して本論文は、反応試薬と有機反応を用いて仮想化合物ライブラリーを簡便に発生するプログラムの開発を目指している。有機反応により仮想ライブラリーを生成すれば、ドッキング対象化合物の数と多様性を大幅に拡大できると同時に、ユーザーが適切な試薬(市販試薬)と有機反応を選択することで、これらの化合物を現実的に合成できる可能性を高めることができる。また、現在のコンピュータによる阻害活性予測の信頼性が十分ではないことを考慮すると、特に、コンビナトリアルケミストリーの手法で、数多くの化合物を合成できることが望ましい。近年、コンビナトリアルライブラリーのドッキング計算によるスクリーニングを目的としたプログラムが報告されるようになったが、基本骨格に結合した各フラグメントのセットを独立にコンフォメーション探索する方法に限定されており、フラグメントのセットが他のフラグメントのセットに結合している場合に適用することはできなかった。これに対して本論文では、反応基質のドッキング情報を反応生成物に継承させることで、反応基質に由来する生成物の共通部分骨格を同時にドッキング計算することに成功している。「DREAM++」をテストするため、X線複合体構造と阻害活性値が判明しているHIVプロテアーゼ阻害剤のドッキング計算を行って、ドッキング結果と実験値の比較を行っている。その結果、リガンドの一部が受容体の外部に突出している複合体であっても分子力場評価では安定であると判断されてしまうことが判明し、始めは計算結果と活性実測値との良い相関を得ることができなかった。しかしながら、特定の結合様式を有するコンフォメーションを選択することにより、サンプリングされたリガンドのコンフォメーション数と阻害活性値の間に高い相関が得られることを明らかにしている。特に、本論文で開発した複合体安定性の評価方法である「受容体内部のリガンド体積」は、リガンド結合の際に解放される水分子によるエントロピー増加量を近似的に評価する方法として、非常に有用であると考えられる。さらに、仮想化合物ライブラリーを生成して、HIVプロテアーゼに対してドッキング計算を行った結果、受容体と非常に相補性の高い仮想化合物が多数得られている。これにより、仮想化合物ライブラリーを生成してドッキング計算による複合体の安定性評価を行うことで、合成するライブラリーの種類と試薬の適切な選択を行える可能性を示したと言える。

 第三章では、反応生成物が有する共通部分構造の同時ドッキング法の概念を拡張し、反応生成物の類似部分構造を考慮してコンフォメーション探索の対象空間を限定することで、コンフォメーション探索を効率化するプログラム「ELECT++」の開発について述べている。「プログラムDREAM++」で採用した仮想有機反応におけるコンフォメーション継承という概念の導入により、反応基質由来の共通部分構造のコンフォメーション探索を同時に行うことが可能になり、ドッキング計算を効率化することができた。しかし、仮想有機化学反応によって非常に大規模な仮想化合物ライブラリーの生成が可能になったので、さらにドッキング計算を効率化することが望ましい。「ELECT++」は、ドッキング対象化合物をクラスター化した後、各クラスターの代表化合物を使用したドッキング計算により得られるコンフォメーションを、クラスター中の個別化合物のコンフォメーション探索に応用することで、対象とするコンフォメーション空間を制限してドッキング計算を効率化する。実際には、ドッキング対象化合物を直接的にクラスター化するのではなく、それを生成する反応試薬をクラスター化するので、一度クラスター化を終了してしまえば、それらの試薬を使用して生成される種々のライブラリーに対してクラスター化を行う必要はない。従来、化合物の構造的自由度を考慮したクラスター化の報告はなく、本論文が最初の例である。試薬のクラスター化においては、試薬データベース中の化合物の重複が最大になるように様々なコンフォメーションを発生させる必要がある。この反応生成物の類似部分構造を利用したコンフォメーション探索効率化のアルゴリズムの精度とスピードをテストするため、本論文では、「DREAM++」と「ELECT++」の両プログラムを使用して同一の仮想化合物ライブラリーを生成して、ドッキング計算を行って計算結果を比較している。その結果、「DREAM++」に比較して「ELECT++」では4.8〜6.6倍の計算時間の短縮がなされている。また、計算精度についても、安定複合体であると評価された化合物に関しては、「DREAM++」と「ELECT++」の両ドッキング計算結果は、ほぼ同様であることを明らかにしている。また、計算結果を詳細に解析することにより、さらに計算効率を向上させるための指針も得ている。

 以上、本論文は、医薬品化学の分野に貢献するところ大であり、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク