学位論文要旨



No 214457
著者(漢字) 常包,正樹
著者(英字)
著者(カナ) ツネカネ,マサキ
標題(和) 生体光情報計測のための広帯域波長可変コヒーレント光源の研究
標題(洋)
報告番号 214457
報告番号 乙14457
学位授与日 1999.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14457号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久我,隆弘
 東京大学 助教授 坪野,公夫
 東京大学 助教授 末元,徹
 東京大学 教授 黒田,和明
 東京大学 助教授 山本,智
内容要旨

 生命と光との関係はおよそ切っても切れない。ほとんどの生命体は生まれ出てより光に常にさらされ、光との相互作用を通して育成、進化してきた。またその過程で太陽からの光エネルギーを巧みに利用する技を身につけてきた。植物の葉緑体で行われる光合成はその最たるものである。こうした背景により、生体内には光と特徴的な反応を示す内在的色素や代謝酵素が数多く存在する。

 そこでレーザーなどの光源を用いて光を生体に照射し、その透過特性を測定すれば、生体内部の情報を無侵襲、非接触に得ることができる。特に有意義で興味深いのは、先に述べたような生体内の色素や酵素に関わる特定の波長の光を用いたり、複数の異なる波長の光を用いて測定を行いてその差分を取るなどの分光学的な手法を組み合わせることで、形態情報のみならず成分的ないし機能情報の収集も可能になる点である。さらに透過光測定を3次元に発展させた、いわゆる「光CT」の実用化も精力的に進められている。これは先に述べたように生体内の成分的、機能的画像情報の入手が可能になるという点と、X線CTに代表される現行の生体断層画像診断装置と異なり、測定時に生体に与えるダメージが少ないと考えられる点から大きな期待が寄せられている。

 これらの透過光測定において重要なことは、生体を透過した微弱な直進光信号を散乱光成分から分離していかに高精度に検出できるかという点である。これには連続(cw)光を用い、直進光成分は波面と偏光が保存されるという考えに基づき、光ヘテロダイン検出法を応用して入射光と同じ波面及び偏向成分のみを取り出して検出する方式が提案されている。この方法は光ヘテロダイン法の優れた検出感度の高さから、吸収、散乱の激しい生体試料を透過した微弱光においても検出が可能であり、また逆に試料への入射光強度が〜10mW程度まで下げることができるため、生体に与えるダメージが少ないという特長がある。

 そこで本研究では、このコヒーレントゲート方式による生体の透過画像計測に必要なcw波長可変コヒーレント光源をテーマとして、将来有望ないくつかの波長可変光源を取り上げ、その高性能化、特に全固体化と広帯域化に重点を置いて実験及び検討を行った。

 まず、現在実用化されている、あるいは実用化に近いレベルに達している2種類の波長可変レーザー、Ti:サファイアレーザーとCr:LiSAFレーザーについて取り上げた。生体光情報計測に適用するに当たり、大きな課題であったその全固体化、広帯域化、ローノイズ化を研究テーマに取り組んだ。その結果、Ti:サファイアレーザー励起用、高出力・ローノイズLD励起内部共振器型Nd:YAGレーザーの実験試作に成功した。6Wを越えるcwグリーン高出力と-130dB/Hz以下のローノイズ特性が得られたが、特にノイズについてはmode-couplingによる新しいノイズ抑制方式により、マルチ縦モードでありながら現在市販されている全固体グリーン光源に比べ、10dB以上低周波ノイズを除去することに成功した。また、この励起グリーン光源のローノイズ化はそのままTi:サファイアレーザーの波長可変光出力のローノイズ化に直結することが確認できた。この研究結果により光源がローノイズ化されることで、生体光情報計測における測定のダイナミックレンジが広がり、肉厚にして約1cm、より厚い生体試料の計測が可能になる、あるいは生体への入射光量を下げることができるために、目やその周辺組織に対する安全度を上げることができる。

 またLD励起が可能でありながら得られるゲインが低く、広帯域動作が難しいとされていたCr:LiSAFに、グレーティングを副共振器に用いた複合共振器を採用することで、広帯域動作が可能になることを実験及び理論解析から示した。複合共振器型Cr:LiSAFレーザーの波長可変動作を実験的に理解し、そのメカニズムをモデル化することで理論的にその動作を再現することができた。さらにその結果から、LD励起に適した低閾値で、広帯域動作を可能にするための新しい方法として、Cr:LiSAFの誘導放出断面積の波長依存性をカップリングミラーの反射率の波長依存性で補償するという方法を提案した。この方法により200mW以下の低い発振閾値で200nmにわたる広帯域波長可変が可能になる可能性が示された。また今回モデル化することで確立した複合共振器の動作解析、あるいは広帯域化のための設計手法は、他のあるいはこれから新たに出現するあらゆる波長可変固体レーザー媒質に対して適用でき、特にゲインの低い媒質に対しては非常に有用である

 さらに、近い将来実用化されるであろうcw光パラメトリック発振器について検討した。これはレーザーとは異なり非線形光学により格段に広い波長範囲で動作可能で、特にレーザーでは得ることのできない可視域や1m以上の赤外域での波長可変光源として期待されている。本研究では、その共振器ミラーに新たに開発に成功した広帯域高反射ミラーを採用することで、これまで期待されながらも実証されていなかった広帯域波長可変動作に世界で初めて成功した。その結果、1枚のミラーを用いて0.8から1.6mにわたりほぼ連続的に波長を可変させることができた。下図は非線形光学結晶(MgO:LiNbO3)の温度に対するOPO光の波長変化の様子を示す。また、その発振スペクトルは単一縦モードであった。さらに今回の実験結果から、用いる非線形光学結晶に特異な波長可変特性(波長の飛び)が新たに観測された。そこで光パラメトリック発振動作の実験および理論計算、非線形光学結晶に固有な2波長同時共振特性(クラスターカーブ)、パラメトリックゲインのバンド幅の計算などから総合的な解析を行い、最終的にその同調特性の特異性が、用いた広帯域共振器ミラーが有する周期的なごくわずかな反射率の落ち込みに起因していることを明らかにした。この反射率の落ち込みは、理論計算からは推測できるものの、分光光度計では測定が不可能なほど急峻でかつわずかなものであるが、cw光パラメトリック発振器に適用する場合には、その動作に大きな影響を与える。この研究結果は、今後、cw光パラメトリック発振器の広帯域波長可変光源としての可能性に大きな前進を与えるだけでなく、その波長可変特性において重要な新しい知見を与えるものである。

図表

 さらに本研究では、固体レーザの高性能をはかる2つの新しい提案について取り上げた。1つ目の端面励起の複合型レーザー結晶構造は、固体レーザー内で発生する熱による悪影響を効果的に緩和できる新しい構造である。これによって波長可変レーザーを含むあらゆるレーザー結晶内での温度上昇、熱レンズ、熱複屈折、熱歪みを大幅に緩和できる。理論計算を交えた様々なレーザー媒質に適用した実験結果を報告する。特に温度上昇に対して特性の劣化が著しい準3準位系媒質に適用した場合、非常に有用で、Nd:YAGの946nm準3準位発振実験では、複合結晶を用いることで、レーザー出力は2倍以上向上した。

 また2つ目としてTi:サファイアレーザー励起用に試作した内部共振器型レーザーのローノイズ化について、その物理的メカニズムから詳細に検討した。その結果mode-coupling現象を明らかにし、実験を中心にしたその動作特性を解析した。さらに他に有効なローノイズ方式の提案されていないNd:YAGの946nm準3準位発振の内部共振器型ブルーレーザーにこの方式を初めて適用し、マルチ縦モード動作でのローノイズ化に成功した。本方式の汎用性、有用性を改めて実証することができた。

 最後に、本研究で試作した全固体Ti:サファイアレーザーを、実際に生体の透過画像計測の光源として適用した。従来のArイオンレーザー励起Ti:サファイアレーザーでは低周波領域のノイズのために測定できなかった800nm帯での2次元透過画像計測が、本研究の成果である全固体化によって初めて計測に成功した。その結果、果実(ミカン)の内部の構造が明確に映し出され、またヒトの中指関節周囲の血管の形状を鮮明に画像化することが出来た。全固体化によって、単なる高効率化に留まらず、レーザー発振メカニズムの制御による低ノイズ化が実現できたことで、本研究の意義や重要性、有用性を応用面からも実証、再確認することが出来た。

 本研究によって生体光情報計測に適したcw広帯域波長可変コヒーレント光源のいくつかの基本設計の概念が確立できた。今後はこの結果を踏まえた、実用化への次のステップへの進展が期待される。

審査要旨

 よく晴れた日に手の平を太陽にかざすと「真っ赤な血潮」が観測される。これは太陽光が手の平を形作る原子に散乱されて手の平全体が光って見えることによるわけだが、明るく見えるということはとりもなおさず太陽光が散乱を繰り返して生体内を透過してきたということである。この透過光の中で一度も散乱を受けずに透過してきた光は、特に「弾道光子」と呼ばれ、生体内の骨格などの形態情報を知る上で重要な役割を演じる。

 弾道光子の測定法にはタイムゲート方式とコヒーレントゲート方式の2種類があり、前者はピコ秒光パルスなどを用い遅滞なく生体中を進行してきた弾道光子を選択的に高い時間分解能で測定する方法、後者は連続光源を用い生体を透過してきた弾道光子の波面と偏波方向が保存されていることから、それを光ヘテロダイン法で高感度に測定する方法である。特にコヒーレントゲート方式は光源(レーザー)の雑音を限界まで抑圧することで、生体に損傷を与えない程度の微弱光で測定ができ、また、レーザー周波数を可変にすることで生体内の形態情報のみならず、血中ヘモグロビン、ミトコンドリア中のチトクロームなどの吸収帯に周波数をあわせることで、それらの機能情報までも引き出すことが可能である。

 本論文はこのコヒーレントゲート方式による生体の透過画像計測に必要な連続発振波長可変コヒーレント光源の開発からその雑音特性までを議論している。なかでも低雑音光源の開発中に著者等が発見した、受動周波数変調動作中におこるモード競合を積極的に利用した2倍波強度の安定化やその動作解析は、レーザー応用の視点からも画期的な業績であるが、レーザー共振器内の非線形媒体を介在した縦モード間の結合や、自動的に位相整合条件が満たされる議論は物理的にも非常に興味深い。

 以下に具体的に審査要旨を記述する。

 本論文は、7章からなる。第1章は序論として、生体の光情報計測とその光源について概観している。第2章では著者等が開発した波長可変レーザーについて記述している。LD励起内部共振器型Nd:YAGレーザーにより532nmで最大6.3Wの連続出力を得、それを用いてTi:sapphireレーザーを励起し800nmにおいて1.4Wの単一縦モードを実現している。また、雑音特性も100kHz以下の帯域で130dB/Hz以下と通常のレーザーに比較して10dB以上の改善を得ている。

 第3章はさらに広帯域で発振可能な連続発振光バラメトリック発振器について議論している。著者等の開発したグリーンレーザーを励起光源としてMgO:LiNbO3、LBOの2種類の結晶について波長同調特性を実験と理論の両面から比較検討している。超広帯域高反射鏡を共振器に用いることで、波長にして0.8〜1.6mまでの広帯域で波長可変が実現し、両者の温度位相整合特性を詳細に検討することで、安定性の高い広帯域光バラメトリック発振器の設計指針などを明らかにしている。

 第4章は固体レーザーを高性能化するためのいくつかの新しい試みを行っている。特に固体レーザー結晶内で発生する熱を効率的に逃がすことのできる複合型結晶を視野に入れた計算機シミュレーション及び実験を行い、レーザー系を最適化することでNd:YAGの946nm準3準位発振実験において複合結晶を用いることでレーザー出力を約2倍に増強することができている。

 第5章は、著者等が新型固体レーザーを開発している際に発見した受動周波数変調レーザー動作について、その動作原理の解明や特性について計算機シミュレーションと共振器内部2倍波発生実験から議論している。基本波の縦モード間に特定の位相差が保持されることで和周波を介在して縦モード間のエネルギー的な結合が弱まり、その結果2倍波における雑音が抑制されることを明らかにしている。このレーザー共振器内の非線形媒体を介在した縦モード間の結合や、自動的に位相整合条件が満たされる議論は物理的にも非常に興味深いものである。

 第6章は筆者等が開発した全固体Ti:sapphireレーザーを用いて実際の生体透過画像計測を行っている。従来の方式では低周波数領域の雑音のために測定が不可能であった800nm帯での2次元透過画像計測がこのレーザーにより初めて実現している。具体的にはミカンの内部構造、ヒトの中指関節周囲の血管の形状が鮮明に映し出されている。

 第7章は全体のまとめとなっている。

 以上のように本研究は、新しい低雑音レーザー光源を開発することで生体計測分野の大きな発展に貢献したばかりでなく、開発の段階で明らかになった共振器内部2倍波発生強度の低雑音化の物理的機構を実験・理論の両面から検討・解明した。その結果、全固体化によるレーザー発振の高効率化にとどまらず、受動周波数変調レーザー動作といわれる共振器の縦モード間競合を非線形媒質を介在させて効果的に利用する、新しい2倍波強度の低雑音化手法を生み出した。また、本研究により生体光情報計測に適した連続発振広帯域波長可変コヒーレント光源の基本設計概念がほぼ確立し、この結果を踏まえた実用化のための次のステップが今後期待される。

 なお、本論文は、一部、稲場文男氏、田口昇氏、井原正博氏、笠松直史氏、木村信二氏、木村美紀雄氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が大部分であると判断する。

 以上の理由により、本論文は、博士(理学)論文として十分に評価できると審査委員全員が認め、合格と判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54140