Ph1染色体は慢性骨髄性白血病(Chronic myelogenous leukemia:CML)および急性リンパ球性白血病(Acutelymphoblasticleukemia:ALL)で認められる染色体異常であり、融合遺伝子産物p210bcr/ablが産生されることが疾患の原因であると考えられている。p210bcr/ablの生体内における造腫瘍性を解析する目的では、マウス骨髄細胞を採取し、p210bcr/ablを発現するレトロウイルスを感染させ、放射線照射をした同系マウスに移植する骨髄移植実験が主に行われており、移植を受けたマウスにCML、ALL、macrophage tumor、lymphoma、erythroleukemia、reticulumcellsarcomaを含めた様々な造血器腫瘍が発症する事が知られている。これに対し、本研究はトランスジェニックマウスの手法を用いてp210bcr/ablの生物学的機能の解析を行うとともにPh1染色体陽性白血病のモデルマウスの作製を行ったものであり、以下の結果を得ている。 1・メタロチオネインプロモーターを用いてp210bcr/ablのトランスジェニックマウスを作製し、得られた6匹のファウンダーマウスのうち2匹およびその子孫のトランスジェニックマウスに再現性よく急性白血病の発症を認めた。白血病マウスでは末梢血に顆粒を持たないリンパ芽球様の細胞が増殖しており、胸腺、脾臓およびリンパ節の腫大も認め、ほとんど全ての臓器に白血病細胞の浸潤を認めた。白血病細胞の浸潤臓器にはp210bcr/abl蛋白質の発現および細胞内蛋白質のチロシンリン酸化の亢進を認め、発現したp210bcr/abl蛋白質は高いキナーゼ活性を示した。また、Flow cytometryを用いた表面抗原の解析では白血病細胞はThy1.2というT細胞系の抗原を高発現しており、さらにSouthem blotでT細胞受容体遺伝子に再構成を認めたことから、モノクローナルなT細胞性腫瘍であることが明らかとなった。以上の結果から、p210bcr/ablはALLの原因遺伝子になりうることを証明し、p210bcr/ablトランスジェニックマウスの作製に初めて成功した。 2・白血病を発症するラインと発症しないラインが生じる原因を解析するため、子孫にトランスジーンを安定に伝える4ラインにおいてトランスジェニックマウスの各臓器におけるp210bcr/ablmRNAの発現をRT-PCR法にて検討した。メタロチオネインプロモーターの性質から予想される様にp210bcr/ablmRNAは様々な臓器に発現を認めたが、白血病を発症しない3ラインにおいてはp210bcr/ablmRNAの発現は脳、腎臓といった造血器以外の臓器で認めるのに対し、繰り返し白血病を発症するラインにおいては造血器である胸腺に発現を認めた。この結果は、胸腺におけるp210bcr/ablmRNAの発現が繰り返し発症するT細胞性白血病の原因となっていることを示唆すると共にp210bcr/ablの個体レベルでの造腫瘍性は造血器特異的である事を示しており、実際の臨床においてPh1染色体が造血器腫瘍に限って認められるという現象に動物モデルの面から根拠を与えるものである。 3・臨床的にはp210bcr/ablはCML、ALLで認められるのに対し、メタロチオネインプロモーターを用いたp210bcr/ablのトランスジェニックマウスではALLの発症しか認められていない。この問題を解決する目的で、本研究では新たに造血系前駆細胞で高い発現が認められるtec遺伝子のプロモーター領域約2kbのクローニングを行い、塩基配列の決定、転写開始点の決定およびプロモーター活性を確認を行った後、これを用いてp210bcr/ablのトランスジェニックマウスの作製を行った。その結果、ファウンダーマウスはALLを発症したのに対し、子孫のトランスジェニックマウスにCMLによく似た顆粒球増多を呈するマウスが出現した。ALLマウスは胸腺、脾臓、および皮下リンパ節の腫大を呈したのに対し、CMLマウスは脾臓および腸管リンパ節の腫大を呈した。ALLマウスでは、末梢血で幼若なリンパ芽球の増殖を認め、胸腺および脾臓も白血病細胞の浸潤を認めたのに対し、CMLマウスでは末梢血は成熟顆粒球がほとんどを占め、骨髄は著明な骨髄性細胞の過形成を呈し、腫大した脾臓およびリンパ節にも成熟顆粒球の増殖を認めた。Flow cytometryを用いた表面抗原の解析ではALLマウスの白血球はThy1.2というリンパ球の抗原を、CMLマウスの白血球ではGr-1という顆粒球系の抗原を高発現しており、各々の白血病細胞はリンパ球系および顆粒球系にcommitしていることが確かめられた。ALLマウスの腫瘍臓器ではp210bcr/abl蛋白質の発現を認め、またCMLマウスの末梢顆粒球でp210bcr/abl由来のmRNAの発現を認めた。CMLマウスについてその末梢血の血算および血液像の変化を経時的に検討したところ、血算は生後6ヶ月くらいから徐々に白血球の増加が始まり、それに伴って血液像では徐々に成熟顆粒球が増加している像が得られた。この結果はこの病態が慢性に経過していることを示しており、ヒトCMLの臨床経過に良く一致する。更に1匹のCMLマウスでは肺に芽球の増殖を認め、髄外性の急性転化の可能性が示唆された。以上の結果から、トランスジェニックマウスの系を用いてp210bcr/ablはCMLおよびALLという臨床的に異なる疾患の発症に関与しうることを初めて証明した。 4・これらのp210bcr/ablのトランスジェニックマウスは骨髄移植実験により作製されたマウスに比べて以下の利点があると考えられる。(1)骨髄移植実験では骨髄細胞を度in vitroで培養しp210bcr/ablを発現するレトロウイルスを感染させるが、発症する血液腫瘍がin vitroでの培養条件により大きく影響を受けることが知られている。また、移植に際して産生されるサイトカインによる影響も無視できない。この点、トランスジェニックマウスは外来性の因子の影響を受けにくく、安定して再現性の良い系である。(2)導入したトランスジーンは安定に子孫に伝わるので、トランスジェニックマウス同士の掛け合わせ、またはトランスジェニックマウスとノックアウトマウスとの掛け合わせ等によりin vivoにおいてp210bcr/ablの造腫瘍性の増強あるいは抑制作用を検討することが可能である。(3)骨髄移植実験ではerythroleukemia、macrophage tumor、reticulum cell sarcomaの様に臨床的にPh1染色体を認めない造血器腫瘍の発症が観察されるのに対し、トランスジェニックマウスではPh1染色体を有するCML、ALLのみが発症しており、より正確に生体内におけるp210bcr/ablの造腫瘍性を反映している可能性がある。 本論文は2種類のプロモーターを用いてp210bcr/ablのトランスジェニックマウスを作製しその解析を行ったものであり、初めての白血病マウス作製の成功例である。本研究はp210bcr/ablの生物学的作用およびその造腫瘍性に新らしい知見を加えるとともに新たなPh1陽性白血病のモデルマウスを確立したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。 |