序及び目的 赤痢菌によって引き起こされる細菌性赤痢は腹痛、発熱を伴う粘血性の激しい下痢症で、開発途上国では乳幼児の主な死亡原因の一つとして今日も大きな脅威となっている。赤痢菌はグラム陰性菌の一つで、A-D群の4亜群から成り、腸管組織侵入性大腸菌(EIEC)と共に、細菌性赤痢の起因菌として知られている。また、赤痢菌とEIECは共通に180-230kbの大プラスミドを有し、その上には主要なビルレンス因子がコードされている。赤痢菌の病原性発現には、菌の腸上皮への侵入とその後の細胞内・細胞間拡散が不可欠であり、拡散は、本菌の大プラスミドがコードするVirGタンパク質により行なわれる。細胞質内では、赤痢菌は菌体の一極にVirGタンパク質を分泌することによりアクチンの重合を行ない、これを原動力として細胞内及び隣接細胞へ拡散を行なう。
virG遺伝子の発現に影響を与える赤痢菌染色体上の因子として、kcpAと呼ばれる領域が古くから認められている。kcpA領域は、接合などによりS.flexneri 2aのpurE領域を大腸菌K-12株のものと置換すると、非病原性となる(セレニーテスト陰性、KcpA-)という事実から、赤痢菌染色体上のpurE遺伝子近傍のビルレンス領域として定義された。一方、赤痢菌と大腸菌は同一種と考えられるほど近縁であるにもかかわらず、赤痢菌の大プラスミドや、またはクローン化virG遺伝子を大腸菌K-12株に導入すると、VirGタンパク質の産生は、赤痢菌での発現と比較して大変減少するが、原因となる因子については不明であった。
そこで筆者は、赤痢菌の細胞内、細胞間拡散に必須なVirGタンパク質の発現を調節する因子について解析を行った。その結果、赤痢菌大プラスミド上に新たなビルレンス遺伝子virKを同定し、その性質について詳細に解析を行った。加えて、VirGタンパク質の発現に同様の影響を与え、kcpAとして長らくその本体が不明であった染色体上のビルレンス領域の本体について明らかにした。
結果 第一部 赤痢菌大プラスミド上のビルレンス遺伝子virKの同定と解析
(1)Tn10挿入変異による赤痢菌非病原性変異株の分離 B群赤痢菌(Shigella flexneri)YSH6000TにトランスポゾンTn10の挿入変異を行い、独立したTn10挿入変異株を2000株分離した。これらの変異株について、単層上皮細胞でのフォーカスープラーク形成試験(Fpテスト)を行い、細胞間拡散能に欠陥を持つ変異株のスクリーニングを行った。その結果得られた非病原性変異株のうち、プラスミド上にTn10の挿入を持つ22株のTn10挿入部位を決定した結果、3株がこれまでにビルレンス領域の同定されていない、7.8kbのSalI-K断片上にTn10挿入を持っていた。
(2)virK領域の同定 得られた3株の非病原性変異株について、変異の原因となるDNA領域を同定するために、各種DNA断片によるビルレンス回復試験を行った。その結果、SalI-K断片内部の約1.4kbのDNA断片がこれら変異株のビルレンスを回復させることが判明し、この領域をvirKと命名した。
(3)virK変異株の細胞内動態 赤痢菌野生株、virK変異株、virG変異株の細胞内・細胞間拡散能について比較した。virK変異株の細胞内拡散はvirG変異株より有意に大きかったが、隣接細胞への再感染は見られなかった。細胞内での挙動をさらに詳しく調べるために、アクチンの凝集を調べた。virG変異株ではアクチンの凝集は見られなかったのに対し、virK変異株では、ある程度の凝集が見られたが、その程度は野生株に比べると明らかに低かった。
(4)virK変異株におけるVirGタンパク質の発現 virK変異株におけるVirGタンパク質の発現を調べた結果、完全に消失してはいないが、野生株に比べて大きく減少していた。そこで、virK変異株におけるvirGmRNAの発現量を調べたところ、野生株と同様であり、virK領域は転写後の段階でvirG遺伝子の発現に影響を与えていることが判明した。
(5)virK領域の遺伝子構造解析とタンパク質産物の同定 virK遺伝子を同定するために、virK変異を回復させるDNA断片1.6kbのDNAシークエンスを決定した。virK遺伝子は316アミノ酸からなるタンパク質をコードしており、予想される分子量は36.7kDaであった。DNAシークエンスデータバンクで検索を行ったが、既知の遺伝子で高いホモロジーを有するものはなかった。virK遺伝子を含むDNA断片のタンパク質発現実験の結果、DNAシークエンスの結果と一致した36kDaのタンパク質が発現された。
(6)赤痢菌とEIECにおけるvirK遺伝子の分布 virK遺伝子が他の亜群の赤痢菌、及びEIECにも存在するかどうかを明らかにするために、A-D群赤痢菌、及びEIECの計46株について、virKシークエンスの存在を調べた。その結果、全ての株がvirKシークエンスを有することが判明し、virK遺伝子は赤痢菌の病原性に必須の遺伝子であることが示唆された。
第二部 赤痢菌の膜表面プロテアーゼOmpT領域の欠失と細胞間拡散能の発現
(1)ompT遺伝子によるVirGタンパク質の分解 大腸菌K-12株において、VirGタンパク質の発現が十分に得られないことの要因を明らかにするために、各種遺伝子型の異なる大腸菌K-12株を用い、virG遺伝子を導入してVirGタンパク質の発現量を調べたところ、ompT遺伝子を欠く株で高い発現量が得られることがわかった。また、ompT遺伝子を含むプラスミドを赤痢菌やEIECに導入するとVirGタンパク質の発現は消失したことから、赤痢菌のVirGタンパク質発現がompT遺伝子により阻害されることが明らかとなった。virGmRNAの量はompT遺伝子の存在によって影響を受けないことから、VirGタンパク質の発現阻害は転写後の段階で起こることが判明した。
(2)ompT遺伝子を導入した赤痢菌の感染細胞内動態 ompTプラスミドを導入したS.flexneri株の細胞間拡散能を調べたところ、この株は細胞内・細胞間拡散不能であった。他の亜群の赤痢菌及びEIECに関しても、ompTプラスミドを導入すると同様の現象が観察された。さらにompT導入菌を感染させた上皮細胞ではアクチンの凝集が見られなかった。これらの結果から、ompT遺伝子導入により、赤痢菌とEIECの拡散能が消失することが判明した。
(3)赤痢菌とEIECにおけるompT領域の遺伝子構造解析 赤痢菌およびEIECにおけるompT遺伝子の有無について調べるため、S.flexneri9株、A群赤痢菌(S.dysenteriae)6株、C群赤痢菌(S.boydii)11株、D群赤痢菌(S.sonnei)2株、EIEC11株、毒素原性大腸菌(ETEC)4株、腸管病原性大腸菌(EPEC)11株、腸管出血性大腸菌(EHEC)6株の計60株について、ompT遺伝子の有無を調べた。その結果、EIEC以外の大腸菌株では21株中16株がompT遺伝子を持つが、赤痢菌株とEIEC株の全てはompT遺伝子を持たないことが判明した。赤痢菌とEIEC株で欠失したDNA領域を解析した結果、ompT遺伝子を含む大腸菌K-12のDLP12と呼ばれるプロファージの全構造が欠落していることが判明した。
(4)ompT遺伝子とkcpA領域の病原性因子としての関係 大腸菌K-12染色体上でのompT遺伝子とpurE遺伝子の位置関係から、kcpA領域とompT遺伝子との関係が疑われたため、形質導入によってpurE遺伝子周辺の領域を大腸菌K-12のものと置き換えたS.flexneriを作製し、得られた11株の形質導入株について拡散能、VirGタンパク質発現、そしてompT遺伝子の存在について調べた。これら11株のうち、7株は拡散能を失っており、VirG-、ompT+で、残りの4株はVirG+、ompTであり、拡散能の消失とompT遺伝子の獲得の相関が示された。S.flexneriに認識されたkcpAはpurE遺伝子との関連以外その遺伝子の本体は長らく不明瞭であったが、本研究の結果からkcpA変異は、大腸菌K-12からそのompT遺伝子を赤痢菌へ導入した結果人工的に生じるビルレンス変異形質であり、赤痢菌には、そのビルレンス領域は本来存在しないことが明らかになった。