本研究は、霊長類前頭前野の長期記憶検索における役割を明らかにするため、脳梁後半部離断サル標本における図形連合記憶学習の行動学的解析と、ヒトの記憶検索課題遂行にともなう脳賦活化実験のメタ分析を組み合わせたものであり、下記の結果を得ている。 1.日本ザルで脳梁膨大部と前交連を切断し、脳梁前半部は正常のまま残した脳梁後半部離断標本を作った。病変の範囲をMRIと髄鞘染色組織切片、逆行性蛍光色素注入実験で調べると、側頭葉間の交連結合は離断され前頭前野間の交連結合は保たれていることが示された。 2.この標本に図形連合記憶課題を訓練し、手掛り刺激と選択刺激を同一の視野に提示する「半球内条件」で、図形連合学習の大脳半球間転移を調べた。その結果、正常対照群では初学習に比べて再学習では有意な学習の短縮が見られたが、脳梁後半部離断ザルでは初学習と再学習に有意差は認められなかった。 3.初学習と再学習で基準に達するまでに要した試行数の差を和で割り、学習の節約率を計算すると、正常対照群では有意に正の節約率が得られたが、脳梁後半部離断ザルでは節約率は零と有意に異ならなかった。従って、図形連合学習は脳梁前半部を介して左右の前頭前野の間で大脳半球間転移しないことが明らかになり、長期記憶は後連合野に蓄えられていることが示唆された。 4.手掛り刺激と選択刺激を別の視野に提示する「半球間条件」でも、脳梁後半部離断ザルは片側の大脳半球に与えた手掛り刺激から対側の大脳半球に与えた対応する選択刺激を正しく選ぶことができた。 5.残存する脳梁前半部をさらに切除する脳梁全離断術を行うと、半球内条件の成績は有意な変化がなかったが,半球間条件の成績はチャンスレベルに低下した。この結果から、脳梁後半部離断標本において半球間条件の記憶検索の成績は脳梁前半部を介する前頭前野間の連絡により保たれていたことが明らかになった。前頭前野は直接的な視覚入力を受けないときに下部側頭葉連合野に貯えられた視覚的長期記憶を検索する過程を制御できることが示唆された。 6.PET・fMRI法によるヒトの脳賦活化実験のメタ分析を行い、言語的なエピソード記憶の再認・再生課題において前頭前野の外側部の活性化がどの複数の研究に一貫して認められることが明らかになった。右前頭前野には記憶再認課題における賦活部位がより多く、左前頭前野には再生課題(手掛り再生、自由再生の両者を含む)と再認課題の賦活部位が混在する傾向にあった。 7.右前頭前野背外側部前方に、記憶検索の成功に伴う活動が優位だという報告もあったが、分析の結果、前頭前野の特定の領域が記憶検索の成功、努力、試行、の何れの認知過程と対応するかに関しては、今回の分析に含めた13の研究では一致した見解が得られず、新しいパラダイムの開発が必要であることが明らかになった。 以上、本論文はニホンザルの脳梁後半部離断標本における行動学的実験から、直接的な感覚入力がないときに前頭連合野が後連合野に貯えられた長期記憶を検索する過程に関与し得ることを明らかにし、また脳賦活化実験による記憶研究のメタ分析から、ヒトにおいて長期記憶の検索時に前頭連合野が一貫して活性化されることを明らかにした。本研究は、霊長類の前頭連合野が後連合野との相互作用を通じて長期記憶の検索過程を制御することができる、という仮説を支持するものであり、これまで未知に等しかった、霊長類前頭前野の長期記憶検索における機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |