学位論文要旨



No 214477
著者(漢字) 城所,幸弘
著者(英字)
著者(カナ) キドコロ,ユキヒロ
標題(和) 都市鉄道に対する規制政策
標題(洋) Regulatory Policies for Urban Railways
報告番号 214477
報告番号 乙14477
学位授与日 1999.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第14477号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金本,良嗣
 東京大学 教授 三輪,芳朗
 東京大学 教授 井堀,利宏
 東京大学 教授 田渕,隆俊
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨

 日本の大都市の人口密度は高いが、これにより、多くの私鉄が輸送サービスを供給することが可能になっている。それら私鉄を含めた都市鉄道は、都市の輸送手段として重要な地位を占めている。例えば、首都圏では、都市鉄道が旅客需要の56%をまかなっている。しかし、人口の集中と利用者の多さは、一方でラッシュ時の鉄道のすさまじい混雑を生んでいる。例えば、東京圏では、ラッシュ時の混雑率(=乗客数/定員数)は、ほとんどの路線で200%近い。このラッシュ時の殺人的な混雑は、日本の都市の住民が生活の豊かさを実感できない一つの原因となっている。もちろん、日本政府もこの混雑を問題視し、150%の混雑率を目標として設定し、混雑緩和に努力しているが、混雑はほとんど解消していないのが現状である。

 このような都市鉄道の混雑は、経済学的に見るとどのように考えられるのであろうか。この素朴な質問がこの論文の出発点である。この論文では、都市鉄道が、たとえ私鉄であっても、公益事業として位置づけられ、政府の規制を受けていることに注目する。そして、政府の規制が、鉄道会社の行動にどのような影響を与えるかを分析する。結果として、規制政策と都市鉄道の混雑の関連が明らかになり、今後の混雑解消のためにどのような政策が望ましいのかを考えることができるようになるだろう。

 多くの日本の経済学者が都市鉄道に関して関心を持ってきたし、経済学的に分析することが必要であると感じてきた。しかし、残念ながら、日本の都市鉄道の混雑を経済学的な理論モデルを用いて分析した文献は少なく、わずかに、Kanemoto and Kiyono(19931,19952)があるのみである。しかも、彼らが分析したのは現在の都市鉄道に対して課されている公正報酬率規制ついてだけであり、その他の規制方法や望ましい規制については何も分析していない。この論文では、彼らの分析とは異なり、様々な規制をとりあげる。そして、規制が鉄道会社の行動をどのように変え、その結果、どのようなことが起きるのか、また望ましい規制とはどのようなものなのかを包括的に分析している。

 最近、環境に対し、世界的に関心が高まっているが、鉄道は環境に与える負荷が少ない輸送手段であるので、都市鉄道をはじめとした公共交通機関の役割はますます重要になると考えられる。したがって、都市鉄道をどのように規制し、社会厚生の実現に努めるかについて経済学的に分析することはますます重要になる。その点からも、都市鉄道が発達している日本の現実を参考にしながら、都市鉄道の規制のあり方について包括的に分析することは意義深いであろう。

 この論文では、第一に、現在、鉄道会社に課されている公正報酬率規制が鉄道用地の簿価に基づくことに注目して、規制と混雑との関係を導き出している。理論的に得られる結論は、鉄道用地の簿価に基づく公正報酬率規制は、通常想定されている、すべてが時価に基づいて評価される公正報酬率規制に比べて、鉄道用地の投入を減らし、混雑を悪化させるというものである。鉄道用地の簿価に基づく公正報酬率規制が持つ、鉄道用地の投資の削減効果がどれほどの大きさであるかは、理論的に導くことができない。そこで、東急東横線のデータを用いて、土地の評価を簿価にした場合と時価にした場合とではどれほど混雑が異なるかについて、シミュレーションを行い、理論的な結果を確かめている。

 現在の日本の鉄道のように、激しい混雑が発生している場合、混雑を緩和するにはどのような規制が望ましいのだろうか?一つの候補は、世界的な規制緩和に伴い、多くの国で採用が進んでいるプライスキャップ規制への移行である。このような移行は、混雑を改善するのだろうか?この論文では、第二に、この疑問に答えている。そこでの結論は、プライスキャップ規制は、混雑に対して二つの効果を持つというものである。一つは、プライスキャップ規制がもたらすコスト削減インセンティブの上昇が、価格を低下させるだけでなく、混雑を緩和させる効果である。もう一つは、プライスキャップ規制による上限価格の固定は、企業が混雑緩和のために設備投資をしても、そのコストが価格の上昇を通じて補償されないことを意味するので、混雑を悪化させる効果である。このどちらの効果が大きいかで、プライスキャップ規制への移行により、混雑が悪化するか改善するかどうかが決まる。このように、プライスキャップ規制は、場合によっては、混雑を悪化させる。したがって、次に、プライスキャップ規制が持つこのような効果を除くことを考えている。この論文では、価格を質の上昇に応じて上昇させるという規制を考え、それがプライスキャップ規制に比べて、必ず財の質を上昇させ、消費者余剰を高めることを示す。

 1Kanemoto,Y.and K.Kiyono,(1993),"Investment,Pricing,and Regulation in Urban Transportation and Spatial Development," in H.Kohno and P.Nijkamp(eds.) Potentials and Bottlenecks of Spatial Economics Development,30-40,Springer-Verlag.

 2Kanemoto,Y.and K.Kiyono,(1995),"Regulation of Commuter Railways and Spatial Development," Regional Science and Urban Economics 25,377-394.

 この論文では、第三に、もし、日本の都市鉄道に対する規制が、公正報酬率規制からプライスキャップ規制へ移行するならば、日本の都市鉄道にどのような影響が生じるかを考える。都市鉄道のモデルを構築した後で、日本における代表的な都市鉄道である東急電鉄東横線のデータを使って、公正報酬率規制やプライスキャップ規制が、運賃や混雑率にどのような影響を与えるかをシミュレーショシを使って示す。シミュレーションの結果は、以下のとおりである。1)公正報酬率規制からプライスキャップ規制への変更は、混雑を悪化させ、社会厚生を低下させる、2)混雑に応じてキャップを変化させるプライスキャップ規制は、混雑を緩和し高い社会厚生を実現する、3)設備投資に応じてキャップを変化させるプライスキャップ規制も混雑緩和に役立つが、コスト削減の努力が低いため、混雑に応じてキャップを変化させるプライスキャップ規制に比べて、社会厚生は低い水準にとどまる。この結果は、プライスキャップ規制に移行した場合、混雑がより悪化し、社会厚生が低下する可能性があるため、混雑を考慮した規制政策を考えることが必要であることを示唆している。

 最後に、この論文では、現実的には非常に重要である、情報の非対称性を考慮した分析を、財の質を考慮して行っている。ここでは、規制者と公益事業の間の情報が対称的なケース、規制者は公益事業の費用を観察できない点で情報が非対称であるが、財の質は立証可能なケース、情報が非対称で財の質が立証不可能なケースの、三つの場合における最適規制を導出し、その三つの解を比較している。その結論は以下のとおりである。1)財の質が立証可能な場合は、生産量と財の質に関しては、Baron and Myerson(1982)3の理論の自然な拡張になり、非対称情報下の生産量と財の質は、対称情報下のそれらを下回る。もし、質の低下による価格の低下が大きいなら、非対称情報下の価格が対称情報下の価格を下回ることがありうる。2)非対称情報下で財の質が立証不可能な場合は、非対称情報下で財の質が立証可能である場合に比べて、財の質は上昇し、生産量は減少し、価格は上昇する。

 3)消費者余剰は常に、財の質が立証可能であるときの方が大きい。これに対し、独占企業の利潤は、財の質が立証可能なときの方が多くなることも少なくなることもありうる。特に、需要の価格弾力性が1より小さい場合は、独占企業の利潤は、財の質が立証不可能なケースの方が多くなる。この結果は、Lewis and Sappington(1991)4の分析と異なり、規制当局は、財の質が立証可能であることを望むが、需要の価格弾力性が1より小さい通常の公益事業の事業者は、財の質が立証不可能であることを望むことを示唆している。

 3Baron,D. and R.Myerson,(1982), "Regulating a Monopolist with Unknown Costs," Econometrica 50,911-930.

 4Lewis,T.R. and D.E.M.Sappington,(1991), "Incentives for monitoring quality," Rand Journal of Economics 22,370-384.

審査要旨

 1.日本の大都市における都市鉄道の混雑には,依然として厳しいものがある.この論文では,都市鉄道が政府の規制を受けていることに着目し,政府の規制が鉄道会社の行動にどのような影響を与えるかを分析している.問題の重要性にもかかわらず,日本の都市鉄道の混雑問題に焦点を当てた経済理論的研究は多くない.特に,オリジナルなモデルを用いて,新しい分析結果を提示したものは少ない.この論文では,簿価ベースの公正報酬率規制,時価ベースの公正報酬率規制,プライス・キャップ規制等の様々な規制方式をとりあげ,オリジナルな理論モデルを用いて,これらの規制方式が鉄道会社の行動に与える効果を分析している.また,理論的分析の現実的意味を示すために,現実的と思われるパラメータを用いたシミュレーションも行っている.これらの分析は,規制の経済学に新しい貢献を付け加えているのみならず,都市鉄道に関する規制制度の改善のための示唆を多く与えており.政策的な意義も大きいと思われる.

 2.この論文の構成は以下の通りである.

 Chapter 1. Introduction

 Chapter 2. Rate or Return Regulation and Rate Base Valuation

 Chapter 3. Price・based and Cost-based Regulation for a Monopoly with Quality Choice

 Chapter 4. Rate-of-Return and Price-Cap Regulation for Urban Railways

 Chapter 5. Regulation of Quality for Public Utilities under Asymmetric Information

 3.以下では,この論文の主要な研究成果を概観し,その評価を行う.

 2章では,現行の公正報酬率規制が簿価に基づいていることが,混雑悪化をもたらしていることを示している.鉄道用地の評価に簿価を用いる公正報酬率規制は,時価に基づいて評価される公正報酬率規制に比べて,鉄道用地の投入を減らし,混雑を悪化させるというものである.この結論は簡単明瞭であるが,異時点間の投資配分の問題を考える必要があるので,分析は簡単でない.また,現実の政策対応を考えるためには,簿価に基づく公正報酬率規制がどの程度の投資削減効果を持っていうかが重要であるが,理論的には決着がつかない問題である.この論文では,東急東横線のデータを用いて,土地の評価を簿価にした場合と時価にした場合とで,どの程度,混雑が異なるかについて,シミュレーションを行っている.ここでの分析は,計量経済モデルを統計的に推定したものではないという欠点を持っているが,データの制約からやむを得ないものであろう.なお,この章は世界的に評価の高いレフェリー付き学術誌であるRegional Science Urban Economicsに掲載されており,完成度が高い研究である.

 3章では,多くの国で採用が進んでいるプライスキャップ規制を分析している.ここでの結論は,プライスキャップ規制は,混雑に対して二つの相反する効果を持つというものである.第一の効果は,プライスキャップ規制によってコスト削減インセンティブが強化され,それが,混雑を緩和させる副作用を持つというちのである.第二は,プライスキャップ規制においては,混雑緩和投資のコストを価格上昇によってまかなうことができないために,投資意欲が薄れ,混雑が悪化するというものである.第二の効果が大きい場合には,プライスキャップ規制は混雑を悪化させる.

 この弊害を除くために,この論文では,価格を質の上昇に応じて上昇させるという規制を考え,それがプライスキャップ規制に比べて,必ず財の質を上昇させ,消費者余剰を高めることを示している.

 この章の分析は現実に検討されている規制方式の比較を行っており,規制制度の設計に際して有益な情報を与えている.しかし,規制方式の長所短所の理論的な分析を行うためには,情報の非対称性等を導入する必要があり,それを行っていないためにアドホックな分析であるという批判を免れない.分析しているテーマは異なるが,この論文の5章は情報の非対称性が存在する場合への拡張を行っている.

 4章は,公正報酬率規制からプライスキャップ規制へ移行すると,日本の都市鉄道にどのような変化が生じるかを,東急電鉄東横線のデータを使って分析している.シミュレーションの結果によると,(1)公正報酬率規制からプライスキャップ規制への変更は,混雑を悪化させ,社会厚生を低下させる,(2)混雑に応じてキャップを変化させるプライスキャップ規制は,混雑を緩和し高い社会厚生を実現する,(3)設備投資に応じてキャップを変化させるプライスキャップ規制も混雑緩和に役立つが,コスト削減のインセンティブが低いために,上の(2)の場合に比べて,社会厚生は低い水準にとどまる.この章では,理論的分析を現実のデータに適用し,規制方式が実際にどれだけの変化をもたらすかを分析している.理論的・定性的分析にとどまりがちだった日本の経済学研究の枠を超えようとする試みであり,高く評価できる.ただし,2章と同様に,モデルを計量経済学的に推定していないという点が今後の課題である.

 5章は,情報の非対称性を明示的に導入して,情報の非対称性が財の質に与える影響を分析している.情報に関して,(1)規制者と公益事業の間の情報が対称的なケース,(2)規制者が公益事業の費用を観察できない点で情報が非対称であるが,財の質については立証可能なケース,(3)費用に関する情報が非対称で,かつ財の質が立証不可能なケースの3つを取り上げ、それぞれのケースにおける最適規制を導出している.この章の分析のハイライトは、財の質が立証可能なケースとそうでないケースの比較である.主要な結論は,(1)財の質が立証不可能な場合には,財の質が立証可能である場合に比べで,財の質は良くなるが,生産量が減少し,価格が上昇する,(2)消費者余剰は常に,財の質が立証可能であるときの方が大きいが,独占企業の利潤は大きくなることも小さくなることもありうることの2つである.これらの結論は,同様な分析を行ったLewis and Sappington("Incentives for monitoring quality," Rand Journal of Economics 22,370-384,1991)と異なっており,新しい貢献と考えられる.企業がもっている品質情報を,立証可能にするか,不可能にするかの選択を企業側が行いうることがありうる.このような場合には,独占企業は財の質を立証不可能にするという操作を行い,消費者の利益に反する行動をとることになる.

 5章の分析は理論的には興味深いものであるが,その現実妥当性や定量的重要性については検証されていない.理論的分析を深めるとともに,実証的分析への橋渡しを考える必要がある

 5.以上で見たように,この論文の長所は,混雑の問題を明示的に導入して,都市鉄道に対する規制を経済理論モデルの中で包括的に分析したことである.これまでの日本の都市鉄道に対する規制の分析の多くが抽象的・記述的であるのと異なり,この論文では,ミクロ経済理論に立脚したモデルを用いて,政策的に重要な問題を明快に分析している.

 また,この論文は都市鉄道を対象としているが,この論文で展開された分析は他の分野にも適用可能である.例えば,2章や4章で用いられている,都市鉄道に対する公正報酬率規制やプライスキャップ規制を分析したモデルは,容積率や敷地面積に対する規制が存在するときに,都市にどのような影響が起きるかという分析に容易に応用できるし,3章や5章の分析は,電力や電気通信などのような他の公益産業にも適用できる.

 反面,この論文にもいくつかの欠点が存在する.第一に,動学的な取扱が十分でないことである.2章の分析では動学的な分析が入っているが,それ以外の分析はすべて静的モデルで行っている.特に,プライスキャップ規制は,動学的なインセンティブが重要な規制であるが,混雑という新しい問題に注目した代償に,この点を分析の枠外においている.第二に,計量経済学的な裏付けが弱いことである.2章や4章で行っているシミュレーションでは,現実のデータをもとにパラメーターを設定しているが,これらのパラメーターは現実を再現するように定められており,計量経済学的基盤を持つわけではない.したがって,パラメーターを計量経済学的に推定したうえで,それを用いてシミュレーションを行うことが今後の課題になっている.

 このような問題点はあるが,重要な政策課題について理論的に整合的な分析を行い,その現実妥当性や定量的重要性を数値シミュレーションによって検証した点で,博士論文としてふさわしい貢献をしていると判断できる.

 以上の評価を踏まえ,審査委員会は全員一致で,本提出論文について,博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した.

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