学位論文要旨



No 214478
著者(漢字) 茂木,豊
著者(英字)
著者(カナ) モテギ,ユタカ
標題(和) 角膜内皮細胞の増殖制御法についての研究
標題(洋)
報告番号 214478
報告番号 乙14478
学位授与日 1999.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14478号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 齋藤,英昭
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 菊池,かな子
 東京大学 講師 沼賀,二郎
内容要旨 研究目的

 角膜は眼球の前方に存在し、レンズとして働く透明な組織である。その透明性が保たれることは、視力保持の為に非常に重要である。そのなかでも角膜内皮細胞は角膜の透明性維持に重要な働きをしている。内皮細胞は種々の眼内手術操作により傷害されると、細胞密度の減少により水疱性角膜症に至ってしまう可能性がある。このため老人や糖尿病患者などの角膜内皮細胞に影響のある状態に対し角膜内皮細胞密度を増加させる治療が求められており治療法の開発が望まれる。その可能性を探るために、まず生体内と同じような角膜内皮細胞の培養条件を作り、そこでの角膜内皮細胞の増殖制御について検討した。

 実験1:培養角膜内皮細胞の増殖制御についての研究

 材料と方法

 ウシ角膜内皮細胞を継代培養し実験を行った。

試薬

 ヒトリコンビナントアクチビンA(味の素社)、ヒトリコンビナントPlatelet derived growth factor-AA、-BB(PDGF-AA、-BB)(ベクトン ディキンソン社)、ヒトリコンビナントTGF-1、TGF-2(R&D社)、スタウロスポリン、カルフォスチンC、KT5720、KT5823、ウオルトマンニン(協和メディクス社)。抗PDGF-AA、AB、BB抗体はゲンザイム社製を用いた。

 1)TGF-受容体の発現

 放射性ヨードでラベルしたTGF-1を用いて、アフィニティークロスリンク法および免疫沈降法を行った。

 2)BrdUの取り込みに関する実験

 細胞周期のG0/G1期からS期への進行状態を細胞核への5-bromo-2’deoxyuridine(BrdU)の取り込みで調査した。subconfluentの状態と、なるべく生体内での状態に近づけるためにconfluentの状態まで培養した角膜内皮細胞に、10g/mlのBrdUを添加しさらに12時間培養した。標本上の8.6mm2の範囲で染色陽性の細胞を計測した。

 3)MTT比色定量法

 TGF-の添加による経時的細胞数の変化を調べるためMTT比色定量法を行った。

 4)Western blotting

 TGF-により角膜内皮細胞がPDGFを産生しているかを調べた。PDGF含有量の計測のためのサンプルとして培養液を用いた。

 調査 1:角膜内皮細胞の形態変化に関する調査

 正常者および糖尿病患者における角膜内皮細胞の変化を検討するため、甲南社製非接触型スペキュラーマイクロスコープ:SP-8000を用いて角膜内皮細胞の観察を行った。各年代別に細胞密度、変動係数、六角形細胞出現率を測定し解析を行った。

実験、観察、調査結果1、培養角膜内皮細胞の増殖制御についての研究1)TGF-受容体の発現

 TR-Iに対する抗血清を用いると70kDaの免疫複合体が免疫沈降された。そして、TR-IIの免疫複合体とは100kDaの分子量として免疫沈降された。TR-IIの免疫複合体はTR-IIの抗血清で免疫沈降した。TR-Iの複合体の免疫沈降も確認された。エンドグリンの抗血清では105kDaの複合体が確認された。

2)TGF-によるG0/G1期からS期への細胞周期進行の制御

 subconfluentの状態では対照と比較してTGF-1はG0/G1期からS期への進行に影響を及ぼさなかった。そして、confluentの状態では1%のFBSでは同様であるが、10%FBSの存在下ではTGF-1は増殖を促進した。TGF-1、TGF-2は1%FBSの条件下ではS期への進行を促進しなかった。10%FBSの条件下では、TGF-1が10ng/ml、30ng/mlで、TGF-2が30ng/mlの濃度でそれぞれ有意差をもって促進した。

3)MTT法による細胞数の測定

 対照の10%FBSと比較し、TGF-1(1ng/ml、10ng/ml、100ng/ml)を加えた群との24、48時間培養後の細胞数に有意の変化はなかった。

4)形態変化

 TGF-1の作用時間を長くすると、5日目に中央の内皮細胞が密になりドーム状に隆起して増殖していた。

5)TGF-による細胞周期促進機序

 Western Blottingでは1%FBSの対照と比較して10%FBSの存在下で、培養角膜内皮細胞からPDGF-BBの産生が確認された。TGF-1はPDGFの産生に全く影響していなかった。PDGF-AAの存在は極微量のためかWestern blottingでは確認出来なかった。

 10%FBSの存在するconfluentの状態で、TGF-1(10ng/ml)によるウシ角膜内皮細胞の細胞周期の進行は抗PDGF-AB抗体(20g/ml)、抗PDGF-BB抗体(20g/ml)により有意に抑制された。抗PDGF-AA抗体はTGF-1(10ng/ml)の作用を妨げる傾向を認めた。10%FBS、confluentの状態でPDGF-BB単独ではG0/G1期からS期への進行は促進されなかった。1%FBS、confluentの状態でTGF-1(10ng/ml)とPDGF-AAあるいはPDGF-BB(1ng/ml、10ng/ml、100ng/ml)との共同作用はG0/G1期からS期への進行を促進しなかった。

6)TGF-受容体の発現による細胞周期制御のシグナル伝達経路

 10%FBS、confluentの状態でTGF-1の作用は、PKC、PKA、PKGのインヒビターであるstaurosporineとPKAのインヒビターであるKT5720で抑制された。PKCのインヒビターであるcalphostin C、PKGのインヒビターであるKT5823の各々単独ではTGF-1のS期への進行促進を有意に抑制することはなかった。PI3-KのインヒビターであるウオルトマンニンはTGF-1のS期への進行促進を有意に抑制した。

2、スペキュラーマイクロスコープによる正常者と糖尿病患者の角膜内皮細胞測定

 細胞密度は正常群内においては40歳未満と比べ、40代と70歳以上の群で減少を認めた。糖尿病群内では50代以降のすべての年代で減少を認めた。正常群と糖尿病群間での比較では細胞密度は50代で糖尿病患者に減少を認めた。変動係数は各群内における年代別の変化はなかった。正常群と糖尿病群間での比較では40代で糖尿病群に高値を認めた。六角形細胞出現率は正常群内の60代で低下を認めた。正常群と糖尿病群での比較では70代以上の糖尿病群で有意に低下した。性差による検討では糖尿病群で女性に細胞密度の減少を認めた。

3、高血糖と角膜内皮細胞に関するモデル実験

 1%FBSの存在下でグルコース100mg/dl、400mg/dlの両群でTGF-1(30ng/ml)の影響は確認されなかった。10%FBSの存在下ではグルコース100mg/dl、400mg/dlの両群においてTGF-1(30ng/ml)により増殖促進作用が確認された。さらに、400mg/dlの群は100mg/dlの群よりも増殖作用が有意に促進された。

考案

 今回の実験結果からは、まず培養角膜内皮細胞に蛋白質レベルでのTGF-の特異的な受容体(TGF- type I、type II、エンドグリン)の発現が初めて確認された。ヒト角膜内皮細胞ではtype III受容体の発現が免疫組織化学的手法で確認されている。培養系と生体内でのTGF-の作用は受容体の発現により多少異なる可能性も考えられる。

 今回の実験系で培養角膜内皮細胞にエンドグリンの発現が確認されたことは、TGF-2よりもTGF-1のほうがより強い作用を示すことを意味する。なぜなら、エンドグリンはTGF-2よりもTGF-1とTGF-3に親和性をもつと報告されている。

 この実験系では培養角膜内皮細胞に対し、TGF-は増殖促進作用を示した。TGF-を長時間作用させた時には内皮細胞が密になりドーム状に隆起して増殖していた。この実験結果よりTGF-には部分的ではあるが、細胞密度を増加させる可能性があると推測された。

 最近、TGF-のシグナルはSmadファミリーの因子を介して伝達され、活性化されたtype I受容体により燐酸化されると報告されている。最終的に血液細胞、上皮細胞、血管内皮細胞などの多くの細胞で、retinoblastoma gene productの燐酸化を抑制することによりG0/G1期からS期への細胞周期の進行を抑えている。しかしながら、TGF-は線維芽細胞、角膜内皮細胞などの細胞で細胞周期を進行させた。TGF-による細胞周期進行のメカニズムはいまだよく分かっていない。そこにはいろいろなシグナル伝達経路や因子が複雑に関与していると推測される。

 我々は、TGF-とPDGFの共同作用を調査した。培養角膜内皮細胞は10%FBSの存在下でPDGF-B鎖を産生した。TGF-1の刺激作用はPDGF-BB、PDGF-ABに対する抗体で抑制された。これらの結果は、細胞周期の進行がTGF-1とPDGF-BBの両者が存在することによって引き起こされたことを意味する。PDGFのシグナル伝達抑制因子であるstaurosporineとwortmanninがTGF-1の作用を抑制したことはこれらの結果を裏付ける証拠となる。しかし、TGF-1とPDGF-BBの作用だけでは培養角膜内皮細胞の細胞周期の進行は促進されなかった。

 今回の研究の眼科臨床における意義は、まずスペキュラーマイクロスコープにより測定した加齢変化に伴う細胞密度の減少と、正常者と糖尿病患者の角膜内皮細胞の形態変化により問題提起される。測定結果より、正常群、糖尿病群の各群で加齢による細胞密度の減少が確認された。そして両群間での比較では、糖尿病群において50代で細胞密度の減少、40代で変動係数の高値、70歳以上で六角形細胞出現率の低下が認められた。今回の結果からも糖尿病では角膜内皮細胞に対し影響を及ぼしていることが確認された。糖尿病患者の角膜内皮の変化は、ポリオール代謝の亢進や房水の組成変化が関与していると推測されている。そして今回は高グルコース濃度におけるTGF-1の作用を検討したが、今後はより生体内の状態を想定した培養条件での検討が、眼科臨床の意義につながるものと思われる。

 そして臨床への応用を考えたとき、TGF-1、PDGF-BBとともに細胞周期の進行を引き起こす第3の因子を調査することが必要である。TGF-とPDGFと第3の因子を用いることにより細胞増殖を促進させ、部分的にでも細胞密度を増加させることが可能になるかもしれない。

 今回の実験系では生体内の状態に近いconfluentの状態にして実験を行っているため、得られた結果はヒトに対しても十分期待のできるものであると思われる。ヒトに対して有効であるためには、増殖の程度をcontrolできることが必要になる。特に糖尿病眼では虚血性疾患のため、TGF-やPDGFを作用させて副作用となる新生血管の誘発を起こす危険がある。そして、増殖がcontrolできない場合は際限なく増殖を続け、いわゆる癌化を生じてしまう可能性も否定できない。

 投与法についての検討をした場合、これには必要とされる遺伝子のみを導入する遺伝子治療が考えられるべきであろう。例えば、将来可能性のあるヒト角膜内皮細胞の移植の際に、TGF-、PDGFおよび第3の因子を導入した角膜内皮細胞を使用することで治療成績の向上につながる可能性が期待できる。

まとめ

 この研究は、培養角膜内皮細胞におけるTGF-の臨床応用への可能性を目的としたものである。そして、TGF-の作用はPDGFおよび第3の因子との共同作用により行われていることが確認された。この研究では、正常角膜内皮細胞の細胞周期の制御に対する調査の最初のステップとなり、老化、糖尿病を始め他の角膜内皮細胞に影響を及ぼす疾患の治療法の開発につなげることが今後の課題である。

審査要旨

 本研究は角膜内皮細胞の障害に対する、角膜内皮細胞密度の増加を目的とした治療法の可能性を探るため、ウシ角膜内皮細胞を用い生体内の状態に近づけた培養系を作り、主にTGF-を用いて角膜内皮細胞の増殖制御について検討し、下記の結果を得ている。

 1.ウシ角膜内皮細胞のTGF-受容体の発現を確認するため、放射性ヨードでラベルしたTGF-1を用いて、アフィニティークロスリンク法および免疫沈降法を行った結果、TGF-I型受容体、TGF-II型受容体、およびエンドグリン受容体の発現が確認された。

 2.細胞周期のG0/G1期からS期への進行状態を細胞核への5-bromo2’deoxyuridine(BrdU)の取り込みで検討した結果、subconfluentの状態では影響はなかったが、confluentの状態では10%FBSの存在下でTGF-は増殖を促進した。TGF-1が10ng/ml、30ng/mlで、TGF-2が30ng/mlの濃度で有意に促進した。

 3.TGF-の添加による経時的細胞数の変化を調べるためMTT比色定量法を行った結果、TGF-1(1ng/ml、10ng/ml、100ng/ml)を加えても24〜48時間後の細胞数には有意の変化はなかった。

 4.TGF-1の作用時間を長くした時の細胞形態変化を観察した結果、5日目に中央の内皮細胞が密になりドーム状に隆起して増殖していた。

 5.角膜内皮細胞自体がPDGFを産生しているか調べるため、培養液を用いてWestern blotting法を行った結果、10%FBSの存在下で培養角膜内皮細胞からPDGF-BBの産生が確認された。この結果にはTGF-1の存在の有無は影響していなかった。

 6.TGF-1とPDGFの共同作用を確認するためBrdUの取り込みを検討した結果、10%FBSの存在するconfluentの状態でTGF-1による細胞周期の進行は抗PDGF-AB抗体、抗PDGF-BB抗体により有意に抑制された。10%FBS、confluentの状態でPDGF-BB単独ではG0/G1期からS期への進行は促進されなかった。1%FBS、confluentの状態でTGF-1とPDGF-AAあるいはPDGF-BBとの共同作用はG0/G1期からS期への進行を促進しなかった。このことより増殖促進作用には第3の因子の存在が必要であることが示された。

 7.TGF-1による細胞周期制御のシグナル伝達経路を調べるため各インヒビターを用いてBrdUの取り込みを検討した結果、10%FBS、confluentの状態でTGF-1の作用は、PKC、PKA、PKGのインヒビターであるstaurosporineとPKAのインヒビターであるKT5720で抑制された。PKCのインヒビターであるcalphostin C、PKGのインヒビターであるKT5823の各々単独ではTGF-1のS期への進行促進を有意に抑制することはなかった。PI3-KのインヒビターであるウオルトマンニンはTGF-1のS期への進行促進を有意に抑制した。

 8.正常者および糖尿病患者における角膜内皮細胞の変化を検討するため、スペキュラーマイクロスコープを用いて観察を行った結果、細胞密度は正常者は40代、70代、糖尿病では50代以降のすべての年代で減少していた。正常者と糖尿病者との比較では50代で糖尿病者に減少を認めた。変動係数は正常者と糖尿病者との比較では40代で糖尿病者に高値を認めた。六角形細胞出現率は正常者の60代で低下、正常者と糖尿病者との比較では70代以上の糖尿病者で低下した。このことより糖尿病は角膜内皮細胞に影響を与えていることが確認された。

 9.高グルコース濃度の状態でTGF-1が角膜内皮細胞に及ぼす影響をBrdUの取り込みで検討した結果、10%FBSの存在下ではグルコース100mg/dl、400mg/dlの両群でTGF-1により増殖促進作用が確認された。さらに400mg/dlの群では100mg/dlの群よりも増殖作用が促進された。

 以上、本論文は培養ウシ角膜内皮細胞において、TGF-1がPDGFと第3の因子の共同作用により細胞周期の進行を促進していることが示された。本研究は角膜内皮細胞の障害による細胞密度の減少に対する治療法の開発の基礎として、今後の研究の重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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