背景および目的 高血圧患者の治療の目標は血圧のレベルをただ引き下げることではなく、高血圧性標的臓器障害や心血管イベント発症を予防することにある。近年、24時間携帯型自動血圧測定器が広く臨床の現場で使用されるようになり、その臨床的有用性に関する報告が数多く行なわれている。その中で、老年者高血圧の特徴の1つである、血圧の短期変動性の増大(血圧動揺性)が、高血圧性標的臓器障害と関連があると報告されている。しかしながら、血圧動揺性と心血管イベント発症との関連は明らかではなく、また、その機序についても不明である。そこで、まず臨床的検討として60歳以上の本態性高血圧患者を対象として、24時間血圧と心血管イベント発症との関連について検討し血圧動揺性がイベント発症の危険因子であるかどうかを調べた。 続いて、血圧動揺性モデル動物を用いて基礎的検討を行った。血圧動揺性モデル動物としてはSAD(sinoaortic denerved)ラットを用いた。SADラットは血圧の平均レベルは上昇することなく、血圧短期変動性のみが増大していることが知られている。このモデルを用いて血管内皮細胞機能およびバルーン傷害後の新生内膜形成の程度を評価し、コントロールのsham手術ラットと比較検討した。 臨床的研究 東京大学付属病院老年病科を通院または入院中の60歳以上の本態性高血圧患者で、携帯型血圧測定装置を用いて24時間血圧測定を施行した連続106例を対象とした。最高60カ月の追跡期間中(平均34.6±16.1カ月)に心血管イベントは全体で30例に発症した。脳血管障害は全体で15例に、冠動脈イベントは8例に発症、その他、心突然死、心不全、腹部大動脈瘤手術が認められた。 24時間収縮期血圧値を基準とし全体を130mmHg未満、130mmHg以上150mmHg未満、150mmHg以上の3群に分類し、心血管イベント発症を検討したところ、イベント発症率は150mmHg以上の群において他の2群にくらべ有意に高かった。明らかなJ型カーブ現象は認められなかった。夜間収縮期血圧値を基準とし同様の検討を行ったところイベント発症率は150mmHg以上の群において有意に高かった。日中収縮期血圧値、随時収縮期血圧値を基準として分類した場合は、イベント発症率に有意な差は認められなかった。 24時間収縮期血圧値の変動係数を血圧動揺性の指標として用いて、変動係数の平均値(10.6%)以上の群(血圧動揺性が大きい群)と平均値未満の群(血圧動揺性が小さい群)の2群に対象全体を分類したところ、心血管イベント発症率は血圧動揺性が大きい群において有意に高かった。 Cox比例ハザードモデルによる検討では、男性、冠動脈疾患の既往、24時間収縮期血圧の高値、血圧動揺性が大きいことが有意に心血管イベントの発症と関連していた。また、24時間収縮期血圧のかわりに日中収縮期血圧および夜間収縮期血圧を説明変数に加えた場合、男性、冠動脈疾患の既往、夜間収縮期血圧の高値、血圧動揺性が大きいことが有意に心血管イベントの発症と関連していた。 基礎的研究 SAD手術は10週齢の雄性ウイスターラットに対し両側頚部交感神経管、上喉頭神経、大動脈減圧神経を切断し、また、両側頚動脈洞を10%フェノールで処理することにより作製した。平均血圧値(mean arterial pressure;MAP)は動脈カテーテルをかいして意識下に観血的に連続的に測定した。データは20秒毎にサンプリングし、MAPの平均値および標準偏差を計算し、MAPの標準偏差を血圧動揺性の指標とした。MAPの平均値は手術後1日の時点から、SAD群とsham手術群の間で有意な差は認められず2日目、3日目においても同様であった。一方、血圧動揺性の指標として用いたMAPの標準偏差の値は、手術後1日の時点から、SAD群においてsham手術群に対し有意に高値を示した。このSAD群において認めた血圧動揺性の増大は2日目、3日目においても同様であった。MAPの標準偏差は4週後においてもSAD群においてsham手術群に対し有意に高値を示した。 SAD手術(またはsham手術)後、4週の時点において、摘出内皮保存大動脈リングを用いて、内皮依存性血管弛緩反応を検討した。ノルエピネフリンによる最大収縮反応に両群間で有意差は認められなかったが、内皮依存性弛緩反応であるアセチルコリンによる弛緩反応はSAD群で有意に減弱していた。内皮非依存性弛緩反応であるニトロプルシッドの反応には両群間で有意差は認めなかった。内皮保存摘出大動脈リングからのNO遊離能について検討するため、アセチルコリンを添加したbalanced salt solution(BSS)中でリングを培養し、BSS中のNOx濃度を測定したところ、アセチルコリン刺激によるリングからのNOx遊離は60分後の時点で有意にSAD群で減弱していた。 続いて血圧動揺性モデルにおけるバルーン傷害後の頚動脈の新生内膜形成について検討するため、SAD手術(またはsham手術)とバルーン傷害を同時に施行した。バルーン傷害2週間後に新生内膜は全周性に形成されたが、中膜の面積に両群間で有意な差は認められず、一方、新生内膜面積および新生内膜/中膜比はsham手術群に比べSAD群で有意に増強していた。細胞増殖のマーカーとして用いた、PCNA陽性細胞はsham手術群に比べSAD群で有意に増強していた。 さらに、傷害血管におけるPDGF-A鎖、PDGF-B鎖、TGF-1のmRNA発現を検討した。半定量的RT-PCR解析によればTGF-1mRNAの発現はsham手術ラットに比べSADラットにおいて亢進していた。一方PDGF-A鎖、PDGF-B鎖mRNAの発現は同程度であった。ノーザンブロット解析によれば、傷害血管におけるTGF-1mRNAの発現はRT-PCRの結果と同様に、sham手術ラットと比べSADラットにおいてより増強していた。 まとめ及び結論臨床的研究 1.24時問および夜間血圧を基準とした場合、収縮期血圧が150mmHg以上の群は他の群に比べ、有意に心血管イベント発症が多かった。J型カーブ現象は認められなかった。日中血圧および随時血圧を基準とした場合、いずれの群においても心血管イベント発症に有意な差は認められなかった。 2.血圧動揺性が大きい群は小さい群に比べて、有意に心血管イベント発症が多かった。 3.比例ハザードモデルにおいて、男性、冠動脈疾患の既往、24時間収縮期血圧高値、血圧動揺性の増大が心血管イベント発症と有意に関連していた。24時間血圧値の替わりに、日中血圧値および夜間血圧値をもちいて検討した場合、男性、冠動脈疾患の既往、夜間収縮期血圧高値、血圧動揺性の増大がイベント発症と有意に関連していた。 基礎的検討 4.長時間血圧測定において、SADラットはコントロールのshamラットに比べ、MAPの平均値に有意な差は認めず、血圧動揺性(SD of MAP)は有意に増大していた。 5.大動脈リングにおけるアセチルコリンによる内皮依存性血管弛緩反応は、SAD群において有意に減弱していた。ニトロプルシッドによる内皮非依存性弛緩反応は同等であった。大動脈リングからのNOの遊離能はSAD群において有意に低下していた。 6.頚動脈におけるバルーン傷害後の新生内膜形成は、SAD群において有意に増強していた。また、内膜におけるPCNA陽性細胞はSAD群において有意に増加していた。傷害血管におけるTGF-lmRNAの発現はSADラットにおいて亢進していた。PDGF-AおよびPDGF-B mRNAの発現は同等であった。 以上の結果より、血圧動揺性は、高血圧における心血管系疾患発症の危険因子であり、血圧の絶対値とともに血管障害発症に促進的に関与する可能性が示唆された。 |