学位論文要旨



No 214482
著者(漢字) 永原,幸
著者(英字)
著者(カナ) ナガハラ,ミユキ
標題(和) レーザースペックル現象を応用した生体眼における網膜静脈血流速度測定二次元解析装置の開発
標題(洋)
報告番号 214482
報告番号 乙14482
学位授与日 1999.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14482号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 重松,宏
 東京大学 助教授 上原,誉志夫
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 角田,俊信
内容要旨

 これまで人眼における網膜循環動態の変化を捕らえる幾つかの方法が報告されているが、定量的に測定することは、けっして容易ではなく、臨床に応用できる方法が確立されたとはいい難い。本研究の目的は人眼に適応可能なレーザースペックル現象を応用した二次元解析装置を開発し、in vitro実験により作製したノモグラムから網膜静脈血流速度を算出し、薬物治療や手術治療による眼循環動態を解析しようというものである。

 本装置の光学系は、半導体レーザー(波長808nm)および半導体エリアセンサーを装備した眼底カメラよりなる。半導体レーザーをダイクロイックミラーとリングミラーを介して眼底に照射する。人眼(標準眼)における照射範囲は直径1.5mmの円形で、測定範囲は画角45°の場合1.06×1.06mm、画角30°の場合0.72×0.72mmで、反射したレーザー光はミラーを介して100×100画素のエリアセンサー上に結像する。このエリアセンサーは毎秒540フレームの高速走査が可能であり、各画素の光強度の変化を電位変化に変換するものである。

リアルタイム二次元解析装置の開発

 当初開発された装置は98フレーム分(約0.18秒)の各画素のおけるスペックル強度の時間平均と時間変動を積算して血流量の指標としていた。動物実験では麻酔下で測定することから、同一部位を複数回測定し、その平均値を採用することで心拍の影響を除外できるが、臨床における測定では被検者の負担が大きく簡便な測定は行えない。

 そこで連続測定可能な装置を開発するため、毎秒540フレームのエリアセンサーから送られてくる情報を64フレーム毎に解析できる高速演算回路を設け解析用コンピュータの画面上でリアルタイムに表示できる装置を開発した

臨床応用可能な装置への改良

 臨床応用可能な眼循環解析装置としての条件は麻酔の必要がない、接触しない、眩しくない、患者の負担を最小限に止める、再現性がよい、解析が簡便そして正確な定量性である。これまでの眼底カメラは検者が眼底を観察できるよう可視光を眼底に照射していたが、眩しいために被検者に負担がかかり固視が悪くなるなどの問題があった。また、測定のために眼内へ照射するレーザーは波長が808nmであることから照射部位を直接観察することができなかった。この問題を解決するために、観察光を630nmのバンドパスフィルターへ通し、赤い光を観察光とした。被検者は眩しくなくなるが、検者は眼底の観察ができなくなる。このため35mm眼底撮影用カメラを取り外し、高感度赤外線増幅器とCCDカメラを設置し、眼底の観察とレーザーが照射されている測定部位を同時に観察できるように改良した。

模擬人眼における測定特性

 レーザー光を均一な散乱体に照射した場合、散乱体の移動速度とスペックル強度のぶれの平均数は直線相関する。しかし、生体眼においては主に赤血球が散乱体として捕らえられることから、均一な散乱体とは異なり血管内で多重散乱していると考えられ、ガラス毛細管を用いた実験モデルによる測定特性(種々の誤差要因)を踏まえた上で生体眼で得られた測定値を解析する必要がある。今回の実験でレーザースペックル現象を応用した血流速度の測定はSBR値(square blur rate)を血流速度の定量的指標とし、種々の要因で影響を受けることが明らかになったが、逆にこれらの影響を補正すれば、絶対血流速度の算出が可能なことが分かった。人眼の網膜血管血流速度は実験で作製したノモグラムをもとに算出するが、影響要因(レーザー出力、網膜の反射率、網膜色素上皮および脈絡膜の吸光度、眼球運動、血管内径、脈絡膜血流)を踏まえた上で測定を行うことで、再現性の高い結果が得られると考える。

 人眼測定時には網膜反射率、網膜色素上皮および脈絡膜の吸光度は仮定せざるを得ない。個々の対象眼の値は現時点では補正できないが、将来的に反射率と吸光度が測定可能になれば、これらに対しSBR値は直線相関することから値の補正は可能になると考える。眼球運動による影響の補正は困難なことが分かった。同一方向から固視が良好な時点でのみ測定する必要がある。血管内径は眼底写真から測定し、内径に応じたノモグラムを用いることで又脈絡膜血流はそのSBRを測定し、同様にノモグラムを用いることでその影響を取り除いた網膜血管血流速度が算出される。レーザー出力(2mW)を一定に保ち、血管上の測定部位を血管中央部とし、且レーザー照射軸に対して眼底測定部位が常に垂直となるようにし且カメラと被検者の眼の距離を一定に保ち、固視が良好な時点のみで測定すれば人眼網膜血管内血流速度の絶対値をSBR値より算出可能であると考えられた。

正常人における網膜静脈血流速度の測定

 実験で得られたノモグラムをもとに正常人の網膜静脈血流速度を測定し、本装置の人眼における定量性と再現性について検討した。測定した網膜静脈の平均血管径は146±6m(112〜162m)であった。In vitro実験で得られた結果をもとに作製したノモグラムより、網膜静脈血流速度を算出した。平均血流速度は18.4±3.8mm/sec(11.7〜22.5mm/sec)、再現性指数は3.6±0.9%であり、一被験者の一連の測定に要した平均時間は60±11秒であった。今回の値、平均血管内径146mで平均血流速度18.4mm/secは、ほぼ従来の方法での同一径静脈で得られた値に一致していた。測定に要した時間は、平均約1分と比較的短時間に行え、原理的には固視が5.5秒間の内、約2秒(2心拍)のみ一定していればよいため、従来のレーザードップラーまたは類似の方法によるより、遥かに簡便にかつ被験者の負担も軽く行えたと考えられる。

網膜剥離手術による網膜静脈血流速度の変化

 本装置を用いて網膜剥離術前と術後の網膜静脈血流速度を測定し、術後早期からの局所の循環障害について経時的に捕らえることを目的とし、さらに本装置の臨床における有用性について検討した。術後の網膜血管血流速度は術眼の強膜内陥側で低下し、術後3ヶ月で術前値と比較して15%低下しており、術前値に対し術後すべての期間(1週、4週、12週)で有意差を認めた(p<0.01)。一方、瞭眼の同一部位には変化は認められなかった。

 網膜剥離による網膜の循環障害は、剥離による網膜血管組織の変性に伴う循環障害と網膜裂孔閉鎖術(強膜バックル)による循環障害の両者が関係していると考えられている。網膜剥離が長時間持続すると視細胞などの変性により、術後に網膜が復位したとしても視機能障害が残る。長時間、剥離した網膜の毛細血管床は閉塞していることが知られており、毛細血管床閉塞が末梢血管抵抗を上昇させ血流が低下していることが示唆されている。また、強膜バックルによる循環障害としては、強膜内陥による機械的圧迫もしくはシリコーン素材の侵襲などにより、末梢での血管抵抗が上昇し、その結果として網膜循環障害を生じると考えられている。

 レーザードップラー法を用いた測定では、測定範囲が狭いことから患者に対する測定が困難であることが報告されており、同一患者の術前後の測定には成功していない。今回の検討で本装置は術後早期より眼局所網膜の循環障害を捕らえることが可能であった。本装置は測定時間も短く、固視が良好であれは再現性の高い測定が行えることから、臨床的に有用であると考えられる。

網膜中心静脈と網膜静脈血流速度の相関

 正常有志者と切迫型網膜中心動脈・静脈閉塞症患者を対象に超音波カラードップラー装置を用い網膜中心静脈central retinal vein (CRV)の血流速度を測定、同時に本装置を用いて上・下耳側の網膜静脈retinal vein(RV)の血流速度の測定を行い、両装置の相関性と本装置の臨床における有用性について検討した。正常有志者の網膜静脈の平均血管径は153±8m(145〜161m)であった。CDIで測定した網膜中心静脈の平均血流速度は3.53±0.32cm/sec(3.2〜4.2cm/sec)、in vitro実験で得られた結果をもとに作製したノモグラムより算出した平均網膜血流速度は19.6±1.8mm/sec(17.3〜22.5mm/sec)、であった。

 疾病眼の動脈閉塞、静脈閉塞症はともに治療によって血流の改善が認められた。各症例で網膜中心静脈と網膜静脈の血流速度は同時に改善している。臨床では、絶対速度の算出も重要であるが、その変化を高い再現性で捕らえることが要求される。可及的かつ速やかに治療が必要となる、網膜中心動脈・静脈閉塞症の初期においても本装置よってその変化を捕らえることができ、さらに薬物治療による血流改善効果を定量的に捕らえることができた。

より細い網膜静脈血流速度の測定

 循環障害が生じている部位をさらに細分化するためには、より末梢の血流速度を測定する必要がある。網膜および脈絡膜血流速度の定量的指標としてNB値(normalized blur)を用い、血流速度の算出するノモグラムを作製した。ノモグラムをもとに正常人の網膜静脈血流速度を測定し、網膜静脈の平均血管径は54±6m(44〜63m)、平均血流速度は11.1±0.8mm/sec(9.6〜12.8mm/sec)、再現性指数は2.5±0.9%であり、一被験者の一連の測定に要した平均時間は63±15秒であり、血流速度はほぼ従来の方法での値に一致していた。

まとめ

 レーザースペックル現象を応用した網膜血管血流速度測定二次元解析装置を改良し臨床応用可能な装置を開発した。血流マップがリアルタイムで表示され、眼底の観察や測定部位がモニター上で確認できることから、測定が簡便で高い再現性が得られるようになった。また、測定時間が短く、被検者に対しても負担が少なく、解析も簡便で光磁気ディスクへ保存した測定データを後から解析することもできる。

 実験では網膜静脈の絶対血流速度の算出を目的とし、いくつかの仮定をもとにしたin vitro実験からノモグラムを作製した。SBR値は乳頭近傍の網膜血管血流速度の変化を捕らえることができるが、より末梢の局所網膜血流速度の変化はNB値が適していた。測定している基本情報は同じであるが、測定部位によって解析方法を変えることで、測定部位に適した解析が行え、正常人を対象とした従来の報告とも一致していた。

 臨床応用として、手術による循環障害、閉塞性疾患に対する治療効果、超音波カラードップラー法により測定した網膜中心静脈血流速度との相関など、循環障害や改善の変化を簡便に捕らえることができた。本装置は眼底カメラと一体化しており、疾病眼の撮影と血流測定が同時に可能となることから臨床上、非常に有用な装置と考えられる。

審査要旨

 これまで人眼における網膜循環動態の変化を捕らえる幾つかの方法が報告されているが、定量的に測定することは、けっして容易ではなく、臨床に応用できる方法が確立されたとはいい難い。本研究の目的は人眼に適応可能なレーザースペックル現象を応用した二次元解析装置を開発、in vitro実験により作製したノモグラムから網膜静脈血流速度を算出、薬物治療や手術治療による眼循環動態を解析し、下記の結果が得られている。

1.模擬人眼における測定特性

 レーザー光を均一な散乱体に照射した場合、散乱体の移動速度とスペックル強度のぶれの平均数は直線相関するが、生体眼においては主に赤血球が散乱体として捕らえられることから、均一な散乱体とは異なり血管内で多重散乱していると考えられ、ガラス毛細管を用いた実験モデルによる測定特性(種々の誤差要因)を踏まえた上で生体眼で得られた測定値を解析する必要があることが示された。今回の実験でレーザースペックル現象を応用した血流速度の測定はSBR値(square blur rate)を血流速度の定量的指標とし、種々の要因で影響を受けることが明らかになったが、逆にこれらの影響を補正すれば、絶対血流速度の算出が可能なことが示された。

2.正常人における網膜静脈血流速度の測定

 実験で得られたノモグラムをもとに正常人の網膜静脈血流速度を測定し、本装置の人眼における定量性と再現性について検討した。測定した網膜静脈の平均血管径は146±6mであった。In vitro実験で得られた結果をもとに作製したノモグラムより、網膜静脈血流速度を算出した。平均血流速度は18.4±3.8mm/sec、再現性指数は3.6±0.9%であり、一被験者の一連の測定に要した平均時間は60±11秒であった。平均血管内径146mで平均血流速度18.4mm/secは、ほぼ従来の方法での同一径静脈で得られた値に一致していることが示された。

3.網膜剥離手術による網膜静脈血流速度の変化

 本装置を用いて網膜剥離術前と術後の網膜静脈血流速度を測定し、術後早期からの局所の循環障害について経時的に捕らえることを目的とし、さらに本装置の臨床における有用性について検討した。術後の網膜血管血流速度は術眼の強膜内陥側で低下し、術後3ヶ月で術前値と比較して15%低下しており、術前値に対し術後すべての期間(1週、4週、12週)で有意に低下していることが示された。また、術後早期より簡便に測定が可能で臨床的に有用であることが示された。

4.網膜中心静脈と網膜静脈血流速度の相関

 正常有志者と切迫型網膜中心動脈・静脈閉塞症患者を対象に超音波カラードップラー装置を用い網膜中心静脈central retinal vein (CRV)の血流速度を測定、同時に本装置を用いて上・下耳側の網膜静脈retinal vein(RV)の血流速度の測定を行い、両装置の相関性と本装置の臨床における有用性について検討した。正常有志者の網膜静脈の平均血管径は153±8mであった。CDIで測定した網膜中心静脈の平均血流速度は3.53±0.32cm/sec、 in vitro実験で得られた結果をもとに作製したノモグラムより算出した平均網膜血流速度は19.6±1.8mm/secであり、ほぼ従来の方法での同一径静脈で得られた値に一致していることが示された。

 疾病眼の動脈閉塞、静脈閉塞症はともに治療によって血流の改善が認められた。各症例で網膜中心静脈と網膜静脈の血流速度は同時に改善している。可及的かつ速やかに治療が必要となる、網膜中心動脈・静脈閉塞症の初期においても本装置よってその変化を捕らえることができ、さらに薬物治療による血流改善効果を定量的かつ簡便に捕らえられることが示された。

5.より細い網膜静脈血流速度の測定

 循環障害が生じている部位をさらに細分化するためには、より末梢の血流速度を測定する必要がある。網膜および脈絡膜血流速度の定量的指標としてNB値(normalized blur)を用い、SBR値と同様に血流速度を算出するノモグラムを作製した。ノモグラムをもとに正常人の網膜静脈血流速度を測定し、網膜静脈の平均血管径は54±6m、平均血流速度は11.1±0.8mm/sec、再現性指数は2.5±0.9%、一被験者の一連の測定に要した平均時間は63±15秒であり、血流速度はほぼ従来の方法での値に一致していることが示された。

6.今後の臨床応用の可能性

 現在、高血圧や糖尿病などの成人病は増加の一途を辿っているが、これらの疾患における眼循環動態の経年的変化や薬物治療に対する変化を簡便かつ非侵襲的に捕らえることは臨床上重要である。本装置を用いた臨床研究として、高血圧や糖尿病患者を対象に薬物治療に対する眼循環動態の変化の検討が現在進められていること、また、眼循環動態が大きく変化する頚動脈海綿静脈胴瘻などの症例に対しても定量性の検討が行われていることが示された。

 以上、本論文は網膜静脈血流速度の測定において、生体眼に適応可能なレーザースペックル現象を応用した二次元解析装置を開発、in vitro実験で測定誤差の要因や安全性について詳細に検討、さらに血流速度を算出するためのノモグラムを作製し、簡便で定量性に優れ非侵襲的に測定ができることを明らかにした。本研究はこれまで定量的に測定することがけっして容易ではなかった眼循環動態の変化を簡便に捕らえられることから、眼生理、眼薬理学的にその意義は大きく、種々の眼疾患の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51132