学位論文要旨



No 214484
著者(漢字) 笹山,哲
著者(英字)
著者(カナ) ササヤマ,サトシ
標題(和) 運動中の血圧波形の無侵襲連続測定装置の開発・評価とその応用
標題(洋)
報告番号 214484
報告番号 乙14484
学位授与日 1999.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14484号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 富岡,照彦
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 安藤,譲二
内容要旨 1目的

 血圧は有力な生体情報の一つであるが、一拍ごとに変動するため、その動態を正確に把握するには血圧波形を連続的に測定する必要があり、観血的方法に頼らざるを得なかった。しかし、観血的方法は健康な被験者を用いて行う一般の研究には不向きであるため、運動や作業中の血圧変動に関する正確なデータは、これまであまり多く得られていなかった。一方、近年Penazが提唱した容積脈波を応用した非観血式の指尖動脈圧波形連続測定装置が、Wesselingらによって開発され、商品化された(Finapres)。病室でのモニタリング用としてFinapresの測定精度の優秀なことは、多くの報告により実証されているが、Finapresは検出器を指尖部に取り付けるため、腕や手指の動きがある場合それに伴って血圧波形に乱れが生じ、運動や作業中の計測にはやはり適さない。

 そこで、この問題点を解決するために、耳介部に装着可能な検出器を開発した。耳介部なら運動中の四肢の動きをいっさい拘束することはなく、椅座位や直立姿勢を保つ限り、心臓との位置(高さ)関係が維持されるため、正しい血圧波形が計測されると考えたからである。この研究の目的は、容積脈波を利用した血圧測定法を耳介部動脈に応用して、運動中の血圧波形の無侵襲連続測定装置(Earpresと命名)を開発し、測定精度に関する基礎的評価を行った後、Earpresの実際的場面での応用として、四肢の動きを伴った運動や作業中の血圧波形変動の測定に使用し、その有効性を検討することである。

2装置の開発

 図1のように、Earpresの耳介部検出器を製作した。赤外線発光ダイオード(LED)(a)とフォトダイオード(b)は同一のゴムプレート内に表面が平坦になるように近接して埋めてある。その対向側に直径12mmの半球状のエアカフ(c)があり、ゴムプレートの間隔は、ネジで調節できる。LEDから照射された赤外線は、耳介部動脈(d)内のヘモグロビンに一部が吸収されるが、残りは反射されてフォトダイオードにより受光され、容積脈波信号として信号線(e)を介してサーボコントローラに入力される。Earpresのサーボコントローラシステムは、この信号に応じてエアカフの空気圧をエアチューブ(f)を介して調節することにより血圧波形測定を行う(図2)。測定の第1段階では、サーボコントローラはマイクロプロセッサからの信号に従う状態((1))にある。カフ圧を徐々に変えて、血管の内圧と外圧を等しくした時(負荷除去時)の動脈径を容積脈波信号の振幅を利用して決定する。第2段階では、この基準値と時々刻々変化する容積脈波信号をオペアンプにより比較し、その差が無くなるようにサーボ弁を制御してカフ圧を調整するフィードバックループ状態((2))に切り替わる。これにより、カフ圧が常に動脈圧に等しく維持され、動脈圧を連続的に把握することができる。1ループの処理に要する時間は10ミリ秒未満と高速であり、計測中の負荷除去時動脈径の変化等に対応するための機能も有する。

図表図1 耳介部検出器の構成 / 図2 Earpresのサーボコントローラシステムのブロックダイアグラム
3基礎的評価3.1方法

 観血的方法との同時計測等、多くの報告により測定精度の優秀なことが明らかであるFinapresを基準にして、Earpresの測定精度を評価した。被験者の左耳に耳介部検出器、両手の第3指にそれぞれ指尖部検出器を装着させて、1台のEarpresと2台のFinapresによる同時計測を行った。3つの測定装置から得られた動脈圧波形データは、基準となる左心室での血圧変化とそれぞれ線形関係にあるという前提条件に基づくvan Egmondらの方法に則って、各装置の個人内および個人間の推定標準誤差を収縮期血圧と拡張期血圧についてそれぞれ算出した。

 被験者は19歳から50歳までの健康な男性25名であった。分析の都合上、短時間内での血圧変化が大きく、かつ簡単な動作として、1分ごとに起立動作としゃがむ動作を各被験者に3回繰り返させた。その間の動脈圧波形をもとに100個の同時計測値の組からなるデータを収縮期血圧と拡張期血圧についてそれぞれ個別に作成し、実際の統計計算を行った。測定中は両手の検出器は心臓の位置に保持させた。

3.2結果

 3つの装置により同時計測された動脈圧波形変動例の一部を図3に示した。このように、EarpresとFinapresによる波形変動とはよく対応していた。耳介部と指尖部間での収縮期血圧値および拡張期血圧値の相関係数は、両側の指尖部間どうしの値には若干劣るものの高い値であり、回帰係数の傾きはほぼ1であった。各測定部位における個人内推定標準誤差の平均と個人間の推定標準誤差を表1、表2に示した。個人内と個人間の推定標準誤差は無相関と仮定した上で、両者を総合した値を総計とした。

図表表1 収縮期血圧に対する推定標準誤差 / 表2 拡張期血圧に対する推定標準誤差図3 3つの部位により同時計測された動脈圧波形変動例の一部
3.3考察

 収縮期血圧におけるEarpresの個人内推定標準誤差は、Finapresの約1.4倍と、若干大きな値であった。拡張期血圧におけるEarpresの個人内推定標準誤差はFinapresの約1.9倍であったが、値そのものはEarpresの収縮期血圧のものよりも小さかった。一方、個人間推定標準誤差と総計に関しては、収縮期血圧、拡張期血圧ともにEarpresの値はFinapresのものとほぼ同様であった。以上のことより、Earpresの測定精度はFinapresと比較して遜色はなく、基礎的評価においては充分に信頼のおける装置であることがわかった。

4スポーツ医学領域への装置の応用4.1目的

 血圧は基本的な生理的情報の一つであるが、被験者に対する負担を考慮すると、計測が非侵襲的であることが望ましい。ウエイトリフティングのように速い動作を伴い短時間内に終了する激しいダイナミック運動中の血圧変動を把握するには、血圧変化の連続測定が必要であり、自転車エルゴメータによるペダリング運動等の比較的穏やかなダイナミック運動においても、被験者の四肢の動きを拘束することのない、自然な体勢での運動負荷計測が望まれる。Earpresがこれらの要求をみたすことを検証する。

4.2方法

 (1)穏やかなダイナミック運動として自転車エルゴメータにおけるペダリング中の血圧変化、(2)等尺性筋収縮運動の例としてハンドグリップ中の血圧変化、(3)激しいダイナミック運動としては片腕カールおよび両腕カール中の血圧変化について、それぞれ、複数の健康な男性ボランティアを対象として測定を行った。それぞれの運動において、運動強度を3段階に設定して、強度間の比較を行った。Earpresにより測定した運動中の動脈圧波形から、一拍ごとの収縮期血圧、拡張期血圧、心拍数を算出した。統計解析には分散分析を用いた。

4.3結果

 (1)自転車エルゴメータを用いたペダリング運動の結果では、収縮期血圧と心拍数の上昇量が負荷レベルに応じて有意(p<0.01)に増大したのに対して、拡張期血圧はあまり変化しなかった。(2)握力運動の結果では、収縮期血圧、拡張期血圧および心拍数ともに負荷レベルが高いほどその上昇量が有意(p<0.01)に大きかった。(3)ウエイトリフティングの結果では、収縮期血圧、拡張期血圧および心拍数ともに負荷レベルが高いほどその上昇量が有意(p<0.01)に大きかった。片腕カールと両腕カールとの比較においては、各被験者は両腕カール時には片腕カール時の約2倍の重量を挙上したにもかかわらず、収縮期血圧、拡張期血圧および心拍数の増加量には有意な差はなく、ほぼ同程度の上昇量であった。

4.4考察

 (1)自転車エルゴメータを用いたペダリング運動および(2)握力運動の結果は、既存の血圧計を用いた研究報告と対応するものであった。(3)激しいダイナミック運動(等張性筋収縮運動)時にも、等尺性筋収縮運動時と同様に、負荷レベルが高いほど血圧の上昇量が大きくなることが確認された。等尺性筋収縮運動時の血圧変動の報告では、血圧の上昇量は動員される筋肉量に応じるという説と、各自が自発的に発揮し得る最大筋力に対する割合に応じるという説があり相違が見られるが、今回の場合、両腕カール時には片腕カール時の約2倍の重量を挙上したにもかかわらず、血圧および心拍数の増加量は同程度であり、後者の説と同様の結果が得られた。

 このように、Earpresを用いるとスポーツ医学領域の実験において、被験者の四肢の動きを束縛しない状態で精度良く血圧波形の無侵襲連続測定を行うことが可能となることが確認された。よって、Earpresの臨床分野への応用としては第一に、運動療法や作業療法中の血圧のモニタリングが考えられる。また、四肢の障害や欠損のある患者の血圧のモニタリングにEarpresを代替として利用することも可能であると考えられる。

5人間工学領域への装置の応用5.1目的

 様々な作業や労働には、肉体的負荷とともに精神的負荷(メンタルワークロード)が存在する。メンタルワークロードの評価は、人間工学の領域では作業環境の評価やその改善の観点からも必要なことである。一方、血圧や心拍数のような生理的反応を測定して、メンタルワークロードの程度を把握することは、アンケート等を用いる主観的方法とは異なる客観的な評価法として重要である。そこで、これまでは作業者に負担をかけずに連続測定することが非常に困難であった、両手の動作が伴う日本語ワープロやビデオゲーム等の精神作業中の血圧波形変動をEarpresにより精度良く測定することができるかどうかについて検討する。

5.2方法

 (1)日本語ワープロ作業中の血圧変化および(2)ビデオゲーム操作中の血圧変化について、それぞれ、複数の健康な男性ボランティアを対象として測定を行った。それぞれの作業において、それぞれ作業の難易度を2段階もしくは3段階に設定して、難易度間の比較を行った。Earpresにより測定した作業中の動脈圧波形から、一拍ごとの収縮期血圧、拡張期血圧、心拍数を算出した。統計解析には分散分析を用いた。

5.3結果

 (1)ワープロ作業中に収縮期血圧(p<0.01)、拡張期血圧(p<0.05)が心拍数(p<0.05)と同様にそれぞれ安静時よりも有意に上昇した。また、被験者によっては収縮期血圧、拡張期血圧ともに最大値で50mmHg程度も上昇する例も見られた。(2)ゲーム操作中に収縮期血圧、拡張期血圧が心拍数と同様にそれぞれ安静時よりも有意(p<0.01)に上昇することが確認され、さらに収縮期血圧の上昇量は、ゲームの難易度があがるにつれて有意(p<0.01)に大きかった。

5.4考察

 今回の結果により、Earpresを用いると、人間工学領域の実験において、血圧波形の無侵襲連続測定を被験者の動作を制限することなく行うことが可能となることが確認された。生理的反応を用いたメンタルワークロードの評価には、これまで多くの場合、心電図波形の連続測定による心拍変動の分析等が行われてきたが、血圧はあまり利用されなかった。これは、血圧が生理的情報としてメンタルワークロードの評価に役立たないことを意味するのではなく、その変動を計測するのが非常に困難であったことを意味する。例えば、カフを腕に巻く典型的な血圧計では、1分間に一度ぐらいの断続的計測しかできないため、作業中の血圧変動を正確には把握できず、穏やかな血圧上昇量では有意な差を示せないのである。また逆に、既存の血圧連続計測法では、作業者に負担を強いることなく、かつ、作業者の動作を制限することなく、測定を行うことが非常に困難であったことを意味する。

 Earpresは測定中に対象者の四肢の動きを束縛しないので、例えば、自動車運転やクレーン車の操作等を行う作業者の血圧変動を測定し、メンタルワークロードの評価を行うこと等に応用可能である。

審査要旨

 本研究は容積脈波を利用した血圧測定を耳介部動脈に応用することにより、運動中の血圧波形の無侵襲連続測定装置(Earpresと命名)を開発し、測定精度に関する基礎的評価を行った後、実際的な場面での応用として、これまで計測が困難であった四肢の動きを伴った運動や作業中の血圧波形変動の測定に使用して、その有効性を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.測定精度が優秀であることが認められている既存の指尖動脈圧波形連続測定装置(Finapres)とEarpresを用いて同時計測を行い、測定データの標準誤差を推定により求めた。この結果、Earpresの測定精度は十分に高く信頼できる事が示された。

 2.Earpresをスポーツ医字の領域および人間工学の領域に実際に応用したところ、これまでは計測が困難であった四肢の動きを伴った運動や作業中の血圧波形変動を波形の乱れを生じずに計測することが可能である事が示された。

 3.激しいダイナミック運動(等張性筋収縮運動)であるウェイトリフティング中の血圧の上昇量は、等尺性筋収縮運動時と同様に負荷レベルが高いほど大きくなることが判明した。さらに、両腕カール時には片腕カール時の約2倍の重量を挙上したにもかかわらず、血圧および心拍数の増加量は同程度であり、血圧の上昇量は動員される筋肉量に対応するのではなく、自発的に発揮し得る最大筋力に対する割合に対応する事が示された。

 4.穏やかなダイナミック運動(有酸素運動)においても、被験者の四肢の動きを拘束することのない、自然な体勢での運動負荷計測を実施できるので、運動療法や作業療法中の患者に対する血圧の連続モニタリング等の臨床応用が可能である事が示された。

 5.ワープロ作業やビデオゲーム操作中には血圧が心拍数と同様に安静時よりも有意に上昇する事が示された。さらに、ゲーム操作での収縮期血圧の上昇量は、ゲームの難易度があがるにつれて有意に大きくなり、作業者のメンタルワークロードの評価にEarpresによる計測が有効である事が示された。

 6.Earpresを用いると、自動車運転時の血圧変動を数時間にわたり連続測定することができ、被験者に負担のかからない血圧の長時間モニタリングに有用である事が示された。

 以上、本論文は容積脈波を利用した血圧測定を耳介部動脈に適用することにより、四肢の動きを伴った運動や作業中の血圧波形変動の測定に有効な無侵襲連続測定装置を開発し、その有用性と応用性を示したものである。この装置を利用した研究は、これまでは非常に困難であった種々の運動中や作業中の血圧波形変動の機序解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51133