学位論文要旨



No 214489
著者(漢字) ラオール,チャイルキット
著者(英字) La-or,Chailurkit
著者(カナ) ラオール,チャイルキット
標題(和) シアル酸含量による妊娠中のhCG分子多様性及び生理活性の経時的変化
標題(洋) Molecular and bioactive heterogeneity of human chorionic gonadotropin caused by sialic acid contents during pregnancy
報告番号 214489
報告番号 乙14489
学位授与日 1999.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第14489号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 渡辺,知保
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨

 糖蛋白ホルモン(FSH,LH,TSH,hCG)は鎖よりなり、鎖遺伝子は総てに共通で、鎖のみが異なっている。これらホルモンの生理活性は鎖のヘプチド構造の差によるものと考えられてきたが、むしろ鎖に存在する2つのN-結合糖鎖のうちのp-30アスパラギン結合糖鎖により生理活性が発現している。それ故に鎖の糖鎖構造は生理活性を発現するうえで重要である。本研究は、hCGの生理活性の規定因子は何であるかをみるため、異所性に産生されたhCG及び妊娠経過中のhCGについて解析を進めた。

 まず異所性に産生されたhCGを分析した。hCGは通常、胎盤絨毛細胞より産生されるが、異所性に下垂体、癌組織(肺ガン,子宮癌,卵巣癌,Germinoma,胃ガン等)でも発現する。我々は、56才女性でFSH,LHを分泌せず、hCGのみを一過性に過量産生している症例を見いだした。この症例の尿中よりFS,LHを含まない下垂体由来hCGを精製することが出来た。SDS-PAGEによる分析では、これら異所性に産生されたhCG分子種(conjugated hCG,hCG and -subunit complex,free b subunit,free a subunit,nicked hCG,-core fragment等)に差はなかった。糖鎖末端のシアル酸の結合態を特異的に認識するレクチンを用いた分析で、下垂体性がNeu5Ac2-3 Gal構造と、Neu5Ac2-6 Gal構造及び硫酸基を有するのに対し、胎盤性はNeu5Ac2-3 Gal構造のみを呈していた。酵素的に脱シアル酸処理を行うと、胎盤性hCGのpI’は2分子種に収束し、各分子の等電点は各分子の有するシアル酸量により規定されていた。しかし下垂体hCGは更に複雑な糖鎖構造からなっていた。更にラットLeidig細胞を用いたテストステロン産生よりみた生理活性について、両群のhCGで比較を行った。その結果下垂体由来hCGは生理活性が胎盤性hCGの約1/10以下を発現しているに過ぎなかった。これは各臓器には異なった糖添加酵素が存在することによって、hCGの糖鎖プロセッシング過程が異なり、hCGに異種の糖鎖構造が形成され、生理活性も異なることを示すものといえる。

 次いで妊娠中のhCGについて分析を進めた。。尿中hCG排泄量は妊娠初期に最も多く(妊娠12-15週頃)以降減少していき、hCG-core分画も同様に変化した。pI’は,我々の新しく開発した平板等電点電気泳動法(アンフオライン添加の6%アクリルアミド版(0.5mm)上で通電)で分析し、蛋白転写して、坑hCGCTP抗体を用いて免疫染色した。その結果妊娠中、pH3.5-5.4に8分子種、pH7.0-8.6に3分子種存在し、初期には強酸性域の分画が主体を占めるが、妊娠経過と共に近中性域へ主分画は推移した。

 複合体はEIA法(TOSOH)で定量し、複合体のLH生理活性(LHIU/hCG_IU)は、同様にラットLeidig細胞のテストステロン産生量で検討した。初期27.5±5.6,末期11.3±6.4と減少傾向(p<0.01)を示した。これらの結果より妊娠経過中に、絨毛細胞内でのhCG遺伝子発現量とプロセッシング(シアル酸付加)様式が変化し、生理活性も変化することが示唆された。

 そこでこのシアル酸含量の減少は何によって生ずるのかを検討した。仮説として2つを考えた。一つは、sialyltransferase(ST)の発現量がhCG遺伝子発現量に比べ減少している可能性。次いで6個あるhCG遺伝子は2群に分類出来るが、この1群はシアル酸を多く結合出来る構造を持ち、他群はシアル酸を多く結合しない。妊娠初期は2群が発現していても、末期にはシアル酸を多く結合する群の発現が抑制され、その結果、中性域のpI’を示すhCGが多くなるとの仮説である。そこで充分なインフオームドコンセントを各人より得て、妊娠初期の中絶例及び末期の帝王切開分娩で得た絨毛よりRNAを抽出して、各シアリダーゼ遺伝子及び2群のhCG遺伝子(hCG gene 3,5,7 and 8:hCG gene1 and 2)の発現の分析をRT-PCRで行った。STは2-3 ST,2-6 ST及び2-8 STの3群に分類され多数存在する。クローン化しされているのはなおその半数にも満たないが、現況で知り得た7種のSTについてRT-PCRを行った。その結果一つの2-8 ST以外すべてのSTは、妊娠中上昇していた。胎盤性hCGのシアル酸は、Neu5Ac2-3 Gal1-4GlcNAc構造をもっていることが知られている。そこでこのシアル酸酸添加酵素は現況では以下の4つが考えられる。

 (1)CMP-sialic acid:Gal1-4GlcNAc 2-3-sialyltransferase(EC 2,4.99,- or ST3(ON) or ST3Gal-III)

 (2)CMP-sialic acid:Gal1-3/4GlcNAc-R 2,3-sialyltransferase(EC 2,4.99.6 or ST3(N) or ST3Gal-II)

 (3)CMP-sialic acid:Gal1-4GlcNAc-R 2,3-sialyltransferase(EC 2,4.99.- or ST3(N)-II)

 (4)CMP-sialic acid:Gal1-3/4GlcNAc-R 2,3-sialyltransferase(EC 2,4.99.- or ST-4)

 我々はST3(ON),ST3(N)の発現を検討することが出来た。しかしこれらSTも同様に発現の上昇がみられ、妊娠中のシアル酸減少はシアル酸添加酵素の発現抑制によるものでないことが明らかとなった。そこで第二の可能性について検討した。その結果他群のhCG geneも軽度抑制はあるが、hCGgene 1,2の発現が完全に抑制されていた。この結果より、ST量は妊娠初期より増加していくので、hCGgene 3,5,7 and 8とhCG gene 1 and 2では糖鎖のプロセッシング過程でのシアル酸付加量はもともと規定されており、前者は少なく、後者は多い。そこで末期にはシアル酸付加量が少ないhCG gene 3,5,7 and 8のみが発現しシアル酸量が少なくなり、初期では両者が発現して全体でのシアル酸量が多くなったとの仮説が可能となるのではなかろうか。 初期より末期に至る各hCG分子種の等電点は、異なるhCG遺伝子毎に規定されている可能性が示唆されることになる。それはシアル酸量に規定されるhCGの生物活性も個々のhCG遺伝子毎に規定されている可能性を示唆するものである。それを傍証する事象として、2,6 STは絨毛細胞内では充分量発現しているにもかかわらず、絨毛性hCGのシアル酸は、Neu5Ac2-3 Gal構造のみであって、Neu5Ac 2-6 Gal構造が存在しないことが挙げられる。即ち糖鎖末端構造のみではシアル酸結合態が規定されず、元々アミノ酸構造そのものによって規定されている可能性がある。

 妊娠初期、胞状奇胎,絨毛癌で時に、TSHが低下して甲状腺機能亢進症が生ずる。これはhuman chorionic thyrotropin(hCT)が発見され,その作用物質であると以前言われてきたが、現在はhCG分子の作用と判明している。これはシアル酸含量の少ないhCGに高十宇先刺激作用がある。本研究より、甲状腺機能亢進症を引き起こすのは、等電点が中性域にある、シアル酸付加量の少ないhCG gene3,5,7 and 8の過剰発現によるものである可能性が示唆される。

 以上、2つhCG遺伝子群には、それぞれにシアル酸含量を含めた糖鎖構造が規定されている可能性があり、等電点を含めた多くのhCG分子多様性は生理活性を規定して,妊娠中にこれらは大きく変化していくことが明らかとなった。

審査要旨

 本研究は、糖蛋白ホルモンの一つであるhCGについてその分子多様性及び生理活性を2つの視点より分析し、糖転移酵素発現量がその糖鎖構造を規定する因子であるか否かを研究したものである。

 1)先ず精製抽出した異所性(脳下垂体)分泌hCGと、正常絨毛性hCGについて、福岡らが新しく開発した平板等電点電気泳動法とSDS-PAGEを用いて、その分子多様性をみた。その結果、hCGには異なるpI’(pH3.64-pH 8.57)を有する多様な分子種より構成されていること、またそれらは糖鎖構造により規定されていること、更に下垂体由来はその末端に硫酸基、シアル酸を有しておりシアル酸結合様式は、Neu5Ac2-3 Gal及びNeu5Ac2-6 Galの2種より構成されていた。しかし絨毛性hCGの分子多様性はシアル酸により規定され、しかもその結合様式はNeu5Ac2-3 Galのみであることが明らかとなった。これは例えアミノ酸の一次構造が同一でも臓器により、そのプロセッシング過程はその発現している臓器または細胞に特異的であって、異なった糖鎖構造を有する蛋白が生成されることを意味する。また下垂体由来hCGは同一の免疫活性を持っていても、ラットライディッヒ細胞を用いてLH生理活性を検討すると、低くこの点からも糖蛋白ホルモンの糖鎖構造の重要性が確認された。

 2)Permutit法で妊婦尿からhCGを抽出し、正常胎盤性hCGを経時的に分析した。この等電点分子多様性を同じく平板等電点電気泳動法でみると、経時的に主分画は強酸性域より近中性域に推移し,ラットライディッヒ細胞でみたLH生理活性は減少した。それはシアル酸(SA)が減少することにより生ずる現象といえる。その機構をみるため、インフオームドコンセントを得て、初期及び末期絨毛のSA添加酵素(sialyltransferase:ST)と2群のhCG(hCG gene 3,5,7,8:A群,hCG gene1,2:B群)の遺伝子発現を検討した。末端シアル酸構造は、Neu5Ac2-3 Galのみを有することが明らかとなった。それを作るシアリルトランスフエラーゼ(ST)には,CMP-sialic acid:Gal1-4GlcNAc 2-3-ST,CMP-sialic acid:Gal1-3/4GlcNAc-R 2,3-ST,CMP-sialic acid:Gal1-4 GlcNAc-R 2,3-ST,CMP-sialic acid:Gal1-3/4GlcNAc-R 2,3-STの4種がある。そこで、この酵素及びhCGの発現量は、RNAより作成したcDNAから、各発現遺伝子に特異なフライマーを用いてGAPDHに対するcompetitive PCRでみた。その結果、STの発現はすべて上昇し、hCGA群発現の軽度抑制とB群の完全な抑制をみた。即ちhCGB群はSAを多く結合するフロセッシング特性を有する蛋白を形成しA群は逆であって、SA付加量はSTによらず、経時的にB群の発現が抑制されA群のみが発現する結果.中性域のhCG分画が多くなる可能性が示唆された。その結果HCGの生理活性は経時的に減少することが明らかとなった。

 即ち、妊娠経過に伴いhCGは、1)糖鎖であるシアル酸含量の経時的な減少により、生理活性の低下すること,2)その低下機構としてシアル酸添加酵素の遺伝子発現の低下によるものではなく、7個あるhCG遺伝子のうちその半分の遺伝子発現が消失することを見いだし、この減少がシアル酸含量の低下を引き起こす可能性を新しく見いだした。

 絨毛性疾患で,シアル酸量の少ないhCGが甲状腺機能亢進をおこすことは良く知られた現象である。しかしこれは一部の症例のみで見られています。何故、一部の症例にのみシアル酸含量が少ないのか羽:現在明らかでありませんが、本研究より、それは妊娠中に末期まで発現するhCG遺伝子群が過剰に発現することにより生ずる可能性が示唆され、現在不明である現象の病態生理が解明される可能性が示唆されます。このように、今後の糖鎖生理活性を研究する上で重要な成果であり貢献するものと考えられ、学位の授与に価するものである。

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