学位論文要旨



No 214491
著者(漢字) 金沢,英之
著者(英字)
著者(カナ) カナザワ,ヒデユキ
標題(和) 近世日本の神話的世界像 : 服部中庸『三大考』を中心に
標題(洋)
報告番号 214491
報告番号 乙14491
学位授与日 1999.11.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14491号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 川本,皓嗣
 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 黒住,真
内容要旨

 寛政九年(一七九七)十一月、本居宣長『古事記伝』第十七巻附巻として、一冊の書が刊行された。服部中庸による『三大考』と題されたその書は、十枚の図とその解説から成り、『古事記』神代巻の解読をつうじて世界の成り立ちを説くものだった。その内容には、宇宙を天・地・泉(=黄泉)の「三大」から構成される三元的世界とし、また須佐之男命の統治する泉国と月読命の統治する夜之食国とを同一の国とするなど、いずれも神話的世界像に関わる部分で『古事記伝』の説とは異なる独自の主張が多く含まれていた。宣長が何故このような書を、みずからの学問研究の集大成である『古事記伝』の附巻としたのか。それを考えるには、従来の「文献学的」と称されるような『古事記伝』への評価から離れ、『古事記伝』を執筆することで宣長が『古事記』から導きだそうとしたのがどのような世界像だったのか、言葉を換えれば、宣長はいかにして『古事記』を神話テクスト--世界の成り立ちや物事がいまかくある由来を語るテクストという意味での--として読み得たのかを問うことが必要になる。そのような観点から、『古事記伝』に集約される宣長の古典研究の営みを捉えなおしてみることを、『三大考』という書物の存在が要求しているのである。

 したがって、本論文では、『三大考』の具体的分析をつうじて『古事記伝』へと遡ることにより、『三大考』そして『古事記伝』をそれらの描き出した神話的世界像という観点から位置づけ直す。それには、宣長以前の段階で神話的な世界像がどのようなかたちで存在したのか、またそれが歴史をつうじてどのように具体的な変遷を遂げたかについても知る必要があり、また、いかなる時代的背景において、宣長が自らの神話的世界像を導き出さねばならなかったのかという点についても考察しなければならない。

 このため、第一章では、中世におけるアマテラス像という具体的モチーフを例とし、神話の変容過程の一端を窺うと同時に、宣長以前の段階で存在した神話的世界像の特質を探ることを試みた。

 中世に入って、それまでの古代とは異なるアマテラス像を描き出したテクストが多数現れるようになる。そこに描かれるのは、世界のはじめ、「大日の印文」とともに出現し、「第六天魔王」と契約を交わし魔王の障碍を未然に防ぐことで陰からこの国の仏法を保護し、その魔王から三種の神器のひとつである「神璽」を受け取る存在としてのアマテラスである。このようなアマテラス像が、なぜ中世になって出現することとなったのか。この中世のアマテラスに関する多様なテクストを手がかりとして、古代の帝国的世界像とは異なる世界像--天竺・唐土・本朝の三国を仏法という単一の原理が覆う三国的世界像--を読み解き、そのなかで、大日としてのアマテラスが日本の主たることによって、日本という個別的世界が三国的世界に属することの確信が果たされること、そのようなアマテラスの位置が、仏教的世界観において欲界の支配者と見倣され得た第六天魔王との契約によって保証されること、そして、「神璽」を介し、天皇の正統性といった問題もそのなかで位置づけられてゆくことなどを明らかにする。

 つぎに第二章では、宣長の生きた近世中〜後期という時代、前章で見たような中世的世界が過去のものとなってゆくなかで、神話が根拠づけるべき現実の側がどのような変貌を遂げていったか、その変化に重要な役割を果たした要因のひとつとして、主に西洋自然科学知識の影響という側面から考察した。

 近世の開始と同時に、イエズス会宣教師らの手によってもたらされた天文学的知識、とくに、地球概念やその地球と同格の天体としての日月の位置づけなどは、夙くも一七世紀初頭に不干斎ハビアンが中世的な仏教の教説に基づいた世界像を論駁するのに用いられていた。こうした知識は、その後の禁教令下で制約を被りながらも、『天経或問』やリッチの世界図などの著作を通じ、徐々に広く浸透してゆき、仏教の須弥山説や儒学の渾天説によるものとは質的に異なった世界像を生み出していった。宣長もまた、こうした新しい現実のなかで生きていたことが、『天文図説』や『沙門文雄が九山八海解嘲論の弁』、『真暦不審考弁』などの著作から確かめられ、そうした現実に対応し得るものとしていかに『古事記』を読むかということが、宣長の課題であったと認められる。

 つづく第三章以降が、『三大考』の具体的な分析となる。まず本章では、数種の草稿をあわせ見ることで『三大考』成立過程を解明し、その作業を通じそこに表れた問題の輪郭を定めることを目的とする。

 『三大考』を『古事記伝』と比較した場合、『三大考』が大枠において『古事記伝』を下敷きとしながらも、そこから顕著に異なってゆく点として、(一)天・地の二元的世界ではなく天・地・泉の三元的世界を機軸とすること、(二)天=日、泉=月という、神話的世界の天体的定位を行うこと、(三)泉国と夜之食国を同一の国とし、したがってそこを支配する須佐之男命と月読命も同一神であるとすること、などの主張が挙げられる。『三大考』には、『天地初発考』『天地初発考図』『天地考』の三種の草稿の存在が確認されるが、これらの内容を比較検討し、(一)(二)の説がもっとも初期の段階から『三大考』構想の根幹として存在したこと、そこへ、『古事記』に現れる「産巣日(ムスビ)」の神々の「産霊(ムスビ)」の働きによる世界の展開という、『古事記伝』から受け継いだ要素が段階的に強調されながら重ね合わされていったこと、これに対し、(三)の説はむしろ事後的に、しかも宣長による改変を経て成立したことなどを明らかにする。

 第四章では、前章で得られた知見をもとに『三大考』の提示する世界像の分析を行い、そこからさらに『古事記伝』を見返してゆくことで、宣長にとっての『三大考』の意味を探った。そしてこの分析を通じ、『古事記伝』が『三大考』を併せ持つことで実現された『古事記』の読みがどのようなものであったか、解明を試みた。その結果、(三)の説が表面的には『古事記伝』との矛盾を孕んだものであるにもかかわらず、結果的には宣長によるこの改変が、『三大考』の描き出す世界像を『古事記伝』の描き出す世界像へつながるものにし、反対に初期の草稿やあるいは『三大考』批判者側の著作の持つ世界像とは異なるものとするのに貢献していたことを明らかにした。それは、「産霊(ムスビ)」のはたらきにより、天・地・泉を含めた宇宙の全体が成り立つ世界であり、日月という天体や、外国の存在といった問題を含む現実のすべてが、「産霊」のはたらきを通じて根拠づけられるような世界だった。『古事記伝』の根底に横たわるこうした世界像への確信を、より明確に、より推し進めたかたちで可能にするテクストが『三大考』だったのであり、その限りにおいて(一)(二)のような点も、『古事記伝』との揺れを孕みながらも宣長にとって容認すべきものであったと理解される。

 最後に第五章では、『三大考』以後に惹き起こされた論争を全体として検証しつつ、そこで何が問題とされたのかを見届けた。これにより、『古事記伝』『三大考』の提示したものをあらためてその外側から映しだすと同時に、『古事記伝』をその研究史の嚆矢として持つような、近代の『古事記』が、どのような場所からはじまったかを見定めることを目的とした。

 『三大考』に関わる論争は、宣長の死後百年にわたって様々な著作を生み出しつづけた。そこで焦点となったのは、本質的には『古事記』からいかなる世界像を読み出すかということであり、はたして『古事記』は近世後期の現実を根拠づけ得る神話テクストたり得るのかという問題だった。『三大考』批判者側の著作が、結果的にはこの問いかけに対し否定的な答をつきつけるのに対し、『三大考』を継承した著作では、なお科学的世界観と古伝から導き出される世界観の止揚が図られてゆくことになる。両者の世界像のあいだに横たわる断絶が覆いがたいものとなったとき、論争に終止符が打たれ、あらためて近代の神話がはじまることになる。

 以上のような分析を通して、宣長の『古事記』研究の営みを、近世という時代におけるあらたな神話的世界像の創出という観点から位置づけることを試みた。こうした考察を行うことが、近世以降現代に至るまでの『古事記』像、そして『古事記』について語る者自身の思考の枠組みがどのように規制されてきたのか、省みることにつながってゆくと考える。

審査要旨

 本論文は、近世日本において、『古事記』の神話的物語を読む営みを、それ自体ひとつの神話生成としてとらえ、その全体が、どのような世界像とともになされえたのかという観点から迫ろうとしたものである。具体的には、『古事記伝』第十七巻付巻として刊行(寛政九年)された『三大考』を主たる対象として考察するものである。

 『三大考』は、本居宣長の弟子服部中庸の著、十枚の図とその解説とから成る。図像化されたものであるだけに、世界像の問題が先鋭にあらわれており、『古事記伝』や宣長との関わりにおいて成り立つものとして、まさに近世日本の神話的世界像の問題がそこで問われるのである。いわゆる研究史として見るのではなく、『古事記』から新たな神話的物語を読みだすことによって、神話生成をになったものとしてとらえる、本論文の視点は斬新である。それは、『古事記』が古典として生きたありようを照らし出すともに、今日の古典の制度を問い、わたしたち自身を問い返すことにもつながる。古典としての『古事記』に深くあい渉る問題を、緻密で実証的な作業によって掘り起こした点で本論文の意義は大きい。

 本論文は、第一章世界像の組みかえと神話の変容-中世におけるアマテラス-、第二章科学知識の浸透と現実の変容-近世のはじまりから『三大考』の出現まで-、第三章『三大考』の成立、第四章宣長と『三大考』、第五章『三大考』論争-神話的世界像の終焉と『古事記』のあらたな始まり-、の全五章から構成される。第三章以下を中心とし、その前提として、第一、二章を置くものである。すなわち、中世の神話的世界像を変換して近世の神話的世界像があり、そのなかで『三大考』を見るべきことを確かめながら(第一、二章)、『三大考』を見定めてゆくものである。

 前提となる第一、二章は、第一章では、アマテラスを取り上げ、中世において、古代的帝国的世界像にかわって仏教的な三国的世界像とともに神話を変換してゆくことを見る。多様なアマテラスの物語・説話を見ながら、アマテラスは大日如来の権化だとする神仏習合の本質が、世界像-一世界としての天竺・震旦・本朝-にあること、それが宣長以前にあったものだということを示す。

 そして、第二章では、その中世的な世界像が、ヨーロッパからもたらされた自然科学知識によって転換を余儀なくされることを見る。西洋的近代のもたらした衝撃に対する反応という点から見るべきものとして、問題の基盤を大きく比較文化的視野をもって据えるのである。その基盤から、宣長の『古事記』を読む営みをとらえ、第三章以下、宣長の問題でもあり、『古事記伝』の問題でもあるという観点から、『三大考』を考察する。

 『三大考』への宣長の関与は、稿本に対する宣長の書き入れがすでに指摘されている。本論文は、資料の上で、従来紹介されていなかった新しい稿本を掘り起こして、成立についての考察を深めるとともに(第三章)、『古事記伝』とかかわらせながら、宣長にとって世界をいかに根拠づけるかという点で、『三大考』が意味をもったことを分析し(第四章)、さらに、宣長学派全体を巻き込んだ論争を見渡しつつ、そこにはらまれた問題が世界像の問題にほかならないことを確かめてゆく(第五章)。神話生成をになうものとして宣長をとらえる視点を、『三大考』考察を通じて明確にし、それを近世という時代を広く考えることにも結びつけるという、論の展開は明晰かつ新鮮であり、新しい問題をひらいたものとして高く評価される。

 特筆されるのは、第一に、『三大考』に関して新しい資料を発掘し、成立過程の解明に大きく寄与するとともに、問題を深めたことである。『三大考』稿本としては、『天地考』、『初稿本』(表紙を欠き原題下明。西川順土氏による称だが、本論文では『初発考図』と呼ぶことを提唱する。十一枚の図のみから成り、約五十箇所に上る宣長の書き入れがある)の二が知られていたが、これに加えて『天地初発考』と題する草稿が確認されたのである。図をもたず、『天地考』前半の総論部分に相当するもので、これと『初発考図』とをあわせ見る-『天地初発考』に対応するものとして、『初発考図』と呼ぶのが正当である-ことで、『天地考』に先立つ構想を見ることができる。そして、『天地初発考』と『初発考図』とは、前者には宣長の書き入れが見られないことなどから一体のものとしてなされたとはいいがたく、まず『天地初発考』が成り、これを図式化した『初発考図』へ、次に、図への宣長の訂正を経て改稿した『天地考』が成り、さらにそれを再編成して『三大考』となったという過程が説得的に示された。成立過程が解明され、宣長の関与の意義がより明確にされたのである。

 第二に、『三大考』をめぐる論争の全体像がはじめて明らかにされたことである。平田篤胤『霊能真柱』(文化九年)が『三大考』を発展させるかたちで成されたのをきっかけとして、賛否両論が展開され、大論争というべきものとなったことは有名だが、全体像が把握されていたとはいいがたく、資料の面でも不十分なままにとどまっていた。本論文は、資料を博捜しながらこの論争の全体を最大限に追尋して-本論文巻末の、優に一つの論文を越える労作「『三大考』論争関連年表」に見る通り-、その問題性を明らかにした。その資料調査は、巻末の文献目録資料の項に見る如く、まさに労業である。

 第三に、『三大考』論争を見渡しながら、『古事記伝』が、現実世界と拮抗可能な神話的世界像を保証するテキストとしての『古事記』を作りあげようとし、その『古事記伝』のもつ指向を『三大考』がより徹底したかたちで提示したととらえ、他方でこれを批判する側が『古事記伝』批判にいたることを見つつ、『古事記伝』の問題を深化させ、宣長論について新しい提起をおこなっていることである。宣長の世界図式としての『天地図』と、『古事記伝』との関係に言及する論議はいままでにもあるが、論としては不徹底であった。『三大考』とあいまって、『古事記伝』は、日月という天体や、外国の存在ということまで、現実のすべてを根拠づける世界の物語として、『古事記』の神話を読むのであり、それはもう新しい神話作りにほかならない-自ら神話を生成する『古事記伝』-と見る方向性を示し、しかもそれを近代的天文学的知識と対峙しながらなされたものとして比較文化的視野のなかで位置づけたことは、本質的で重要な問題提起として特筆される。

 以上、本論文は、宣長を中心として、近世において『古事記』の神話的物語を読む営みを、世界確信-自分たちの世界をいかに根拠づけ、いかに確信できるか-を紡ぎだす意味をもつものとして、神話的世界像という点から明確にとらえだしたのであった。国文学・思想史にまたがる問題の掘り下げは高く評価される。広い比較的見地から見るとともに、緻密な実証的調査をあわせもつ論文であり、また、第一、三、四章は、すでにジャッジを経て、国文学の代表的な学会誌(『国語と国文学』・『国語国文』・『上代文学』)に発表された論文をもととするということによってもその質を証されている。もって学位論文に十分値するものと認める。

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