洪水氾濫の水深、湛水時間、流速等の特性、ならびにそれによる被害を評価することは、洪水警報と避難、水防活動、河川改修計画、氾濫原管理など、洪水被害軽減対策にとって基本的に重要である。本論文は、洪水氾濫特性とその経済的被害それぞれをグリッド・ベースで算定するモデルを開発し、その有用性を示したものであり、8章からなっている。 第1章は序論であり、本研究の意義と必要性を議論し、洪水氾濫をシミュレートできるphysically-based distributed modelの開発、洪水の経済的被害算定モデルの開発および両者を統合した洪水被害評価システムの開発を目的として挙げた後、論文全体の構成について述べている。 第2章は、分布型水文モデルと氾濫モデルおよび洪水被害評価に関する既往研究のレヴューである。前者については、既存のモデルの長所・短所を比較整理した後、分布型水文モデルに氾濫モデルを組み込むことの必要性を指摘している。後者については、日本、オーストラリア、英国および米国において実用、ないしは研究されている評価法が比較整理されている。 第3章では、本論文の主要な成果の一つであるグリッド・ベースの洪水氾濫モデルの開発とその分布型本文モデルへの組み込みが取り扱われている。まず、流路の合流と分岐を含む河道網での流れをSaint-Venant方程式でモデル化し、数値計算アルゴリズムを提示した後、仮想的条件に対する計算結果と比較することによりこのモデルと計算アルゴリズムの妥当性をを検証している。次いで、同じくSaint-Venant式を基礎として2次元表面流モデルと数値計算アルゴリズムが提示され、同様にその妥当性が検証される。さらに、河道網流れモデルと表面流モデルとが結合され、かつ、それを既存のIISDHM(生研分布型水文モデル)に組み込むことにより、流域における水文過程の一環として河道からの洪水氾濫をシミュレートできる分布型水文モデルが完成された。 第4章では、グリッド・ベースの洪水被害評価モデルの定式化およびそれと氾濫モデルとの統合について取り扱われている。まず、第2章で行った4カ国のレヴューを基に経済的計測可能性および直接被害と間接被害の観点から洪水被害を分類・議論した後、この研究では、都市域洪水被害、農村域洪水被害およびライフライン施設洪水被害を対象とすることとして、それぞれのカテゴリーに含まれる被害対象の細目を分類・整理している。そして、各被害対象細目毎に氾濫パラメータ(湛水深、湛水時間等)に対して被害額を評価する一般式を提示し、日本で既往の調査データがある都市域と農村域被害についてはそのデータを適用して各細目毎に氾濫パラメータと被害率の関係を定めている。被害額はグリッド毎の氾濫パラメータを基に算定され、氾濫パラメータはグリッド・ベースの分布型水文モデルに組み込まれた氾濫モデルにより計算されるので、両者を統合することによって、降雨などの水文条件を入力すればオンラインで洪水被害が評価できる’流域水文-洪水被害算定統合システム’が構成される。 第5章と第6章では、1996年7月に豪雨による洪水氾濫を経験し、水文データと被害データを取得しやすい千葉県の一宮川流域を対象として、これまでに提示されたモデルの適用性が検討されている。第5章は、氾濫モデルが組み込まれた分布型水文モデルの実流域における適用性の検討である。まず、モデル構成の前提として、流域の諸特性に関するGISデータの作成、河道特性パラメータ、DEMの解像度が流路網の発生に与える影響、異なる衛星データによる土地被覆分類の相違等が吟味され、モデルの構成条件が決定される。1996年豪雨に対するシミュレーション結果は、河道流出ハイドログラフ、河道水位、氾濫区域および氾濫水位とも実測値と良好な一致を見せており、実流域への適用の妥当性を示している。 第6章は、洪水被害評価モデルの適用性の検討である。まず、市町村単位で集計されている各種の被害対象に関わるデータ(世帯数、人口、家屋の種類、業種、土地利用、作付け作物、交通量など)が解像度30mのLANDSAT衛星データに基づく詳細な土地被覆分類図と参照されながら200mグリッド単位で一宮川流域内に配分される。そして、洪水後に調査された氾濫水位を各グリッドに適用して推定される被害額と市町村調査による被害額との比較、また、氾濫モデルにより算定される氾濫パラメータを適用して推定される被害額と市町村調査被害額との比較、がそれぞれ行われ、都市域被害額では良い一致を見せるが、農村域被害等ではこの研究で提案した算定モデルのほうが過大な値を与えることを指摘している。市町村調査による被害もある基準(仮説)に基づく推定であり、現状では被害額の妥当な値を一義的に決定するのが困難な状況である。これを決めるにはまず被害の実態に関する詳細かつ広汎な調査が必要であり、このこと自体が独立した重要な研究テーマと考えられる。本研究は洪水被害評価の基本的フレームを提示し、それが説得力を持つことを示した点で評価でき、適正な被害額の算定については今後の研究課題である。 第7章では、一宮川の河川激甚災害対策特別緊急事業計画を対象として、1996年豪雨および100年確率降雨に対する洪水氾濫シミュレーションと被害額の推定の結果が示され、それらが洪水警報の発令、水防活動、今後の河川改修の優先順位の決定などに有用な情報を与えることが例示されている。 第8章で、本研究の結論が要約されるとともに、洪水氾濫パラメータと被害額の推定の精度向上へ向けて研究の方向性が議論されている。 以上のように本研究は、’流域水文-洪水被害算定統合システム’を開発し、その妥当性と有用性を示したものであり、河川工学、応用水文学における水害軽減対策分野の発展に資するところが大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |