学位論文要旨



No 214495
著者(漢字) デュシュマンタ,ダッタ
著者(英字) Dushmanta,DUTTA
著者(カナ) デュシュマンタ,ダッタ
標題(和) 洪水氾濫と被害評価に関する分布型モデリング
標題(洋) DISTRIBUTED MODELING OF FLOOD INUNDATION AND DAMAGE ESTIMATION
報告番号 214495
報告番号 乙14495
学位授与日 1999.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14495号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 客員教授 HERATH.A.Srikantha
 東京大学 助教授 目黒,公郎
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨

 この数十年間、主要な河川流域の氾濫原において人々が定住と開発を進めていくに連れて世界中で洪水災害が増加している。そのため、洪水災害軽減のための様々な方策の開発が緊急に必要とされている。洪水氾濫とその被害推定の数理モデリングは洪水災害軽減のための重要な手法であり、実時間被害軽減から洪水制御の計画・マネジメントまでに亙る様々な洪水災害軽減方策のために利用可能である。

 河川流域の異なった層における水理を支配する物理パラメータの特性は多様に分布しており、その多様性を正当に考慮することは、適切な洪水予測と洪水氾濫シミュレーションのために必要である。このため、種々の水文過程の支配方程式に基づいた物理的分布型水文モデルが最も適当な枠組みであると考えられる。現在、利用可能な分布型水文モデルが世界でいくつか存在する。しかしながら、表面流・河川流モデルの限界や、表面流・河川流間の相互作用が適切に考慮されていないことにより、これらのモデルは洪水氾濫シミュレーションにとって十分ではないことが、数々のモデルの適用や文献調査から判明している。

 洪水被害の推定を行うことは、種々の洪水被害軽減施策のために必要である。迅速な被害の推定は実時間災害軽減のために、将来起こりうる洪水被害の推定は流域計画・マネジメントのために有用である。洪水被害のアセスメント過程における方法論は世界中のそれぞれの国で大きく異なり、洪水後の実態調査に依存する。そのため、一般化された方法論が必要であると考えられる。その方法論は、地域的な特徴に支配される変数のみを変更点として入力することによってどのような地域にも適用可能であり、迅速な被害アセスメント及び想定される洪水被害推定の双方を実行可能な分布型洪水シミュレーションモデルの形を持つ。そのような方法論は洪水災害軽減において幅広い応用性を持つ。

 本研究は、実流域に適用可能な洪水氾濫とその被害推定のための統合化された分布型モデルを開発することを目的とする。この目的のために、流域スケールの洪水氾濫シミュレーションが可能な物理的分布型水文モデルと洪水被害推定のための経済モデルを開発し、次にこの二つを統合した洪水災害推定モデルを実流域に適用することを主題とする。

 開発された分布型水文モデルは以下の5つの主要な要素から成る、1)表面流、2)河川ネットワーク流、3)蒸発散、4)不飽和帯流、5)飽和帯流。表面および河川流モデルはSaint-Venant方程式の拡散波近似を用いて開発した。河川ネットワーク流モデルは、流路の収斂と分散のどちらもを考慮に入れている。地表面と河川との動的な水交換は、洪水区画の概念を用いてモデル化した。すなわち、各タイムステップにおいてモデルの各河川ノードとそれに対応する地表面ノードの間で、堤防などの境界条件を考慮しながら、水が交換される。堤防を越える水のモデル化には、越流水の概念を用いた。河川流のシミュレーションには台形の河川横断面を考慮することが可能であり、各流路において非一様河床形状を採用した。この統合化された表面流と河川流モデルを、IISDHMの蒸発散、不飽和帯、飽和帯モデルと結合することによって、洪水シミュレーションに必要な全ての水文過程を表現することを可能とした。

 モデルの検証・適用流域として千葉県の一宮川を選定した。この流域は主要なだけでもこれまで幾度かの洪水被害に晒されており、一方で、分布型水文モデルに必要な細かい時空間解像度のデータが利用可能である。最近の大きな洪水である1996年のケースを数値実験の対象とした。水文モデルにより計算された洪水のハイドログラフは観測値と良く対応していた。計算された氾濫水位は十分に妥当であった。計算された氾濫領域と実際の氾濫領域は良く一致しており、相違部分の原因は主に地形データ入力の不正確さにあった。この地形データの不正確さによって、平坦な地域におけるモデル河川ネットワークが現実のものと少々ずれたことが要因である。全体として、洪水ハイドログラフと氾濫領域に関するシミュレーション結果は十分妥当であった。また、モデルによる結果は、洪水氾濫の減少において浸透が重要な役割を果たすことを示した。

 次に、オーストラリア、日本、英国のこれまでの洪水被害推定方法に基づき、グリッド型被害推定モデルを構築した。このモデルでは、主要な直接および間接の有形の被害を扱う。被害は洪水被害の性質によって主たる3グループに分類された。都市、郊外、ライフラインの3グループである。さらに、異なったカテゴリーにおける被害に関して一般化されたモデルを作成した。都市に関しては、構造物の被害推定に単位床面積概念を用いた。また、都市及び郊外の異なったカテゴリーに対する脆弱性関数を、建設省のこれまでの洪水後調査結果を用いて定めた。

 この被害推定モデルを1996年の一宮川の洪水のケースに適用した。30m解像度のLANDSAT衛星画像に基づく詳細な土地被覆分類地図を用いて、住居および非住居建物の床面積推定を行った。非常に密な都市域ではこの推定は妥当であったが、疎な都市域では信頼性が低下した。将来的には、より高解像度の画像を用いることによってこのような誤差は回避すべきであると考える。他の入力データ、例えば非住居建物や農園等の詳細などは、地域の公的機関等からデータを取得した後、その空間分布を土地被覆分類地図に基づいて決定した。その後、まずはじめに、現実の調査された洪水氾濫パラメータを用いてモデルによる被害推定を行った。計算された都市被害は、建設省の洪水後調査による被害推定と良い一致を見た。

 最後に、洪水氾濫シミュレーションと被害推定モデルを結合することによる統合モデルを開発した。統合モデルでは、洪水モデルで計算された氾濫パラメータが動的に洪水被害推定シミュレーションモデルにリンクされる。各種洪水災害軽減施策における本統合モデルの適用可能性を調べるために、本統合モデルは洪水処理施策の影響分析に適用された。千葉県により策定された一宮川流域の洪水処理計画が、詳細な情報を得ることが可能であることから、その分析対象として選ばれた。県により提案された洪水処理計画は、堤防の嵩上げや排水路の横断面積の拡大、河床形状の平滑化や遊水域の設置等を含む河川改修計画である。この計画は二つのフェーズにより分割されており、一つは緊急の計画であり短い期間に完了すべきもの、もう一つはより長い期間を完了までに必要とするものとなっている。基本の計画は1996年の洪水の前に策定され、1996年の洪水後直ちに短期間で可能な緊急計画が策定された。本研究ではこの緊急計画の方のみを分析対象とした。再現期間45年の雨である1996年9月の大雨による災害の軽減にこの緊急洪水処理計画がどの程度の影響を持つか分析するために、様々なシナリオをモデルシミュレーションのために選定した。加えて、再現期間100年の豪雨による洪水がもたらす経済的なインパクトについても検討を行った。その結果、上記の緊急計画において1996年9月の大雨が引き起こす洪水に対する内水氾濫域と外水氾濫域とが明示されるなど、洪水警報、水防活動、今後の河川改修に有用な情報を与えることが示されている。また、シミュレーション分析結果より、第二フェーズの洪水処理・河川改修計画の実施によって、1996年の大雨による高水を越堤等することなく河道内を流下させることが可能であり、洪水被害をほぼ完全に防げることが示された。一宮川の洪水処理計画に関するこれらの分析より、本研究における統合洪水災害推定モデルは実社会の洪水災害マネジメント問題に対して適用可能であり有効であることが示された。

審査要旨

 洪水氾濫の水深、湛水時間、流速等の特性、ならびにそれによる被害を評価することは、洪水警報と避難、水防活動、河川改修計画、氾濫原管理など、洪水被害軽減対策にとって基本的に重要である。本論文は、洪水氾濫特性とその経済的被害それぞれをグリッド・ベースで算定するモデルを開発し、その有用性を示したものであり、8章からなっている。

 第1章は序論であり、本研究の意義と必要性を議論し、洪水氾濫をシミュレートできるphysically-based distributed modelの開発、洪水の経済的被害算定モデルの開発および両者を統合した洪水被害評価システムの開発を目的として挙げた後、論文全体の構成について述べている。

 第2章は、分布型水文モデルと氾濫モデルおよび洪水被害評価に関する既往研究のレヴューである。前者については、既存のモデルの長所・短所を比較整理した後、分布型水文モデルに氾濫モデルを組み込むことの必要性を指摘している。後者については、日本、オーストラリア、英国および米国において実用、ないしは研究されている評価法が比較整理されている。

 第3章では、本論文の主要な成果の一つであるグリッド・ベースの洪水氾濫モデルの開発とその分布型本文モデルへの組み込みが取り扱われている。まず、流路の合流と分岐を含む河道網での流れをSaint-Venant方程式でモデル化し、数値計算アルゴリズムを提示した後、仮想的条件に対する計算結果と比較することによりこのモデルと計算アルゴリズムの妥当性をを検証している。次いで、同じくSaint-Venant式を基礎として2次元表面流モデルと数値計算アルゴリズムが提示され、同様にその妥当性が検証される。さらに、河道網流れモデルと表面流モデルとが結合され、かつ、それを既存のIISDHM(生研分布型水文モデル)に組み込むことにより、流域における水文過程の一環として河道からの洪水氾濫をシミュレートできる分布型水文モデルが完成された。

 第4章では、グリッド・ベースの洪水被害評価モデルの定式化およびそれと氾濫モデルとの統合について取り扱われている。まず、第2章で行った4カ国のレヴューを基に経済的計測可能性および直接被害と間接被害の観点から洪水被害を分類・議論した後、この研究では、都市域洪水被害、農村域洪水被害およびライフライン施設洪水被害を対象とすることとして、それぞれのカテゴリーに含まれる被害対象の細目を分類・整理している。そして、各被害対象細目毎に氾濫パラメータ(湛水深、湛水時間等)に対して被害額を評価する一般式を提示し、日本で既往の調査データがある都市域と農村域被害についてはそのデータを適用して各細目毎に氾濫パラメータと被害率の関係を定めている。被害額はグリッド毎の氾濫パラメータを基に算定され、氾濫パラメータはグリッド・ベースの分布型水文モデルに組み込まれた氾濫モデルにより計算されるので、両者を統合することによって、降雨などの水文条件を入力すればオンラインで洪水被害が評価できる’流域水文-洪水被害算定統合システム’が構成される。

 第5章と第6章では、1996年7月に豪雨による洪水氾濫を経験し、水文データと被害データを取得しやすい千葉県の一宮川流域を対象として、これまでに提示されたモデルの適用性が検討されている。第5章は、氾濫モデルが組み込まれた分布型水文モデルの実流域における適用性の検討である。まず、モデル構成の前提として、流域の諸特性に関するGISデータの作成、河道特性パラメータ、DEMの解像度が流路網の発生に与える影響、異なる衛星データによる土地被覆分類の相違等が吟味され、モデルの構成条件が決定される。1996年豪雨に対するシミュレーション結果は、河道流出ハイドログラフ、河道水位、氾濫区域および氾濫水位とも実測値と良好な一致を見せており、実流域への適用の妥当性を示している。

 第6章は、洪水被害評価モデルの適用性の検討である。まず、市町村単位で集計されている各種の被害対象に関わるデータ(世帯数、人口、家屋の種類、業種、土地利用、作付け作物、交通量など)が解像度30mのLANDSAT衛星データに基づく詳細な土地被覆分類図と参照されながら200mグリッド単位で一宮川流域内に配分される。そして、洪水後に調査された氾濫水位を各グリッドに適用して推定される被害額と市町村調査による被害額との比較、また、氾濫モデルにより算定される氾濫パラメータを適用して推定される被害額と市町村調査被害額との比較、がそれぞれ行われ、都市域被害額では良い一致を見せるが、農村域被害等ではこの研究で提案した算定モデルのほうが過大な値を与えることを指摘している。市町村調査による被害もある基準(仮説)に基づく推定であり、現状では被害額の妥当な値を一義的に決定するのが困難な状況である。これを決めるにはまず被害の実態に関する詳細かつ広汎な調査が必要であり、このこと自体が独立した重要な研究テーマと考えられる。本研究は洪水被害評価の基本的フレームを提示し、それが説得力を持つことを示した点で評価でき、適正な被害額の算定については今後の研究課題である。

 第7章では、一宮川の河川激甚災害対策特別緊急事業計画を対象として、1996年豪雨および100年確率降雨に対する洪水氾濫シミュレーションと被害額の推定の結果が示され、それらが洪水警報の発令、水防活動、今後の河川改修の優先順位の決定などに有用な情報を与えることが例示されている。

 第8章で、本研究の結論が要約されるとともに、洪水氾濫パラメータと被害額の推定の精度向上へ向けて研究の方向性が議論されている。

 以上のように本研究は、’流域水文-洪水被害算定統合システム’を開発し、その妥当性と有用性を示したものであり、河川工学、応用水文学における水害軽減対策分野の発展に資するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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