学位論文要旨



No 214496
著者(漢字) 村尾,修
著者(英字)
著者(カナ) ムラオ,オサム
標題(和) 兵庫県南部地震の実被害データに基づく建物被害評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 214496
報告番号 乙14496
学位授与日 1999.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14496号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山崎,文雄
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 助教授 中埜,良昭
 東京大学 助教授 目黒,公郎
 横浜国立大学 教授 村上,處直
内容要旨

 本論文では,兵庫県南部地震により被害を受けた建物データを用いて,建物被害評価に関する研究を行い,かつ防災環境都市デザイン手法MUSE(The Method of Urban Safety Analysis and Environmental Design)を提案し,本研究成果を用いた防災的観点からの将来的な都市ビジョンを示した.

 各自治体で所有している建物データを用いて,地域の建物倒壊危険度を評価し,建物被害推定等を行うことは,都市の防災対策をする上で極めて重要である.本研究ではそれらに必要な建物被害関数および建物倒壊危険度評価法を構築するために図-1に示すような過程で検討を行った.

図-1 本論文の研究フロー

 まず,本研究で主として用いた神戸市の建物被害データの位置付けを明確にするため,兵庫県南部地震におけるいくつかの建物被害調査を比較検討し,問題点を浮き彫りにし,今後大地震が発生した時にそれらの問題点が解消されるような調査票を提案した.また調査法が異なる場合の建物被害評価変換法を提案した.そして神戸市の建物被害データを用いて兵庫県南部地震による建物被害を分析し,建物構造や建築年代によって異なる建物被害の傾向を明らかにした.次に,地震動観測記録が限られていたために不充分であった兵庫県南部地震における地震動分布を,上記建物被害データと微地形分類を用いて詳細に推定し,構造・建築年代別の建物被害関数を構築した.さらにこの被害関数を基にして信頼性解析を用いた建物倒壊危険度評価法を提案した.最後に本研究の成果である建物被害関数や建物倒壊危険度評価法等を都市デザインに適用するために,防災環境都市デザイン手法MUSE(The Method of Urban Safety Analysis and Environmental Design)を提案した.

 以下に本研究の成果を要約して示す.

 第1章では,兵庫県南部地震の概要を含む本研究の背景を述べ,本研究の目的と位置付けを示した.次に,建物被害調査法,建物被害分析,兵庫県南部地震における地震動分布推定,建物被害関数,建物被害想定および危険度評価,そして都市デザインと防災都市計画など本研究に関連した各項目に関する既往の研究について概観した.最後に本研究の構成と内容を説明した.

 第2章では,自治体という公的な立場からの建物被害評価法を提案するために,兵庫県南部地震後に実施された建物被害調査の内容を整理・分析した.各自治体で行われた調査は国の統一基準に基づいてはいるが,大災害を想定した調査法が確立されていなかったため,自治体ごとに調査内容が異なり,同じ判定結果であっても「全壊」や「半壊」等の用語の定義が異なることが分かった.また自治体による調査は学会等による調査とは異なり,建物内部も考慮したものであり,判定結果に大きな影響を与えていた.さらに自治体による調査は建物を資産価値として評価するという趣旨で行われるため,建築コストとの比較も行った.以上の結果をふまえ,資産価値を評価する自治体という公的な立場からの建物被害調査票を提案した.

 第3章では,兵庫県南部地震で被害を受けた芦屋市の約12,000棟の建物を対象として,自治体と震災復興都市づくり特別委員会(以下,震特委員会)による建物被害調査の判定結果を比較した.その結果,全体としては芦屋市の全壊判定は震特委員会調査の中破以上,芦屋市の全半壊判定は震特委員会の軽微な損傷以上にほぼ等しいことがわかった.また判定結果と推定地震動との関係を調べた結果,地震動の大きさが2調査による被害判定結果の違いに影響を与えていることがわかった.以上の分析により,自治体による資産的評価を重視した建物被害調査の判定結果を,震特委員会の調査に基づく被害判定へと変換する評価法を提案した.

 第4章では灘区における建物被害のマクロ分析を行った.その結果,構造別の全半壊率はレンガ造が最も高く,続いて木造,鉄骨鉄筋コンクリート造,鉄骨造,軽量鉄骨造,コンクリートブロック造,鉄筋コンクリート造の順であった.各構造ごとの建築年代および建築年別の被害率は,どの構造においても,一部の例外を除いて建築年代が新しいほど小さくなる傾向が見られた.また耐震基準の改正による影響も見られた.建物の階数別の被害分析では,鉄骨造,鉄筋コンクリート造とも高層になるほど被害率が高かった.木造建物の屋根別の被害は,どの建築年代においても重量の大きい瓦葺きが最も大きく,軽いスレート葺きが最も小さかった.GISを用いた灘区の建物被害分析を行った結果,どの構造においても,全壊率の高い地域はいわゆる「震災の帯」上に広がっているという傾向が確認された.また全壊率の高い地域で死者発生率も高いという傾向が見られた.木造建物の被害率と微地形(土地条件)との関係を調べた結果,台地・段丘上では上位面,低位面,浅い谷の順に,また沖積低地においては扇状地,緩扇状地,海岸平野・三角州の順に,木造建物の全半壊率(とくに全壊率)が大きかった.このことから表層の地盤条件の違いが建物の全半壊率に大きく影響していることが窺われた.

 第5章では,兵庫県南部地震後に震特委員会等が調査を行い,建設省建築研究所がまとめた建物被害データを用いて推定した地震動分布と,神戸市により実施された調査に基づく建物被害データを用いて,構造・建築年代を考慮した建物被害関数を求めた.この被害関数を用いて,灘区における地震動分布を再推定した.木造建物の建築年代ごとの被害関数から推定された地震動を比較検討することにより,建築年代ごとの棟数分布が地域によって異なることの影響を取り除くことができ,町丁目ごとの微地形も考慮した精度の高い地震動を推定することができた.

 第6章では,神戸市によって実施された兵庫県南部地震による灘区の建物被害データと,第5章で推定した詳細な地震動分布を用いて,構造別および建築年代別の建物被害関数を構築した.

 構築された構造別の建物被害関数では,木造の被害は小さい地震動から発生し始め,かつどの最大速度値においても他の構造に比べて被害率が高くなるのに対し,RC造は高い地震動になっても被害率が低かった.また建築年代別では,木造以外の全てにおいて古い建物ほど小さい地震動で被害率が上がり始め,それぞれの地震動においても新しい建物より高い被害率を示した.これらと同様の傾向は,第4章の建物被害分析の結果からも見られた.木造に関しては,基本的にそれぞれのPGVにおいて古いものほど高く,新しいものほど低い被害率となっていたが,古い3曲線は120cm/sを超えたあたりからほとんど重なってしまっていた.また,本章の中で詳細な地震動分布を用いて構築された建物被害関数と,第4章で構築した建物被害関数とを町丁目ごとの実被害を用いて比較した.その結果,本章により,建物被害関数の精度が向上したことが確認された.

 第7章では,東京都の建物倒壊危険度の手法を神戸市灘区に適用して,兵庫県南部地震による建物被害との比較を行った.その結果,建物棟数密度が大きく建物倒壊危険率に影響していることがわかった.次に,地域の被災ポテンシャルを表す指標は,その地域での地盤条件を含めた建物倒壊の危険率であると考え,建物倒壊の危険度を地震発生時の全壊率に対応する指標として,信頼性解析に基づく評価式を構築した.ここで提案した新建物倒壊危険度は,ある地域の建物存在比率と建物および地盤から決定されるマトリクスタイプの危険性ウェイトから求められるもので,灘区の実被害と比較した結果,強い相関が確認された.この評価式を用いて各地域の地域特性を含んだ新建物倒壊危険度を算定することができる.最後にここで提案した評価式を用いて東京都の新建物倒壊危険度を評価した.その結果,東京都の方法では支配的要因であった建物棟数密度の影響を取り除き,建物強度や地盤の影響を考慮した新建物倒壊危険度を評価することができた.

 第8章では,Lynch,Kevinの「都市のイメージ」という考え方を参考にして,都市を生態的に見たてて,21世紀に向けた防災的・環境的な観点からの都市解析およびデザイン手法(図-2)を提案した.この手法を防災環境都市デザイン手法MUSE(The Method of Urban Safety Analysis and Environmental Design)と名づけた.MUSEとは,ある都市をひとつの閉じた有機的な系に見立て,8種の物的要素に分類し,都市の様相を可視化することにより,それぞれの要素あるいは要素間相互の関係性から都市を解析し,設計およびシミュレートするための手法である.この8種の要素は「I 主体」,「II 形態要素」,「III ウェブ」,「IV 自然」の4種に大きく分類され,「II 形態要素」はさらに5つの要素(パス,エッジ,セル,ヴォイド,コア)に分類される.またひとつの地域を仮想的に閉ざすために準要素として「仮想璧」を想定している.この手法を用いた将来的なビジョンを描いた.

図-2 都市空間をいくつかの物的要素に分類し,本研究の成果である建物倒壊危険度等を用いたMUSE(The Method of Urban Safety Analysis and Environmental Design)の全体イメージ

 第9章では,本研究の全体内容を統括し,本研究で得られた成果を要約した.

審査要旨

 本論文では,1995年兵庫県南部地震の被災地域の詳細な建物情報と建物被害データを用いて,建物被害評価と被害関数の構築に関する研究を行った.この地震被害データを再現するような統計的建物被害関数を構築し,それを東京都の建物倒壊危険度評価に適用するとともに,防災環境都市デザイン手法を提案し,本研究成果を用いた防災的観点からの将来的な都市ビジョンを示した.

 論文は全9章から構成されており,まず第1章では,兵庫県南部地震の概要を含む研究全体の目的を述べるとともに,既往の研究についてサーベイし,本研究の位置づけと論文構成を明確にしている.

 第2章では,自治体の立場からの建物被害評価法を提案するために,兵庫県南部地震後に実施された建物被害調査の内容の整理と分析を行った.各自治体による調査は,国の基準に基づいてはいるが,自治体ごとに調査内容が異なったり,同じ判定結果ても被害ランクに関する用語の定義が異なることが分かった.また自治体の調査は学会等による調査とは異なり,建物内部も考慮したものであり,これが判定結果に大きな影響を与えていた.さらに建物の資産価値の損失を評価するという自治体の立場を考えて,建築コストとの比較も行った.以上の結果に基づいて,自治体という立場からの資産価値の低減を評価する建物被害調査票を提案した.

 第3章では,兵庫県南部地震で被害の大きかった芦屋市の約12,000棟の建物を対象として,市による被害判定結果と震災復興都市づくり特別委員会(以下,震特委員会)による建物被害調査結果を比較した.その結果,全体としては芦屋市の全壊判定は震特委員会調査の中破以上,芦屋市の全半壊判定は震特委員会の軽微な損傷以上にほぼ対応することが分かった.また被害判定結果と推定震度分布との関係を調べた結果,震度分布の大きさが2つの調査による被害判定結果に影響していることがわかった.以上の分析に基づいて,資産的評価を重視した自治体による建物被害調査の判定結果と,建物の再使用可能性に着目した震特委員会の被害判定結果の関係式を提案した.

 第4章では神戸市灘区における兵庫県南部地震による建物被害のマクロな分析を行った.構造別の全半壊率の傾向を調べるとともに,各構造ごとの建築年代および建築年別の被害率を分析した.その結果,例外を除いて建築年代が新しいほど小さくなる傾向や,耐震基準の改正により被害が低減する傾向などが見られた.建物の階数別の被害分析では,鉄骨造,鉄筋コンクリート造において,高層になるほど被害率が高くなる傾向が見られた.木造建物については,屋根形式による被害の違いも見られ,建築年代によらず,瓦葺きが最も被害が大きく,スレート葺きが最も被害が小さかった.さらに詳細に空間的な被害分布を評価するために,地理情報システム(GIS)を用いて灘区の建物被害分析を行ない,全壊率の高い地域は「震災の帯」上に広がっていることが確認されるとともに,全壊率の高い地域で死者発生率も高いという傾向も見られた.木造建物の被害率と微地形との関係を調べた結果,台地・段丘上では上位面,低位面,浅い谷の順に,また沖積低地においては扇状地,緩扇状地,海岸平野・三角州の順に,木造建物の全壊率が大きく,表層の地盤条件の違いが建物の被害率に大きく影響していることが示された.

 第5章では,兵庫県南部地震の後に震特委員会等が行った調査結果に基づいて推定した地震動強度分布と,神戸市が実施した調査に基づく建物被害データを用いて,構造・建築年代を考慮した建物被害関数を求めた.しかし,推定地震動強度分布には建物構造や建築年の影響が含まれると予想されることから,ここで求まった被害関数を用いて,灘区における地震動分布の再推定を行った.木造建物の建築年代ごとの被害関数から推定された地震動を比較することにより,建築年代ごとの棟数分布が地域によって異なるなどの影響を取り除くことができ,町丁目ごとにより信頼性の高い地震動強度分布を推定することができた.

 第6章では,神戸市が実施した兵庫県南部地震による灘区の建物被害調査データと,第5章で推定した詳細な地震動強度分布(最大速度)を用いて,構造別および建築年代別の建物被害関数を回帰分析により構築した.構造別の建物被害関数は,いずれも対数正規分布を仮定しており,被害発生の傾向は,もとの被害データと調和的であった.また構造・建築年代別の被害関数は,木造以外の全てにおいて古い建物ほど被害が発生しやすい傾向を示し,第4章の建物被害分析結果を再現するものであった.木造に関しては,基本的にそれぞれの最大速度値において,古いものほど被害率が高く,新しいものほど被害率が低くなっていたが,古い3つの建築年代についてはあまり有意な差は見られなかった.本章で再推定地震動に基づいて構築した建物被害関数と,第4章で構築した建物被害関数とを町丁目ごとに比較した結果,地震動の再推定により,建物被害関数の精度がより向上していることが確認された.

 第7章では,東京都都市計画局が行っている「建物倒壊危険度」評価手法を神戸市灘区に適用して,兵庫県南部地震による建物被害分布との比較を行った.その結果,東京都の方法は,建物棟数密度が大きく建物倒壊危険度に影響していることが明らかになった.地域の被災危険度を表す指標は,その地域での地盤条件を含めた建物倒壊の危険度であると考え,地震発生時の全壊率に対応する指標として,信頼性解析に基づく建物危険度評価法を構築した.提案した建物倒壊危険度は,地域の建物存在比率と建物および地盤から決定されるマトリクスタイプの危険性ウェイトから求めるもので,灘区の実被害と比較した結果,よい再現性を確認することができた.この評価法の実例を示すために東京都に適用し,その建物倒壊危険度を新たに計算した.その結果,東京都都市計画局の方法では支配的要因であった建物棟数密度の影響を取り除き,建物種別による耐震性の違いや地盤種別による揺れ易さの違いを考慮した,新らたな建物倒壊危険度を示すことができた.

 第8章は,第7章までの建物被害に関する定量的な研究結果の将来的な利用法に関する提言を目指した検討を行った.「都市のイメージ」という考え方を参考に,都市を生態的に見たてた,21世紀に向けた防災的・環境的な観点からの都市解析・デザイン手法を提案した.防災環境都市デザイン手法"MUSE"と名づけたこの方法は,都市をひとつの閉じた有機的な系に見立て,8種の物的要素に分類し,都市の様相を可視化することにより,それぞれの要素あるいは要素間相互の関係性から都市を解析し,設計およびシミュレートするものである.ビジュアル性を重視して,3次元GISにより都市を表現し,この手法を用いた都市防災計画における将来的なビジョンを描いた.

 第9章では,本研究の概要をまとめるとともに,得られた成果と今後の展望を示した.

 以上のように,本論文では,建物の地震被害評価に関して,実際の地震被害データに基づいてさまざまな分析を行い,とくに,兵庫県南部地震による神戸市灘区における建物被害を詳細に説明できるような統計的な被害関数を提案し,その応用事例を提示している.このような検討の結果は,兵庫県南部地震という1つの地震による被害データから主として導かれたものではあるが,今日の都市地震防災において重要な要素である建物被害評価において,きわめて有用かつ実用的な情報を与えている.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51136