学位論文要旨



No 214506
著者(漢字) 村瀬,平八
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,ヘイハチ
標題(和) 表面エネルギーとモルホロジー制御による不均質系有機塗膜の機能化の研究
標題(洋)
報告番号 214506
報告番号 乙14506
学位授与日 1999.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14506号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨

 有機塗膜の本来の理念は物体の保護と美観である.物体は主に金属であり、それが露出した状態で外部環境に曝されると、酸化され、腐食が生じる.有機塗膜はこれらの構造物表面に施され、内部を保護することを目的とする.高分子化学の進歩や腐食のメカニズムの解明により、薄くて耐久性のある有機塗膜が開廃され、各種用途に広く利用されてきている.このような表面被覆処理による防食の効果は著しく、年間数百万トンの金属資源の節約に寄与している.第2の美観の効果は、色彩の心理的効果として、また危険や識別のため情報的効果として利用されていることは周知のとおりである.

 有機塗膜の役割には、これらのほかに、第3の属性としての特殊な機能を付与することが求められてきた.これは急速に発展する社会の必然的ニーズによるものが多く、塗料の新しい応用領域の開拓の契機ともなった.これはまた塗膜の新規機能の積極的な開発を誘起してきた.

 しかし近年、地球環境保全やエネルギー節減の観点から、特に塗料の分野においては外部環境に放出する有害物質の規制が厳しく、そのため原材料の使用が限定されてきた.これは機能化の方向と逆の環境をつくることを強いられることであった.機能を向上させる目標を設定するが、結果としてさきの限定により目標値に達しない.この種の問題の解決策としては既成概念の範疇内での手法では決してそのブレークスルーは望めない.

 本研究はこの問題に従来試みられたことのない新しい思想と手法により解決の糸口を求めた.すなわち有機塗膜の機能化のために従来タブーとされていた不均質高分子系を利用することである.材料系は、一般に均質系が適用されている.不均質系では異なる材料の物理的な性質の大きな差異を吸収することができないことによる.しかし、複合材料の分野の多成分系ですでに実証されているように、界面の制御によりこれは解決できるはずである.本研究ではそれを表面エネノレギーとモルホロジーを制御することにより達成することを試みた.

 研究はそれぞれ異なった3つのカテゴリーに分かれ、機能性粉体塗膜、機能性疎水塗膜および生物付着制御塗膜を取り扱っている.

 第1章の序論では、本研究の方法論的背景として、新機能材料の創製のために表面・界面を制御する方法論を述べている.それは表面・界面の積極的な活用方法である.

 第2章では本研究の背景、目的および概要について述べている.有機塗膜の歴史の中で、塗料の発展と変遷を解説し、新たに台頭してきた新機能塗料と地球規模の環境とエネルギー資源の問題との問のギャップを埋めるべき革新的研究課題を設定した.

 第3章は「有機塗膜における非相容系高分子間および高分子と基材間の相互作用とその応用」と題し、有害な有機溶剤を全く含まない、環境親和性粉体塗料の最大の欠点である単一膜/単一機能に着目し、本研究の手法を用いることにより機能性の異なる2つの層を同時に形成する機能性有機塗膜を提出した.その際、金属基材側には接着性および防食性の優れた有機塗膜が、気相側には耐候性および耐光性の優れたポリマー層が形成するよう意図的に設計を行った.基礎的な実験により複層形成の熱力学的条件を見出した(図1).この原理を応用し、一回の作業工程により所期設定の目的に合致した理想的な複層塗膜が得られることが実証された.これは単に実験室的規模に止まらず、工業的な塗装システムとして充分に対応できる段階まで達成された.静電塗装適性、塗膜物性、顔料化の自由度および防食・耐候性を具備しており、車両、外部施設、配管等の分野で適用検討されている.このシステムの開発により、従来粉体塗料がもつ優位性にも拘わらず、その急速な実用化の道を阻んできた欠点が一挙に解決され、この分野における一つの技術革新が達成された.また研究の過程で見いだされた塗膜系の塗り重ね順列が、熱力学的条件を満足していることは極めて興味深く、防食、接着、物理強度、耐候性などに大いに利用されよう(図2).

図1 相分離塗膜の断面形態モデルと表面・界面自由エネルギー図2 塗料システムにおける表面自由エネルギーと塗り重ね順列

 第4章は「不均質高分子表面と水、氷および雪との相互作用とその応用」と題し、高分子基材表面の基礎的な特性を把握し、その知見から水との相互作用を著しく減じる機能性塗膜の分子設計を行った.その際、水の形態、すなわち、氷、水、および雪の性質により相互作用の仕方がそれぞれ異なり、それに合わせた材料表面が必要であることがわかった.しかしその解決方法は何れも非相容で、相分離不均質系が有利であることが証明された.氷の付着力を極度に低減させる表面は、疎水性材料中に親水性の金属化合物を複合させることによりつくられることを見出した.その着氷力は、代表的疎水材料であるポリテトラフルオロエチレンのほぼ1/20であった.またこの材料の応用として表面氷結温度を低下させる材料が開発された.またこの塗膜表面は抗菌作用をもつことも確認された.次に水滴が材料表面から離脱する現象を詳細に観察し、水滴の接触角と除滴性との関係調べな結果、水滴が滑落するのは接触角には依存しないで、転落角に相関があることがわかった.これから転落角と水滴重量より相互作用エネルギーを算出する式を導いた.一方、分子軌道法によるシミュレーションからも相互作用エネルギーを求め、前記の方法で求めた値と比較したところ両者の間で相関関係があることが証明された.従来、撥水性は接触角の高さで定義されていたが、この研究により撥水性の概念が変えられた.新しい概念により、超滑水性を有する材料を開発した.この化学組成は、異なる2種の疎水性セグメント系の中に微量の親水基を導入することが必須条件であることがわかった.新しい材料の滑落角度は5°/5mgで、PTFEの1/14であった.一方、雪の付着は水の接触角の大きさに反比例することを見出し、新しい表面微細構造をもつ複合膜を開発した.この塗膜の水滴接触角は156゜で、雪の付着防止効果が顕著であることが実証された.計算化学と実験により、水と材料表面の相互作用を低減させる機構を解明することができた(図3).

図3 超滑水表面の接着力低減のメカニズム

 第5章の機能性塗膜は、「不均質高分子表面と海洋生物との相互作用とその応用」に関するものである.海中生物が船底に付着すると摩擦抵抗が増し、エネルギー消費が増大する.そのため塗膜中に有機スズのような毒物を添加して、これを海中に溶出させることにより生物を死滅させ、これら生物の船底への付着を防止している.しかしこの毒物は環境を著しく汚染させる.ここでは有害毒物を全く含有しない不均質膜により表面機能化を試み、この問題の解決を図った.不均質膜により生物が付着する前段階において、表面へ特定の蛋白質の吸着がおこり、それにより生物付着が触発される.表面エネルギーと相分離のドメインサイズを調整して、蛋白質の初期吸着量を低減させるように設計した(図4).新規に開発された塗膜は、生物付着を著しく低減させる効果を示した.この技術は海洋汚染防止に大きな貢献を果たしている.

図4 ポリマーブレンド比、タンパク質吸着と生物付着との相関関係□:生物付着(フジツボ+アオサ)●:アルブミン、●:フィブリノーゲシ、:-グロブリン

 本研究では、従来殆ど注目されなかった新しい手法を用い、有機塗膜の機能化を試みた.その手法は表面エネルギーおよび不均質系相分離の制御を基本として、それを理論的および現象論的に取り扱い、さらに有機塗膜の積極的な機能化を求めた.その結果、全く新しい機能を備えた、実用に供せられるべき工業用材料・システムが開発された.本研究は新しい機能化の方向を示唆するものであり、従来の有機塗膜の概念の拡大を喚起し、産業に期待されるところが極めて大きい.またこのプロセスの中で発見された新しい現象、新しい概念は、今後この分野において有用に活用されるであろう.これらの機能塗膜の出現は、所期の目的である環境汚染の防止およびエネルギーの節減に大きく寄与するであろう.

審査要旨

 有機塗膜の理念は物体の保護と美観である。これらのほかに、急速に発展し、多様化する社会のニーズにより、第3の属性として塗膜に特殊な新規機能を付与することが求められてきた。しかし近年、地球環境保全やエネルギー節減の観点から、特に塗料の分野においては外部環境に放出する有害物質の規制が厳しく、そのため原材料の使用が限定されてきた。これは機能を向上させる目標に対してマイナスの要因として働くことが多い。

 本研究は、有機塗膜の機能化を、従来みられない新しい思想と手法、すなわち表面エネルギーとモルホロジーを制御することにより達成する試みを提出するものであり、機能性粉体塗膜、機能性疎水塗膜および生物付着制御塗膜を取り扱っている。

 第1章の序論では、本研究の方法論的背景として、新機能材料の創製のために表面・界面を制御する方法論を述べている。

 第2章では本研究の背景、目的および概要について述べている。有機塗膜の歴史の中で、塗料の発展と変遷を解説し、新たに台頭してきた新機能塗料と地球規模の環境とエネルギー資源の問題との間のギャップを埋めるべき独創性ある革新的研究課題を設定した。

 第3章は、有機塗膜における非相容系高分子間および高分子と基材間の相互作用とその応用に関するもので、有害な有機溶剤を含まない、これまでの環境親和性粉体塗料の最大の欠点である単一膜/単一機能性に対し、機能性の異なる2つの層を同時に形成するような機能性有機塗料系を見出した。その際、金属基材側には接着性および防食性の優れたポリマーが、気相側には耐候性の優れたポリマーが自動的に選択されるような、複層形成の熱力学的条件を、実験および理論により明らかにした。この原理を応用し、一回の作業工程により目的の防食・耐候性を具備した理想的な複層塗膜が得られる技術を開発した。これは単に実験室的研究に止まらず、工業的な塗膜システムとして要求されるその他の各種の性質、作業性およびプロセス性をも解決した。この新技術により従来の粉体塗料がもつ欠点が一挙に解決され、塗料分野における一つの技術革新が達成された。また研究の過程で、塗膜系の重なり順序に熱力学的条件を満足する一般則があることを発見した。この法則は、今後、防食、接着、物理強度、耐候性などの評価基準として大に利用されよう。

 第4章は、不均質高分子表面と水、氷および雪との相互作用とその応用に関するもので、高分子基材表面と水との相互作用を減じる機能性塗膜の分子設計を行った。その際、水の形態により相互作用の仕方がそれぞれ異なるが、その系は何れも非相容で、相分離不均質系が有利であることが実証された。氷の付着力を極度に低減させる表面は、疎水性基中に親水性金属塩を導入することによりつくられることを見出した。その着氷力は、代表的疎水材料であるテフロンの約1/20であった。またこの系の応用として、表面氷結温度を低下させる材料が開発された。さらにこの塗膜表面は抗菌作用をもつことも確認された。次に、水滴が材料表面から離脱する除滴性と接触角との関係を調べた結果、水滴が滑落するのは接触角には依存しないで、転落角に相関があることがわかった。これから転落角と水滴重量より相互作用エネルギーを算出する式を導いた。一方、分子軌道法によるシミュレーションからも実験値を裏付ける示唆が得られた。従来、撥水性は接触角の高さで定義されていたが、この研究により撥水性の概念が変えられた。新しい概念に基づき、超滑水性を有する材料を開発した。この化学組成は、異なる2種の疎水性セグメント系の中に微量の親水基を導入することにより得られた。一方、雪の付着は水の接触角の大きさに反比例することを見出し、新しい表面微細構造をもつ複合膜を開発した。この塗膜の水滴接触角は156゜で、雪の付着防止効果が顕著であることが実証された。計算化学と実験により、水と材料表面の相互作用を低減させる機構が解明された。

 第5章の機能性塗膜は、不均質高分子表面により海洋生物との相互作用を制御するものである。海中生物が船底に付着すると摩擦抵抗が増し、エネルギー消費が増大する。そのため塗膜中に有機スズのような毒物を添加して、これを海中に溶出させることにより生物を死滅させ、これら生物の船底への付着を防止している。しかしこの毒物は環境を著しく汚染させる。本研究は有害毒物を全く含有しない不均質表面による機能化を試み、この問題の解決を図った。通常、塗膜表面に生物が付着する箭段階において、表面へ特定の蛋白質の吸着がおこり、それにより生物付着が触発される。表面エネルギーと相分離のドメインサイズを調整して新規に開発された塗膜は、生物付着を著しく低減させる効果を示した。この技術は海洋汚染防止に大きな貢献を果たしている。

 本研究は、表面エネルギーおよび不均質系相分離の制御を基本として、それを理論的および現象論的に取り扱い、有機塗膜の積極的な機能化を追求したものである。その結果、全く新しい機能を備えた、実用に供せられるべき工業用材料・システムが開発された。本研究は機能化の新しい方法論を提示するものであり、従来の有機塗膜の概念と領域の拡大を果たしたことは高分子材料化学および産業の発展に寄与するところが極めて大きい。本研究で発見された新しい概念、技術および材料は、今後この分野において有効に活用されると考えられる。これらの機能塗膜の出現は、所期の目的である環境汚染の防止およびエネルギーの節減に大きく寄与している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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