脳血管障害は脳血管閉塞に伴う一過性または持続性の虚血により、神経細胞が傷害を受けることによって起こる疾患である。神経細胞は短時間の虚血に対しても極めて脆弱であり、不可逆的損傷を受け細胞死に陥る。神経細胞の虚血に対する脆弱性を説明する仮説として「グルタミン酸・カルシウム仮説」が提唱されている。 脳虚血は細胞外に興奮性アミノ酸を顕著に増加させる。細胞外に放出されたグルタミン酸はグルタミン酸神経伝達を活性化するが、グルタミン酸受容体の過剰な興奮はカルシウムイオンの細胞内への流入を亢進させ、神経細胞に傷害を与える。しかし、脳虚血時に見られる過剰なグルタミン酸遊離のメカニズムは現在まで十分に解明されてはいない。この仮説に基づく治療法は残念ながらまだ現実のものとはなっておらず、神経細胞をターゲットとした神経保護剤の開発が求められている。 そこで、学位申請者木村は神経保護剤の創製を最終目標として、培養神経細胞を用いて脳虚血のin vitroモデルを作製し、グルタミン酸遊離および神経細胞傷害のメカニズムを明らかにすると共に、特に電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の脳保護薬としての可能性を明らかにするために以下の実験を行った。 1.脱分極刺激による神経伝達物質の遊離 電位依存性カルシウムチャネルの活性化による細胞内へのカルシウムの流入は、神経終末からの神経伝達物質の遊離の引き金となり、神経伝達において重要な役割を演じている。神経細胞には電位依存性カルシウムチャネルのサブタイプ(L,N,P/Q,T,R)の存在が知られているが、どのサブタイプのチャネルが神経伝達物質の遊離に関与しているかは明確にされていなかった。そこでカルシウムチャネルのサブタイプに特異的な阻害剤を用いて、脱分極によって引き起こされる内在性神経伝達物質のラット脳スライスからの遊離に対する効果を検討した。 その結果、L-タイプチャネルは神経伝達物質の遊離にはほとんど関与しておらず、P/Q-タイプチャネルの関与が最も大きく、更に部分的にN-タイプチャネルが関与していることが明らかとなった。免疫組織学的研究から、L-タイプチャネルは主に神経細胞の細胞体と近傍の軸索に存在し、P/Q-タイプ、N-タイプチャネルは主に軸索と神経終末に存在していることが示されている。P/Q-およびN-タイプチャネルが神経終末からの神経伝達物質の遊離に主に関わっている理由のひとつは、その局在によると考えられる。 2.in vitro虚血による興奮性アミノ酸の遊離と細胞傷害 脳虚血においては、酸素およびグルコースの供給途絶によるエネルギー低下が原因となり、神経細胞の膜電位の変化や各種イオンの細胞内外への移動が活性化され、それが直接または間接的に興奮性アミノ酸の遊離に関係すると考えられる。 木村は、培養神経細胞を用いて培養緩衝液から酸素とグルコースを除くことによりin vitro虚血モデルを作製し、虚血時におけるグルタミン酸の遊離とそれに引き続いておこる神経細胞傷害のメカニズムを検討した。 その結果、虚血による細胞外グルタミン酸の増加は細胞障害の引き金となるが、細胞外グルタミン酸の増加抑制のみでは十分な細胞保護効果は得られないことが明らかとなった。また、in vitro虚血モデルにおいて、グルタミン酸の遊離および細胞傷害の過程へのカルシウムチャネルの関与が示されたが、脱分極刺激時のグルタミン酸遊離とは異なり、遊離に関わるカルシウムチャネルのサブタイプ選択性(L-タイプ、N-タイプ、P/Q-タイプチャネル)は低いものであった。 神経細胞は細胞機能維持のために大量のエネルギーを必要とする。しかし、虚血によりグルコースや酸素の供給が途絶するとATP産生が低下し、恒常性の維持が困難となり細胞死にいたるものと考えられる。培養神経細胞にカルシウムチャネル阻害剤やNMDA受容体拮抗剤、またナトリウムチャネル阻害剤を加えると、これらは細胞によるグルコース消費を抑制したことから、これらの薬剤は細胞が必要とするエネルギー量を低下させる働きがあると考えられた。これらの効果は、細胞内のエネルギー量が枯渇する虚血状態において、細胞保護効果に寄与していると考えられる。 3.エネルギー代謝低下状態で起こるグルタミン酸受容体の過剰興奮による細胞傷害 グルタミン酸受容体の過剰興奮は細胞内カルシウム濃度の上昇を引き起こし、細胞傷害の引き金になっていると考えられる。in vitro虚血モデルにおいてはグルタミン酸の遊離は細胞傷害の大きな原因ではあるが、これを抑制するだけでは十分な細胞保護効果は得られないと考えられた。 そこで、木村はエネルギー代謝を低下させた状態にある培養神経細胞を用いて、グルタミン酸受容体の過剰興奮によって引き起こされる細胞傷害について検討を行い、電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の神経保護作用を調べた。その結果、カルシウムチャネル阻害剤によってNMDA細胞傷害が抑制されたことから、NMDA受容体の過剰興奮により細胞膜が脱分極し、電位依存性カルシウムチャネルが活性化され、これが細胞傷害を惹起することが明らかとなった。 以上、木村の研究は、虚血による神経細胞傷害と電位依存性カルシウムチャネルとの関わりについて検討を行ったもので、上記のように薬学、特に薬理学における興味ある知見を明らかにした。この成果は博士(薬学)の取得に値するものと評価する。 |