学位論文要旨



No 214518
著者(漢字) 木村,真奈美
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,マナミ
標題(和) 虚血による神経細胞傷害と電位依存性カルシウムチャネルの関わりについての研究
標題(洋)
報告番号 214518
報告番号 乙14518
学位授与日 2000.01.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14518号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 序論

 脳血管障害は、脳血管閉塞が原因で起こる一過性または持続性の虚血により、神経細胞が傷害を受けることによって起こる疾患である。神経細胞は短時間の虚血に対しても極めて脆弱であり、不可逆的損傷を受け細胞死に陥る。神経細胞の虚血に対する脆弱性を説明する仮説として以下に述べる「グルタミン酸・カルシウム仮説」が提唱されている。脳虚血は細胞外に興奮性アミノ酸を顕著に増加させる。細胞外に放出されたグルタミン酸はグルタミン酸神経伝達を活性化するが、グルタミン酸受容体の過剰な興奮はカルシウムイオンの細胞内への流入を亢進させ、神経細胞に傷害を与える。しかし、脳虚血時に見られる過剰なグルタミン酸遊離のメカニズムは現在まで十分に解明されてはいない。

 この仮説に基づく治療法は、残念ながらまだ現実のものとはなっておらず、神経細胞をターゲットとした神経保護剤の開発が求められている。そこで神経保護剤の創製を目的として、培養神経細胞を用いて脳虚血のin vitroモデルを作製し、グルタミン酸遊離および神経細胞傷害のメカニズムを明らかにすると共に、特に電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の脳保護薬としての可能性を明らかにするために以下の実験を行った。

 1.電位依存性カルシウムチャネルの神経伝達における役割を明らかにするため、脱分極によって引き起こされる脳スライスからの神経伝達物質の遊離に対するサブタイプ選択的阻害剤の効果を調べた。

 2.培養神経細胞を用いて、培養緩衝液から酸素とグルコースを除くことによりin vitro虚血のモデルを作製し、虚血時におけるグルタミン酸の遊離とそれに引き続いておこる神経細胞傷害のメカニズムを検討した。

 3.エネルギー代謝を低下させた状態にある培養神経細胞を用いて、グルタミン酸受容体の過剰興奮によって引き起こされる細胞傷害について検討を行い、電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の神経保護作用を調べた。

結果と考察1.脱分極刺激による神経伝達物質の遊離

 電位依存性カルシウムチャネルの活性化による細胞内へのカルシウムの流入は、神経終末からの神経伝達物質の遊離の引き金となり、神経伝達において重要な役割を演じている。神経細胞には電位依存性カルシウムチャネルのサブタイプ(L,N,P/Q,T,R)の存在が知られているが、どのサブタイプのチャネルが神経伝達物質の遊離に関与しているかは明確にされていなかった。そこでカルシウムチャネルのサブタイプに特異的な阻害剤を用いて、脱分極によって引き起こされる内在性神経伝達物質のラット脳スライスからの遊離に対する効果を検討した。

 その結果、L-タイプチャネルは神経伝達物質の遊離にはほとんど関与しておらず、P/Q-タイプチャネルの関与が最も大きく(図1)、更に部分的にN-タイプチャネルが関与していることが明らかとなった。免疫組織学的研究から、L-タイプチャネルは主に神経細胞の細胞体と近傍の軸索に存在し、P/Q-タイプ、N-タイプチャネルは主に軸索と神経終末に存在していることが示されている。P/Q-およびN-タイプチャネルが神経終末からの神経伝達物質の遊離に主に関わっている理由のひとつは、その局在によると考えられる。

図1 海馬(A)および線条体(B)スライスからの50mM KCl刺激による神経伝達物質の遊離に対するP/Q-タイプチャネル阻害剤(-Aga-IVA)およびN-タイプチャネル阻害剤(-CgTx-GVIA)の効果グルタミン酸(●)、アスパラギン酸(▲)、セロトニン(○)、ドーパミン(□)、ノルエピネフリン(△)平均値±S.E.M.(n=4),*P<0.05,**P<0.01,***P<0.001vs50mM KCl刺激による遊離量。ANOVA,Dunnett’s t-test
2.in vitro虚血による興奮性アミノ酸の遊離と細胞傷害

 脳虚血においては、酸素およびグルコースの供給途絶によるエネルギー低下が原因となり、神経細胞の膜電位の変化や各種イオンの細胞内外への移動が活性化され、それが直接または間接的に興奮性アミノ酸の遊離に関係すると考えられる。

 脳虚血におけるグルタミン酸の遊離および細胞傷害のメカニズムを明らかにする目的で、培養神経細胞を酸素とグルコースを除いた緩衝液中でインキュベーションし、細胞外のグルタミン酸、アスパラギン酸量の増加と、それに引き続いて細胞傷害が観察される系を確立した。

 この系でNMDA受容体拮抗剤、non-NMDA受容体拮抗剤の効果を検討したところ、細胞外グルタミン酸、アスパラギン酸の上昇、および細胞傷害の指標であるLDHの遊離をいずれも用量依存的に抑制した。これらグルタミン酸受容体拮抗剤の作用には差が見られ、non-NMDA受容体拮抗剤はLDH遊離抑制よりもグルタミン酸の遊離抑制効果の方が顕著であり、NMDA受容体拮抗剤はその逆であった。non-NMDA受容体アゴニストであるカイニン酸はグルタミン酸遊離を引き起こすことから、non-NMDA受容体の活性化が虚血によるグルタミン酸の遊離に少なくとも一部は関与していると考えられた。ナトリウムチャネル阻害剤テトロドトキシンは顕著にグルタミン酸遊離を抑制したが、その細胞保護効果は弱いものであった(表1)。これらのことから、虚血による細胞外グルタミン酸の増加は細胞障害の引き金とはなるが、細胞外グルタミン酸の増加抑制のみでは十分な細胞保護効果は得られないことが示唆された。

 in vitro虚血モデルでのグルタミン酸遊離は、L-タイプ、N-タイプ、P/Q-タイプチャネルに選択的な阻害剤単独では有意に抑制されなかったが、2つのカルシウムチャネル阻害剤を併用すると有意な抑制が認められた(表1)。それぞれのカルシウムチャネル阻害剤は単独でも細胞傷害を抑制したが、3種のサブタイプのカルシウムチャネル阻害剤を併用すると、グルタミン酸、アスパラギン酸の遊離、並びにLDH遊離抑制が顕著であった。このことから、虚血時のグルタミン酸の遊離および細胞傷害の過程へのカルシウムチャネルの関与が示されたが、脱分極刺激時のグルタミン酸遊離とは異なり、遊離に関わるサブタイプの選択性は低いものであった。

表1 除酸素、除グルコースによって惹起された細胞外グルタミン酸、アスパラギン酸の蓄積と細胞外へのLDH遊離に対するカルシウムチャネル阻害剤およびナトリウムチャネル阻害剤の効果

 神経細胞は細胞機能維持のために大量のエネルギーを必要とする。しかし、虚血によりグルコースや酸素の供給が途絶するとATP産生が低下し、恒常性の維持が困難となり細胞死にいたるものと考えられる。培養神経細胞にカルシウムチャネル阻害剤やNMDA受容体拮抗剤、またナトリウムチャネル阻害剤を加えると、これらは細胞によるグルコース消費を抑制したことから、これらの薬剤は細胞が必要とするエネルギー量を低下させる働きがあると考えられた。これらの効果は、細胞内のエネルギー量が枯渇する虚血状態において、細胞保護効果に寄与していると考えられる。

3.エネルギー代謝低下状態で起こるグルタミン酸受容体の過剰興奮による細胞傷害

 グルタミン酸受容体の過剰興奮は細胞内カルシウム濃度の上昇を引き起こし、細胞傷害の引き金になっていると考えられる。上記の結果から、in vitro虚血モデルにおいてはグルタミン酸の遊離は細胞傷害の大きな原因ではあるが、これを抑制するだけでは十分な細胞保護効果は得られないと考えられた。そこで、カルシウムチャネルの神経保護作用にはシナプス後膜におけるカルシウムの過剰流入を抑制することも必要である、という仮説を立て以下の実験を行った。

 緩衝液からグルコースを除くことにより、培養神経細胞をエネルギー代謝の低下した状態におき、グルタミン酸受容体アゴニスト(NMDA、カイニン酸)による細胞傷害を調べた。エネルギー代謝が低下した状態では、神経細胞のグルタミン酸受容体アゴニストに対する感受性の亢進が観察された。

 上記の系を用いて、NMDAで誘発される細胞傷害に対する電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の効果を検討した(図2)。NMDA受容体の過剰興奮による神経細胞傷害に、電位依存性カルシウムチャネルの活性化が関与するかどうかについてはこれまで報告されていない。P/Q-タイプ,N-タイプチャネル阻害剤は有意に細胞傷害を抑制したが、L-タイプチャネル阻害剤は抑制傾向は示すものの有意な抑制は示さなかった。3種類のカルシウムチャネル阻害剤を併用すると、LDH遊離の51%を抑制した。このことからシナプス後膜におけるグルタミン酸受容体の過剰興奮による神経細胞傷害は、カルシウムチャネル阻害剤で抑制できることが示された。また、グルタミン酸受容体の過剰興奮による細胞傷害に関与するカルシウムチャネルのサブタイプ選択性は低いと考えられた。

図2エネルギー低下状態におけるNMDA誘発毒性に対する電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の効果平均値±S.E.M.(n=4-22),*P<0.05,**P<0.01,***P<0.001vsコントロール。ANOVA、Fisher’s PLSD

 カルシウムチャネル阻害剤によってNMDA細胞傷害が抑制されたことから、NMDA受容体の過剰興奮により細胞膜が脱分極し、電位依存性カルシウムチャネルが活性化され、これが細胞傷害を惹起するものと考えられる。そこで、NMDAで誘発される細胞内カルシウムイオン濃度[Ca2+]iの上昇に対する電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の効果を検討した。P/Q-タイプ、N-タイプチャネル、L-タイプチャネル阻害剤単独では有意な抑制は示さなかった。しかし、3種類のカルシウムチャネル阻害剤を併用すると、[Ca2+]i上昇の31%が抑制された。

結論

 脱分極刺激による神経終末からの神経伝達物質の遊離には、主にP/Q-タイプ、N-タイプチャネルの活性化が関与しており、連関するサブタイプの選択性は高いものがある。一方、虚血時に見られるグルタミン酸の遊離にもカルシウムチャネルが関与しているが、特定のサブタイプが寄与しているわけではなく、そのサブタイプ選択性は低いと言える。カルシウムチャネル阻害剤は虚血時の神経細胞傷害に対し細胞保護効果を示すが、あるサブタイプを選択的に抑制してもその効果は低く、3つのサブタイプのカルシウムチャネルを全て抑制したとき効果が最も大きかった。カルシウムチャネル阻害剤は、虚血時におけるグルタミン酸の遊離を阻害すること、チャネルを抑制することにより2次的にエネルギー消費を抑制すること、グルタミン酸受容体の活性化に伴うカルシウムの流入を抑制することにより、脳神経保護薬として効果を示すものと考えられる。

審査要旨

 脳血管障害は脳血管閉塞に伴う一過性または持続性の虚血により、神経細胞が傷害を受けることによって起こる疾患である。神経細胞は短時間の虚血に対しても極めて脆弱であり、不可逆的損傷を受け細胞死に陥る。神経細胞の虚血に対する脆弱性を説明する仮説として「グルタミン酸・カルシウム仮説」が提唱されている。

 脳虚血は細胞外に興奮性アミノ酸を顕著に増加させる。細胞外に放出されたグルタミン酸はグルタミン酸神経伝達を活性化するが、グルタミン酸受容体の過剰な興奮はカルシウムイオンの細胞内への流入を亢進させ、神経細胞に傷害を与える。しかし、脳虚血時に見られる過剰なグルタミン酸遊離のメカニズムは現在まで十分に解明されてはいない。この仮説に基づく治療法は残念ながらまだ現実のものとはなっておらず、神経細胞をターゲットとした神経保護剤の開発が求められている。

 そこで、学位申請者木村は神経保護剤の創製を最終目標として、培養神経細胞を用いて脳虚血のin vitroモデルを作製し、グルタミン酸遊離および神経細胞傷害のメカニズムを明らかにすると共に、特に電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の脳保護薬としての可能性を明らかにするために以下の実験を行った。

1.脱分極刺激による神経伝達物質の遊離

 電位依存性カルシウムチャネルの活性化による細胞内へのカルシウムの流入は、神経終末からの神経伝達物質の遊離の引き金となり、神経伝達において重要な役割を演じている。神経細胞には電位依存性カルシウムチャネルのサブタイプ(L,N,P/Q,T,R)の存在が知られているが、どのサブタイプのチャネルが神経伝達物質の遊離に関与しているかは明確にされていなかった。そこでカルシウムチャネルのサブタイプに特異的な阻害剤を用いて、脱分極によって引き起こされる内在性神経伝達物質のラット脳スライスからの遊離に対する効果を検討した。

 その結果、L-タイプチャネルは神経伝達物質の遊離にはほとんど関与しておらず、P/Q-タイプチャネルの関与が最も大きく、更に部分的にN-タイプチャネルが関与していることが明らかとなった。免疫組織学的研究から、L-タイプチャネルは主に神経細胞の細胞体と近傍の軸索に存在し、P/Q-タイプ、N-タイプチャネルは主に軸索と神経終末に存在していることが示されている。P/Q-およびN-タイプチャネルが神経終末からの神経伝達物質の遊離に主に関わっている理由のひとつは、その局在によると考えられる。

2.in vitro虚血による興奮性アミノ酸の遊離と細胞傷害

 脳虚血においては、酸素およびグルコースの供給途絶によるエネルギー低下が原因となり、神経細胞の膜電位の変化や各種イオンの細胞内外への移動が活性化され、それが直接または間接的に興奮性アミノ酸の遊離に関係すると考えられる。

 木村は、培養神経細胞を用いて培養緩衝液から酸素とグルコースを除くことによりin vitro虚血モデルを作製し、虚血時におけるグルタミン酸の遊離とそれに引き続いておこる神経細胞傷害のメカニズムを検討した。

 その結果、虚血による細胞外グルタミン酸の増加は細胞障害の引き金となるが、細胞外グルタミン酸の増加抑制のみでは十分な細胞保護効果は得られないことが明らかとなった。また、in vitro虚血モデルにおいて、グルタミン酸の遊離および細胞傷害の過程へのカルシウムチャネルの関与が示されたが、脱分極刺激時のグルタミン酸遊離とは異なり、遊離に関わるカルシウムチャネルのサブタイプ選択性(L-タイプ、N-タイプ、P/Q-タイプチャネル)は低いものであった。

 神経細胞は細胞機能維持のために大量のエネルギーを必要とする。しかし、虚血によりグルコースや酸素の供給が途絶するとATP産生が低下し、恒常性の維持が困難となり細胞死にいたるものと考えられる。培養神経細胞にカルシウムチャネル阻害剤やNMDA受容体拮抗剤、またナトリウムチャネル阻害剤を加えると、これらは細胞によるグルコース消費を抑制したことから、これらの薬剤は細胞が必要とするエネルギー量を低下させる働きがあると考えられた。これらの効果は、細胞内のエネルギー量が枯渇する虚血状態において、細胞保護効果に寄与していると考えられる。

3.エネルギー代謝低下状態で起こるグルタミン酸受容体の過剰興奮による細胞傷害

 グルタミン酸受容体の過剰興奮は細胞内カルシウム濃度の上昇を引き起こし、細胞傷害の引き金になっていると考えられる。in vitro虚血モデルにおいてはグルタミン酸の遊離は細胞傷害の大きな原因ではあるが、これを抑制するだけでは十分な細胞保護効果は得られないと考えられた。

 そこで、木村はエネルギー代謝を低下させた状態にある培養神経細胞を用いて、グルタミン酸受容体の過剰興奮によって引き起こされる細胞傷害について検討を行い、電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の神経保護作用を調べた。その結果、カルシウムチャネル阻害剤によってNMDA細胞傷害が抑制されたことから、NMDA受容体の過剰興奮により細胞膜が脱分極し、電位依存性カルシウムチャネルが活性化され、これが細胞傷害を惹起することが明らかとなった。

 以上、木村の研究は、虚血による神経細胞傷害と電位依存性カルシウムチャネルとの関わりについて検討を行ったもので、上記のように薬学、特に薬理学における興味ある知見を明らかにした。この成果は博士(薬学)の取得に値するものと評価する。

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