学位論文要旨



No 214519
著者(漢字) 布施,英一
著者(英字)
著者(カナ) フセ,エイイチ
標題(和) 蛋白質リン酸化酵素阻害剤UCN-01のヒト1-酸性糖蛋白との蛋白結合による体内動態変化の定量的解析
標題(洋)
報告番号 214519
報告番号 乙14519
学位授与日 2000.01.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14519号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 序論

 癌細胞の細胞周期の調節に重要な酵素である蛋白質リン酸化酵素の阻害剤UCN-01(7-hydroxystaurosporine)は in vitroおよびin vivoにおいてヒト固形腫瘍に対して抗腫瘍効果を示す。また、いくつかの癌細胞に対してcyclin-dependent kinase2の阻害が関与すると考えられるG1期集積やアポトーシスを誘導し、いくつかの代表的抗癌剤の作用を増強する。このような新規な作用機序からUCN-01は新しいタイプの抗癌剤として臨床第1相試験が開始されたが、実験動物からの予測をはるかに上回る血漿中濃度が認められた。実験動物での定常状態分布容積(Vdss)、全身クリアランス(CLtot)および消失半減期(t1/2)が各々6〜17L/kg、0.6〜3.5L/h/kg、4〜12時間であったのに対し、癌患者では極めて小さなCLtot(0.07〜0.17mL/h/kg)、Vdss(0.11〜0.13L/kg)であり、長いt1/2(600〜1700時間)であった。

 この体内動態の顕著な種差の原因を明らかにする目的で、1)UCN-01のヒトでの分布および消失を制限する可能性の最も高い血中蛋白結合を検討した。次に、2)UCN-01がヒト血漿およびヒト1-酸性糖蛋白(AGP)に対して極めて高い親和性を示したことから、平衡状態での蛋白結合だけでなく、血漿中蛋白からのUCN-01の解離速度についても検討した。さらに、3)UCN-01に対して高い親和性を示したヒトAGPのラットにおけるUCN-01の体内動態に対する影響について in vitro試験も含めて検討した。臨床における効果、毒性の定量的予測のために、4)通常の体内動態の解析で用いられる蛋白結合率だけでなく、UCN-01とヒトAGPとの結合および解離速度定数を組み込んだモデル解析を行い、UCN-01のヒトAGPによるラットでの体内動態変化におけるヒトAGPからの解離速度の寄与を検討した。

結果(1)血中蛋白との結合

 UCN-01のVdssが血漿容量の2〜3倍であることがら、ヒト血漿からのUCN-01の分布が制限されていることが示唆された。そこで、UCN-01を添加した血漿あるいは血漿蛋白溶液を超遠心することにより蛋白との非結合型画分として上清を採取し、そのUCN-01濃度をHPLC法により測定した。UCN-01を1g/mLとなるよう添加した血漿中の非結合型分率(fp)は、イヌ、ラット、マウスにおいて各々0.42、1.75および1.17%であったのに対し、ヒトでは定量下限未満(<0.02%)であった。UCN-01を10g/mLとした場合、ヒトにおいてのみfpの明らかな増加が認められた。ヒト血漿蛋白であるアルブミン、ヒトAGP、-グロブリン溶液中ではヒトAGPに最も高い率で結合した。ヒトAGP、ヒト血漿に対する結合定数は約8×108(M)-1と高親和性を示した。イヌのAGPに対する結合定数はヒトAGPの1/60であり、ラットAGPに対しては非特異的な結合しか認められなかった。

(2)血漿蛋白からの解離速度

 蛋白からの解離について、デキストラン処理活性炭(DCC)により検討した。UCN-01を5Mとなるよう各種動物血漿に添加し、37℃下、DCCを添加0.1および2時間後の上清中のUCN-01の残存率を測定した。DCC添加0.1時間後の残存率はヒト血漿では約80%であったのに対し、サル血漿ではやや高いものの、マウス、ラット、イヌの血漿では0.6%未満とヒト血漿に比べ明らかに低かった。DCC添加2時間後のUCN-01の残存率もヒト血漿での値が他の動物種に比べ明らかに高かった。

 UCN-01のヒトAGPからの解離速度定数(koff)を求めた。ヒトAGP溶液に活性炭濃度10,20あるいは40mg/mLとなるようDCCを添加後の上清中のUCN-01の残存率を測定した。傾きであるkoffは活性炭濃度20および40mg/mLで有意な差は認められず、各々0.346および0.383h-1であった。ヒト血漿におけるkoffは0.150h-1とAGPに比べ低値であった。

 UCN-01のヒトにおける低クリアランス、低分布容積の原因が少なくとも一部はUCN-01のヒトAGPとの高い親和性によるものであると考えられた。

(3)ヒトAGPによる体内動態変化

 ヒトAGPのUCN-01との結合が真にUCN-01の体内動態に影響を与えるかをラットを用いて検討した。

 UCN-01を単独あるいはヒトAGPとの等モル混合液(0.73mol/kg)としてラットに急速静脈内投与時のUCN-01血漿中濃度をHPLC法により測定した。ヒトAGPとの併用投与時のUCN-01の血漿中濃度は単独投与群に比べ著しく高く、Vdss、CLtotは1/100、1/200に低下し、ヒトAGPはUCN-01の分布、消失を著しく減少させた。低親和性のイヌAGPとの同時投与ではVdss、CLtotの変化は1/2程度であった。

 主代謝組織である肝での動態についてin vivoおよびin vitroで検討した。UCN-01を単独あるいはヒトAGPとの混合液としてラットに定速静脈内投与し、定常状態での大腿部動脈および肝静脈の血漿中UCN-01濃度より肝抽出比を算出した。UCN-01単独投与時の肝抽出比は0.510であったのに対し、投与液中へのヒトAGP混合により肝での抽出はほとんど認められなかった。ラットより遊離肝細胞を調製し、3H標識したUCN-01のin vitroでの遊離肝細胞への取り込み初速度(Vo)を検討した。UCN-01を1M添加したラット遊離肝細胞でのVoは10MのHSAあるいは0.5MのイヌAGP存在下では変化しなかったのに対し、0.5MのヒトAGPおよび10MのイヌAGP存在下では各々約50%および70%抑制され、10MのヒトAGP存在下ではUCN-01の取り込みは100%抑制された。ヒトAGP濃度を変化させた時のVoの阻害率と結合パラメーターから算出した特異的結合型分率とはほぼ一致し、高い相関(r2=0.989)が得られた。

 ヒトAGPを定速静脈内投与することにより、ヒトAGP濃度を一定に持続する、より臨床に近いモデルラット(AGP infused rats)にUCN-01を急速静脈内投与後の血漿中濃度推移を検討した。ヒトAGPを46.7あるいは467nmol/kgを急速静脈内投与後、15あるいは150nmol/h/kgの速度で定速静脈内投与し、1時間後にUCN-01を急速静脈内投与後の血漿中ヒトAGPおよびUCN-01濃度をELISA法およびHPLC法により測定した。UCN-01を725nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の血漿中濃度推移はヒトAGP濃度に依存して上昇し、時間0に補外した血漿中濃度はcontrol群の12.5および110倍であり、ヒトAGP濃度とおおむね一致した。VdssおよびCLtotはcontrol群に比べ数10倍〜数100倍低下した。ヒトAGP濃度を11.9Mに維持したラットにUCN-01を72.5、725および7250nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の時間0に補外した血漿中濃度の比は1:6.7:9.2と血漿中ヒトAGP濃度付近で頭打ちを示した。Vdss、CLtotともUCN-01の投与量の増加につれて上昇し、その比は1:1.5:10と特に高用量の7250nmol/kgで上昇し、UCN-01のヒトAGPへの結合の飽和による非線形性が認められた。以上の結果からヒトAGPとの蛋白結合によりUCN-01の体内動態が変化することが明らかとなった。

(4)ヒトAGPによる体内動態変化における解離速度の寄与の定量的解析

 ヒトAGPからのUCN-01の解離が極めて遅かったことから、koffを組み込んだ生理学的モデルを検討した。UCN-01に関する物質収支式を立て、線形条件を仮定し、CLtotとkoffの関係式を誘導した。得られた関係式と実測値を比較した。低koffの範囲においてはkoffの増加にともないCLtotも増加し、一定以上のkoffではCLtotは一定値を示した。いずれの条件のラットにおいても実測値はsimulation curveとおおむね一致した。十分にkoffが大きい条件でのCLtotのプラトー値は両ラット間で約140倍異なり、UCN-01のヒトAGPに対する高親和性がこのCLtotの低下を生じさせていると考えられた。また、AGP infused ratsでのCLtotの実測値がプラトー値よりも約8倍小さいことはUCN-01のヒトAGPからの解離が遅いことによると考えられた。この解析からUCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、その遅い解離速度がCLtotをより低下させていることが示唆された。

 生理学的モデルにおける物質収支式を用いてUCN-01の血漿中濃度推移をsimulationし、蛋白結合の瞬時平衡を仮定した解析結果と比較した。通常の蛋白結合の過程で仮定される瞬時平衡条件ではUCN-01の血漿中濃度推移は投与初期では実測値に比べ約1/6の濃度であり、かつ、消失も速やかであった。一方、解離速度を組み込んだ条件下では、実測値に比べわずかに低値を示したものの、おおむね良好に再現した。投与初期での差が大きいことからヒトAGPからの解離速度の遅さがUCN-01の分布を制限していることが示された。

 ヒトAGPを0〜11.9MとしたラットにUCN-01を725nmol/kg投与時およびヒトAGPを11.9MとしたラットにUCN-01を72.5〜7250nmol/kg投与時の血漿中濃度推移のsimulationを実測値とともに示した。最高用量である7250nmol/kgにおいてはsimulation値は実測値に比べ遅い消失を示したものの、おおむね実測値と一致し、AGP infused ratsにおけるUCN-01の体内動態に対するAGPの影響およびUCN-01の非線形な動態が再現された。

 ヒトAGPからの解離速度を組み込むことによってはじめてUCN-01のヒトAGPによる体内動態変化は説明可能であり、その遅い解離がUCN-01の分布および消失を制限していることが示唆された。

結論

 本研究によりUCN-01のヒトAGPへの高い親和性がUCN-01のヒトにおける体内動態の特徴、低分布容積、低クリアランスに関与することが明らかとなった。UCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、その解離速度が分布、消失をさらに制限していると考えられた。本モデルにヒトにおける血流速度などの生理学的パラメーターやUCN-01の代謝能力を組み込むことによって臨床への応用が期待される。

審査要旨

 本論文は蛋白質リン酸化酵素阻害剤UCN-01の臨床試験で認められた、実験動物とまったく異なるヒトにおける体内動態の特徴、すなわち、低分布容積、低クリアランスがUCN-01のヒト1-酸性糖蛋白質(AGP)への高い親和性によるものであることを示し、そのUCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、AGPからの遅い解離速度が分布、消失をさらに制限していることを薬物動態学的手法により証明したものである。

 始めにUCN-01の体内動態の顕著な種差の原因を明らかにする目的で、UCN-01のヒトでの分布および消失を制限する可能性の最も高い血中蛋白結合を超遠心法により検討した。UCN-01を1g/mLとした血漿中の非結合型分率(fp)は、イヌ、ラット、マウスにおいて0.42〜1.75%であったのに対し、ヒトでは定量下限未満(<0.02%)であった。ヒト血漿蛋白であるアルブミン、ヒトAGP、-グロブリン溶液中ではヒトAGPに最も高い率で結合した。ヒトAGP、ヒト血漿に対する結合定数は約8x108(M)-1と極めて高い親和性を示した。

 UCN-01がヒト血漿およびヒトAGPに対して極めて高い親和性を示したことから、次に、平衡状態での蛋白結合だけでなく、血漿中蛋白からのUCN-01の解離速度についてデキストラン処理活性炭(DCC)により検討した。UCN-01を5Mとなるよう各種動物血漿に添加し、DCCを添加0.1時間後の上清中のUCN-01の残存率は、ヒト血漿では約80%であったのに対し、マウス、ラット、イヌの血漿では0.6%未満とヒト血漿に比べ明らかに低かった。UCN-01のヒトAGPからの解離速度定数(koff)を算出したところ、0.383h-1とその解離半減期は通常の蛋白結合の解離半減期、数ミリ秒に比べはるかに長い約2時間であった。

 さらに、UCN-01に対して高い親和性を示したヒトAGPのラットにおけるUCN-01の体内動態に対する影響についてin vitro試験も含めて検討した。UCN-01をヒトAGPとの等モル混合液(0.73mol/kg)としてラットに急速静脈内投与時のUCN-01血漿中濃度は単独投与群に比べ著しく高く、定常状態分布容積(Vdss)、全身クリアランス(CLtot)は1/100、1/200に低下し、ヒトAGPはUCN-01の分布、消失を著しく減少させた。UCN-01を単独でラットに定速静脈内投与時の肝抽出比は約0.5であったのに対し、投与液中へのヒトAGP混合により肝でのUCN-01の消失は認められなくなった。ヒトAGPを定速静脈内投与することにより、ヒトAGP濃度を一定に持続する、より臨床に近いモデルラットにUCN-01を急速静脈内投与後の血漿中濃度推移を検討した。ヒトAGP濃度を0〜11.9Mに維持したラットにUCN-01を725nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の血漿中濃度推移はヒトAGP濃度に依存して上昇し、時間0に補外した血漿中濃度はヒトAGP濃度とおおむね一致した。ヒトAGP濃度を11.9Mに維持したラットにUCN-01を72.5、725および7250nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の時間0に補外した血漿中濃度の比は1:6.7:9.2と血漿中ヒトAGP濃度付近で飽和性を示した。以上の結果からヒトAGPとの蛋白結合によりUCN-01の分布および消失が制限されることが明らかとなった。

 ヒトAGPとの蛋白結合によるUCN-01の体内動態変化の定量的予測のために、通常の体内動態の解析で用いられる蛋白結合率だけでなく、UCN-01とヒトAGPとの結合および解離の速度定数を組み込んだ生理学的モデルを用いて、UCN-01のヒトAGPとの蛋白結合によるラットでの体内動態変化におけるヒトAGPからの解離速度の寄与を検討した。UCN-01に関する物質収支式を立て、線形条件を仮定し、CLtotとkoffの関係式を誘導した。コントロールおよびヒトAGP投与ラットいずれにおいても実測値は関係式と一致した。十分にkoffが大きい条件でのCLtotは両ラット間で約140倍異なり、UCN-01のヒトAGPに対する高親和性がこのCLtotの低下を生じさせていると考えられた。また、ヒトAGP投与ラットでのCLtotの実測値がさらに約8倍小さいことはUCN-01のヒトAGPからの解離が遅いことによると考えられた。この解析からUCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、その遅い解離速度がCLtotをより低下させていることが示された。上記のモデルを用いてUCN-01の血漿中濃度推移をsimulationし、蛋白結合の瞬時平衡を仮定した解析結果と比較した。通常の蛋白結合の過程で仮定される瞬時平衡条件ではUCN-01の血漿中濃度推移は投与初期では実測値に比べ約1/6の濃度であり、かつ、消失も速やかであった。一方、解離速度を組み込んだ条件下では、実測値に比べわずかに低値を示したものの、比較的良好に再現した。投与初期での差が大きいことからヒトAGPからの解離速度の遅さがUCN-01の分布を制限していることが示された。以上の結果より、ヒトAGPからの解離速度を組み込むことによってはじめてUCN-01のヒトAGPとの蛋白結合による体内動態変化は説明可能であり、その遅い解離がUCN-01の分布および消失を制限していることが示された。

 このように本研究により蛋白質リン酸化酵素阻害剤UCN-01の実験動物における結果からは予測し得なかった、ヒトにおける体内動態の特徴がUCN-01のヒトAGPへの高い親和性によるものであることが示され、以後の本剤の臨床試験進行に貢献した。また、通常の薬物動態学的手法において考慮されない、血中蛋白からの解離速度がこのUCN-01の分布および消失を制限していることが定量的なモデル解析を用いて示された。薬物の体内動態における血中蛋白との結合の重要性を再認識させ、今後、高い蛋白結合率を示す多くの探索および開発段階の医薬品の体内動態を推察するのに重要な知見であるという点で、薬物動態学の分野に大きく貢献するものと評価される。以上により本論文は博士(薬学)の学位を受けるに充分な内容を有すると認定した。

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