本論文は蛋白質リン酸化酵素阻害剤UCN-01の臨床試験で認められた、実験動物とまったく異なるヒトにおける体内動態の特徴、すなわち、低分布容積、低クリアランスがUCN-01のヒト1-酸性糖蛋白質(AGP)への高い親和性によるものであることを示し、そのUCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、AGPからの遅い解離速度が分布、消失をさらに制限していることを薬物動態学的手法により証明したものである。 始めにUCN-01の体内動態の顕著な種差の原因を明らかにする目的で、UCN-01のヒトでの分布および消失を制限する可能性の最も高い血中蛋白結合を超遠心法により検討した。UCN-01を1g/mLとした血漿中の非結合型分率(fp)は、イヌ、ラット、マウスにおいて0.42〜1.75%であったのに対し、ヒトでは定量下限未満(<0.02%)であった。ヒト血漿蛋白であるアルブミン、ヒトAGP、-グロブリン溶液中ではヒトAGPに最も高い率で結合した。ヒトAGP、ヒト血漿に対する結合定数は約8x108(M)-1と極めて高い親和性を示した。 UCN-01がヒト血漿およびヒトAGPに対して極めて高い親和性を示したことから、次に、平衡状態での蛋白結合だけでなく、血漿中蛋白からのUCN-01の解離速度についてデキストラン処理活性炭(DCC)により検討した。UCN-01を5Mとなるよう各種動物血漿に添加し、DCCを添加0.1時間後の上清中のUCN-01の残存率は、ヒト血漿では約80%であったのに対し、マウス、ラット、イヌの血漿では0.6%未満とヒト血漿に比べ明らかに低かった。UCN-01のヒトAGPからの解離速度定数(koff)を算出したところ、0.383h-1とその解離半減期は通常の蛋白結合の解離半減期、数ミリ秒に比べはるかに長い約2時間であった。 さらに、UCN-01に対して高い親和性を示したヒトAGPのラットにおけるUCN-01の体内動態に対する影響についてin vitro試験も含めて検討した。UCN-01をヒトAGPとの等モル混合液(0.73mol/kg)としてラットに急速静脈内投与時のUCN-01血漿中濃度は単独投与群に比べ著しく高く、定常状態分布容積(Vdss)、全身クリアランス(CLtot)は1/100、1/200に低下し、ヒトAGPはUCN-01の分布、消失を著しく減少させた。UCN-01を単独でラットに定速静脈内投与時の肝抽出比は約0.5であったのに対し、投与液中へのヒトAGP混合により肝でのUCN-01の消失は認められなくなった。ヒトAGPを定速静脈内投与することにより、ヒトAGP濃度を一定に持続する、より臨床に近いモデルラットにUCN-01を急速静脈内投与後の血漿中濃度推移を検討した。ヒトAGP濃度を0〜11.9Mに維持したラットにUCN-01を725nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の血漿中濃度推移はヒトAGP濃度に依存して上昇し、時間0に補外した血漿中濃度はヒトAGP濃度とおおむね一致した。ヒトAGP濃度を11.9Mに維持したラットにUCN-01を72.5、725および7250nmol/kg急速静脈内投与後のUCN-01の時間0に補外した血漿中濃度の比は1:6.7:9.2と血漿中ヒトAGP濃度付近で飽和性を示した。以上の結果からヒトAGPとの蛋白結合によりUCN-01の分布および消失が制限されることが明らかとなった。 ヒトAGPとの蛋白結合によるUCN-01の体内動態変化の定量的予測のために、通常の体内動態の解析で用いられる蛋白結合率だけでなく、UCN-01とヒトAGPとの結合および解離の速度定数を組み込んだ生理学的モデルを用いて、UCN-01のヒトAGPとの蛋白結合によるラットでの体内動態変化におけるヒトAGPからの解離速度の寄与を検討した。UCN-01に関する物質収支式を立て、線形条件を仮定し、CLtotとkoffの関係式を誘導した。コントロールおよびヒトAGP投与ラットいずれにおいても実測値は関係式と一致した。十分にkoffが大きい条件でのCLtotは両ラット間で約140倍異なり、UCN-01のヒトAGPに対する高親和性がこのCLtotの低下を生じさせていると考えられた。また、ヒトAGP投与ラットでのCLtotの実測値がさらに約8倍小さいことはUCN-01のヒトAGPからの解離が遅いことによると考えられた。この解析からUCN-01のヒトAGPとの高い結合率に加えて、その遅い解離速度がCLtotをより低下させていることが示された。上記のモデルを用いてUCN-01の血漿中濃度推移をsimulationし、蛋白結合の瞬時平衡を仮定した解析結果と比較した。通常の蛋白結合の過程で仮定される瞬時平衡条件ではUCN-01の血漿中濃度推移は投与初期では実測値に比べ約1/6の濃度であり、かつ、消失も速やかであった。一方、解離速度を組み込んだ条件下では、実測値に比べわずかに低値を示したものの、比較的良好に再現した。投与初期での差が大きいことからヒトAGPからの解離速度の遅さがUCN-01の分布を制限していることが示された。以上の結果より、ヒトAGPからの解離速度を組み込むことによってはじめてUCN-01のヒトAGPとの蛋白結合による体内動態変化は説明可能であり、その遅い解離がUCN-01の分布および消失を制限していることが示された。 このように本研究により蛋白質リン酸化酵素阻害剤UCN-01の実験動物における結果からは予測し得なかった、ヒトにおける体内動態の特徴がUCN-01のヒトAGPへの高い親和性によるものであることが示され、以後の本剤の臨床試験進行に貢献した。また、通常の薬物動態学的手法において考慮されない、血中蛋白からの解離速度がこのUCN-01の分布および消失を制限していることが定量的なモデル解析を用いて示された。薬物の体内動態における血中蛋白との結合の重要性を再認識させ、今後、高い蛋白結合率を示す多くの探索および開発段階の医薬品の体内動態を推察するのに重要な知見であるという点で、薬物動態学の分野に大きく貢献するものと評価される。以上により本論文は博士(薬学)の学位を受けるに充分な内容を有すると認定した。 |