学位論文要旨



No 214521
著者(漢字) 松永,俊朗
著者(英字)
著者(カナ) マツナガ,トシロウ
標題(和) 植物必須微量元素ホウ素の植物体内化学形態と動態・機能に関する分析化学的研究
標題(洋)
報告番号 214521
報告番号 乙14521
学位授与日 2000.01.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14521号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨

 ホウ素(B)は、高等植物の生育に必須な微量元素であり、ホウ素が欠乏すると、根や葉の伸長部位の生育が阻害される。しかしながら、これまでホウ素の植物における動態や機能については、不明な点が多かった。筆者は、その理由の一つは、ホウ素の植物体内での化学形態が分子レベルで明らかにされていないことにあると考えた。一方、有力な元素状態分析法として、最近ではin vivoNMR(核磁気共鳴吸収法)やHPLC/ICP-MS(高速液体クロマトグラフィー/誘導結合プラズマ質量分析法)が開発されてきている。そこで、本研究は、植物の必須微量元素であるホウ素の植物体内における化学形態をこれら最新の状態分析法で調べて、ホウ素の植物体内での動態・機能を明らかにすることを目的とした。

1.植物体内の水溶性ホウ素

 ダイコン根とリンゴ果実という植物組織の明瞭なin vivo11BNMRスペクトルを、比較的短時間で得ることができた。図laにダイコン根の例を示す。スペクトルに見られたピークは、ホウ酸、ホウ酸ジエステルおよびホウ酸モノエステルに由来していた。この結果は、植物体中にホウ酸エステルが存在していることを直接的に示す初めての証拠である。また、ダイコン根とリンゴ果実のジュースの11BNMRスペクトル(図1b)を測定した結果、ダイコン根とリンゴ果実のin vivo11BNMRスペクトルに見られたシグナルは、特にホウ酸エステルについては、植物組織の水溶性画分に由来していた。また、ダイコン根とリンゴ果実の残さの11BNMRスペクトル(図1c)を測定した結果、細胞壁中のホウ素の多くは、運動性が低い化学形態で存在していることが示唆された。

図1ダイコン根の11B NMRスペクトル

 ダイコン根ジュース中の高分子ホウ素量は最大でもホウ素全体の1%程度と少なく、ジュース中のホウ素の大部分は低分子態ホウ素であった。サイズ排除HPLC/ICP-MS測定したとき、ダイコン根ジュース中のエステル態のホウ酸はカラム内を移動している間に、ホウ酸とジヒドロキシ化合物とに遊離した。また、ダイコン根ジュースとその透析・濃縮物をサイズ排除HPLC/ICP-MS測定した結果、ジュース中には高分子と結合しているホウ素が存在していた。

 水耕栽培した生育初期コマツナを部位別にin vivo11BNMR測定した結果、古い葉ではホウ酸のピークが大きく、若い葉や根では、ホウ酸ジエステルのピークが大きかった。水耕培地から十分に供給されたホウ酸は、古い葉に蓄積して、ジエステル結合を作る相手の低分子ジヒドロキシ化合物量に比べて当量比が大きくなったと考えられた。圃場栽培した開花期コマツナを部位別にin vivo11BNMR測定し、また水溶性ホウ素量を分析した結果、蕾、花、莢中には水溶性ホウ素が多く、その化学形態はホウ酸ジエステルであった。また、茎葉中のホウ素は、大部分が水不溶性であった。

2.植物体内の水不溶性ホウ素

 双子葉植物であるシュガービートと単子葉植物イネ科のタケノコの細胞壁のドリセラーゼ可溶化物から、3段階のクロマトグラフィーにより、ホウ素-多糖複合体を単離した。ホウ素-多糖複合体の分子量はMALDI/TOF-MS(マトリクス支援レーザー脱離イオン化/飛行時間型質量分析法)測定を行った結果、約9000であり、複合体1分子に含まれるホウ素はFI/ICP-MS測定を行った結果、約1個であり、さらに11BNMR測定を行った結果、ホウ酸ジエステル態の形で存在していた。また複合体の多糖部分は、ラムノガラクツロナンIIであった。さらに、複合体を酸処理した結果、複合体は2量体であった。これらのことから、シュガービートとタケノコから単離したホウ素-多糖複合体は、1分子のホウ酸が、2分子のラムノガラクツロナンIIを、ホウ酸ジエステル結合で架橋しているラムノガラクッロナンII-ホウ酸ダイマー(dRGII-B)であると考えられた。

 dRGII-B水溶液と、その酸処理物のHPLC/ICP-MS測定を行った結果(図2)、dRGII-B複合体には、Ca,Sr,BaとPbが、特異的に結合していた。カラムと元素検出器の間に定量用インジェクタを付けて、dRGII-B水溶液のHPLC/ICP-AES(高速液体クロマトグラフィー/誘導結合プラズマ発光分析法)測定を行った結果、1分子のdRGII-Bに含まれるB原子数は0.87-0.93個、Ca原子数は0.81-0.86個であった。EDTAを加えた溶離液で、dRGII-BのHPLC/ICP-AESおよび/ICP-MS測定を行った結果、dRGII-Bに結合しているCaがdRGII-Bから除かれても、dRGII-Bは直ちにRGIIモノマーへ分解はしなかった。このことは、CaはdRGII-Bの構造に不可欠な要素ではないことを示唆している。また、モル数で約10倍のCa,Sr,Ba,Pb各イオンに接触させたdRGII-BのHPLC/ICP-MS測定を行った結果、Ca,Sr,Ba,Pbの中では、Pb>Ba>Sr>Caの順で、dRGII-Bにすでに結合している金属イオンを置換して結合する能力が大きかった。

図2ホウ酸-ラムノガラクツロナンIIのHPLC/ICP-MSクロマトグラム

 植物細胞壁のドリセラーゼ可溶化物のサイズ排除HPLC/ICP-MS測定を行った結果、この測定法は、植物細胞壁中のdRGII-B複合体の簡便な検出に有効であった。本法を用いることにより、供試した双子葉植物のポプラ、シカモアカエデ、単子葉植物のイネ、トウモロコシ、ウキクサ、および裸子植物のモミの細胞壁においてdRGII-B複合体が存在することが確認された。

図3ホウ素の植物体内での化学形態

 以上のように、植物体内のホウ素は、水溶性と水不溶性ホウ素に大別された。水溶性ホウ素の化学形態は、ホウ酸とジヒドロキシ化合物との水溶性エステルであり、ホウ素の移動や貯蔵に関与していると考えられた。水不溶性ホウ素の化学形態は、細胞壁中でのホウ酸1分子とラムノガラクツロナンIIという多糖2分子との複合体であり、細胞壁の安定性に関与していると考えられた。

審査要旨

 ホウ素が高等植物の必須微量元素であることが知られて70数年が経つが,ホウ素の植物における動態や機能については未だに不明な点が多い。本論文は、最新の元素状態分析法であるin vivo NMRやHPLC/ICP-MSを用いて、ホウ素の植物体内における化学形態と植物体内での動態・機能を明らかにすることを目的としたもので、5章よりなる。

 第1章では、ホウ素の植物必須性、化学形態と動態・機能、ホウ酸の化学、状態分析法について概説したのち本研究の目的を述べている。

 第2章では、植物体内の水溶性ホウ素の化学形態を調べた。植物組織(ダイコン根とリンゴ果実)の明瞭なin vivo11B NMRスペクトルを短時間で得ることができた。スペクトルには、ホウ酸、ホウ酸ジエステルおよびホウ酸モノエステルに由来するピークが観測され、植物体中のホウ酸エステルの存在を直接的に示す初めての証拠が得られた。また,これらの化合物,特にホウ酸エステルは、組織の水溶性画分に由来していた。

 ダイコン根ジュース中のホウ素の大部分は低分子態であった。ダイコン根ジュースとその透析・濃縮物をサイズ排除HPLC/ICP-MS測定した結果、ジュース中には高分子と結合しているホウ素が最大でもホウ素全体の1%程度存在していた。

 水耕栽培した生育初期コマツナを部位別に角in vivo11B NMR測定した結果、古い葉ではホウ酸が、若い葉や根では、ホウ酸ジエステルが多かった。また、圃場栽培した開花期コマツナでは、蕾、花,莢中には水溶性ホウ素が多く、その化学形態はホウ酸ジエステルであった。以上の結果、植物体内の水溶性ホウ素の化学形態は、ホウ酸と低分子ジヒドロキシ化合物との水溶性エステルであり、ホウ素の移動や貯蔵に関与していることが示された。

 第3章では、植物体内の水不溶性ホウ素の化学形態を調べた。双子葉植物シュガービートと単子葉植物イネ科のタケノコの細胞壁のドリセラーゼ可溶化物から、3段階のクロマトグラフィーにより、ホウ素-多糖複合体を単離した。複合体の分子量はMALDI/TOF-MS測定の結果、約9,000であり、複合体1分子に含まれるホウ素はフローインジェクション/ICP-MS測定の結果、約1個であり、さらに11B NMRでは、ホウ酸ジエステル態の存在を示した。また複合体の多糖部分は、ラムノガラクツロナンIIであった。さらに、複合体を酸処理した結果、複合体は2量体であった。これらのことから、単離されたホウ素-多糖複合体は、1分子のホウ酸が、2分子のラムノガラクツロナンIIをホウ酸ジエステル結合で架橋しているラムノガラクツロナンII-ホウ酸ダイマー(dRGII-B)であると結論した。

 dRGII-B水溶液と、その酸処理物のHPLC/ICP-MS測定の結果、dRGII-B複合体には、Ca,Sr,BaとPbが特異的に結合していた。HPLC/ICP-AESによりdRGII-B水溶液を定量した結果,1分子のdRGII-Bに含まれるBは0.87-0.93原子、Caは0.81-0.86原子であった。EDTAを加えた溶離液でdRGII-BのHPLC/ICP-AESおよびHPLC/ICP-MS測定を行った結果、dRGII-Bに結合しているCaがdRGII-Bから除かれても、dRGII-Bは直ちにRGIIモノマーへ分解はしなかった。また、モル数で約10倍のCa,Sr,Ba,Pb各イオンに接触させたdRGII-BをHPLC/ICP-MSで測定した結果、dRGII-B中の金属イオンは置換され、その置換能はPb>Ba>Sr>Caの順であった。

 植物細胞壁のドリセラーゼ可溶化物のサイズ排除HPLC/ICP-MS測定は、植物細胞壁中のdRGII-B複合体の簡便な検出に有効であった。本法により双子葉植物のポプラ、シカモアカエデ、単子葉植物のイネ、トウモロコシ、ウキクサ、および裸子植物のモミの細胞壁においてdRGII-B複合体の存在が確認された。

 以上の結果、植物体中の水不溶性ホウ素の化学形態は、細胞壁中でのホウ酸1分子とラムノガラクツロナンII2分子との複合体であり、細胞壁の安定性に関与していることが示された。

 第4章では,総合考察として、植物体内の水溶性および水不溶性ホウ素の化学形態について総合的に考察を加えるとともに、今後の研究方向について展望している。第5章では、本研究の成果を要約している。

 以上、本論文は、最新の元素状態分析法を用いて、これまで不明であった植物必須微量元素ホウ素の化学形態を分子レベルで明らかにし、ホウ素の植物体内での動態・機能解明研究に新たな道を開いたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54141