筋肉はヒトにおいて大きな比重を占める臓器であり、環境汚染物質の筋肉への影響を検討することは意義があると考えられる。この観点から本研究においては環境汚染物質が筋肉に及ぼす影響に関する研究及び研究手法の開発を行った。 本研究においては、先ず第1部でメチル水銀中毒との関連から骨格筋の研究を行った。次に第2部において気管支喘息との関連から気管平滑筋の研究を行った。さらに最近の報告から大気汚染物質が循環器系へ影響を及ぼすことが報告されており大気汚染物質の血管平滑筋への影響を検討することが必要となっているため、第3部において肺の循環を司る肺血管平滑筋に関する研究を行った。 メチル水銀中毒の主要症状に運動機能障害がある。種々の細胞においてメチル水銀の障害部位としてミトコンドリアが報告されている。メチル水銀中毒ラットにおいては、筋の無力化が著しく観察されることからメチル水銀が骨格筋のミトコンドリアにおける酸化的リン酸化に障害を及ぼし運動障害を引き起こしている可能性が考えられる。このような観点から第1部においては、メチル水銀による骨格筋ミトコンドリアのエネルギー代謝の障害の様子を検討した。骨格筋のエネルギー代謝を検討するため、生体NMRを用い31PNMR分光法を用いた手法により検討することとした。 31PNMR分光法により骨格筋の酸化的リン酸化能を評価するためには、高エネルギーリン酸化合物の31PNMR分光法による測定とともに、骨格筋の発生する運動量を同時に測定することが必要となる。しかし市販の筋張力測定装置はNMRのマグネットの強力な磁場内で動作しないものが多い。また磁性材料でできていたり、電気的な信号を取り扱うため、NMRの測定に影響を及ぼす可能性がある。そのため光学的なひずみトランスデューサーを独自に設計製作しその性能の評価を行った後、これを用いてメチル水銀中毒ラットの骨格筋のミトコンドリアの酸化的リン酸化能の評価を行った。製作した光学式張力計は、2つの鏡により2回光路を曲げ、ポールレンズにより光ファイバーとの接続を行う方式で設計した。このようにして製作した光学式張力計により、生体NMR装置内でラットの後肢筋の収縮が測定できるようになった。また同時に運動中の31PNMRスペクトルを高品質で得ることが可能であった。これにより31PNMR分光法により測定されるクレアチンリン酸(PCr)、無機リン酸(Pi)の面積強度から得られるPCr:(PCr+Pi)値と光学式張力計で測定される運動力積との相関関係から、骨格筋の酸化的リン酸化能を評価することが可能になった。 第2章では、第1章で製作した光学式張力計と31PNMR分光法により、メチル水銀中毒ラットの後肢筋における筋肉のエネルギー代謝を検討した。萎縮した筋肉において骨格筋の酸化的リン酸化能をどのように評価するかに関しては、これまで検討されていなかった。本研究においては、プロトンMRIによる断面画像から筋断面積を計測し、筋断面積当たりの力積で運動量を評価するという新しい手法を提案した。その結果、メチル水銀中毒ラットの骨格筋は、著しい筋の萎縮及び収縮力の低下が見られるが、その酸化的リン酸化能は正常であることが明かとなった。さらに同時に計測した細胞内pHの変化から、メチル水銀中毒ラットでは解糖系に変化が起こっている可能性が示唆された。 第2部においては、大気汚染と気管支喘息との関連を研究する一環として、モルモット気管の平滑筋の薬理学的特性に関する研究を行った。モルモットの気管平滑筋は、その薬理学特性がヒトの気道平滑筋に類似しており気管支喘息の研究に広く用いられている。気管支喘息の発症メカニズムに関しては未だ不明であるが、アスピリン喘息においてアラキドン酸代謝におけるシクロオキシゲナーゼの阻害が喘息の発症を引き起こすことから、内因性プロスタグランジンが気管支喘息の発症に深く関わっていると考えられている。 アスピリン喘息に関連した初期の研究から、シクロオキシゲナーゼの阻害剤がモルモット気管平滑筋を弛緩し、同時にヒスタミンに対する収縮を増強することが報告されている。このようなシクロオキシゲナーゼ阻害剤のモルモット気管平滑筋に対する矛盾する作用に関しては、いくつかの説明が試みられてきたが、明確な説明がつくものがなかった。 モルモット気管平滑筋は自発性の収縮をしており、これがシクロオキシゲナーゼ阻害剤とヒスタミンとの相互作用を検討する上で障害となると考え、本研究(第2部、第1章)において自発性収縮を止めた状態でヒスタミン収縮を評価する方法を考案した。この方法でシクロオキシゲナーゼ阻害剤の作用下でのヒスタミンに対する収縮を評価した結果、シクロオキシゲナーゼ阻害剤(インドメタシン)を作用させてもヒスタミンの最大収縮力は、自発性収縮を止めた状態から評価すると変化はないことが証明された。このことから内因性のプロスタグランジンは自発性収縮を引き起こすとともに、外から加えたヒスタミンと競合的に気管平滑筋の収縮を引き起こしているという新しい説を提案した。この説に従えば、シクロオキシゲナーゼ阻害剤がモルモット気管平滑筋を弛緩し、かつヒスタミン収縮を増強するという一見矛盾した現象が合理的に説明できる。さらに、他のアラキドン酸代謝の阻害剤あるいは代謝物の拮抗剤について、この方法で評価を行った結果、シクロオキシゲナーゼ系産物とともにリポキシゲナーゼ系産物(ロイコトリエン)がモルモット気管平滑筋の自発性収縮に関与していることが明らかとなった。 気管支喘息の主要な症状として気道過敏性がある。気道過敏性のメカニズムに関しては不明であるが、オゾン暴露した動物において気道過敏性が発生することが報告されている。モルモットにおいて、オゾンを暴露し気道過敏性を起こした場合、神経を切断しても気道過敏性が続くことから、気道平滑筋周囲の微小環境が気道過敏性に深く関与していると考えられている。この観点から本研究において、第2部、第1章で考案した自発性収縮を止めた状態で収縮を評価する方法でオゾン暴露後のモルモットの気管平滑筋のヒスタミンに対する収縮反応を検討した。その結果、オゾン暴露を行っても摘出気管平滑筋のヒスタミンに対する収縮反応性に変化はみられなかった。この原因として、1)摘出気管標本の反応性を見る際、気管標本を人工的な生理的塩溶液中で長時間培養するため気管平滑筋周囲の微小環境が変化すること。2)気管平滑筋標本のようなin vitroに近い系では、免疫系の細胞の影響や神経系及び循環器系の影響が排除されているため平滑筋の反応性に差が見られないことが考えられた。 第3部において、大気汚染物質の肺血管系への影響を検討する実験系を開発する目的で、摘出灌流肺標本からのカテコールアミンの放出に関する検討を行った。これは肺血管平滑筋の交感神経支配の役割が比較的不明であり、これを解明するする目的もあった。 星状神経節を電気刺激すると、肺灌流圧の上昇とともに、肺灌流液に大量のノルアドレナリンの放出が観察された。このことから交感神経から放出されるノルアドレナリンにより比較的小径の抵抗性肺動脈が収縮することが明らかになった。ノルアドレナリンの放出量は人工換気及び灌流速度に大きく依存していた。このため摘出灌流肺標本を用いた実験を行う際は、よりin vivoに近づけるよう、人工換気を行い、灌流速度を上げる必要があることが明らかとなった。 本研究から、1)環境汚染物質による骨格筋エネルギー代謝障害を検出する実験系が作成できた。2)気道過敏性に関与すると考えられる、気道平滑筋のにおける、プロスタグランジンとヒスタミンの相互作用が明かとなった。そして3)肺血管平滑筋を研究するための灌流肺標本の至適実験条件が、明らかになった。 |