わが国は、豊富な木材資源に恵まれて、古くから木を材料とする建築がつくられ、その技術が発達してきた。この木造建築は、様々な部位によって構成され、それぞれの部位をそれぞれの専門職人が専用の道具を用いて工作し、ひとつの建築をつくりあげていった。これらの建築職人の中で、主体構造部や造作などの木部を担当する木工職人(大工)が、着工から竣工までの全工程を統括し、木の建築をつくりあげる上で、最も重要な役割を果たしてきた。 この建築木工職人が使用する道具、いわゆる大工道具は、伐木用も含め、「基準」「造材」「一次」「二次」といった機能に分類することができる。これらの中で造材機能(斧など)と一次機能(鋸・鑿・カンナなど)の道具が、時代の動きを最も鋭敏に反映し、建築技術の発達を支える中心的な役割を果たしてきたと考えられる。 本研究では、建築用主要道具として斧・鋸・鑿・カンナといった大工道具を取り上げ、中世以前における発達史を概観した上で、近世における道具発達史上の画期を明らかにし、建築生産史上の背景と意義に関する考察を加えることを目的とする。 建築技術と関連させて道具の歴史に着目した研究史を概観すると、だいたい20年を単位として、それぞれの時期の到達点を代表する論考が発表されているように見うけられる。1925年以前、明治・大正時代の第I期は、その時代(近代)に使用されている道具に関する実学的研究にとどまっていた時期、第II期(1926年から1945年まで)は、古墳時代あたりから近世までを通観しようとする視点で研究が行なわれた時期、第III期(1946年から1965年まで)は、記述の範囲を旧石器時代にまで広げ、第II期で設定された各テーマに関して、より詳細な分析がなされた時期、そして第IV期(1966年から1985年まで)は、考古学分野などでの木工具研究の成果を取り入れながら、道具発達史を建築生産や鉄加工技術などと関連づけて考察かなされた時期ということができる。 本研究が属する第V期(1986年以降)は、(1)縦斧(ヨキ・タヅキ)の形状・構造の変遷、(2)横斧(チョウナ)の柄装着部構造や刃部形状の変遷、(3)鋸性能向上の時期と改良の内容、(4)鑿の柄装着部構造や刃部形状の変遷、鑿叩き用の槌の材質変化の時期、(5)台鉋出現の時期と使用法、などが解明すべきテーマとして残されている。そして、これらの建築用主要道具の種類別変遷の内容に基づき、先史時代から近世に到る道具発達史上の画期を想定し、その中での近世の位置付けを明らかにすることが、第V期における重要なテーマと考えられる。 道具発達史研究の基本資料には、文献・絵画・実物・建築部材(刃痕)の四種類があり、それらを分析する要素としては、a種類、b名称、c用途、d形状、e材質、f寸法、g構造、h使用法、i機能、j由来、k関連などがあげられる。道具発達史研究基本四資料は、それぞれに分析要素のいくつかに関して豊富な情報を有しており、これらを総合化することによって、各時代の建築用主要道具の全体像が明らかにできるものと考えている。とくに近世の場合、文献資料と実物(伝世)資料が他の時代と比較して充実していることから、本研究では、この時代の分析を重点的にすすめている。 中世以前における建築用主要道具の種類別発達史と時代別編成を検討した結果、「先史時代」には「第1」から「第6」まで、「古代・中世」には「第1」から「第4」まで、それぞれ道具発達史上の画期が想定できる。 近世においては、横斧の斧身が無肩から有肩に形状変化して、その作業姿勢が坐位主体から立位主体に移行したと推定される16世紀後半から17世紀前半を「第1画期」、横斧刃部の多くが曲刃から直刃に変化し、鋸身先部分形状が「鋒尖」から「頭方」へ移行をはじめ、台鉋切削機構の精密化が進行したと推定される17世紀後半から18世紀前半を「第2画期」、そして「頭方」・歯道直線の鋸身形状で柄の長い鋸が普及し、鑿叩き用の槌が木製から鉄製に変化し、鋸と鉋の作業姿勢が坐位から立位へ、鑿の作業姿勢が両足開き無防備坐位から急所防備坐位へとそれぞれ移行したと推定される18世紀後半から19世紀初めを「第3画期」と想定できる。 近世における建築生産活動は、16世紀から17世紀後半までが武家勢力主導によって展開され、18世紀初め以降、新興商人勢力が発注者となり、新興有力建築職人層が一括請負の受注者となって展開されていったと考えられる。いずれにしても、近世における建築生産活動は、生産効率を最も大きな原動力のひとつとして展開されていったということができる。 先史時代から近世に到るまでに想定される建築用主要道具発達史上の13の画期の中で、次の3つが通史上の重要画期と考えられる。 第一に、7世紀頃、礎石立ちの構造で重い屋根(瓦)を組物で支えるという、多様な部材を組み合わせて構造的にも意匠的にもすぐれた建築をつくり上げるための主要道具編成(斧・鋸・鑿・カンナ)が確立された。ただ、これらの部材は打割製材によってつくり出されていたため、製材段階での断面寸法の誤差が、そのまま部材接合部の誤差につながり、精度はそれほど高いものではなかった。推しても引いても機能する性能の低い鋸、刃部断面が両刃で袋式の鑿、接合面に凹凸を残すヤリカンナなど、主要道具に求められる加工精度も低い段階にとどまっていた。 第二に、15世紀頃、製材システムがクサビによる打割から鋸による挽割へ変化したことにより、製材精度が飛躍的に向上し、建築部材接合部の精度を高めることが可能となった。建築用主要道具にも加工精度の向上が求められ、鋸身幅が広く茎の長い引き使いの鋸、刃部断面が片刃(に近い両刃)で茎式の鑿、より平滑な切削面を可能とする引き使いの台鉋などが使われはじめた。 そして第三に、建築部材加工精度を高めようとする動きがさらに加速され、18世紀後半から19世紀初めにかけて、「頭方」・歯道直線の鋸身を長い柄に装着した鋸、穂先の片面に鋼を鍛接した片刃の鑿とそれを叩く鉄製の槌、精密な切削機構をもつ鉋などが使われるようになり、その作業姿勢が坐位から立位へ移行した。 じっくりと腰をすえて(坐位)、木の材質を見さだめ、それを加工する時の微妙な手ごたえに応じて、道具を巧みに使いこなしてきた日本の建築大工たちは、経済至上主義、生産効率優先の近世後半における社会状況の中で、大きな力にせきたてられていったと考えられる。18世紀後半から19世紀初めにかけて、「安くていいもの」という発注者からの要求のもとで、建築大工たちはぎりぎりの生活を送りながら「立ち上がった」。坐位から立位への作業姿勢の変化は、まさに「資本主義的」な力によってひきおこされたと推定される。この数十年後、日本は開国し近代国家の仲間入りをしていくことになる。建築大工たちの「近代」は、まさに18世紀後半から19世紀初めにかけてスタートしていたと考えられる。 本研究で想定した建築用主要道具発達史上の重要画期(古代、中世、近世)のうち、第三の近世における重要画期は、建築大工たちの「近代」が近世社会の中で実質的にはじまっていたことを示す、歴史的な意義を有する建築生産史上の画期ということかできる。 |