学位論文要旨



No 214524
著者(漢字) 渡邉,晶
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,アキラ
標題(和) 近世における大工道具発達史の研究
標題(洋)
報告番号 214524
報告番号 乙14524
学位授与日 2000.01.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14524号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨

 わが国は、豊富な木材資源に恵まれて、古くから木を材料とする建築がつくられ、その技術が発達してきた。この木造建築は、様々な部位によって構成され、それぞれの部位をそれぞれの専門職人が専用の道具を用いて工作し、ひとつの建築をつくりあげていった。これらの建築職人の中で、主体構造部や造作などの木部を担当する木工職人(大工)が、着工から竣工までの全工程を統括し、木の建築をつくりあげる上で、最も重要な役割を果たしてきた。

 この建築木工職人が使用する道具、いわゆる大工道具は、伐木用も含め、「基準」「造材」「一次」「二次」といった機能に分類することができる。これらの中で造材機能(斧など)と一次機能(鋸・鑿・カンナなど)の道具が、時代の動きを最も鋭敏に反映し、建築技術の発達を支える中心的な役割を果たしてきたと考えられる。

 本研究では、建築用主要道具として斧・鋸・鑿・カンナといった大工道具を取り上げ、中世以前における発達史を概観した上で、近世における道具発達史上の画期を明らかにし、建築生産史上の背景と意義に関する考察を加えることを目的とする。

 建築技術と関連させて道具の歴史に着目した研究史を概観すると、だいたい20年を単位として、それぞれの時期の到達点を代表する論考が発表されているように見うけられる。1925年以前、明治・大正時代の第I期は、その時代(近代)に使用されている道具に関する実学的研究にとどまっていた時期、第II期(1926年から1945年まで)は、古墳時代あたりから近世までを通観しようとする視点で研究が行なわれた時期、第III期(1946年から1965年まで)は、記述の範囲を旧石器時代にまで広げ、第II期で設定された各テーマに関して、より詳細な分析がなされた時期、そして第IV期(1966年から1985年まで)は、考古学分野などでの木工具研究の成果を取り入れながら、道具発達史を建築生産や鉄加工技術などと関連づけて考察かなされた時期ということができる。

 本研究が属する第V期(1986年以降)は、(1)縦斧(ヨキ・タヅキ)の形状・構造の変遷、(2)横斧(チョウナ)の柄装着部構造や刃部形状の変遷、(3)鋸性能向上の時期と改良の内容、(4)鑿の柄装着部構造や刃部形状の変遷、鑿叩き用の槌の材質変化の時期、(5)台鉋出現の時期と使用法、などが解明すべきテーマとして残されている。そして、これらの建築用主要道具の種類別変遷の内容に基づき、先史時代から近世に到る道具発達史上の画期を想定し、その中での近世の位置付けを明らかにすることが、第V期における重要なテーマと考えられる。

 道具発達史研究の基本資料には、文献・絵画・実物・建築部材(刃痕)の四種類があり、それらを分析する要素としては、a種類、b名称、c用途、d形状、e材質、f寸法、g構造、h使用法、i機能、j由来、k関連などがあげられる。道具発達史研究基本四資料は、それぞれに分析要素のいくつかに関して豊富な情報を有しており、これらを総合化することによって、各時代の建築用主要道具の全体像が明らかにできるものと考えている。とくに近世の場合、文献資料と実物(伝世)資料が他の時代と比較して充実していることから、本研究では、この時代の分析を重点的にすすめている。

 中世以前における建築用主要道具の種類別発達史と時代別編成を検討した結果、「先史時代」には「第1」から「第6」まで、「古代・中世」には「第1」から「第4」まで、それぞれ道具発達史上の画期が想定できる。

 近世においては、横斧の斧身が無肩から有肩に形状変化して、その作業姿勢が坐位主体から立位主体に移行したと推定される16世紀後半から17世紀前半を「第1画期」、横斧刃部の多くが曲刃から直刃に変化し、鋸身先部分形状が「鋒尖」から「頭方」へ移行をはじめ、台鉋切削機構の精密化が進行したと推定される17世紀後半から18世紀前半を「第2画期」、そして「頭方」・歯道直線の鋸身形状で柄の長い鋸が普及し、鑿叩き用の槌が木製から鉄製に変化し、鋸と鉋の作業姿勢が坐位から立位へ、鑿の作業姿勢が両足開き無防備坐位から急所防備坐位へとそれぞれ移行したと推定される18世紀後半から19世紀初めを「第3画期」と想定できる。

 近世における建築生産活動は、16世紀から17世紀後半までが武家勢力主導によって展開され、18世紀初め以降、新興商人勢力が発注者となり、新興有力建築職人層が一括請負の受注者となって展開されていったと考えられる。いずれにしても、近世における建築生産活動は、生産効率を最も大きな原動力のひとつとして展開されていったということができる。

 先史時代から近世に到るまでに想定される建築用主要道具発達史上の13の画期の中で、次の3つが通史上の重要画期と考えられる。

 第一に、7世紀頃、礎石立ちの構造で重い屋根(瓦)を組物で支えるという、多様な部材を組み合わせて構造的にも意匠的にもすぐれた建築をつくり上げるための主要道具編成(斧・鋸・鑿・カンナ)が確立された。ただ、これらの部材は打割製材によってつくり出されていたため、製材段階での断面寸法の誤差が、そのまま部材接合部の誤差につながり、精度はそれほど高いものではなかった。推しても引いても機能する性能の低い鋸、刃部断面が両刃で袋式の鑿、接合面に凹凸を残すヤリカンナなど、主要道具に求められる加工精度も低い段階にとどまっていた。

 第二に、15世紀頃、製材システムがクサビによる打割から鋸による挽割へ変化したことにより、製材精度が飛躍的に向上し、建築部材接合部の精度を高めることが可能となった。建築用主要道具にも加工精度の向上が求められ、鋸身幅が広く茎の長い引き使いの鋸、刃部断面が片刃(に近い両刃)で茎式の鑿、より平滑な切削面を可能とする引き使いの台鉋などが使われはじめた。

 そして第三に、建築部材加工精度を高めようとする動きがさらに加速され、18世紀後半から19世紀初めにかけて、「頭方」・歯道直線の鋸身を長い柄に装着した鋸、穂先の片面に鋼を鍛接した片刃の鑿とそれを叩く鉄製の槌、精密な切削機構をもつ鉋などが使われるようになり、その作業姿勢が坐位から立位へ移行した。

 じっくりと腰をすえて(坐位)、木の材質を見さだめ、それを加工する時の微妙な手ごたえに応じて、道具を巧みに使いこなしてきた日本の建築大工たちは、経済至上主義、生産効率優先の近世後半における社会状況の中で、大きな力にせきたてられていったと考えられる。18世紀後半から19世紀初めにかけて、「安くていいもの」という発注者からの要求のもとで、建築大工たちはぎりぎりの生活を送りながら「立ち上がった」。坐位から立位への作業姿勢の変化は、まさに「資本主義的」な力によってひきおこされたと推定される。この数十年後、日本は開国し近代国家の仲間入りをしていくことになる。建築大工たちの「近代」は、まさに18世紀後半から19世紀初めにかけてスタートしていたと考えられる。

 本研究で想定した建築用主要道具発達史上の重要画期(古代、中世、近世)のうち、第三の近世における重要画期は、建築大工たちの「近代」が近世社会の中で実質的にはじまっていたことを示す、歴史的な意義を有する建築生産史上の画期ということかできる。

審査要旨

 本論文は、建築学を構成する建築史学分野において、建築大工が使用する道具の発達史を実証的に研究したものである。

 建築史学分野においては、住宅・神社・寺院などの種類別建築史研究を横糸とし、構造・意匠・生産組織などの建築生産史研究を縦糸として、研究活動が展開されてきたといえる。

 本論文は、建築生産史研究分野の中でも、建築大工の手の延長として使用される道具に着目し、その発達過程を建築生産技術と関連づけて明らかにしている。

 研究の方法として、建築大工が使用する様々な道具の中から、時代の動きを最も鋭敏に反映し、建築技術の発達を支える中心的な役割を担ったと考えられる斧・鋸・鑿・カンナを選択し、文献・絵画・実物・建築部材といった歴史的な資料を対象に分析を加えている。その際、研究対象資料それぞれが有する情報の種類や充実度を明確にし、各資料の特長と限界を把握した上で分析と総合化の記述を行なっている。

 こうした研究方法によって導き出された結論は、木を材料とする建築をつくる主要道具には、発達史上、三つの重要な画期が想定できる、というものである。

 第一の重要な画期が、7世紀頃、礎石立ち建築を構成する多様な部材を加工するために、斧・鋸・鑿・カンナといった基本的な道具編成が確立された段階。それ以前は、石器の時代も含めて、原初的道具としての斧と、それから機能分化した鑿とが、建築部材加工用の主要な道具であった。すなわち、近・現代まで続く建築部材加工用の主要道具編成が、この段階で確立されたと位置付けている。

 第二の重要な画期が、15世紀頃、クサビによる打割(うちわり)製材から縦挽鋸による挽割(ひきわり)製材へ、製材システムが大きく移行していった段階。これと連動して、建築部材加工用の鋸が推し引き両用の性能の低いものから引き使いのものへ、鑿の刃部断面が両刃から片刃(に近い両刃)へ、切削面に凹凸を残すヤリカンナとともに平滑な切削面を可能とする台鉋の併用へ、それぞれ変化した。すなわち、この段階で、近・現代まで続く鋸や鉋の引き使いが一般的となり、建築部材加工精度が、大きく向上した、と位置付けている。

 そして第三の重要な画期が、18世紀後半から19世紀初め、道具の加工精度と作業効率が最高水準に近いところまで向上した段階。鋸の歯道が直線形状へ、地鉄と鋼を鍛接した片刃鑿の普及とそれを叩く槌が木製から鉄製へ、台鉋の切削機構が荒切削から仕上げ切削まで数工程あるより精密なものへそして作業姿勢が坐位主体から立位主体へ、それぞれ変化した。

 すなわち、近・現代まで続く道具の形状・構造や作業姿勢は、この段階からはじまったと位置付けている。

 本論文は、建築大工が使用する道具の発達史の視点から建築技術史を再構成し、石器時代まで含めた通史的記述を試みている。特にその中で、近・現代における建築部材加工用道具の形状・構造やその作業姿勢が、近世後半に一般化したこと、その背景に、建築工事の主たる発注者となった新興商人勢力が「安くていいもの」を建築大工に要求する動き、すなわち生産効率の向上を強く求める動きがあったこと、従って建築大工たちはじっくりと腰をすえて(坐位)仕事をすることができなくなり、主たる作業姿勢が立位となったこと、などを論述した点が、この分野での研究史上、新たな論点の提示といえる。

 本論文においては、研究対象資料のひとつである建築部材に関して、その接合部(継手仕口)形状の発達史と関連づけた論述が不十分である。現存遺構の継手仕口こ関しては、保存修理工事に際して実施された学術調査の成果が『報告書』として多数公刊されている。また、最近の発掘調査の進展は、石器時代にも高度な部材接合法が存在していたことを明らかにしてきている。これらの建築部材接合部の形状と、その加工に使われた道具を考察(復元実験も含む)することが、建築技術史における道具発達史の内容をより豊かにするものと考える。

 以上、本論文の特徴を要約すると、第一に建築史学分野では研究テーマとしてあまり取り上げられなかった建築大工の道具を実証的に研究する方法論を整理し体系化したこと。第二にその道具が完成された形状・構造・使用法に到るまでの発展段階を明らかにしたこと。第三にその発展の背景には、建築に求められる強度や精度、生産効率など建築生産全体の動きが関連しているとする視点から、各段階での主要因を考察したこと。第四に建築大工の手の延長としての道具の研究から建築生産史を再構成するという、建築史学分野における新たな視点を提示したこと。そして第五に「手づくり」の復権など、心の豊かさを求める近年の社会状況のもとで、本論文が公表されることは社会的にも意義があること、などがあげられる。

 これらの建築学研究上の意義を評価し、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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