学位論文要旨



No 214530
著者(漢字) 塩澤,真人
著者(英字) Shiozawa,Masato
著者(カナ) シオザワ,マサト
標題(和) 大型水チェレンコフ検出器におけるp→e+π0による陽子崩壊の探索
標題(洋) Search for Proton Decay via p→e+π0 in a Large Water Cherenkov Detector
報告番号 214530
報告番号 乙14530
学位授与日 2000.01.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14530号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 荒船,次郎
 東京大学 教授 木舟,正
内容要旨

 素粒子物理学の標準理論は、一部の例外を除くほとんど全ての実験結果を正確に説明する理論である。この理論では、陽子は未来永劫安定で壊れないと仮定されている。一方、大統一理論の幾つかのモデルでは、陽子の崩壊がもっとも重要な予言の一つになっている。過去20年、幾つかの大型地下実験装置により、この陽子崩壊の証拠の探索が行われたが、いまだに確たる証拠は得られていない。一般に大統一理論は幾つかの陽子の崩壊形式を予言する。多くのモデルにおいて、p→e+π0の崩壊形式がもっとも頻繁に起こるものとされており、スーパー神岡実験で観測可能な崩壊頻度を予言する理論も幾つかある。この崩壊形式は、陽電子によって引き起こされる電磁シャワーが、中性パイ中間子の崩壊から生じる2つのガンマ線による電磁シャワーと反対方向であり、電磁シャワーの運動量もつりあうという、非常に特徴的な信号となる。この特徴により、大気ニュートリノが検出器内で反応するバックグラウンドから、はっきりと区別することが可能である。本論文では、スーパー神岡実験の535日分(32.9kton-year)の観測データを用いた、p→e+π0による陽子崩壊事象の探索結果を報告する。

 スーパー神岡実験は、大型水チェレンコフ検出器を、岐阜県吉城郡神岡町の亜鉛鉱山の地下1000mに設置したものを用いる。検出器は5万トンの超純水を円柱型のステンレス水槽に貯めたものであり、内部は光学的に2つに別れている。一つは11146本の直径50cmの光電子増倍管で囲まれた領域(内水槽)であり、もう一つはそれを完全にとりかこむ、1885本の直径20cmの光電子増倍管を配置した外水槽である。外水槽は外から入ってくるミュー中間子のバックグラウンドを区別して、解析において捨てるために用いる。

 観測された事象の物理量の測定には、再構築アルゴリズムを用いて、自動的に行われる。再構築される物理量としては、事象の発生位置、チェレンコフリング数、運動量、粒子の種類、ミュー中間子崩壊による電子の数等である。発生位置は各光電子増倍管が光を受けた時間情報を用いて、((光を受けた時間)-(光の飛行時間))分布がもっとも鋭くなるような位置を探すことによって再構築される。モンテカルロ法を用いたシュミレーション事象を用いて、p→e+π0事象の発生位置の測定精度は18cmと見積もられた。事象中のチェレンコフリングを見つけるため、我々はHough変換を用いた。観測された光量分布をHough変換すると、チェレンコフリングの中心に対応する位置にピークができる。これにより、チェレンコフリングの数や各リングの方向を求める。全ての陽子崩壊選択条件(後述)を満たしたp→e+π0事象(シュミレーション)に対しては、44%が3リング、56%が2リング事象となった。2リングと再構築される主な理由は、中性パイ中間子崩壊からの2つのガンマのうちの一つが、小さいエネルギーしか持たなかったのと、リング同士の重なりがあげられる。粒子識別プログラムは、リングのチェレンコフ光分布を用いて、各リングをシャワー型(電子、陽電子、ガンマ)か非シャワー型(ミュー中間子、パイ中間子)に分類する。1リング事象に対して間違える確率は1%以下であり、これはシュミレーション事象や、宇宙線ミュー中間子データとその崩壊電子、さらに加速器からの電子やミュー中間子ビームを用いて確認されている。また、p→e+π0事象のような複リング事象に対しては、リングの重なりがあるため、多少効率が落ちる。p→e+π0に対して、間違える確率は2%と見積もった。

 運動量は、リングの方向から70度以内に検出されたチェレンコフ光の総光量から求められる。各光電子増倍管で検出された光量は、光の水中での減衰や、光電子増倍管の有効面積、密度に対する補正が行われる。運動量を求める際は、シャワー型のリングは粒子を電子と仮定し、非シャワー型に対してはミュー中間子と仮定する。1リング事象に対して、運動量の精度は、±[2.5/]%(電子)と±3%(ミュー中間子)と求まった。またp→e+π0事象の各リングに対しては、平均で10%程度の精度であることがわかった。検出器の運動量測定に対する安定性は、宇宙線ミュー中間子の崩壊電子の平均運動量の経時変化により調べた。±1%の範囲で安定していることがわかった。また運動量の絶対値の校正を、宇宙線ミュー中間子やその崩壊電子、電子加速器がらの電子、ニュートリノ相互作用によりつくられる中性パイ中間子の不変質量を用いて行った。シュミレーションとの比較により、運動量の絶対値は、±2.5%の範囲で理解できていることがわかった。

 最後にミュー中間子の崩壊電子の検出効率はミュープラス中間子に対して80%、ミューマイナス中間子に対して63%と求まった。

 陽子崩壊探索における主なバックグラウンドは、大気ニュートリノによる検出器内の相互作用事象である。バックグラウンドを見積もるため、シュミレーションプログラムを開発した。シュミレーション事象の発生には、計算された大気ニュートリノのフラックスや、ニュートリノの水中での相互作用の頻度、その終状態頻度を考慮する。陽子崩壊p→e+π0のシュミレーション事象の発生にも同じプログラムが用いられた。ここでは、大気ニュートリノのシュミレーション同様、陽子のフェルミ運動量や、核結合エネルギー、パイ中間子の酸素原子核内での相互作用が考慮されている。

 測定される物理量を用いて、陽子崩壊p→e+π0を選びだす選択条件を以下のように決めた。

 (A)6800p.e.<総光量<9500p.e.

 (B)リング数が2または3

 (C)全てのリングがシャワー型リング

 (D)85MeV/c2<中性パイ中間子の不変質量<185MeV/c2

 (E)ミュー中間子崩壊電子なし

 (F)800MeV/c2<陽子の不変質量<1050MeV/c2かつ陽子の運動量<250MeV/c2

 (A)は全エネルギーが約800から1100MeVに対応する。(C)は陽電子とガンマを選択する。(D)は3リング事象に対してのみ要求する。陽電子と中性パイ中間子からは崩壊電子は出ないので、(E)を要求する。(F)は事象の全不変質量と全運動量が、陽子の不変質量と運動量に対応することを確認する。

 図1に探索結果を示す。各図の箱は条件(F)を示す。p→e+π0シュミレーション事象では、箱の中に事象が集中していることがわかる。このサンプルにより、p→e+π0事象の検出効率は44%と見積もった。大気ニュートリノシュミレーション事象により、今回の観測データに対するバックグラウンドは0.1事象と十分低いことがわかった。最後に観測データを図1に示す。全ての条件を満たす事象は発見されなかった。

図1:条件(A)-(E)を通った事象の全不変質量と全運動量分布。左上から順に、p→e+π0、40年分の大気ニュートリノバックグラウンド、観測データ。図中の箱は選択条件(F)を表している。

 図2に各条件を満たす事象数を、観測データと大気ニュートリノシュミレーションについて示す。観測データは大気ニュートリノでよく説明できる。

図2:各選択条件後に残った事象数。観測データ(黒丸)と大気ニュートリノシュミレーション(白丸)。

 今回の観測により、陽子のp→e+π0に対する部分寿命の下限値を求めた。ポアッソン確率分布を基本とするが、ベイズ統計を用いて、系統誤差も考慮して計算した。これにより、部分寿命は

 

 と求まった。系統誤差としては、p→e+π0からの中性パイ中間子の酸素原子核内での相互作用の不定性からくる、検出効率の不定性15%が最も大きなものである。物理量の再構築からくる不定性を合わせて、検出効率に対して、全体で18%の系統誤差と見積もった。

審査要旨

 素粒子物理学の標準理論は、電磁相互作用と弱い相互作用を統一する電弱ゲージ理論と強い相互作用の量子色力学から成っている。これらの相互作用の全てを統一する大統一理論は、現在の標準理論を越える最も有望な理論と考えられている。この理論では、陽子は安定なものではなく、必ず崩壊する。また、この理論にあるバリオン数を破る相互作用により、宇宙物理学における長年の謎である宇宙の物質と反物質の数の非対称性を説明することも出来る。そこで大統一理論の予言する陽子崩壊を探索し、この理論を検証することは極めて重要な研究である。

 陽子の寿命や崩壊過程は大統一理論の詳細に依存しているが、多くの場合、陽子の陽電子とパイ中間子への崩壊が予言されている。この崩壊では、陽電子によって引き起こされる電磁シャワーが、パイ中間子の崩壊から生じる2つのガンマ線による電磁シャワーと反対方向にあり、しかも電磁シャワーの運動量もつりあうという、非常に特徴的な信号となる。本論文では、スーパー神岡実験の535日分の観測データを用いて、陽子の陽電子とパイ中間子への崩壊寿命の下限値が2.0×1033年であることを導いた。

 スーパー神岡実験は、大型水チェレンコフ検出器を、岐阜県吉城郡神岡町の亜鉛鉱山の地下1000mに設置したものを用いる。検出器は5万トンの超純水を円柱型のステンレス水槽に貯めたものであり、内部は光学的に2つに別れている。一つは11146本の直径50cmの光電子増倍管で囲まれた領域であり、もう一つはそれを完全にとりかこむ、1885本の直径20cmの光電子増倍管を配置した外水槽である。外水槽は外から入ってくるミュー中間子のバックグラウンドを区別して解析において捨てるために用いる。本陽子崩壊探索実験は、水槽の内部にある陽子が陽電子とパイ中間子に崩壊した時に出る電磁シャワーを光電子増倍管で捕らえることにより行う。この時特に重要なのはシャワーを作る粒子の種類の識別や粒子の運動量の測定である。各シャワーについて、粒子を間違える確率は1%以下であると判断される。運動量については、チェレンコフ光の総光量から求められるが、その精度は10%程度であることが分った。

 陽子崩壊探索における主なバックグラウンドは、大気ニュートリノによる検出器内の相互作用事象である。このバックグラウンドは、シュミレーションにより見積もられた。陽子崩壊p→e+π0により発生する事象についても同じシュミレーションのプログラムが用いられた。陽子崩壊を選び出すために、6段階の選択条件を課した。この選択条件を満して生き残る大気ニュートリノによるバックグラウンドの事象は0.1事象と十分低いことが分った。その結果、本実験では、陽子崩壊p→e+π0と特定できる事象は発見されなかった。それにより、p→e+π0の部分寿命は

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 と求まった。これはこれまでの下限値8.5×1032年を大きく上まわる結果であり、本論文の結果により、素粒子の大統一理論へのさらに強い制約が得られた。また、バックグラウンド事象が0.1事象と非常に低いことを示した事は、本論文で述べる方法により、陽子崩壊探索を、1034年のレベルまで行うことが可能であることを示しており、極めて重要な結果と考えられる。

 なお、本論文はスーパー神岡実験グループとの共同研究に基づくものであるが、本研究の最も重要な部分である、第9章は論文提出者が主体となって分析を行ったもので、特に、大気ニュートリノのバックグラウンドが0.1事象と十分小さい事を導いたのは論文提出者であり、この陽子崩壊探索実験における論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50713