学位論文要旨



No 214534
著者(漢字) 飯田,隆
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,タカシ
標題(和) イギリスの産業発展と証券市場
標題(洋)
報告番号 214534
報告番号 乙14534
学位授与日 2000.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第14534号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 渋谷,博史
 東京大学 助教授 小野塚,知二
内容要旨

 本論文は、1890年代前半から1930年代後半にかけての期間にイギリスの証券市場が同国の製造業を中心とする産業の長期性資金調達にどのような役割を演じたかについて、その歴史的経過を実証しようとするものである。実証にあたって採用された分析手法と基礎資料は次のとおりである。

 分析手法としては、イギリス証券市場における産業証券取引についての様々なデータをコンピュータによって分類・集計する作業を基本としている。また基礎資料として、発行市場については『エコノミスト』、『タイムズ』が半年刊で出版していた『公募会社の目論見書集』、『取引所年鑑』、流通市場に関しては『取引所年鑑』と各取引所が刊行していた『公定相場表』が主たる情報源である。同時代の新聞・雑誌記事、書物、証言などやそれらに基づいた先行研究の成果も折に触れて利用するが、基本的には上記の基礎資料からの数値情報をコンピュータ処理した結果を叙述の主軸としている。本論文の章ごとの構成は以下のようである。

 第1章では第1次大戦前のロンドン証券発行市場がイギリス国内産業にとって重要な長期性資金供給源となっていたのかどうか、とくに産業設備投資に対して証券発行がどの程度の意義をもっていたのかについて分析を行う。先行研究は、この点について大きな意義をもっていなかったとしてきたが、1890年代後半では幾分違った事態が生じていたともみられる状況証拠がある。第2章は、第1章の結論を受けて、第1次大戦前の発行市場が産業証券の取引の場としてどの程度の機能をもちえたかという点に関し、発行方法の実証を通じて明らかにする。

 第3章は、国内産業証券の流通の場としてロンドンのみならず地方を含めた証券取引所の第1次大戦までの発展状況と産業証券を中心とする上場の実態を描出する。ここでは、イギリス各地の証券取引所において産業証券が上場銘柄全体に対してどの位の比重を占めていたか等々の問題が取り上げられる。第4章は、そのようにロンドンや各地の取引所に上場されていた各種証券が実際にどれだけ売買対象となっていたかを解明する。資料上の制約からここでの分析結果は実態を正確に表したものではないが、かなりの程度において当時の状況を把握することができた。

 第5章と第6章では、戦間期の発行市場の状況が詳述される。とくに第5章における大戦直後の産業証券発行ブームと第6章で示される1930年代後半のブームの詳細な分析によってイギリス産業金融のあり方が戦前とは大きく変化してきたことが理解されるであろう。これを受けて第7章は、戦間期の証券発行仲介業者の活動を仔細に追うことによって、ロンドン発行市場が国内産業の長期性資金調達源としての意義を相当程度に果たせるような機構が整備されしつつあったことを解明する。

 第8章は、第1次大戦後のイギリス産業企業の多くがなぜ証券市場に出向いて長期性資金需要を満たさなければならなくなったのかについて従来の議論を再検討するとともに、これに関する考察から指摘される様々な社会構造上の諸変化がイギリスの証券市場、とくにロンドン証券取引所の構造にどのような変容をもたらしたかについて分析する。その過程で、イギリスの証券市場がすぐれて現代的な特色を帯びた市場として脱皮していったことが明らかにされる。

 第9章においては、第3章や第4章で採用された分析手法と用いて、戦間期の各取引所における産業証券の実際の取引状況が描き出される。ここでは、上場対象としても実際の取引対象としても国内産業証券が最重要な存在になってきた過程が解明される。そして、一部の巨大産業企業が発行した銘柄は戦前の代表的な海外証券や鉄道証券に代替しうるものとなったことが示される。なお、第1次大戦を境にそれまで主要な取引対象だった海外証券や鉄道証券は戦後あまり取引されなくなったといわれてきたが、それらはどの程度流通性を失ったのかなどについて従来は全く知られていなかった。第9章で示される分析結果はこのような問題についても一定の判断基準を与えている。

 さて、以上のような各章の課題に収り組んだ結果、全体として以下のような結論を導くことが可能である。まず、第1次大戦前の時期についていうと、公的な証券市場とイギリス産業との関係は、通説が述べてきたとおり、希薄なものであった。発行市場および流通市場ないし証券取引所において国内産業証券は主要な取引対象たりえなかった。もちろん、1890年代に各産業で登場した比較的大規模な産業会社の発行証券は、発行市場ではそれほど支障なく受け入れられたし、ロンドンや地方の取引所でもある程度の流通基盤は確保していた。それでも代表的な鉄道証券ほどの流通性は獲得していなかったし、発行市場におけるその意義も大きくはなかった。他方、比較的小規模の会社にとって、公的な証券市場は縁の薄いものであって、発行市場に出向いても投資家の支援を受けることは困難だった。流通市場においても、上場はされるものの、そのほとんどは名目的であり、恒常的な取引対象ではなかった。

 このような結論に達したからといって、イギリス産業金融に大きな問題が生じていたとみるのは間違いであろう。中小規模の産業会社が証券市場を利用できない、あるいは利用しようとして拒否された場含でも、非公式的な、あるいはプライヴェートなルートに沿って資産家ないし利害関係者からの支援を享受することが可能であったように思われる。そのような私的な資金調達手段が存在していたことの実証は困難であるが、様々な状況証拠や第1次大戦後の推移を考慮するならば、その存在は中小規模のイギリス産業企業にとって資金調達源として重要だったはずである。そして、多分にそのような状況であったために、産業の側から公的な証券市場の便宜に対する差し迫った要求は出てこなかったし、市場もまた国内産業のための特別なサービスを提供しようとはしなかったのである。

 ところが、大企業による大口発行を主軸とする大戦直後ブームを経て、1920年代に入ると中小企業の長期性資金調達の困難性が次第に明らかになっていった。そうした困難の状況は当時の議会特別委員会の証言録に数多く示されている。そして、その要因として、もちろん当時の長引く不況の下での企業収益の大幅な低下が基底となっているにしても、戦中の大幅な増税によるプライヴェートな資金調達源の枯渇が重要だったと考えられる。その結果、産業の側での公的な証券市場に対する要求が強く打ち出されるようになった。しかし、1930年代初頭までの証券市場は中小規模の産業企業が求めるような小口発行を扱う機構とはなっていなかった。

 他方で、戦後の証券市場には全く新しい投資大衆なるものが登場し、有益な投資機会を常に求めていた。そのような大衆を相手に詐欺的取引も目立ったし、1920年代後半には新産業に属する実体の不確かな会社の株をめぐる一大ブームが生じたが、30年代初頭になって大衆の投資資金は雲散霧消するという帰結を迎えるようになった。このように、一方では基盤の安定した中小企業の切実な長期性資金需要があり、他方では新しい投資大衆からの資金供給が存在していたにもかかわらず、1930年頃までの証券市場では機構上の不備があったために、これらが結びつくことはなかった。いわゆるマクミラン・ギャップの本質はここにあったのである。

 しかし、1930年頃の証券市場の関係者はこうした事態を深刻に受け止め、規制強化や情報収集の近代化に乗り出し、比較的小口の産業証券取引が円滑に行われるよう次第にその機構を変化させていった。その結果、1930年代後半の発行ブームにみられたように、イギリスの証券市場は国内産業のための長期性資金供給源としての機能をかなりの程度果たしうるようになったのである。もちろん、かかる証券市場の性格変化が戦間期のイギリス産業、とくに中小企業が抱えていた産業金融問題を全面的に解消したわけではない。とはいえ、1920年代以前の時期に比べると、その機構は相当程度に国内産業向けに転じたとみなしてよく、マクミラン・ギャップの一部を埋める役割を演じたことは疑いない。また、流通市場をみても、戦間期を通じてロンドン取引所を中心に産業証券が次第に最重要な取引対象となっていき、発行市場での取引を円滑化させる機能と果たした。

 以上のような推移を経て、イギリスの証券市場、とりわけロンドン市場は第1次大戦前の海外投資のための市場から国内産業の市場へと性格変化を遂げたのであった。その場合、戦後のイギリス経済の衰退に伴う海外投資の激減に応じて、いわば予定調和的に変化したのではなく、1930年頃の市場の側での意図的な機構改革によって変容がなされた点に留意しなければならない。この点を明らかにすることが本論文の最大の目標であったのである。

審査要旨

 1.飯田隆氏の博士学位請求論文「イギリスの産業発展と証券市場」は、1890年代初頭から1930年代末までの半世紀における、イギリスの製造業を中心とする産業株式会社と証劵市場との関係がいかなる歴史的変遷をたどってきたかを、実証的に解明しようとする試みである。この検討は、氏にとっては、イギリス産業金融史,イギリス証券市場史の再構築の試みでもある。

 イギリス証券市場は、第1次大戦前は国際金融センターとして機能し、第2次大戦後はイギリス国内産業への資金供給源として機能してきたというのが、これまでの通説的見解であった。飯田氏は、この通説的見解に対して、戦間期の実証的分析がほとんど行われていないためにこの機能転換が説得的に説明されていない、として、イギリス経済、イギリス証券市場にとって戦間期のもつ決定的意義を強調することから、この機能転換を一貫した論理で説明しようとする。

 このための手法としてとられたのが、『取引所年鑑』『公募会社の目論見書集』『公定相場表』などからの大量のデータ集計処理である。このような操作は作業量が膨大なため、これまで本国イギリスでも行われてこなかった。「膨大な数値情報をコンピュータ処理することによって、それぞれの時代の全体像を捉えよう」(p。7)という氏の意図は、この手法に集約されている。そして、この面で本論文は注目に値すべき分析結果をあげており、とりわけ第1次大戦後については新しいイギリス証券市場像を打ち出すのに成功している。

 2.本論文の構成は、次のとおりである。

 序章 課題と方法

 第I部 第1次大戦前の証券市場とイギリス産業

 第1章 証券発行市場と産業設備投資

 第2章 産業証券発行市場の機能

 第3章 イギリス証券取引所の発展と実態

 第4章 イギリス産業証券の流通市場

 第II部 産業金融の変容と証券市場

 第5章 第1次大戦直後の産業金融と証券発行ブーム

 第6章 戦間期の証券発行市場とイギリス産業

 第7章 証券発行市場の機能の変化と発行仲介業者

 第8章 イギリス産業金融と証券市場の構造変化

 第9章 イギリス産業証券の上場・流通状況の変容

 終章 総括と展望

 以下、各章の内容を,要約、紹介する。

 3.第I部では、1890年代初めから第1次大戦までの時期の、イギリス証券市場と産業金融(製造業)の関係のあり方が検討されている。まず、第1章では、第1次大戦前のロンドン証券発行市場が、イギリス国内産業にとって重要な資金供給源となっていたのかどうか、というイギリスでの論争史が、実証的に検討される。通説を批判しロンドン証券市場と産業金融との関連の存在を強調するホール,それを批判するケアンクロス、それに関説するいくつかの先行研究が吟味され、ホールの見解は、中小企業の一部にしか該当しない(p。44)として、通説が再承認されている。

 第2章から第4章では、こうした理解に立った上での、第1次大戦以前の時期におけるイギリス証券発行市場、証券取引所、証券流通状況に関する実証的検討が行われている。まず、第2章では、発行商社、株式ブローカー、信託会社、金融会社など第1次大戦前のイギリス証券発行市場の構成主体が概観された後、公募、売出発行、プレイシング、株主割当という4つの証券発行方法について詳細な検討が加えられる。検計の結果は、目論見書付き公募という形態が圧倒的だったというものであるが、これに対しては、国内産業証券発行において、それに開与する専門の発行仲介業者が皆無に近かったことが公募以外の発行市場の利用を困難にし、さらに公募の失敗をしばしばもたらした、という評価(pp.62-63)が与えられている。

 第3章では、ロンドンのみならず、イングランド、スコットランド、ウェールズに設立された26の取引所の、第1次大戦までの発展状況と、産業証券を中心とする上場の実態が検討される。ロンドンも地方も大戦前20年間にその会員数を2陪近く増加させたこと、ロンドン、地方取引所とも、上場銘柄における産業証券の比重は一貫して小さかったこと、とはいえ、第1次大戦直前になると多数の取引所に重複上場された産業証券はかなりの数に上ったこと、また、各取引所のなかでロンドンの位置はきわめて高かったこと(pp.89-94)、などが、新たなファクツ・ファインディングスとして明らかにされている。

 第4章では、こうしてロンドン・地方各取引所に上場されていた各種証券が、実際にどの程度流通していたかが検討される。ロンドン、マンチェスター、ニューキャッスル各取引所での売買状況が、相場表から抽出され、ついで、各取引所間の裁定取引がどの程度行われていたのか、取引所間取引の重要な機能である価格平準化作用がどの程度働いていたのかが、丹念な資料操作を通して検討される。本章では、第1次大戦にいたる20年間に、一般産業分野の証券流通市場が発展を遂げ、全国的な上場の基礎をもつ産業証券の数も増加し、世紀転換期頃には全国的な相場の平準化も見られたという通説が、まず再確認されている。しかし、氏の強調点はそこにはなく、売買成立銘柄数からみてなおロンドンの位置は圧倒的に高かったこと、ロンドンにおいてすら一部の巨大産業企業を除いては、一般産業証券の流通性は確立していなかった、という点にこそある。第1次大戦以前は、鉄道証券と比較すれば、「活発な取引の対象となっていた一般産業証券はほとんど皆無の状態であった」(p。125)というのが、ここでの氏の結論である。

 4.第II部では、第1次大戦後から1930年代までのイギリス証券市場の構造変化が、産業金融の変容との関連から検討されている。第5章、第6章は、それぞれ、大戦直後のブーム期、1920年代から30年代後半のブーム期を対象として、この時期にイギリス証券市場が、国内産業への長期設備投資資金供給機構として確立したことを論証している。まず、第5章では、主としてイギリスでの先行研究における実証の粗さを批判した上で、マクロの証券発行状況、既存大企業の発行の実態を微細に検討し、この時期の証券発行の推移が当該期の設備投資の動きとかなり厳密に照応していたことを明らかにしている。「大戦直後ブームは、イギリスの企業社会が『大企業経済』に移行するに際しての、最初でかつ重要な契機」(p.151)となったというのが、本章の結論である。

 続く第6章では、イギリス証券市場の「戦前とは異なる構造的変化」(p。163)の検出が目指される。検討は前章と同様の実証的手続きをとってなされ、イギリス証券市場の変化は、1928年ブーム、30半代後半のブームのなかで漸進的に進行した、イギリス証券市場は,「戦間期を通じて次第に国内産業企業、とくに中小規模の産業株式会社にとって比較的重要な長期性資金の供給源としての性格をもつに至った」(p。179)、という結論が導き出されている。とくに30年代後半の変化については、発行仲介業者の介在増加の意味が大きかったことが強調されている。

 第7章では、この点に焦点を絞った検討が行われている。対象時期は、1920年代から30年代までをカバーしているが、重視されているのは30年代である。1930年から38年におけるロンドン市場での仲介業者の関与する356の証券発行事例が集約され、取扱額・件数・証券種類・発行形態の検討から、二流発行商社の貢献がもっとも大きかったこと、マーチャント・バンカーの海外から国内への転換も存在したこと、などのファクツ・ファインディングスがなされている。

 第8章では、以上の3つの章で検討してきたイギリス証券市場の構造変化が、産業企業側の産業金融という視角から確認される。当該期の産業金融の変容についての従来の見解-(1)国債大量発行、増税・税制改革などの戦時要因、(2)企業の大規模化、(3)産業立地の変化、(4)資金供給側の資産選択の変化-が批判的に検討され、最も重要な要因として税制改正の意義が強調される。「税制改革が企業形態上の変化、つまり個人企業から有限責任株式会社への転換を促進させた」(p。212)、税制改正が富裕層に大きなインパクトを与え「富裕階層の証券投資拡大」(p。214)をもたらした、というのである。また、これに関連して、本章では、ロンドン取引所内部における機構上の変化も検討され、ロンドン取引所における情報収集・処理などの面での「近代化」は、ロットの小さい国内産業証券の主流化と投資家層の性格変化という2つの変化に規定されたものであったと主張されている。

 第9章では、第I部第3章、第4章と同じ手法で,戦間期上場証券の分析が行われる。検討の結論は、産業証券の流通の場としてのロンドンの位置がいっそう高まり、「ロンドンの相場に地方市場が従属する形で、全国的な統一価格が形成される構造になってきた」(p。260)というものである。

 終章の総括と展望では、既存の研究史で提示されてきた課題と「陰伏的」に関連させつつ、本論文での分析結果が改めて総括され、さらに未解決の論点が提示されている。すなわち、(1)第1次大戦以前のイギリス証券市場は、イギリス産業の長期性資金供給源として効率的であったかどうか、(2)シティはイギリス国内産業への資金供給に消極的だったか、(3)第1次大戦後に姿を現したとされる新しい投資大衆の正体は何か、(4)戦間期のロンドン取引所会員の新たな環境変化への対応はどのようなものであったか、がそれである。

 (1)、(2)についての氏の回答は、非効率であったが、そのことから「証券市場を悪玉に仕立て上げる」(p。264)ことはできない、大戦前に産業会社と証券市場の関係が希薄だったのは、産業の側から切実な要求がなかったためである、というものである。また、(3)については、新しい大衆投資家層は勤労者階級ないし労働者階級、という当時の新聞報道への疑問が相続税との関連から提示され、(4)については、証券取引に内在する問題の一層の究明が必要とされ、いずれも今後の課題とされている。

 5。以上に要約したように、本論文は、あくまで徹底したファクッ・ファインディングスにこだわり,そこから「帰納的」(p。268)に抽出される事実に上り、1890年代〜1930年代のイギリスの証券市場像,産業金融像を構築しようとした歴史的・実証的作品ということができる。以下、評価と問題点についてまとめて述べる。

 評価すべき第1の点は、研究史上の論争点や空白に挑戦し、重要なファクツ・ファインディングスを数多くなしとげたことである。もちろん、イギリス証券市場史、イギリス産業金融史といったテーマは、これまで看過されてきた訳ではない。しかし、『取引所年鑑』『公募会社の目論見書集』『公定相場表』などからの大量のデータを、氏のように悉皆的に集計・処理し、包括的な全体構造を提示しようとした試みは、日本においてはいうまでもなく、イギリス本国においてもこれまでなされてこなかった。戦間期イギリス経済史研究にも寄与するところが大きい。

 第2に、内外における既存の研究史を入念に検討・咀嚼し、さらにそれに基づいて「通説」の輪郭・構造を明らかにした上で、それらに対して実証的検討を加えていることである。その際、問題の設定、データ収集方針の確定、収集の方法、分析の仕方などは、先行研究における課題設定や手法のメリット・デメリットを十分勘案してなされており、各章とも手堅くかつ説得的な検討が行われている。

 第3に、こうした検討にあたって、徹底的な資料の収集・処理がなされ、さらにこうして収集した資料の分析が、本論文全体を通じて統一的方法により整合的に行われていることである。とりわけ、大量のデータを独自に収集し整除する作業は、外国の歴史研究につきものの限界を突破しており、今後国際的にも、基礎作業としての高い評価が与えられるものと思われる。

 また、本論文にも問題点がないわけではない。その第1は、イギリス証券市場史像、産業金融史像を提示する氏の叙述方法に関する問題である。氏は、資料的に確定できる以外のことは結論を留保するという徹底した禁欲的姿勢、演繹的にではなく帰納的に歴史に接近するという方法、によって本論文を叙述している。このため丹念な研究史批判によって提示された「通説」への批判の多くが、結論留保のままに残されている。例えば、第1次大戦後の証券大衆化に関する評価、証券市場が機能する内在的メカニズムの理解などは、いずれも結論留保のままである。

 第2は、課題設定に直接かかわる問題である。本論文においては、証券市場の分析の緻密さに比して、産業金融の側の分析が相対的に手薄となっている。産業設備投資ないしは産業金融といった場合、そのあり方は、産業毎に、資金量、期間、コスト、リスクすべてにわたって相違があるはずである。そうした産業特性が証券発行・流通のあり方に反映されていく過程の分析は、本論文では残念ながらなされていない。また、産業金融の検討にあたっては、資金需要サイドだけでなく資金供給サイドの分析も不可欠のはずである。氏は、第1次大戦中・後の税制改正の両サイドに与えたインパクトを強調している。しかし、資金供給サイドへのこの影響分析は間接的で、必ずしも説得力をもつに至っていない。資料的制約によるものといえるが、代表的産業企業の個別ケース分析がなされれば、この実態はある程度明らかになったと思われる。

 第3は、イギリス資本主義史像との関係である。これまで、イギリス証券市場史、産業金融史の先行研究においては、本国イギリスにおいても日本においても、イギリス資本主義史像をどう特徴づけ、どう把握するかという問題が常に意識されて来た。イギリス資本主義のレントナー的性格、あるいはイギリス経済発展における金融的優位性といった問題がそれである。氏は、本論文の冒頭で「シティ悪玉説」(p。9)の適否を課題として設定している。そうであるとすれば、証券市場分析の過程で、海外証券投資と国内証券投資の関連を問うことは、論理的には不可欠のはずである。しかし、氏は、こうした問題についてはまったく触れることがない。大陸証券市場史研究、アメリカ証券市場史研究といった比較史的研究に、本論文が開かれていくためにも、今後、こうした問題に関する氏の積極的発言を期待したい。

 6。以上のような問題点を残すとはいえ、これらは氏が今後取り組んで行かれるであろう問題と考えられる。本論文により、戦間期イギリス証券市場に関する研究の実証水準は一挙に引き上げられた。本論文が、イギリス本国における研究にも強いインパクトを与えるであろうことも間違いない。以上により、審査員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。

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