学位論文要旨



No 214539
著者(漢字) 玉井,ふみ
著者(英字)
著者(カナ) タマイ,フミ
標題(和) 難聴を伴う重複障害児の聴覚と言語の発達に関する研究 : 補聴器装用指導とその効果
標題(洋)
報告番号 214539
報告番号 乙14539
学位授与日 2000.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14539号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 今泉,敏
 東京大学 講師 石橋,敏夫
内容要旨 I.はじめに:研究の背景と目的

 心身の障害を2つ以上併せ持つ障害児を重複障害児という。近年,聴覚障害児のうち重複障害児の占める割合の増加傾向が報告された。難聴には伝音性難聴と感音性難聴がある。滲出性中耳炎や慢性中耳炎などの炎症性疾患,中耳奇形や外耳道閉鎖などの先天奇形による伝音性難聴は,奇形を伴う症候群や染色体異常などに高率にみられる。感音性難聴の原因は不明のものが多いが,小児の難聴が生じやすい病因として,染色体異常,遺伝性疾患,サイトメガロウイルス感染症,風疹症候群などの先天性異常によるもの,仮死出生,低出生体重,新生児重症黄疸など周生期の異常によるもの,髄膜炎や脳炎など後天性の異常があげられる。これらは,いずれも中枢神経系の障害をもたらすため,知能,運動などの発達障害を合併することが多い。

 重複障害児における難聴の診断は容易ではない。わが国では,1960年代より,聴性行動反応聴力検査(BOA),鈴木・荻場によって考案された条件詮索反応聴力検査(COR)など聴性行動を指標とする検査によって行われてきた。これは,注意力や知的発達のレベルの低下があると正確な結果が得られない。一方,1970年に,Jewettらによって発見された聴性脳幹反応(ABR)が,他覚的検査として普及し,聴性行動反応を指標とする自覚的な検査では正確な検査が困難な重複障害児においても難聴の早期発見が可能となった。

 難聴乳幼児の治療教育は1950年代,補聴器の開発によって,聴覚補償による治療教育がなされるようになり,聴覚補償の対象は,IC回路の応用による補聴器の進歩と聴覚医学の研究成果から,最重度の聴覚障害児にまで広がった。近年,0歳から聴覚を最大限に活用する早期療育が進められ,良好な成果をあげている。しかし,難聴を伴う重複障害児については,取り組みが少なく,補聴の効果について十分明らかにされていない。

 精神運動発達の遅れや脳性麻痺などに聴覚障害を併せ持つ重複障害児では,聴力検査や補聴器装用に困難を伴うことが多く,言語発達やコミュニケーション障害の様相が多様で,聴覚障害だけでなく発達全般を促す療育が必要であることから,聴覚活用の可能性や指導法について十分な検討がなされているとはいえない。本研究では,難聴を伴う重複障害の基礎疾患別に,(1)聴覚障害の程度と病因,(2)補聴器装用の効果について調べる。この研究を通し,難聴を伴う重複障害児の言語・コミュニケーション指導に関して提案を行いたい。

II.方法

 対象は,両側ABRの閾値が45dB以上の発達障害児89例である。基礎疾患は,1)先天性異常44例(染色体異常13例,奇形症候群27例,筋疾患2例,先天性代謝異常2例),2)周生期の異常によるもの34例(全例が脳性麻痺),3)後天性の異常7例(髄膜炎後遺症6例,脳炎後遺症1例),4)精神遅滞4例であった。初診時年齢は1カ月〜14歳であった。89例中74例に補聴器装用指導を行い,そのうち,補聴器装用後6カ月以上経過観察を行った54例を,補聴効果に関する研究対象とした。

 方法:1)難聴の診断法:スクリーニング検査として聴性脳幹反応聴力検査(ABR)を行い,V波の閾値上昇または波形異常が認められた場合,耳鼻科において手術用顕微鏡による外耳道・鼓膜の観察,聴性行動反応聴力検査,必要に応じてABR再検査を総合して難聴の診断を行った。聴性行動反応聴力検査は各症例の発達段階に応じて聴性行動反応聴力検査(BOA),条件詮索反応聴力検査(COR),遊戯聴力検査,標準純音聴力検査を行った。BOA,CORの刺激は,500Hz,1kHz,2kHz,4kHzの震音を用い,1kHzと2kHzの平均値を閾値とした。なお,聴覚閾値に基づいて,a)30dB未満を正常,b)30〜49dBを軽度難聴,c)50〜69dBを中等度難聴,d)70〜89dBを高度難聴,e)90dB以上を重度難聴と分類した。ABRは,3kHzクリックを用い,45,65,85dBnHLの強さで左右耳別々に刺激した。2)補聴器装用指導法:難聴と診断された症例に補聴器装用指導を行った。補聴器のフィッティングはハーフゲイン法により,原則として難聴以外には障害のない乳幼児と同様に行った。補聴器の音質,最大出力音圧,音響利得は,症例の聴覚閾値に対して,成人の聴覚障害者への補聴器適合の資料を用いて仮調整し,行動観察に基づいて微調整を行った。3)言語指導法:症例の発達段階に応じて,母子間の相互交渉や情緒的な共感関係,前言語的なコミュニケーションの発達を促進する指導,語彙や構文の理解および表出など言語機能の発達を促進する指導を行った。4)聴性行動および言語発達の評価法:補聴器装用後,聴性行動発達チェックリストを用いて指導場面および日常生活場面における聴性行動の発達を評価した。言語発達は,行動観察,問診により日常生活で用いるコミュニケーション・モード,音声言語または身振りサインの理解,表現語彙数,構文能力などを評価した。5)補聴効果の判定基準および判定結果の分類法:聴性行動の発達が補聴器装用開始前より改善した場合を補聴効果ありとした。補聴効果の判定結果を(a)補聴効果あり,(b)補聴効果なし,(c)補聴器装用困難の3群に分けた。

III.結果

 対象児89例の難聴の程度は,正常範囲;6例(6.7%),軽度;8例(9.0%),中等度;18例(2082%),高度;25例(28.1%),重度;32例(36.0%)であった。

 補聴効果について,6カ月以上経過観察を行った54例を基礎疾患別に検討した。1)先天性の異常:(1)染色体異常10例のうち,(a)補聴効果が認められたのは5例(50.0%)(b)補聴効果なしは3例(30.0%),(c)装用困難は2例(20.0%)であった。なお,(a)は5例ともダウン症で,5例中4例は軽・中等度の伝音性または混合性難聴であった。(b)は3例ともダウン症以外の染色体異常,(c)は2例ともダウン症であった。(2)奇形症候群16例中,(a)補聴効果あり10例(62.5%),(b)補聴効果なし2例(12.5%)、(c)装用困難なものが4例(25.0%)であった。補聴効果が認められなかった症例は難聴の程度または精神発達の遅れが重度であった。(3)その他の先天性異常3例(筋疾患1例,先天性代謝異常2例)とも補聴効果が認められた。そのうち2例は進行性難聴であった。2)周生期の異常:脳性麻痺19例のみが対象となり,病型別に検討した。(1)アテトーゼ・混合型11例中,(a)補聴効果あり8例(72.7%),(b)補聴効果なし1例(9.1%),(c)装用困難2例(18.2%)であった。装用効果の認められた8例中6例に音声言語の表出がみられ,そのうち4例は助詞を含む多語文を用いて会話が可能であった。(2)痙直型四肢麻痺5例のうち,(a)補聴効果がみられたものはなく(0%),(b)補聴効果なし3例(60.0%),(c)装用困難2例(40.0%)であった。5例全例が重度難聴で,合併疾患として小頭症,てんかんを伴い,重度の知能・運動障害を伴っていた。(3)両麻痺1例は補聴効果がみられた。重度難聴であったが,知的発達の遅れがなく,助詞を含む多語文を用いた会話が可能になった。(4)片麻痺の2例とも補聴効果が認められた。3)後天性の異常:髄膜炎後遺症2例,脳炎後遺症1例に補聴効果が認められた。しかし,その後1例は装用困難となった。4)精神遅滞:3例全例に補聴効果が認められた。

 補聴効果について,以上の54例についてまとめると,(a)補聴効果の認められた症例は35例(64.8%,うち4例はその後非装用),(b)効果が認められなかったものが9例(16.7%),(c)装用困難であったものが10例(18.5%)であった。補聴効果の認められた35例の補聴器装用後のコミュニケーション手段は,音声言語表出が可能になったものが21例(60.0%),音声言語の理解のみ可能になったものが2例(5.7%),身振りサインによるものが8例(22.9%),表情・発声などによるものが4例(11.4%)であった。

 難聴の程度と補聴効果,知的障害の程度と補聴効果の関連性についてクラメールのV係数を求め,カイ自乗検定を行ったが,有意な連関は認められなかった。

IV.考察

 難聴の診断に用いる他覚的検査法としてABR聴力検査が普及したことによって,重複障害児における難聴の早期発見が可能になった。ABR聴力検査で,閾値上昇または異常の認められた症例について,聴性行動反応聴力検査を経時的に行うことが難聴の早期診断に有効と考えられる。

 重複障害児では,個々の症例の基礎疾患,障害の種類や程度,行動特徴によって,補聴器装用後の聴性行動や言語・コミュニケーションの発達の個人差が大きい。難聴,知的障害,運動障害,その他の障害など補聴器装用効果に関連する要因が複雑に影響し合うため,コミュニケーション障害は多様で複雑な症状を呈する。したがって,言語・コミュニケーションの発達の到達度と障害の種類や程度との関連性,コミュニケーション・モードの選択,言語指導の方法と習得過程について,症例ごとに検討を要する。重複障害児において補聴器装用は,音声言語の獲得のみを目的とするのでなく,様々な手段を用いたコミュニケーションの第一歩であると考えられる。したがって,できるだけ早期に補聴器を装用し,聴覚的な情報の入力を補償した上で,症例の特徴に応じて,前言語的コミュニケーション,視覚的シンボル,身振りサインや手話などの手指メディア,音声言語など様々なコミュニケーション・モードを選択し,指導方法を工夫することが重要と考えられる。

審査要旨

 本研究は精神運動発達の遅れや脳性麻痺などに聴覚障害を併せ持つ重複障害児の聴覚と言語発達において重要な役割を演じていると考えられる聴覚補償の効果を明らかにするため、補聴器装用および言語・コミュニケーション指導を行い、補聴器装用後の聴性行動、言語・コミュニケーション行動の発達の分析を基礎疾患別に試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.聴性脳幹反応(ABR)聴力検査で両側45dB以上の閾値上昇を認めた発達障害児89例の基礎疾患は、先天性の異常44例(染色体異常13例、奇形症候群27例、筋疾患2例、先天性代謝異常2例)、周生期の異常34例(全例が脳性麻痺)、後天性の異常7例(髄膜炎後遺症6例、脳炎後遺症1例)、精神遅滞4例であった。小児の難聴が生じやすい病因として、染色体異常、遺伝性疾患、サイトメガロウイルス感染症、風疹症候群などの先天性異常によるもの、仮死出生、低出生体重、新生児重症黄疸など周生期の異常によるもの、髄膜炎や脳炎など後天性の異常があげられ、これらがいずれも中枢神経系の障害をもたらすため、知能、運動などの発達障害を合併することが多いことが示された。

 2.難聴の程度は、正常範囲6例(6.7%)、軽度難聴8例(9.0%)、中等度難聴18例(20.2%)、高度難聴25例(28.1%)、重度難32例(36.0%)と広範囲にわたることが示された。重複障害児においては、乳児期にABR聴力検査で閾値上昇または異常の認められた症例について、ABRの再検査、聴性行動反応聴力検査を経時的に行うことが難聴の早期診断に有効と考えられた。

 3.難聴を伴う重複障害児74例に補聴器装用指導を行い、このうち6カ月以上経過観察を行った54例における補聴器装用後の聴性行動の発達すなわち補聴効果を検討したところ、補聴効果の認められた症例は35例(64.8%、うち4例はその後非装用)、効果が認められなかったものが9例(16.7%)、装用困難であったものが10例(18.5%)であることが示された。

 4.難聴の程度と補聴効果、知的障害の程度と補聴効果の関連性について、有意な連関は認められず、難聴や知的障害の程度が重度であっても、環境音や音声へ反応の増加、発声の増加など初期の聴性行動の発達が認められることが示された。しかし、補聴効果の認められなかった症例は高度または重度難聴、重度な知能・運動障害を伴っており、最重度症例において難聴および知的障害の程度と補聴効果の関連が示唆されると考えられた。重複障害児においては、補聴器装用や補聴効果に関連する複数の要因が複雑に影響しあうため、個々の症例の基礎疾患や難聴、知的障害、運動機能障害の程度、行動特性など合併症の種類と程度を考慮して対応の遅れを防ぐことが重要と考えられた。

 5.補聴効果の認められた35例の補聴器装用後のコミュニケーション手段は、音声言語表出が可能になったものが21例(60.0%)、音声言語の理解のみ可能になったものが2例(5.7%)、身振りサインによるものが8例(22.9%)、表情・発声などによるものが4例(11.4%)と多岐にわたることが示された。

 6.補聴器装用後の言語・コミュニケーションの指導は、症例の発達段階や難聴の程度に応じて、前言語的コミュニケーション、視覚・手指メディア、音声言語など、個々の症例の特徴に応じたコミュニケーション・モードを使用し、指導方法を工夫することが重要であり、重複障害児における補聴器装用は音声言語の獲得のみを目的とするのでなく、様々な手段を用いるコミュニケーションの基礎になるものであると考えられた。

 以上、本論文は難聴を伴う重複障害児に、補聴器装用指導および言語・コミュニケーション指導を行い、難聴の程度と病因、聴性行動の発達、言語・コミュニケーションの発達の分析から補聴効果を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった難聴を伴う重複障害児の聴覚活用の可能性や言語・コミュニケーションの発達および指導法の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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