本論文は、昆虫の摂食行動誘起因子に関して、化学生態学的研究を行ったものである。Danaus属のチョウである、オオカバマダラDanaus plexippusの場合を例にして定義されたpharmacophagyという食性が知られている。このpharmacophagyの食性の定義に合うと考えられる新たな摂食行動として、以下に述べるようにカブラハバチAthalia rosae ruficornisおよびオオゴマダラIdea leuconoeの摂食行動誘起因子の生態学的意義について研究を行っている。 第1章においては、pharmacophagyなる食性の定義について説明し、本研究の背景、目的を概説している。 第2章では、カブラハバチ成虫がクマツヅラ科の植物であるクサギClerodendron trichotomumに飛来し、葉を摂食する行動に関する化学生態学的研究について述べている。クサギ中に含まれるclerodendrin類として今までにclerodendrin A,BおよびDが知られているが、これらの3化合物以外の微量のclerodendrin類が摂食行動の誘起に関与していることが示唆されている。そこで本研究では、今までに知られていないclerodendrin類を単離し、摂食刺激活性を確かめている。研究で用いた実験装置、供試した昆虫の飼育方法、摂食刺激因子の生物検定方法について述べた後、クサギ生葉からの摂食刺激因子の精製実験結果が述べられている。既知化合物のclerodendrin A,BおよびDに加えて、新たに5種類の化合物E,F,G,HおよびIを単離している。その後、単離された5化合物E,F,G,HおよびIについて有機化学的手法および核磁気共鳴スペクトル(NMR)、質量分析(MS)等の機器分析手法を組み合わせて構造決定をおこない、新規化合物としてclerodendrin E,F,G,HおよびIを命名した。clerodendrin A〜Iの構造はneo-clerodane系ジテルペン化合物であり、いずれも3位にアシル基、9位にfurofuran環構造を有する。7,8位間の構造に関しては2重結合をもつもの(Type I)と持たないもの(Type II)に分類できる。次に、構造決定されたclerodendrin類の摂食刺激活性の生物検定の結果について述べている。clerodendrin A,BおよびDの摂食刺激活性結果から示唆されていた、2重結合の有無と活性の強弱についての相関関係が、今回単離された5化合物についても当てはまることを明らかにした。考察では、まずclerodendrin類の構造-活性相関について述べていて、3位アシル基部分に関しては、活性にあまり関与しないことがわかった。さらにクサギ由来ではないが、9位furofuran環が,-不飽和-ラクトン環になったajugatakasin類の摂食刺激活性の結果から、furofuran環の存在が活性に必要であることを明らかにした。ハバチの体内にclerodendrin Dが蓄積し外敵からの化学的防御に役立てているとする説が知られているが、一方で他のclerodendrin類が体内でclerodendrin Dに化学変換され、蓄積される可能性も示唆されている。この可能性を考えると本研究で新たに見つかった5種のclerodendrin類も化学的防御に関係していると考えられる。 第3章では人工飼育されたオオゴマダラIdea leuconoeが整髪料に飛来して奇妙にもそれを吸汁するという行動を、偶然にも筆者自身が発見したことをきっかけに化学生態学的研究を行っている。実験方法、供試昆虫の飼育方法および生物検定方法について述べた後、摂食刺激因子に関する結果が述べられている。まず整髪料に含まれる摂食刺激因子の単離精製を行い、NMRおよびMSの機器分析を組み合わせることによって、活性成分がmethyl p-hydroxybenzoate(パラベン)であると同定した。また整髪料中にはないが、パラベシの異性体であるmethyl o-hydroxybenzoateにも活性があることを明らかにしている。次に、オオゴマダラ雄におけるパラベンの体内動態を調べるため、雄成虫にパラベンを摂食させ、ガスクロマトグラフィー(GC)によるヘアペンシルの分析をおこなっている。その結果、パラベシが摂食によってヘアペンシルに蓄積されることを明らかにしている。筆者が明らかにしたパラベン以外に、オオゴマダラ雄成虫ではフェノール、p-クレゾール,methyl o-hydroxybenzoateおよびmelleinといった一連のフェノール類がヘアペンシルに蓄積されることが知られている。またオオゴマダラの雄成虫は野外で捕獲したときヘアペンシルを突出させ、そのときフェノール臭を発散させるという観察報告があり、フェノール類を『警告臭』として利用している可能性が示唆されている。今回の知見から得た、あらたな摂食刺激因子としてのバラベンの例が加わることにより、『警告臭』としての利用という可能性を支持することができた。 以上のように、本論文ではハバチおよびオオゴマダラの2種の昆虫の摂食行動誘起因子に関する化学生態学的研究をおこなった結果、今までには知られていなかった、pharmacophagyの新たな例とになり得る可能性を示すことができた。これらの成果は学術上貢献するところが少なくない、よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |