学位論文要旨



No 214542
著者(漢字) 河合,勲二
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,クンジ
標題(和) 昆虫の摂食行動誘起因子に関する化学生態学的研究
標題(洋)
報告番号 214542
報告番号 乙14542
学位授与日 2000.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14542号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 昆虫の摂食行動は栄養の獲得を目的とすることが大部分であるが、数少ない例としてpharmacophagyと呼ばれる食性を示す場合がある。本論文ではカブラハバチとオオゴマダラの2種類の昆虫をあげ、彼らが示す特異な食性がpharmacophagyにあてはまるかどうかを化学生態学的に別々に考察した。

第1章クサギに含まれるカブラハバチ成虫の摂食刺激因子について

 ハバチ科に属するカブラハバチAthalia rosae ruficornis(以下ハバチ)はダイコン,カブラなどアブラナ科植物を食草として生育するが、成虫になるとアブラナ科植物とは無縁のクマッヅラ科のクサギに飛来してその葉表を摂食する事が知られている。以上の観測結果をもとに、ハバチにとってクサギがどのような意味を持つのかを明らかにすることを目的とした。

 今回の研究の結果、以下の点を明らかにすることが出来た。

(1)クサギに含まれるカブラハバチ成虫に対する摂食刺激物質の単離と構造決定

 クサギ生葉を有機溶媒に浸漬して得た抽出液をろ紙に染込ませハバチに与えると、生葉で起こすのと同様の行動を誘起した。このことから摂食刺激因子は化学物質であることがわかり、この抽出液から活性成分の単離・精製を行った。抽出液の中から、いずれもneo-clerodane骨格を有する8種類のClerodendrin類を得た。核磁気共鳴スペクトル(NMR)、質量分析装置(MS)などの機器を用いて得たスペクトル解析よりClerodendrinE,F,G,HおよびIは新規化合物であることがわかった。そのうちハバチに強い活性を有するのは7、8-位に2重結合をもたないClerodendrinB,DおよびHであることを明らかにした。

 Clerodendrin FおよびIの3位アシル基構造である2,3-diacetoxy-2-methylbutanoyl基に関して相対配置の検討を行い、以下の結果を得た。 ClerodendrinFおよびIをそれぞれ加水分解し、目的アシル基部分由来の酸を得ることができた。標品の酸と比較した結果、アシル基部分がFの場合はerythro体であり、Iの場合threo体であることが明らかとなった。

(2)ハバチのClerodendrin類摂食の意義について

 活性物質の1つであるClerodendrinDを米粒に塗布し、スズメヘの忌避効果を調べた。実験の結果、ClerodendrinD塗布区の米粒は有意に食害を受けないことがわかった。クサギ生葉を実験室で摂食させたハバチの虫体を有機溶媒で抽出し体内成分を分析した。生葉を摂食することによって体内にClerodendrinDが蓄積されることがわかった。以上の結果より、クサギ摂食はハバチが外敵からの攻撃に対して防御する目的に利用されていることがわかった。以上の研究からハバチ成虫が示すクサギ摂食行動はまさにpharmacophagyに当てはまることがわかった。

第2章オオゴマダラの摂食刺激因子について

 オオゴマダラの観察中に奇妙なことに雄成虫のみが整髪料に誘引され、それを摂食することを発見した。オオゴマダラの食草はキョウチクトウ科のホウライカガミであり、この植物から栄養を獲得し、それと同時に性フェロモンの前駆体となる物質を摂取することは知られている。今回の研究では、観察で発見したオオゴマダラ雄成虫の摂食行動がどのような意義があるのかを明らかにすることを目的とした。

(1)整髪料に含まれるオオゴマダラの摂食刺激因子について。

 観察中に摂食行動を示した整髪料を各種クロマトグラフィーを駆使して分画した。得られたフラクションそれぞれを生物検定により活性を確認したところ、活性本体が整髪料中に含まれるMethyl p-hydroxybenzoate(以下パラベン)であることを明らかにした。パラベン以外の類縁体ついても生物検定を行った結果、Methylo-hydroxybenzoateにも活性があることを発見した。

 これらの摂食刺激活性は雄成虫のみに存在し、雌成虫には全く活性を示さないことがわかった。

(2)パラベン摂食の意義について

 実験室にて飼育したオオゴマダラ雄成虫に1日中パラベンのみを摂食させたのち、ヘアペンシル器官を摘出してその中の揮発性成分をGC/MSで分析した。実験の結果、パラベンを摂食させた個体のヘアペンシルにのみ有意なパラベンが検出された。対象区として砂糖水のみを与えた個体のヘアペンシル器官からは全く検出されなかった。

 野生のオオゴマダラ雄のヘアペンシルからは性フェロモシ以外に多量のphenol,cresolおよびmellein等のフェノール類が含まれていることが知られている。これらのフェノール類の野生での獲得源は明らかではないが、雄成虫を捕虫した際にはヘアペンシルを盛んに出し、フェノール臭を放つ行動がよく観察される。フェノール類が捕食者に対し忌避効果を示すことはよく知られており、オオゴマダラの捕虫時のフェノール放散行動が捕食者への防御行動であると考えると、今回発見したオオゴマダラがパラベンを摂食する行動はフェノール類の獲得が目的と考えられる。これはまさにpharmacophagyの例としてあげられることが考えられた。

審査要旨

 本論文は、昆虫の摂食行動誘起因子に関して、化学生態学的研究を行ったものである。Danaus属のチョウである、オオカバマダラDanaus plexippusの場合を例にして定義されたpharmacophagyという食性が知られている。このpharmacophagyの食性の定義に合うと考えられる新たな摂食行動として、以下に述べるようにカブラハバチAthalia rosae ruficornisおよびオオゴマダラIdea leuconoeの摂食行動誘起因子の生態学的意義について研究を行っている。

 第1章においては、pharmacophagyなる食性の定義について説明し、本研究の背景、目的を概説している。

 第2章では、カブラハバチ成虫がクマツヅラ科の植物であるクサギClerodendron trichotomumに飛来し、葉を摂食する行動に関する化学生態学的研究について述べている。クサギ中に含まれるclerodendrin類として今までにclerodendrin A,BおよびDが知られているが、これらの3化合物以外の微量のclerodendrin類が摂食行動の誘起に関与していることが示唆されている。そこで本研究では、今までに知られていないclerodendrin類を単離し、摂食刺激活性を確かめている。研究で用いた実験装置、供試した昆虫の飼育方法、摂食刺激因子の生物検定方法について述べた後、クサギ生葉からの摂食刺激因子の精製実験結果が述べられている。既知化合物のclerodendrin A,BおよびDに加えて、新たに5種類の化合物E,F,G,HおよびIを単離している。その後、単離された5化合物E,F,G,HおよびIについて有機化学的手法および核磁気共鳴スペクトル(NMR)、質量分析(MS)等の機器分析手法を組み合わせて構造決定をおこない、新規化合物としてclerodendrin E,F,G,HおよびIを命名した。clerodendrin A〜Iの構造はneo-clerodane系ジテルペン化合物であり、いずれも3位にアシル基、9位にfurofuran環構造を有する。7,8位間の構造に関しては2重結合をもつもの(Type I)と持たないもの(Type II)に分類できる。次に、構造決定されたclerodendrin類の摂食刺激活性の生物検定の結果について述べている。clerodendrin A,BおよびDの摂食刺激活性結果から示唆されていた、2重結合の有無と活性の強弱についての相関関係が、今回単離された5化合物についても当てはまることを明らかにした。考察では、まずclerodendrin類の構造-活性相関について述べていて、3位アシル基部分に関しては、活性にあまり関与しないことがわかった。さらにクサギ由来ではないが、9位furofuran環が,-不飽和-ラクトン環になったajugatakasin類の摂食刺激活性の結果から、furofuran環の存在が活性に必要であることを明らかにした。ハバチの体内にclerodendrin Dが蓄積し外敵からの化学的防御に役立てているとする説が知られているが、一方で他のclerodendrin類が体内でclerodendrin Dに化学変換され、蓄積される可能性も示唆されている。この可能性を考えると本研究で新たに見つかった5種のclerodendrin類も化学的防御に関係していると考えられる。

 第3章では人工飼育されたオオゴマダラIdea leuconoeが整髪料に飛来して奇妙にもそれを吸汁するという行動を、偶然にも筆者自身が発見したことをきっかけに化学生態学的研究を行っている。実験方法、供試昆虫の飼育方法および生物検定方法について述べた後、摂食刺激因子に関する結果が述べられている。まず整髪料に含まれる摂食刺激因子の単離精製を行い、NMRおよびMSの機器分析を組み合わせることによって、活性成分がmethyl p-hydroxybenzoate(パラベン)であると同定した。また整髪料中にはないが、パラベシの異性体であるmethyl o-hydroxybenzoateにも活性があることを明らかにしている。次に、オオゴマダラ雄におけるパラベンの体内動態を調べるため、雄成虫にパラベンを摂食させ、ガスクロマトグラフィー(GC)によるヘアペンシルの分析をおこなっている。その結果、パラベシが摂食によってヘアペンシルに蓄積されることを明らかにしている。筆者が明らかにしたパラベン以外に、オオゴマダラ雄成虫ではフェノール、p-クレゾール,methyl o-hydroxybenzoateおよびmelleinといった一連のフェノール類がヘアペンシルに蓄積されることが知られている。またオオゴマダラの雄成虫は野外で捕獲したときヘアペンシルを突出させ、そのときフェノール臭を発散させるという観察報告があり、フェノール類を『警告臭』として利用している可能性が示唆されている。今回の知見から得た、あらたな摂食刺激因子としてのバラベンの例が加わることにより、『警告臭』としての利用という可能性を支持することができた。

 以上のように、本論文ではハバチおよびオオゴマダラの2種の昆虫の摂食行動誘起因子に関する化学生態学的研究をおこなった結果、今までには知られていなかった、pharmacophagyの新たな例とになり得る可能性を示すことができた。これらの成果は学術上貢献するところが少なくない、よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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