学位論文要旨



No 214543
著者(漢字) 瀬戸,明
著者(英字)
著者(カナ) セト,アキラ
標題(和) 種苗生産における生物餌料培養および栄養強化システムの効率化に関する研究
標題(洋)
報告番号 214543
報告番号 乙14543
学位授与日 2000.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14543号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 村上,昌弘
 東京大学 助教授 佐野,光彦
内容要旨

 魚介類の受精卵を孵化させ、シオミズツボワムシ(以下ワムシ)などの生物餌料や微粒子配合飼料を与えながら稚魚にまで育成する種苗生産技術は、水産資源の育成と養殖業への稚魚供給に重要な役割を担っている。日本国内でマダイをはじめとする種苗生産技術が目覚ましく進歩した1970年代には、単細胞藻類Nannochloropsisの大量生産と、それを餌料とするワムシの培養が主な研究課題であり、なかでも、生産尾数の急増に見合うワムシを確保するために、培養に天候や場所の制約を受けるNannochloropsisを使わず、パン酵母によってワムシを培養する方法の開発が画期的との評価を受けていた。しかし、パン酵母培養のワムシには、海産魚類の必須脂肪酸であるEPA(Eicosapentaenoic Acid)とDHA(Docosahexaenoic Acid)がほとんど存在しないため、魚油を添加した油脂酵母やNannochloropsisによって再度培養、栄養強化したのちにワムシを仔魚に投与するようになったが、これによるワムシ培養は、増殖率・携卵率ともに低く、酵母細胞の自己消化による水質悪化が著しいという問題があった。そこで、Nannochloropsisとパン酵母を併用したワムシ培養法も登場したが、必要なNannochloropsisを生産するため、一つの種苗生産施設で500〜1000トンもの大型培養設備を持つ必要があった。

 このような状況下で、種苗生産規模の拡大を実現させるため、1980年代初頭には「微粒子配合飼料(生物餌料代替配合飼料)の実用化」と「生物飼料の安定的かつ効率的な培養法開発」という2つの方向に研究が指向して行った。

 本研究は、後者の研究方向に従い、Nannochloropsisの高密度培養法を検討することで効率的な生産を目指すとともに、可消化処理Nannochloropsisによるアルテミアの高密度養成法と栄養強化法並びにクルマエビ種苗生産における珪藻代替効果に関する研究を行い、Nannochloropsisの幅広い活用を検討したものである。

 序章に続く第2章では、Nannochloropsisの増殖特性を無菌培養によって明らかにし、培養の高度集約化への基礎的情報とするため、サラシ粉,マラカイトグリーン処理により無菌化したNannochloropsisと、英国の藻類保存施設(CCAP)から入手した株の増殖特性と炭素源資化性について検討した。両方の無菌NannochloropsisのEPA含量は非無菌株と同様に37%程度であったが、無菌株の増殖速度は低かった。増殖速度は、培地に酵母エキスとモルトエキスを添加することで回復したため、開放培養系では共存する細菌類から何らかの栄養素の供給を受けていることが示唆された。炭素源資化性については、重炭酸ナトリウムが最も速やかに資化され、グルタミン酸ナトリウムがそれに次いだ。

 Nannochloropsisを培養する際の光強度,培養温度,培地中の塩類濃度と増殖速度および脂肪酸組成の変動について検討した結果、(1)光強度と増殖速度は相関するが、脂肪酸組成には変化がない、(2)培養温度20℃でのEPA含量約40%が、25℃では約2分の1に低下する、(3)Nannochloropsisの生育には培地中の食塩濃度が0.2%以上必要であることが明らかとなった。

 第3章では、前章で得られた知見をもとにNannochloropsisの工業的生産の設計と大量培養を行った。直径7mの屋外攪拌培養装置では重炭酸ナトリウムとグルタミン酸ナトリウムを炭素源とする試験的な培養を行い、(1)両炭素源ともにNannochloropsisの増殖を昂進させる効果があり、両者を併用すると相乗効果もある、(2)グルタミン酸ナトリウムは混入細菌の増殖も同時に高めることを確認した。よって屋外攪拌培養における炭素源としては、重炭酸ナトリウムが最適と判断した。そこで、重炭酸ナトリウム添加のもと大規模生産を行ったところ、直径7mの装置では11日間で湿細胞重量が培養開始時の約8倍まで増加し、培養終了時の細胞密度も2.5億cells/mlとなったが,直径18mに培養規模を拡大すると増殖速度の低下が認められた。しかし、従来多く用いられてきた水深1m程度の大型水槽による炭素源無添加の培養と比較すると、屋外攪拌培養装置における培養は著しく培養効率が高く、同装置を使用し、炭素源として重炭酸ナトリウムを添加することでNannochloropsisを工業生産できることが確認された。Nannochloropsisの高密度培養を目指す、より集約的な別法として、温度・pHを自動制御しつつ24時間の光照射と通気攪拌を行うことができる400Lと1200L容量の二重円筒型培養装置を制作し培養を行った。その結果、(1)培養液の最適pHは7.0である、(2)2L三角フラスコおよび30Lパンライト水槽による小規模培養と比較しても、400L装置で著しく増殖速度が速い、(3)400L装置による半連続培養では、4日毎に約1.3億cells/mlのNannochloropsisが100Lづつ収穫できることが明らかとなり、小規模な種苗生産でのNannochloropsis供給に使用できることが確認された。

 第4章では、屋外攪拌培養装置で工業生産されたNannochloropsisの生物餌料としての特性を明らかにするため各種栄養成分の分析を行った。その結果、脂質成分ではEPAが総脂肪酸中に37%と高濃度に存在すること,その二重結合位置は5,8,11,14,17で、魚油のEPAと同一であることが確認された。また、総脂質中の主要成分の一つである糖脂質の総脂肪酸中EPA含量は約70%と特異的に高く、フロリジルカラムで糖脂質成分を濃縮し、構造解析を行ったところ、mono--galactosyl diglyceride(MGDG)であることが明らかとなった。

 第5章では、Nannochloropsisをワムシ培養用の餌料としてのみならず種苗生産分野に広く活用するため、噴霧乾燥処理や酵素処理したのちアルテミア養成用餌料およびクルマエビ用珪藻代替餌料として利用することを検討した。Nannochlorpsis生細胞を噴霧乾燥した後に高圧ホモジナイザーで強制分散した可消化処理Nannochloropsis(DTN:Digestive Treated Nannochloropsis)を餌料としてアルテミアの高密度養成が可能となることを確認し、養成マニュアルを作成した。これにしたがって500L水槽でアルテミア養成試験を行い、7日間の養成(30個体/ml)で2.0〜2.5mmサイズのアルテミアが2.53kg(湿重量)収穫された。これは従来報告されているアルテミア養成の最高収量を上回っており、また、生物餌料から配合飼料への餌付きが遅いマコガレイの種苗生産において、48から72時間養成したアルテミアを給餌した場合、生残率・成長ともに著しく改善され、生物餌料としての有効性が確認された。

 クルマエビ種苗生産時の珪藻代替として、孵化直後のクルマエビ幼生にDTNを給餌したところ、ほとんど消化吸収されず餌料効果が認められながった。そのため、さらにセルラーゼ系酵素で処理したDTNを給餌した結果、クルマエビ種苗生産の標準餌料である珪藻Cheatoceros給餌と比較して約80%の生残率が得られ、珪藻代替効果が認められた。

 Nannochloropsisのワムシ培養用餌料への応用が、今日わが国の種苗生産先進国としての地位を築く礎となったことには言を待たないが、その優れた餌料価値にもかかわらず、培養の生産性の低さが種苗生産の拡大と質的向上に大きな障害となってきた。本研究は、効率的なNannochloropsisの生産と可消化処理による応用の拡大を目指すものであったが、無菌培養によって増殖特性を把握したのち、EPAの含量と性状を品質の指標として実験を進めた結果、工業的生産の装置開発と条件設定を行うことができた。また、適正な可消化処理を行えばアルテミアの高密度養成と栄養強化が可能になることは、今日まで餌料系列の不完全さから仔稚魚期の大量飼育が困難とされていた魚種の種苗生産に大きな前進をもたらすものと考えられ、さらに、世界的に需要の大きいクルマエビ類種苗生産において、いまだ大規模培養が困難な珪藻にNannochloropsisが代替し得ることを示すものになった。

審査要旨

 海産魚介類の受精卵を孵化させ稚魚(介)にまで育成する種苗生産では、とくに消化吸収機構が未発達な初期稚仔には人工飼料が使えず、ワムシなどの動物プランクトンを給餌することが必須とされている。この動物プランクトンの培養には酵母類なども用いられるが、栄養価、とくに海産魚類の必須脂肪酸であるEPA(eicosapentaenoic acid)含有量の観点から、単細胞藻類Nannochloropsisが最も優れた餌料と考えられている。しかしながら、その入手には各種苗生産機関で500〜1000トン規模という広大な屋外水槽を用いた培養を行う必要があり、種苗の大量生産を行う上で著しい障害となっていた。本研究は、Nannochloropsis培養を工業的生産として行うことを目指すとともに、より広範な動物プランクトン培養用餌料としての応用と、未だに大量培養が困難とされている珪藻の代替藻としての可能性を検討したものである。

 序章に続く第2章では、培養の高度集約化への基礎的情報とするため、Nannochloropsisを無菌化したうえで増殖特性と炭素源資化性を明らかにした。本種藻類を特徴づけるEPA含量は非無菌時と変わらなかったが、無菌株の増殖は遅く、酵母エキスとモルトエキスを添加することで回復した。炭素源は、重炭酸ナトリウムが最も速やかに資化され、グルタミン酸ナトリウムがそれに次いだ。また、(1)光強度と増殖速度は相関するが、脂肪酸組成には変化がない、(2)培養温度20℃でのEPA含量約40%が、25℃では約2分の1に低下する、(3)培地中の食塩濃度が0.2%以上必要であることが明らかとなった。

 第3章では、前章での知見をもとに工業的生産の設計と大量培養を行った。屋外攪拌培養装置で培養を行い、炭素源に関してグルタミン酸ナトリウムは混入細菌の増殖も促すため、重炭酸ナトリウムが最適と判断した。また、直径7mの装置では11日間で湿細胞重量が培養開始時の約8倍まで増加し、培養終了時の細胞密度も2.5億cells/mlとなり、従来法より著しく培養効率が高く、同装置を使用しNannochloropsisを工業生産できることが確認された。

 より集約的な別法として、温度・pHを自動制御しつつ光照射と通気攪拌を行う二重円筒型培養装置を制作した。その結果、(1)培養液の最適pHは7.0、(2)2L三角フラスコおよび30Lパンライト水槽による小規模培養と比較しても、400L装置では著しく増殖速度が速い、(3)半連続培養では、4日毎に約1.3億ce11s/mlのNannochloropsisが100Lづつ収穫できることが明らかとなり、小規模な種苗生産でのNannochloropsis供給に使用できることが確認された。

 第4章では、工業生産されたNannochloropsisの各種栄養成分の分析を行った。その結果、脂質成分ではEPAが総脂肪酸中に37%と高濃度に存在すること、その二重結合位置は5,8,11,14,17で、魚油のEPAと同一てあることが確認された。また、総脂質中の主要成分の一つである糖脂質の総脂肪酸中EPA含量は約70%と特異的に高く、構造解析を行ったところ、mono--galactosyl diglyceride(MGDG)であることが明らかとなった。

 第5章では、Nannochloropsisをワムシ培養用としてのみならず種苗生産分野に広く活用するため、可消化処理を検討した。生細胞を噴霧乾燥した後に高圧ホモジナイザーで強制分散した可消化処理品でアルテミアの高密度養成が可能となることを確認し、アルテミア養成マニュアルを作成した。また、生物餌料から配合飼料への餌付きが遅いマコガレイの種苗生産において、養成アルテミアを給餌した場合、生残率、成長ともに著しく改善された。クルマエビ種苗生産時の珪藻代替としては、さらにセルラーゼ系酵素で処理したDTNを給餌した結果、クルマエビ種苗生産の標準餌料である珪藻Cheatoceros給餌と比較して約80%の生残率が得られ、珪藻代替効果が認められた。

 以上、本研究はNannochloropsisの生物学的特性に関して無菌株を確立しての精密な研究を行い、その情報をもとに工業的培養を開発、さらに本種藻類の優れた特微を広範な種苗生産技術に新たな技術要素として加えることをも成功させたものであり、基礎科学上、また応用科学上の貢献は少なくない。よって審査委員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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