審査要旨 | | 近年,臨床利用された抗生物質に対して出現する耐性菌が社会的に大きな問題となっている。その最も代表的な例は,-ラクタム剤に対するメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)である。これに対して従来有効とされてきたバンコマイシンに対しても耐性菌が出現しており,新たな治療薬の開発が急務となっている。本論文は,抗生物質の探索源として海洋細菌を対象としてスクリーニングした結果,MRSAに対して有効な新規抗生物質を生産する細菌を分離し,それが生産する抗生物質チオマリノールおよびその関連化合物の化学構造を決定し,生物活性について詳細に検討したものである。 まず,序論では,細菌感染症に対する抗生物質研究の現状を特に耐性菌の問題を中心に概説し,あわせて海洋生物由来の有用な天然有機化合物について述べている。 第1章では,抗菌活性物質生産菌をスクリーニングした結果,その培養ろ液に強い活性を示した生産菌SANK 73390株を取得し,基準株との比較からAlteromonas属の新種と判断されたことからAlteromonas rava sp-nov.と命名したことを述べている。また,本菌の培養ろ液から7つの関連成分を単離し,チオマリノールA〜Gと命名した。 第2章では,チオマリノールA〜Gの構造解析について述べている。まず,最も生産量の多いチオマリノールAについて各種機器分析データおよび分解生成物の構造を考えあわせることによって平面構造を決定した。一方,チオマリノールBおよびCの構造をチオマリノールAとの比較から決定し,誘導体のX線結晶構造解析等のデータからA〜Cの絶対構造を明らかにした(図)。また,チオマリノールD〜Gについても前者との比較から平面構造を決定した。これらの化合物はいずれも新規化合物であり,その構造のうちの半分は既知の抗生物質のムピロシンを含むシュードモン酸に,残りの半分はチオルチン群抗生物質に類似しており,2つの抗生物質のハイブリッド構造をもつという構造的特徴を有していた。 図 チオマリノールAおよびBの化学構造 第3章では,チオマリノール類の抗菌活性について述べている。チオマリノール類はin vitro試験において,グラム陽性および陰性菌に対して広い抗菌スペクトルを示した。なかでもAおよびBの活性が最も強く,特にMRSAに対して極めて強い活性(MIC≦0.01g/ml)を示した。これを既存のMRSAに対して有効とされているムピロシンおよびバンコマイシンと比較した結果,それぞれ64倍および256倍以上強いことがわかった。一方,MRSAを感染させたマウスを用いたin vivoの系においては,ムピロシンおよびバンコマイシンと比較して2倍以上の感染治療効果を示した。 第4章では,チオマリノールの構造とin vitro活性の間の関係について比較検討している。チオマリノールのハイブリッド構造を構成するシュードモン酸およびチオルチン群抗生物質と比較したところ,チオマリノールのMRSAに対する抗菌活性はいずれの既知抗生物質より16倍以上強かったことから,この強力な抗菌活性にはハイブリッド構造が必須であることがわかった。 第5章では,チオマリノールのハイブリッド構造に着目して作用機作を検討している。チオマリノールはムピロシンのもっている強いイソロイシンtRNA合成酵素阻害活性とチオルチンのもっている弱いRNA合成阻害活性を合わせもつことが明らかとなった。放射ラベル体の細菌細胞への移行実験の結果から,チオルチン部分は効率的な細胞内への移行に重要な役割を果たしており,主な抗菌活性はシュードモン酸部分にあると結論した。 以上,本論文はMRSAに対して有効な新規抗生物質を海洋細菌の代謝産物から単離,構造決定し,その作用機作を明らかにしたものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |