学位論文要旨



No 214547
著者(漢字) 塩澤,秀幸
著者(英字)
著者(カナ) シオザワ,ヒデユキ
標題(和) 海洋細菌の生産する新規抗生物質チオマリノールの構造と生物活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214547
報告番号 乙14547
学位授与日 2000.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14547号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨

 臨床利用された抗生物質に対しては次々と耐性菌が出現する。その最も代表的な例は-ラクタム剤に対するメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)である。MRSAは、-ラクタム剤のみならず多くの抗生物質に対して耐性を獲得して、難治療化している。MRSA感染症に対する最も代表的な治療薬はバンコマイシンである。しかし、近年バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌(VRSA)が出現したことによって、バンコマイシンの有用性は揺らぎつつある。本研究は、新規抗生物質の開発を目的とした探索研究であり、その対象はMRSAに代表される耐性菌である。

 抗生物質の探索は、伝統的に放線菌をはじめとする土壌微生物を探索源として行なわれてきた。しかし近年は、このような方法で有用な新規抗生物質を発見することは難しくなってきている。そこで筆者は、1970年代から発展した海洋天然物化学に注目し、中でも培養によるスケールアップが可能な海洋細菌を探索源として選択した。また、抗生物質生産菌を効率的に分離するために、枯草菌との混合培養法を用いた。

 このようなスクリーニングにおいて、筆者は新規抗生物質チオマリノールを見出し、その構造と生物活性について以下に示す第一章から第五章までの研究を行なった。

第一章菌株の同定、培養およびチオマリノールの単離

 海洋細菌SANK 73390株の培養液に強い抗菌活性を見出し、その培養液から七つの活性成分を単離してチオマリノールA〜Gと命名した。

 チオマリノール生産菌SANK 73390株は、その形質からAlteromonas属に分類された。さらにAlteromonas属のそれぞれの種の基準株との比較実験により、SANK73390株はAlteromonas属の新種であると判断し、Alteromonas rava sp.nov.と命名した。

第二章構造解析

 チオマリノールA〜Gの構造解析を行なった。その結果、チオマリノールA〜Cの絶対構造およびチオマリノールD〜Gの平面構造を明らかにした。これら七化合物は、互いに類似した構造を持ち、またいずれも新規化合物であった。チオマリノールAおよびBの構造をFig.1に示す。チオマリノールに類似した構造を有する既知の抗生物質としては、例えばムピロシン(シュードモン酸A)などのシュードモン酸、およびチオルチン、ホロマイシンなどのチオルチン群抗生物質が報告されている(Fig.1)。チオマリノールは、シュードモン酸とチオルチン群抗生物質からなるハイブリッド構造を有していた。なお、ムピロシンは、MRSAに対する除菌用鼻腔軟膏として臨床使用されている抗生物質である。

第三章生物活性

 チオマリノールの抗菌活性をin vitroおよびin vivoで評価した。

 In vitro試験において、チオマリノールはグラム陽性および陰性細菌に対して広い抗菌スペクトルを示した。チオマリノールA〜Gの中では、チオマリノールAおよびBの抗菌活性が最も強かった。これらは特にMRSAを含む黄色ブドウ球菌に対する抗菌活性が非常に強かった(MIC≦0.01g/ml)。

 MRSAに対しては既存の抗生物質のほとんどが無効であるが、ムピロシンおよびバンコマイシンはMRSAに対して有効とされている。MRSAであるStaphylococcus aureus 507株に対して、チオマリノールA(MIC=0.0039g/ml)およびB(MIC=0.0010g/ml)は、ムピロシン(MIC=0.25g/ml)よりも64倍以上、バンコマイシン(MIC=1g/ml)よりも256倍以上強力なin vitro抗菌活性を示した。

 また、同507株を感染菌としたマウスの系で、チオマリノールA(ED50=1.6mg/kg)およびB(ED50=3.2mg/kg)は、ムピロシン(ED50=4.9mg/kg)やバンコマイシン(ED50=4.3mg/kg)と同等以上の感染治療効果を示した。

第四章構造活性相関

 チオマリノールAおよびBのin vitro抗菌活性を、チオマリノールのハイブリッド構造を構成するシュードモン酸およびチオルチン群抗生物質と比較した。例えばMRSAであるS.aureus 535株に対して、ムピロシン、R-92951、チオルチン、ホロマイシン(Fig.1)は、MICが全て0.2g/ml以上であり、チオマリノールAおよびB(MIC0.01g/ml)の方が16倍以上抗菌活性が強かった。これにより、チオマリノールの強力な抗菌活性にはシュードモン酸とチオルチン群抗生物質からなるハイブリッド構造が必須であることを結論した。

第五章作用機作

 チオマリノールのハイブリッド構造に注目して作用機作の検討を行なった。ムピロシンはタンパク質合成阻害剤、チオルチンはRNA合成阻害剤とされている。大腸菌NF1067株を用いた評価系において、チオマリノールBは強力なタンパク質合成阻害活性(IC50=0.16g/ml)とそれよりずっと弱いRNA合成阻害活性(IC50=42g/ml)を示した。また大腸菌NIHJ JC-2株を用いた評価系で、チオマリノールB(IC50=1.3g/ml)はムピロシン(IC50=120g/ml)より約92倍強いタンパク質合成阻害活性を示した。

 次いでムピロシンの一次作用点とされるイソロイシルtRNA合成酵素(IIeRS)に焦点をあてた。チオマリノールBおよびムピロシンは、大腸菌のIIeRSを強力に阻害した(それぞれIC50=0.83,0.85nM)。

 最後に、チオマリノールBおよび、これからチオルチン型クロモフォアを除いた構造を持つR-92951(Fig.1)の放射ラベル体を用いて、両者の細菌細胞への移行性を比較した(Fig.2)。遠心分離により得た大腸菌cell pelletへの移行量は、チオマリノールBの方がR-92951よりも大きかった(Fig.2の条件において20倍以上)。

図表Fig.1チオマリノールA、Bおよび関連化合物の構造 / Fig.2チオマリノールBおよびR-92951の大腸菌細胞への移行 Escherichia coli NIHJ JC-2(37℃) ■:10M[14C]チオマリノールB ○:10M[14C]R-92951

 これらの結果から、チオマリノールの主作用はムピロシンと同じくIIeRS阻害に由来する強力なタンパク質合成阻害であること、全細胞(whole cell)系でのタンパク質合成阻害活性はチオマリノールがムピロシンよりも二桁ほど強いこと、一次作用点であるIIeRS阻害活性の強さはチオマリノールとムピロシンでほぼ同等であること、チオマリノールはチオルチン型クロモフォアに依存する機構により細菌細胞に効率的に移行することによってムピロシンよりも強力な抗菌活性を示すことが結論された。

 本研究により得られたチオマリノールAおよびBは、MRSAであるS.aureus 507株に対して、抗MRSA剤として臨床使用されているムピロシンやバンコマイシンよりも64倍以上強力なin vitro抗菌活性および1.3〜3.1倍強力なin vivo抗菌活性を示した。すなわち、本研究の探索目標を満たすMRSAに対して有効な新規抗生物質を見出すことに成功した。しかし、チオマリノールAおよびBのin vivo抗菌活性は、in vitro抗菌活性から考えると相対的に弱く、体内動態に問題があると考えられた。

 そこで現在、チオマリノールを外用剤として臨床応用するための研究とともに、化学療法剤としてさらに有用な化合物を得るためのチオマリノール誘導体研究が行なわれている。本研究により得られたチオマリノールの構造活性相関および作用機作に関する知見は誘導体研究において大いに参考になるであろう。

 本研究によって得られたチオマリノールは、近年得られた抗生物質としては数少ない、臨床応用できる可能性を有するものの一つである。本研究は、その臨床開発のための基礎データを提供したものである。

審査要旨

 近年,臨床利用された抗生物質に対して出現する耐性菌が社会的に大きな問題となっている。その最も代表的な例は,-ラクタム剤に対するメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)である。これに対して従来有効とされてきたバンコマイシンに対しても耐性菌が出現しており,新たな治療薬の開発が急務となっている。本論文は,抗生物質の探索源として海洋細菌を対象としてスクリーニングした結果,MRSAに対して有効な新規抗生物質を生産する細菌を分離し,それが生産する抗生物質チオマリノールおよびその関連化合物の化学構造を決定し,生物活性について詳細に検討したものである。

 まず,序論では,細菌感染症に対する抗生物質研究の現状を特に耐性菌の問題を中心に概説し,あわせて海洋生物由来の有用な天然有機化合物について述べている。

 第1章では,抗菌活性物質生産菌をスクリーニングした結果,その培養ろ液に強い活性を示した生産菌SANK 73390株を取得し,基準株との比較からAlteromonas属の新種と判断されたことからAlteromonas rava sp-nov.と命名したことを述べている。また,本菌の培養ろ液から7つの関連成分を単離し,チオマリノールA〜Gと命名した。

 第2章では,チオマリノールA〜Gの構造解析について述べている。まず,最も生産量の多いチオマリノールAについて各種機器分析データおよび分解生成物の構造を考えあわせることによって平面構造を決定した。一方,チオマリノールBおよびCの構造をチオマリノールAとの比較から決定し,誘導体のX線結晶構造解析等のデータからA〜Cの絶対構造を明らかにした(図)。また,チオマリノールD〜Gについても前者との比較から平面構造を決定した。これらの化合物はいずれも新規化合物であり,その構造のうちの半分は既知の抗生物質のムピロシンを含むシュードモン酸に,残りの半分はチオルチン群抗生物質に類似しており,2つの抗生物質のハイブリッド構造をもつという構造的特徴を有していた。

図 チオマリノールAおよびBの化学構造

 第3章では,チオマリノール類の抗菌活性について述べている。チオマリノール類はin vitro試験において,グラム陽性および陰性菌に対して広い抗菌スペクトルを示した。なかでもAおよびBの活性が最も強く,特にMRSAに対して極めて強い活性(MIC≦0.01g/ml)を示した。これを既存のMRSAに対して有効とされているムピロシンおよびバンコマイシンと比較した結果,それぞれ64倍および256倍以上強いことがわかった。一方,MRSAを感染させたマウスを用いたin vivoの系においては,ムピロシンおよびバンコマイシンと比較して2倍以上の感染治療効果を示した。

 第4章では,チオマリノールの構造とin vitro活性の間の関係について比較検討している。チオマリノールのハイブリッド構造を構成するシュードモン酸およびチオルチン群抗生物質と比較したところ,チオマリノールのMRSAに対する抗菌活性はいずれの既知抗生物質より16倍以上強かったことから,この強力な抗菌活性にはハイブリッド構造が必須であることがわかった。

 第5章では,チオマリノールのハイブリッド構造に着目して作用機作を検討している。チオマリノールはムピロシンのもっている強いイソロイシンtRNA合成酵素阻害活性とチオルチンのもっている弱いRNA合成阻害活性を合わせもつことが明らかとなった。放射ラベル体の細菌細胞への移行実験の結果から,チオルチン部分は効率的な細胞内への移行に重要な役割を果たしており,主な抗菌活性はシュードモン酸部分にあると結論した。

 以上,本論文はMRSAに対して有効な新規抗生物質を海洋細菌の代謝産物から単離,構造決定し,その作用機作を明らかにしたものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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