学位論文要旨



No 214548
著者(漢字) 須田,彰一郎
著者(英字)
著者(カナ) スダ,ショウイチロウ
標題(和) 淡水湖沼・ダム湖等で水の華を形成するシアノバクテリア、ユレモ目藻類の分類と系統に関する研究
標題(洋)
報告番号 214548
報告番号 乙14548
学位授与日 2000.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14548号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 西山,雅也
 国立環境研究所 生物圏環境部長 渡辺,信
内容要旨

 温帯域の富栄養化した湖沼やダム湖において、"水の華"または"アオコ"と呼ばれる現象の原因となるシアノバクテリアの代表的な仲間には、単細胞で群体を形成するMicrocystis、糸状体で異質細胞を持つAnabaena、糸状体で異質細胞を持たないOscillatoriaがあげられる。これらの仲間の多くが毒性物質を生産することが知られ、全世界規模で問題とされ、我が国においても、霞ヶ浦、琵琶湖等にも有毒シアノバクテリアが発生している。これら水の華を形成するシアノバクテリアのうち、ユレモ目藻類に属するOscillatoriaの仲間に関する分類と系統を明らかにすることが本研究の目的である。

 用いたユレモ目藻類は、自然サンブルから独自に分離した株と、CCAP、NIVA、NIESの各保存機関から取り寄せた株をあわせ82株である。これらの形態学、生理学、生化学、遺伝学的形質を調べた。

 形態学的観察と考察の結果82株は、ガス胞を持たないCCAP 1459/11B株と明瞭な鞘を持つCN4-3株を除き次に述べる5種に分類できた。即ち、46株がO.agardhii Gomontに、22株がO.rubescens D.C.ex Gomontに、4株がO.mougeotii Kutzing ex Lemmermannに、6株がO.raciborskii Woloszynskaに、2株がO.redekei Van Goorに分類できた。

 O.agardhiiは、藻体の色調が淡青緑色か黄緑色、トリコーム(細胞糸)は先細りになる場合とならない場合がある。大型で多数のガス胞を有し、先端の細胞の形は様々で、狭い半円形、鈍円錐形、頭状形をなす。細胞の幅は2.3-9.8m、長さは1.3-5.1mで長さと幅の比率は1/3.1倍である。

 O.rubescensは、藻体の色調が赤紫色か赤褐色であることを除くとO.agardhiiに酷似する。細胞の幅は3.9-9.4m、長さは1.1-4.9mである。

 O.mougeotiiは、小型で多数のガス胞を有し、藻体の色調は暗青緑色から濃青緑色あるいはオリーブ色、トリコームは先細りにならない。先端の細胞は幅の広い半円形でカリブトラはない。細胞の幅は5.9-7.8m、長さは1.5-3.6mで長さと幅の比率は1/3-2/3倍である。

 O.raciborskiiは、小型で比較的潰れやすい多数のガス胞を有し、藻体の色調は淡青緑色から黄緑色で、トリコームは先細りとなる。先端の細胞は鈍円錐形でときに湾曲し、カリプトラはない。細胞の幅は5.4-12.2m、長さは1.7-6.9mで長さと幅の比率は2/7-1倍である。

 O.redekeiは、通常細胞の両端に2個、大型のガス胞を有し、藻体の色調は淡青緑色から茶褐色、トリコームは真直で、先細りとならず、先端の細胞は狭い半円形で、カリプトラはない。細胞の幅は1.8-2.7m、長さは5.4-14.3mで長さと幅の比率は3.7倍である。

 前述の5種に関して、生理学、生化学的形質を調べた。その結果、化学及び光従属栄養ならびに窒素化合物欠乏条件下で5種全てが増殖せず差異が認められなかった。

 生育温度は、O.agardhiiのほとんどの株とO.rubescens、O.redekeiの全ての株が10℃で増殖したのに対し、ほとんどのO.mougeotiiとO.raciborskiiの全ての株は、10℃で増殖しなかった。

 塩分耐性は、O.agrdhii、O.rubescens、O.raciborskiiのほとんどの株が、0.78%まで増殖したのに対し、O.redekeiは0.26%までしか増殖せず、逆にO.mougeotiiは、1.28%まで増殖した。

 フィコピリン色素組成は、O.redekeiを除き、O.agardhiiとO.raciborskiiではフィコエリスリン(PE)を含まず、O.rubescensでは大量のPEを含み,O.mougeotiiでは少量のPEを含んだ。また、O.redekeiだけが色順応反応を示した。この結果、フィコピリン色素組成と色順応能力の有無は、重要な分類形質となりうることがわかった。

 シアノバクテリアの脂肪酸の主要含有パターンは、4タイプに分かれることが知られており、タイプ1は18:0と18:1を、タイプ2は18:0から18:3を、タイプ3は18:0から18:3を、タイプ4は18:0から18:4を持つことで特徴づけられる。さらに、マイナーな違いでサブタイプを区別した。Aは16:0から16:3を、Bは16:0から16:2を、Cは16:0と16:1を持つことで特徴づけ、このほかに14:0が多く16:1*を持つ場合をDとした。O.agardhiiとO.rubescensはタイプ2B、O.mougeotiiはタイプ2C、O.redekeiはタイプ2Dとすべてタイプ2となり脂肪酸組成上近い関係であることが考えられたが、O.raciborskiiはタイプ4となり、離れた関係であることが示唆された。5種のうち4種を脂肪酸組成の違いで識別できたことで、脂肪酸組成は分類形質として有効であることがわかった。

 遺伝学的形質として、DNA塩基組成、16S rDNAならびに、DNA gyrase B遺伝子塩基配列に基づく系統解析、DNA-DNA相同性試験を行った。DNA塩基組成の結果、O.raciborskiiは約44%で他の種は約40%と完全に異なることが判明した。

 16S rDNA塩基配列による系統解析で、O.agardhiiの大部分の株とO.rubescensの株全てが同じO.agardhii/rubescensクラスターを作り、これとは別にO.agardhiiのタイの株と中国の1株がThai-O.agardhiiクラスターを作った。O.mougeotiiは単独でクラスターを形成した。これらはそれぞれ姉妹群の関係となり、一つの大きな系統群を形成した。これに対してO.raciborskiiは独自のクラスターを形成し、独立した系統群として現われた。また、O.redekeiはさらにかけ離れた位置に現われた。

 O.agardhii、O.rubescens、O.mougeotiiについて、DNA gyrase B遺伝子塩記配列に基づく系統解析を行った。O.agardhii/rubescens、Thai-O.agardhii、O.mougeotiiはそれぞれ単一のクラスターを形成した。O.agardhii/rubescensクラスターはO.agardhiiだけを含むサブクラスターとO.agardhiiとO.rubescensを含むサブクラスターに分かれた。この結果、O.mougeotiiとThai-O.agardhiiはそれぞれ良くまとまった分類群を形成していると考えられた。Thai-O.agardhiiは表現形質でO.agardhiiと区別できなかったため分類群の名前を暫定的に"O.pseudagardhii"とした。

 O.agardhiiとO.rubescensは16S rDNAおよびDNA gyrase B遺伝子塩基配列による系統解析でも差異が認められなかったので、DNA-DNA相同性試験を行った。O.agardhiiのNIES 204株を基準にし、O.agardhiiの10株との相同性試験の結果、すべて70%を超える同種の関係を示した。O.agardhii NIES 204株とO.rubescens CCAP 1459/22株の両者を基準にし、O.rubescens 5株との相同性試験の結果、NIES 204株とは44.0-53.8%の相同値で70%未満の別種の関係、CCAP 1459/22株とは79.4-98.1%で、70%を超える同種の関係を示した。以上のことから、O.agardhiiとO.rubescensは系統的には極めて近縁だが、別種の関係にあると判断された。

 また、水の華を形成するOscillatoriaに関連したLyngbya hieronymusii var.hieronymusii CN 4-3株とO.bornetii f.tenuis CCAP 1459/11B株についても形態、生理、生化学、遺伝学的形質の結果を得た。これら関連する分類群を含め、16S rDNA塩基配列データを用いて系統樹を作成した(図1)。この結果、O.agardhii、O.rubescens、"O.pseudagardhii"、O.mougeotiiは一つの系統群を形成し、同一の属と考えられた。O.raciborskiiは離れて現われ(図1)、表現形質でも他の5種とは異なり別属とすべきと考えられた。O.redekeiは系統樹のなかでは外群に最も近い位置に現われ(図1)、表現形質でも異なることからかなり離れた分類群であると考えられた。さらに、16S rDNA塩基配列データによる系統樹から、Oscillatoria属あるいはユレモ目は単系統ではなく、多系統であることが示された(図1)。このことはシアノバクテリアにおける高次分類基準である目、科、属の概念が形態学的特性にのみ依存していることが、不適切であることを意味している。

図1 16S rDNA塩基配列、1330塩基に基づくシアノバクテリアの最尤系統樹。枝に付けられた数値はローカル・ブートストラップ値を示す。太字で示したのが、本研究で16S rDNA塩基配列が明らかになった分類群である。

 本研究を通じて、水の華を形成するシアノバクテリアであるユレモ目藻類の分類と系統がかなり明らかになった。応用面では、今回の研究で明らかになった結果をもとに、水の華を形成するOscillatoriaは、形態学的特性と16S rDNA塩基配列の組み合わせで簡便に識別できることが言えよう。

審査要旨

 シアノバクテリアは、従来形態的特徴により植物界の一門として取り扱われてきたが、分類学的特徴とされる形質のいくつかが疑問視され、分類の信頼性、再現性、適用範囲等に問題が指摘され混乱が生じている。一方、体制としては原核生物であることから、細菌学的分類のガイドラインもBergey’s Manual第3巻に掲載されている。このシアノバクテリアに関する分類のガイドラインでは、形態学、生理学、生化学、遺伝学、生態学的特徴を総合的に判断することが重要であるとしている。しかしながら、植物の規約で命名された名前に優先権があるため、細菌分類学的手法においても対象となるシアノバクテリアの植物学上の名前を明らかにしたうえで、ガイドラインに沿って特徴を明確にしていく必要がある。本研究は、全世界規模で環境上問題となっている水の華を形成するシアノバクテリアのうち、ユレモ目藻類に分類されるグループに関してより正確な分類を行い、かつ、その系統を明らかにすることを目的として、まず植物学上の名前を明らかにしたうえで、シアノバクテリアに関する分類のガイドラインを参考にして、生理学、生化学、遺伝学的な性質を検討し、かつ16S rDNA塩基配列を中心にした分子系統解析を試みたもので、7章より構成されている。

 第1章で、研究の背景と意義について概説した後、第2章では、材料と方法について述べ、第3章で形態形質による分類を試み、用いた80株をOscillatoria agardhii、O.rubescens、O.mougeotii、O.raciborskii、O.redekeiの5形態種に分類している。

 第4章では、これら5形態種の生理・生化学的形質について論じている。まず、5形態種の生育温度、塩分耐性、従属栄養試験、窒素化合物欠乏条件下での培養試験を行った。その結果、従属栄養ならびに窒素化合物欠乏条件下で差異が認められず、生育温度と塩分耐性において種ごとの特徴が示された。ついで、生体吸収スペクトル、フィコピリン色素組成、色順応能力の実験を行い、フィコピリン色素組成と色順応能力の有無で5形態種のうち、4種を識別でき、重要な分類形質となりうることが明確にされた。また、脂肪酸組成の測定を試みた。その結果、主要な脂肪酸の違いで、O.raciborskiiが特徴づけられ、他の4種のうち3種もわずかな違いで特徴づけられ、脂肪酸組成も重要な分類形質となりうることが示された。

 第5章では、5形態種の遺伝学的形質と系統解析が述べられている。まず、DNA塩基組成の結果、O.raciborskiiは約44%で他の種は約40%と完全に異なることが示された。ついで、16S rDNA塩基配列による系統解析が試みられ、O.agardhiiの大部分の株とO.rubescensの株全てが同じO.agardhii/rubescensクラスターを作り、これとは別にO.agardhiiのタイ国の株と中国の1株がThai-O.agardhiiクラスターを作り、O.mougeotiiは単独でクラスターを形成し、これらはそれぞれ姉妹群の関係となり、一つの大きな系統群を形成した。これに対してO.raciborskiiは独自のクラスターを形成し、独立した系統群として現われ、O.redekeiはさらにかけ離れた位置に現われた。これらの結果をもとに、前述の大きな系統群を形成した種類について、DNA gyrase B遺伝子塩基配列に基づく系統解析を行い、O.agardhii/rubescens、Thai-O.agardhii、O.mougeotiiはそれぞれ単一のクラスターを形成し、O.mougeotiiとThai-O.agardhiiはそれぞれよくまとまった分類群を形成していることが示唆された。さらに、O.agardhiiとO.rubescensについてDNA-DNA相同性試験を行った。その結果O.agardhiiとO.rubescensは系統的には極めて近縁だが、別種の関係にあると判断された。

 第6章では、上記5形態種に関連する分類群の形態・生埋・生化学・遺伝学的形質について、Lyngbya hieronymusii var.hieronymusiiとO.bornetii f.tenuisについて述べている。第7章は全ての章を踏まえて,総合考察、結論に充てられている。

 以上を要するに本論文は水の華を形成するシアノバクテリアのうち、ユレモ目藻類に分類されるグループに関してより正確な分類を行い、かつその系統を明らかにしたもので、学術上、応用上、貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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