学位論文要旨



No 214551
著者(漢字) 飯嶋,徹
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,トオル
標題(和) カルボラン骨格の医薬への応用 : 核内受容体リガンドの疎水性ファーマコフォア
標題(洋)
報告番号 214551
報告番号 乙14551
学位授与日 2000.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14551号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 小林,修
内容要旨

 Dicarba-closo-dodecaboranes(carboranes)C2B10H12は、1963年に初めて報告された含ホウ素クラスター化合物であり、炭素の位置により3種の異性体が知られている(図1)。その正20面体という特異な構造や、1分子中にホウ素原子を10個含有するという特異な性質のため注目を集めてきており、現在では、高分子化学の分野で耐熱材などとして幅広く応用されている。また、医薬品化学分野においても、癌の中性子補足療法(BNCT:Boron Neutron Capture Therapy)への応用が盛んに検討されている。中性子補足療法とは、1936年にG.I.Locherによって提案された癌治療法で、10Bに低エネルギー中性子(熱中性子)を照射することにより発生する核エネルギー(2.79MeV)を利用して、癌細胞を死滅させるものである。特に、カルボランは生体内で安定であり、1分子中にホウ素原子を10個含んでいることから、中性子補足療法に好適な骨格と考えられている。

図1 Dicarba-closo-dodecaborane(carborane)の3種の異性体

 一方、このようなカルボランの中性子補足療法への応用に比べ、カルボラン骨格の物理的、化学的性質を利用した生理活性物質への応用はなされていない。そこで私は、カルボラン骨格の嵩高い球状の構造、及び高脂溶性という性質を利用して、それを核内受容体リガンドの疎水性ファーマコフォアとして用いることを考えた。疎水性相互作用は、イオン性相互作用、水素結合などと共に、リガンド-受容体の安定化に極めて重要な因子であり、疎水性ファーマコフォアの生物活性に与える影響は大きいものである。

1.カルボラン含有レチノイド

 レチノイン酸は、細胞の分化・増殖など生命にとって必要不可欠な作用を担う分子であり、その生物学的同効物質をレチノイドという。レチノイドの作用は、核内受容体であるレチノイン酸レセプター(RAR)への結合を介して、RARとレチノイドXレセプター(RXR)とのヘテロダイマーが標的遺伝子のホルモン応答配列に結合した後、その転写を制御することにより発現する。

 代表的な合成レチノイドであるAm80の構造活性相関より、レチノイドの活性発現のためには、カルポン酸とそれに対して適切な空間配置にある嵩高い疎水性領域が必要であることが知られている。そこで、まず始めに、Am80あるいはその類縁体の疎水性領域としてカルボラン骨格を導入した化合物をデザイン・合成し、その活性について検討した(図2)。生物活性は、ヒト急性前骨髄球性白血病細胞HL-60の分化誘導能により評価した。その結果、疎水性領域としてベンゼン環のp-位にカルボラン骨格を導入した化合物は、共存するレチノイドAm80の活性を阻害するアンタゴニストであり、また、疎水性領域としてベンゼン環のm-位にカルボラン骨格を導入した化合物は、レチノイドシナジストHX630(レチノイドと共存するとレチノイドの作用を増強する化合物)の存在下によりレチノイド活性を示す、弱いアゴニストであることを見出した。

 そこで、レチノイド活性を更に上げるために、新たなカルボラン含有化合物をデザインした。m-位カルボラン置換化合物が弱いアゴニストであるのは、カルボン酸と疎水性領域の距離がカルボラン骨格の大きさのために長すぎることによると考え、カルボン酸と疎水性領域の距離を短くしたジフェニルアミン誘導体をデザインした(図2)。その結果、デザイン・合成した化合物は、予想どおり単独で顕著な分化誘導能を示し、強力なレチノイド活性を有することを見出した(図3)。中でも、BR403は天然のリガンドであるレチノイン酸に匹敵する強い活性を示した。一方、窒素原子上にメチル基を導入したBR405にはレチノイド活性はほとんどなく、2つの芳香環のなす角度が活性に大きく影響することが判明した。

図2 カルボラン含有レチノイドのデザイン図3 ジフェニルアミン誘導体の分化誘導能

 また、BR403に代表される強い分化誘導能を示した化合物は、ルシフェラーゼレポーターアッセイに於いて、RARを介した顕著な転写活性化能を示した。

2.カルボラン含有エストロゲン

 エストロゲンは、性ホルモンとして生殖機能に深く関わると共に、骨の維持や心血管系に重要な作用をしている。その作用は、核内受容体であるエストロゲンレセプター(ER)への結合を介して、ERのホモダイマーが標的遺伝子のホルモン応答配列に結合した後、その転写を制御することにより発現する。

 ERリガンドの条件は、ERと17-estradiolとの複合体X線結晶解析により確かめられているとおり、フェノール性水酸基、及びそれと適切な空間的位置にある水酸基、そして、それらの中間の嵩高い疎水性構造であると考えられる。そこで、その嵩高い疎水性構造としてカルボラン骨格を用いることが可能と考え、新規カルボラン含有エストロゲンをデザインした。

図4 カルボラン含有エストロゲンのデザイン

 生物活性の評価は、ERを介した転写活性化能をルシフェラーゼレポーターアッセイを用いて調べることにより行った。その結果、デザイン・合成した化合物には強いエストロゲン活性が認められ、特に、R=CH2OHとした化合物BE120は、17-estradiolの少なくとも10倍以上の活性を示した(図5)。また、BE120は、ERを用いた[3H]-17-estradiol結合競合試験においても、17-estradiol以上のER結合能を示した。

図5 カルボラン含有エストロゲンの転写活性化能
3.まとめ

 以上の結果より、カルボラン骨格の立体的形状と疎水性を、生理活性物質の疎水性ファーマコフォアとして利用できることを初めて明らかにした。

 今回合成した、高い活性を示すレチノイン酸受容体作用物質やエストロゲン受容体作用物質は、医薬としての可能性を持っている。一方、カルボラン骨格自体は、毒性が低く、生体内酵素にも安定であることが中性子捕捉療法の知見より明らかになっている。従って、カルボラン含有化合物は、その特異な構造により、従来の活性化合物とは体内動態の異なる、新しいタイプの医薬になる可能性を持っていると考えられ、今後の展開が期待される。

審査要旨

 カルボラン(dicarba-closo-dodecaboranes,C2B10H12)は炭素原子2個を含む二十面体ホウ素クラスター構造を有し、26個の骨格電子の電子非局在化により安定化された化合物である。その特異な構造と性質は、無機化学、高分子化学、材料科学分野で注目を集めている。一方、医薬化学分野でも、癌の中性子捕捉療法(NCT:Neutron Capture Therapy)への応用が盛んに検討されている。天然のホウ素同位体の約20%を占める10Bの低エネルギー中性子による崩壊によるエネルギーが一つの細胞を破壊するのに相当する強度であることから、癌細胞に特異的に取り込ませることが可能となれば、中性子線の照射により周囲の正常細胞に影響を与えずに有効な治療法となりうる。そこで、カルボラン骨格をアミノ酸、核酸等に結合し、さらに膜透過性や癌細胞への選択的取込みを考慮した分子の設計が行われてきた。

 これらの中性子捕捉療法への応用に比べ、カルボラン骨格の物理的、化学的性質を利用して生物活性物質の部分構造として応用しようとする試みは為されていない。本研究は、受容体に認識される構造として、カルボランを分子設計に応用する初の試みを行ったものである。本研究に応用するカルボラン骨格の性質は嵩高い球状の形状と高い疎水性であり、それを核内受容体リガンドの疎水性ファーマコフォアとして用いて活性化合物を設計することが本研究の基本概念である。疎水性相互作用は水素結合等と共に、リガンドー受容体の安定化に極めて重要な要因であり、疎水性ファーマコフォアの生物活性に与える影響は大きいものである。また、カルボランは炭素の位置により、o-,m-,p-の三種の異性体が存在し、炭素上の置換基の変換により多彩な分子設計が可能である。

図表

 本研究ではカルボランの物理的、化学的性質を利用し、第一に核内受容体レチノイン酸レセプター(RAR)リガンドの設計と合成、活性評価を行っている。坐体内リガンドであるレチノイン酸はRARへの結合を介して、RARとレチノイドXレセプター(RXR)とのヘテロダイマーが標的遺伝子のホルモン応答配列に結合した後、その転写を制御する。レチノイン酸及び代表的合成レチノイドであるAm80の構造活性相関により、レチノイドの活性発現には、カルボン酸とそれに対して適切な空間配置にある嵩高い疎水性領域が必要である。そこで、Am80の疎水性領域としてカルボラン骨格を導入した誘導体を種々、設計、合成し、その活性をヒト前骨髄性白血病細胞HL-60の分化誘導能により評価したところ、ベンゼン環のp-位にカルボラン骨格を導入した化合物BR201が、レチノイド拮抗作用を示すこと見い出した。さらに、同化合物の構造検討により、カルボン酸と疎水性領域の距離を短縮したジフェニルアミン誘導体を設計、合成し、顕著なレチノイド活性を見い出した。中でも、化合物BR403は生体内リガンドであるレチノイン酸に匹敵する強力な活性を示した。

図表

 第二に、核内受容体エストロゲン受容体(ER)リガンドのの設計と合成、活性評価を行っている。生体内リガンドである17-estradiolはERへの結合を介して、ERのホモダイマーが標的遺伝子のホルモン応答配列に結合した後、その転写を制御する。エストロゲンの活性発現には、フェノール性水酸基、それに対して適切な空間配置にある水酸基、そして、それらの配置を規定する嵩高い疎水性構造が必要である。そこで、カルボラン骨格をステロイドC、D環に対応させる一連のカルボラン含有エストロゲンを設計、合成した。

図表

 ERを介した転写活性化をルシフェラーゼレポータージーンアッセイにより、活性を評価したところ、設計した化合物には強いエストロゲン活性が認められ、特に、化合物BE120は生体内リガンドである17-estradiolに比べ10倍以上の活性を示した。この活性は、ERを用いた[3H]-17-estradiol結合競合試験においても確認された。また、これらの実験事実はERと17-estradiolとの複合体X線結晶解析の座標への計算化学によるドッキングによってもカルボランの形状の受容体疎水空間へのフィットにより説明できることを明らかにしている。

 本研究により、カルボラン骨格の立体的形状と疎水性を、生理活性物質の疎水性ファーマコフォアとして応用できることを明らかにするとともに、その合成を通じてカルボランの合成化学的な応用についても新しい知見を得ている。

 以上、飯嶋 徹の研究成果は、有機化学、医薬化学研究に資するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに十分なものと認めた。

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