学位論文要旨



No 214559
著者(漢字) 近藤,宏二
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,コウジ
標題(和) 構造物周りの非定常流れのCFDに用いる流入変動風の生成法に関する研究
標題(洋)
報告番号 214559
報告番号 乙14559
学位授与日 2000.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14559号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 神田,順
 東京大学 教授 加藤,信介
内容要旨

 構造物の耐風設計における検討項目は,ビル風,外装材・構造骨組の風荷重,風揺れに対する居住性能,空力不安定振動,部材の疲労損傷等多岐に渡る。これらの検討では,構造物周りの流れや壁面・屋根面に作用する風圧の性状を把握する必要がある。その方法として一般的に用いられるのが風洞実験であり,これまでに数多くの実績が積み重ねられ,一定の信頼性が確保できるようになって来ている。一方,近年,流体の支配方程式であるNavier-Stokes(N-S)方程式を数値計算で解く流体計算法(CFD:Computational Fluid Dynamics)も屋内気流,ビル風,大気拡散,都市気候等の予測に関して,一部実用化されつつある。しかし,構造物の風荷重や振動の予測については,風圧の予測精度が十分検証できていないため,試験的な適用に留まっているのが現状である。これは,構造物周りの流れ場が剥離,渦発生等を含む複雑な流れであること,レイノルズ数が非常に高いこと,接近流が乱流境界層であること等によるためである。これらの課題を解決し,流体計算を実用化する方法として最も有望と考えられている手法の一つが,乱流のモデル化において計算格子内の空間平均あるいはフィルタリングの概念を導入したLES(Large Eddy Simulation)である。LESによる非定常計算で乱流境界層中の構造物周りの流れを予測する場合,目標とする乱流境界層の統計的性質を流入境界でいかに再現するかが重要な問題となる。これは,時間的,空間的に複雑に変動する構造物周りの流れや壁面・屋根面風圧の特性に接近流の風速勾配,乱れの強さ,乱れのスケール,パワースペクトル密度,空間相関等の統計的性質が大きく影響を及ぼすためである。しかし,所定の乱流統計量を満足する風速変動の時空間分布を求める方法は,まだ研究の緒についたばかりであり,研究すべき点が数多く残されている。本研究では,この点に注目し,LESの流入境界に与える風速変動(以下,流入変動風)を生成する方法について研究した。

 流入変動風を生成する方法は,以下の二つに分けることができる。

 (1)流体計算によって乱流場を計算する方法

 (2)乱数発生によって模擬的に風速波形を生成する方法

 前者の(1)の方法には,本計算の前にLESやDNS(Direct Numerical Simulation)を用いた時間発展型の計算で発達する乱流境界層を事前に計算しておく方法や風洞実験と同様にLESやDNSの流入境界付近やアプローチ部に乱流格子,ラフネスブロックを模擬した障害物を配置し,空間発展型の計算で乱流を発生させる方法がある。これらの方法の利点は,流体計算によって乱流境界層を発達させるため,計算中で生成された乱流場は,N-S方程式や連続式を満足しており,瞬時々々の乱流の物理構造が再現されていることである。このため,生成した流入変動風をLESの流入境界に与えた場合,乱流の物理構造や統計的性質があまり変化することなく,N-S方程式,連続式を満足させることができる。しかし,この方法は,必ずしも目標の統計量を満たす風速波形が得られるとは限らず,場合によっては,計算不安定が生じることもある。

 後者の(2)の方法には,速度の空間相関から与えられる波数空間での3次元エネルギースペクトルをターゲットとする方法と空間の同一点あるいは2点間の時刻歴情報から得られる周波数空間でのパワースペクトル密度,クロススペクトル密度を目標とする方法がある。波数空間における方法は,波形生成の際に連続条件を課すことができること,LESの時間ステップごとに流入変動風を生成するため,コンピュータのディスク容量が少なくて済むこと等の利点を有する。しかし,建築分野で対象とする乱流境界層に対しては,流入変動風の生成時に目標とする3次元エネルギースペクトルを規定するのが困難である。

 そこで本研究では,パワースペクトル密度,クロススペクトル密度が乱流境界層に対しても規定できる点に注目し,これらを目標とする周波数空間における生成法を採用した。この方法の場合,流入変動風を流入境界面の全格子点において同時に生成するのは困難であるため,既に生成した風速波形と相関するように新たに風速波形を生成して行く逐次計算法を提案した。また,波形生成段階で連続条件を課すことができないため,生成した流入変動風が各時間ステップで連続式を満足するように変換させるdivergence-free操作法を提案し,計算時間の短縮やLESの中での乱流統計量の変化を少なくする上で一定の効果があることを確認した。

 本手法の場合,流入変動風生成時に目標とするクロススペクトル密度マトリクスのモデル化が不可欠であるため,風洞床面上で発達した平板乱流境界層を対象として,乱流統計量に関する基礎データを風洞実験で収集し,パワースペクトル密度,クロススペクトル密度に及ぼす床面の拘束効果や空間上の離れた2点間の1成分(主流方向成分)と3成分(主流直交鉛直成分)の相関まで含めた詳細なモデル式を提案した。さらに提案したモデル式を基にクロススペクトル密度マトリクスの再現精度を種々変化させて流入変動風を生成し,それを用いたLESによって流入変動風生成時の空間相関の再現精度が計算結果に及ぼす影響を検討した。その結果,パワースペクトル密度のみを目標値として生成した流入変動風によるLESでは,目標とする乱流統計量を満足することができないが,同一成分間の空間相関まで再現した流入変動風を用いれば,ほぼ目標値の乱流統計量を再現できることを確認した。

 本手法は,目標とするクロススペクトル密度マトリクスさえ規定すれば,流体計算で事前に乱流場を計算する方法では,再現不可能な現実的に有り得ないような流れ場も再現できるため,構造物周りの流れ場や壁面・屋根面風圧と流体の関わりを検証する際に有効な手段になるものと期待される。

 本論文は,1章から6章および付録で構成されている。

 第1章では,序論として本研究の背景と目的,流入変動風の生成に関する既往の研究と本研究の位置付けについて述べている。

 第2章では,いくつかの流入変動風の生成法に関して,その概要を解説し,それぞれの方法の特徴を明らかにしている。また,著者等の流入変動風の生成法を解説し,第3章以降の流入変動風の生成に関する基礎資料としている。

 第3章では,流入変動風を用いたLESの第一段階として行った一様等方性乱流のシミュレーション計算について述べている。その結果,生成した流入変動風の空間相関,パワースペクトル密度は,目標値と良く一致すること,divergence-free操作で速度のdivergenceレベルと計算時間を十分低減できること,divergence-free操作やLES中の各種の低減効果を考慮すれば流入変動風を用いたLESで乱流エネルギーの主流方向の減衰過程を十分な精度で再現できることを結論としている。

 第4章では,平板乱流境界層を対象とした流入変動風の生成で目標とするクロススペクトル密度マトリクスをモデル化するために行った風洞実験およびモデル式の提案について述べている。その結果,風速のパワースペクトル密度やクロススペクトル密度(ルートコヒーレンス,フェイズ)には,床面の影響が明瞭に見られること,これらのモデル式に床面からの距離の関数を導入することで,床面の影響を取り込むことができること,モデル式から算定したクロススペクトル密度マトリクスを目標として,星谷の方法に基づく逐次計算法で流入変動風を生成した結果,ほぼ目標の統計量を満足する流入変動風を生成できることを結論としている。

 第5章では,第4章で提案したパワースペクトル密度,クロススペクトル密度のモデル式を基にクロススペクトル密度マトリクスの再現精度を種々変化させて流入変動風を生成し,それを用いたLESによって流入変動風生成時の空間相関の再現精度が計算結果に及ぼす影響を検討した。その結果,パワースペクトル密度を目標値として流入変動風を生成しても,少なくとも同一成分間の空間相関を再現しなければ,目標とする乱流統計量を満足できないこと,同一成分間の空間相関のみ再現した場合と1-3成分(shear成分)間の空間相関まで再現した場合との差は,流入直後の領域を除けばそれ程大きくなく,両者ともほぼ目標値の乱流統計量を再現できることを結論としている。また,divergence-free操作により主に2成分(主流直交水平成分),3成分にフィルタ効果が生じるが,divergence-free操作を施さない場合もLESの流入境界付近で同様のフィルタ効果が生じること,divergence-free操作を施した流入変動風は,風速,圧力とも流入境界での変化が比較的少なくLESに馴染み易いこと,divergence-free操作を施すことで計算時間を短縮できること等からdivergence-free操作が有効であることを確認している。

 第6章では,第2章から第5章までの検討で得られた結論をまとめて示している。

 付録では,「3次元エネルギースペクトルと1次元エネルギースペクトルについて」,「一様等方性乱流の空間相関とパワースペクトル密度,クロススペクトル密度について」,「LES計算中のコロケーショングリッドにおけるフィルタ効果について」,「流入境界面の気流分布の2次元性確認実験」,「風洞実験による平板乱流境界層の空間相関」,「平板乱流境界層を対象とした流入変動風の生成結果およびLES計算結果のパワースペクトル密度」について詳しく述べており,本文の補足説明としている。

審査要旨

 本論文は,「構造物周りの非定常流れのCFDに用いる流入変動風の生成法に関する研究」と題し,構造物周りの非定常流れや壁面・屋根面に作用する変動風圧を,非定常な計算流体力学(Computational Fluid Dynamics:CFD)を用いて予測する際にその流入境界条件として不可欠な風速変動(流入変動風)を生成する方法について研究したものである。構造物の耐風設計上重要である壁面・屋根面に作用する変動風圧は,接近流である乱流境界層の風速勾配,乱れの強さ,パワースペクトル密度,空間相関等の統計的性質の影響を強く受ける。このため,変動風圧をLarge Eddy Simulation(LES)等の非定常流れのCFDで精度良く予測するためには,目標とする乱流境界層の統計的性質を流入境界でいかに再現するかが重要な問題となる。しかし,所定の乱流統計量を満足する風速変動の時空間分布を求める方法は,未だ十分には確立されておらず,CFDにおける重要な研究テーマの一つとなっている。

 本論文は,初めに流入変動風の一連の生成法について提案し,次にその有効性検証の第一段階として,一様等方性乱流においてLESにより検討した結果に関して述べている。後半では,乱流境界層のCFDへの適用と検証を目的として,平板乱流境界層の詳細な風洞実験計測を行い,乱流境界層における乱流統計量の特性およびそのモデル化について考察している。さらに,提案した統計量のモデルを基に乱流統計量の再現精度を種々変化させた流入変動風を提案した生成法に基づいて作成し,そのLESにより乱流統計量の再現精度が計算結果に及ぼす影響を検討,考察し本手法の有効性を検証している。

 論文の構成は,第1章の序論以下,次の5章よりなる。

 第2章では,流入変動風の生成法を提案している。

 第3章では,流入変動風の生成手順,生成した流入変動風が連続式を満足するように変換させる方法(divergence-free操作法)およびG.Comte-Bellot等の一様等方性乱流の風洞実験を対象として行ったLESの結果について述べている。その結果,生成した流入変動風の空間相関,パワースペクトル密度が目標値と良く一致すること,divergence-free操作で速度のdivergenceレベルとLESの計算時間を十分低減できること,流入変動風を用いたLESで乱流エネルギーの主流方向の減衰過程を十分な精度で再現できることを確認している。

 第4章では,乱流境界層のシミュレーションに先立ち,流入変動風の生成で目標とするクロススペクトル密度マトリクスをモデル化するために平板乱流境界層の風洞実験を行い,各種乱流統計量を詳細に測定している。その結果,風速のパワースペクトル密度や空間相関に床面の影響が明瞭に見られることに着目して,パワースペクトル密度,ルートコヒーレンスおよびフェイズのモデル式に新たに床面からの距離の関数を導入し,床面の影響を再現している。また,乱流境界層において運動量拡散を表す重要なパラメータである1成分と3成分間(1:主流方向速度,3:主流直交鉛直方向速度)の空間相関に関しては,これまでモデル式が提案されていないため,新たに空間上の離れた2点間の1成分と3成分のルートコヒーレンス,フェイズのモデル式を考案している。さらに,考案したモデル式から算定したクロススペクトル密度マトリクスを目標として,モンテカルロ法に基づく逐次計算法で流入変動風の生成を行い,ほぼ目標の乱流統計量を満足する流入変動風を生成できることを確認している。

 第5章では,第4章で提案したモデル式を基にクロススペクトル密度マトリクスの再現精度を種々変化させて流入変動風を生成し,それを用いたLESによって流入変動風生成時の乱流統計量の再現精度が計算結果に及ぼす影響を検討している。その結果,パワースペクトル密度を目標値として流入変動風を生成しても,少なくとも同一の風速成分間の空間相関を再現しなければ,目標とする乱流統計量が再現されないこと,同一の風速成分間の空間相関のみ再現した場合と1成分と3成分間のshear成分の空間相関まで再現した場合との差は,流入直後の領域を除けばそれ程大きくなく,両者ともほぼ目標値の乱流統計量が再現されることを示している。また,divergence-free操作を施した流入変動風は,風速,圧力とも流入境界での変化が比較的少なく円滑に流れ場に順応し,計算時間も短縮できることから,この操作が有効であることを確認している。

 第6章では,本論文の結論と今後の課題を総括している。

 以上を要約するに,本論文では,構造物の壁面・屋根面に作用する変動風圧を非定常のCFDで精度良く予測するために不可欠な流入変動風に関して,その生成時に目標とするクロススペクトル密度マトリクスのモデルを極めて詳細な風洞実験に基づき作成すると共に,一連の流入変動風の生成法を提案している。さらに,一様等方性乱流と平板乱流境界層を対象としたLESによりその有効性を検証している。本論文には,構造物の耐風設計においてCFDを実用化する上で極めて重要かつ有益な知見が数多く示されており,建築・都市における構造工学分野および環境工学分野に寄与するところ大であると考えられる。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51139