学位論文要旨



No 214582
著者(漢字) 高橋,直之
著者(英字) Takahashi,Naoyuki
著者(カナ) タカハシ,ナオユキ
標題(和) 低酸素ストレスに対する心筋細胞適応の分子機序 : 心筋細胞の細胞外基質との接着増強におけるVEGFの役割
標題(洋) Molecular Mechanism of Cardiac Adaptation to Hypoxic Stresses : A Role of Vascular Endothelial Growth Factor(VEGF)in Increased Adhesion of Cardiac Myocytes to the Extracellular Matrix
報告番号 214582
報告番号 乙14582
学位授与日 2000.02.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14582号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 金子,義保
内容要旨

 vascular endothelial growth factor(VEGF)は,腫瘍における血管新生や,虚血による側副血行路形成の候補因子の一つで,低酸素刺激により心筋細胞を含めさまざまな細胞において誘導ざれることが報告されている。また,急性心筋梗塞患者では,血清中VEGF濃度が著明に上昇しているが,再灌流療法後,元のレベルに戻ることが近年明らかにされた。VEGFはこのように低酸素ストレスの敏感な指標であり,心筋虚血時には心筋細胞を含め多くの細胞が高濃度のVEGFに曝される。元来VEGFは血管内皮細胞の増殖,遊走などの制御因子として知られていたが,心筋細胞にも作用しmitogen-activated protein kinase(MAPK)カスケードの活性化をもたらすことが最近報告された。これは,心筋細胞が低酸素ストレスに反応してVEGFを合成するだけでなく,それ自身VEGFの標的細胞の一つであることを強く示唆する。

 細胞と細胞外基質との接着相互作用はintegrinファミリーにより媒介され,細胞の増殖,分化,細胞運動等において重要な役割を担っている。そこで本研究では,低酸素ストレスにより誘起されるシグナル伝達におけるVEGFの役割の解明を目的として,心筋細胞と細胞外基質との接着相互作用,特にfocal adhesion kinase(p125FAK)を含めた接着斑関連蛋白の活性化に注目して,VEGFと低酸素ストレスの効果を対比検討した。また,さまざまな外的ストレスにより活性化することが知られているMAPキナーゼ,stress-activated protein kinase(SAPK)/Jun N-terminal kinase(JNK)カスケードとp38MAPKカスケードの活性化に対するVEGFの効果についても解析した。

 低分子量GTP蛋白のひとつRhoは接着斑やactin stress fiberの形成,またアクトミオシン系を介する平滑筋の収縮や細胞運動,細胞膜のruffling等を制御していることが知られている。さまざまな標的分子がこれまでに報告されているが,なかでもpl60ROCK(ROCK-I)とROK/Rho-kinase/ROCK-IIは接着斑やactin stress fiberの形成に関与していることが知られている。心筋細胞ではRhoAが発現しているが,受容体依存の肥大反応においてRho/ROCK系とSAPK/JNK,p38MAPKカスケードの両者が関与することが知られており,両者の関連が推定される。

 本研究では,まず心筋細胞が低酸素刺激に応答してすみやかにVEGFを放出すること,それだけでなくそれ自身,VEGF受容体KDR/Flk-1及びFlt-1の両者を発現していること,そしてKDR/Flk-1がVEGF刺激によりチロシンリン酸化されることを明らかにした。低酸素刺激はp125FAKの活性化をもたらしたが,それはVEGFの中和により著しく抑制された。さらにVEGFは低酸素刺激と同様の時間経過でpl25FAKの活性化及び同じく接着斑関連蛋白であるpaxillinのリン酸化をもたらした。これは,低酸素刺激によるpl25FAKの活性化経路において,VEGFがメディエーターとして機能することを意味する。VEGFは同時にアダプター蛋白質GRB2,Shc,及び非受容体型チロシンキナーゼp60c-srcとpl25FAKとの会合を増強させた。p125FAKはその活性化に伴い,核周辺部位より接着斑へ,細胞質画分から細胞膜画分へ移行した。更にVEGFはSAPK/JNK及びp38MAPKカスケードの活性化も引き起こした。これらのVEGFにより誘導されるp125FAK,SAPK/JNK,p38MAPKの活性化はp160ROCK特異的阻害剤Y-27632により殆ど完全に阻害された。更に,VEGFが心筋細胞と細胞外基質との接着を有意に増強させること,Y-27632が逆に細胞外基質との接着を強力に阻害することをelectric cell-substrate impedance sensorを用いて明らかにした。これらの実験結果は,Rho/p160ROCKがVEGFによって引き起こされる心筋細胞応答,特に心筋細胞の細胞外基質との接着相互作用に深く関わり,心筋のさまざまな自己防衛反応を促進することを示唆している。また,SAPK/JNK及びp38MAPKカスケードの上流にはRacあるいはCdc42が存在することがいろいろな細胞において報告されているが,VEGFによる心筋細胞内情報伝達においてはRho/p160ROCKがその上流にある可能性を示唆する。

 以上の事実は心筋細胞の低酸素ストレスに対する適応反応にあいてVEGFが重要なメディエーターであること,および急性心筋梗塞など心筋虚血時のVEGF療法の臨床的意義を示唆する。

審査要旨

 急性心筋梗塞などの心筋虚血時には心筋細胞を含め多くの細胞が高濃度のvascular endothelial growth factor(VEGF)に曝される。そこで本研究では,低酸素ストレスにより誘起されるシグナル伝達におけるVEGFの役割の解明を目的として,心筋細胞と細胞外基質との接着相互作用,特にfocal adhesion kinase(p125FAK)を含めた接着斑関連蛋白の活性化に注目して,VEGFと低酸素ストレスの効果を対比検討し,下記の結果を得た。

 1.心筋細胞が低酸素刺激に応答してすみやかにVEGFを放出すること,また,それ自身,VEGF受容体KDR/Flk-1及びFlt-1の両者を発現していること,そして心筋細胞上のKDR/Flk-1がVEGF刺激によりチロシンリン酸化されることが明かとなった。

 2.低酸素刺激はp125FAKの活性化をもたらしたが,それはVEGFの中和により著しく抑制された。さらにVEGFは低酸素刺激と同様の時間経過でp125FAKの活性化及び同じく接着斑関連蛋白であるpaxillinのリン酸化をもたらした。これにより,低酸素刺激によるp125FAKの活性化経路において,VEGFがメディエーターとして機能することが明らかとなった。

 3.VEGFはアダプター蛋白質GRB2,Shc,及び非受容体型チロシンキナーゼp60c-srcとp125FAKとの会合を増強させた。p125FAKはその活性化に伴い,核周辺部位より接着斑へ,細胞質画分から細胞膜画分へ移行した。更に,VEGFが心筋細胞と細胞外基質との接着を有意に増強させることをelectric cell-substrate impedance sensorを用いて証明した。

 4.VEGFは,さまざまな外的ストレスにより活性化することが知られているMAPキナーゼ,stress-activated protein kinase(SAPK)/Jun N-terminal kinase(JNK)カスケードとp38MAPKカスケードの活性化を引き起こした。

 5.心筋細胞ではRhoAが発現し,接着斑やactin stress fiberの形成だけでなく,受容体依存の肥大反応においてもRho/ROCK系の関与が知られている。p160ROCK特異的阻害剤Y-27632はVEGFにより誘導されるp125FAK,SAPK/JNK,p38MAPKの活性化を殆ど完全に阻害した。更にelectric cell-substrate impedance sensorにより,Y-27632が心筋細胞と細胞外基質との接着を強力に阻害することが示された。これらの実験結果により,Rho/p160ROCKがVEGFによって引き起こされる心筋細胞応答,特に心筋細胞の細胞外基質との接着相互作用に深く関わり,心筋のさまざまな自己防衛反応を促進することが明らかとなった。また,SAPK/JNK及びp38MAPKカスケードの上流にはRacあるいはCdc42が存在することがいろいろな細胞において報告されているが,VEGFによる心筋細胞内情報伝達においてはRho/p160ROCKがその上流にある可能性が推察された。

 以上,本論文は,心筋細胞の低酸素ストレス応答においてVEGFが重要なメディエーターであることを明らかにした。本研究は,心筋細胞の低酸素ストレスに対する適応反応の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50714