学位論文要旨



No 214585
著者(漢字) 縄野,雅夫
著者(英字)
著者(カナ) ナワノ,マサオ
標題(和) 糖尿病動物におけるインスリン抵抗性ならびにシグナル伝達機構の改善に関する研究
標題(洋)
報告番号 214585
報告番号 乙14585
学位授与日 2000.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14585号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨

 II型糖尿病発症の原因として考えられているインスリン抵抗性は肝臓、骨格筋および脂肪細胞などのインスリン標的臓器においてインスリン作用が障害された結果、インスリン感受性が低下する現象である。また、インスリン抵抗性の発症によってインスリン感受性臓器においてインスリン作用の不足が生じるために代償的に膵細胞からのインスリン分泌が亢進する。同時に、インスリン作用の不足によって肝臓などでは糖新生が亢進し、骨格筋や脂肪組織などで糖取込能の低下がおこり、さらに血糖値の上昇を招く。一方、インスリン作用の分子メカニズムはインスリン受容体(IR)が膵細胞から分泌されるインスリンによって活性化され、insulin receptor substrate(IRS)-1/2のリン酸化を介してphosphatidylinositol(PI)3-kinaseを活性化する。その結果、Akt/PKBの活性化を介して、肝臓ではグリコーゲン合成の促進や糖新生が抑制され、骨格筋や脂肪組織ではグリコーゲン合成に加え、細胞膜上のGLUT4が増加することにより糖取込が促進する。したがって、インスリンシグナル伝達機構をより詳しく知ることはインスリン抵抗性発症機構の解明にとって極めて重要である。

 以上のような背景から、本研究は、糖尿病状態の異なるいくつかのII型糖尿病モデル動物を用い、それぞれのインスリン感受性臓器におけるインスリンシグナル伝達機構を含むインスリン作用の障害を調べた。さらに、多くの糖尿病患者ではインスリン抵抗性の発症に加えて高血糖や高血圧が認められ、とくに、高血圧は糖尿病性腎症や動脈硬化へ進展する初期段階であり、高血糖は膵細胞を疲弊させる。そこで、本研究では高血圧や高血糖を改善することが糖尿病治療の手段の一つであると考え、糖尿病モデル動物における降圧薬や高血糖是正薬の糖尿病改善効果についても調べた。

 第一章では、Zucker fatty(ZF)ラットに降圧作用を有するAngiotensin-convertingenzyme(ACE)阻害薬を10週間経口投与後、肝臓および骨格筋におけるインスリンシグナル伝達経路の変化について調べた。その結果、ZFラットは降圧作用に基づく血管抵抗性の是正により耐糖能異常が改善し、ZFラットで障害されているインスリン刺激によるIRS-1のチロシンリン酸化やPI 3-kinase活性を改善した。しかし、IRS-2についてはその改善効果が明確ではなかった。

 本章の結果から、ZFラットは降圧作用によってインスリンシグナル伝達機構の一部を改善することが認められた。

 第二章では、高血糖を呈するZucker diabetic fatty(ZDF)ラットに、高血糖に対し是正作用をもつT-1095を4週間混餌投与後、インスリン抵抗性やインスリンシグナル伝達経路の変化について調べた。T-1095は腎臓尿細管上位に局在するsodium-dependent glucose transporter(SGLT)を遮断することにより糖再吸収機構を阻害し、高血糖を降下させる作用がある。薬物投与終了の翌日に、グルコースクランプ試験に供した結果、T-1095はZDFラットの骨格筋を除く肝臓と脂肪組織においてインスリン抵抗性を改善した。また、インスリンシグナル伝達機構について検討した結果、T-1095はZDFラットの肝臓においてインスリン刺激によるIRS-1/2チロシンリン酸化の亢進、PI3-kinase活性の亢進やAkt/PKB kinase活性の低下を正常化し、また、脂肪組織ではインスリン刺激による細胞膜上のglucose transporter(GLUT4)タンパク量の低下を改善した。したがって、ZDFラットは高血糖を是正することによって肝臓や脂肪組織におけるインスリン抵抗性が改善された。

 第三章では、生後6日目にstreptozotocinの投与により高血糖および低インスリン血症を誘発させたラット(n6STZ)に、T-1095を4週間混餌投与後、インスリン抵抗性やインスリンシグナル伝達経路の変化について検討を行った。グルコースクランプ試験の結果、T-1095はn6STZラットのインスリン抵抗性を改善した。また、T-1095はn6STZラットの肝臓および骨格筋におけるインスリン刺激によるIRおよびIRS-1/2チロシンリン酸化の亢進やPI3-kinase活性の亢進を正常化した。しかし、同条件下においてインスリン刺激によるIRS-3はn6STZラットも正常であり、インスリン抵抗性の障害に関与している可能性は低いと考えられた。

 本章の結果から、n6STZラットでは、高血糖を是正することにより、肝臓および骨格筋のインスリン抵抗性を改善することが認められた。

 以上、本研究の第一章では、ACE阻害薬を投与したZFラットは高血圧の是正により血管抵抗性が改善され、インスリンシグナル伝達機構を含むインスリン感受性が回復することが認められた。第二章では、ZDFラットにおいて高血糖を是正することにより、肝臓および脂肪組織のインスリン抵抗性が改善されたのに対して、骨格筋では改善効果が認められなかった。すなわち、ZDFラットのインスリン抵抗性発症は各臓器によって異なることが示唆された。また、ZDFラットの肝臓におけるインスリン抵抗性発症にはAkt/PKB活性の低下が関与していることが示唆され、その原因として高血糖が考えられた。第三章では、一般に、インスリン分泌が不足した時の治療薬はインスリン療法に頼らざるを得ない。しかし、インスリン分泌が不足しているn6STZラットにSGLT阻害薬を投与して高血糖を是正することによってインスリン抵抗性が改善された。この結果は、SGLT阻害薬は低血糖を誘発しない第二のインスリン療法として有効であることを示した。また、n6STZラットの肝臓や骨格筋においてIRS-1/2のチロシンリン酸化やタンパク量が高血糖によって障害されたのに対して、IRS-3では高血糖の影響を受けなかった。したがって、IRS-1/2とRS-3とでは機能的な役割の異なることが示唆された。

 以上、本研究の結果から、糖尿病動物における糖尿病状態の違いにもかかわらず、インスリン感受性臓器におけるインスリンシグナル伝達機構に様々な異常が生じていることが確認できた。さらに、糖尿病動物に降圧薬やSGLT阻害薬を長期的に投与することによって、各種臓器におけるインスリン抵抗性ならびにインスリンシグナル伝達機構を改善できることが明らかとなった。

審査要旨

 II型糖尿病発症の原因であるインスリン抵抗性は肝臓、骨格筋および脂肪細胞などにおいてインスリン作用が障害された結果、インスリン感受性が低下する現象である。また、インスリン作用の不足が生じるために代償的に膵細胞からのインスリン分泌が亢進し、その結果、肝臓などでは糖新生が亢進し血糖値の上昇を招く。一方,インスリン作用の分子メカニズムはインスリン受容体(IR)が膵細胞からのインスリンによって活性化され、insulin receptor substrate(IRS)-1/2のリン酸化を介してPhosphatidylinositol(PI)3-kinaseを活性化する。その結果、Akt/PKBの活性化を介して、肝臓ではグリコーゲン合成の促進や糖新生が抑制され、骨格筋や脂肪組織ではグリコーゲン合成に加え、細胞膜上の糖取込が促進する。したがって、インスリンシグナル伝達機構をより詳しく知ることはインスリン抵抗性発症機構の解明にとって重要である。

 本研究では糖尿病状態の異なるII型糖尿病モデル動物を用い、それぞれのインスリン感受性臓器についてインスリンシグナル伝達機構を含むインスリン作用の障害を調べた。多くの糖尿病患者では高血糖や高血圧が認められるが、高血圧は糖尿病性腎症や動脈硬化へ進展する初期段階であり、高血糖は膵細胞を疲弊させる。そこで、高血圧や高血糖を改善することが糖尿病治療の手段の一つであると考え、降圧薬や高血糖是正薬の糖尿病改善効果と細胞内シグナル伝達系の改善との関係について調べた。

 第一章では、Zucker fatty(ZF)ラットに降圧作用を有するAngiotensin-converting enzyme(ACE)阻害薬を10週間経口投与後、肝臓および骨格筋におけるインスリンシグナル伝達経路の変化について調べた。その結果、ZFラットは降圧作用に基づく血管抵抗性の是正により耐糖能異常が改善し、ZFラットで障害されているインスリン刺激によるIRS-1のチロシンリン酸化やPI3-kinase活性を正常化し、ZFラットでは降圧作用によってインスリンシグナル伝達機構の一部が改善されることが明らかとなった。

 第二章では、高血糖を呈するZucker diabetic fatty(ZDF)ラットにT-1095を4週間混餌投与後、インスリン抵抗性やインスリンシグナル伝達経路の変化について調べた。T-1095は腎臓尿細管上位に局在するsodium-dependent glucose transporter(SGLT)を遮断することにより糖再吸収機構を阻害し、高血糖を降下させる作用がある。薬物投与終了の翌日に、グルコースクランプ(GS)試験に供した結果、T-1095はZDFラットの肝臓と脂肪組織においてインスリン抵抗性を改善した。また、T-1095はZDFラットの肝臓においてインスリン刺激にょるIRS-1/2チロシンリン酸化の亢進、PI3-kinase活性の亢進やAkt/PKB kinase活性の低下を正常化し、脂肪組織ではインスリン刺激による細胞膜上のglucose transporter(GLUT4)タンパク量の低下が改善された。

 第三章では、高血糖および低インスリン血症を呈するstreptozotocin誘発(n6STZ)ラットにT-1095を4週間混餌投与後、インスリン抵抗性やインスリンシグナル伝達経路の変化について検討を行った。GS試験の結果、T-1095はn6STZラットのインスリン抵抗性が改善された。また、T-1095はn6STZラットの肝臓および骨格筋におけるインスリン刺激によるIRおよびIRS-1/2チロシンリン酸化の亢進やPI3-kinase活性が正常化し、n6STZラットは高血糖を是正すると肝臓および骨格筋のインスリン抵抗性が改善されることを明らかにした。

 以上、本研究では糖尿病状態の違いによってインスリンシグナル伝達機構に様々な異常が生じていることを明らかにした。さらに、糖尿病動物に降圧薬やSGLT阻害薬を長期的に投与することによって、インスリンシグナル伝達機構を含むインスリン抵抗性を改善できることを明らかにした。本研究の成果は、糖尿病におけるインスリン抵抗性発症の分子メカニズムの解明に重要な知見を示し、農学学術上貢献するところが少なくない。

 よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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