学位論文要旨



No 214586
著者(漢字) 片山,和彦
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,カズヒコ
標題(和) フラビウイルス科に属するuncappedウイルスのゲノム構造と分子進化に関する研究
標題(洋)
報告番号 214586
報告番号 乙14586
学位授与日 2000.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14586号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 河村,晴次
内容要旨

 フラビウイルス科は、黄熱病ウイルス(YFV)、デングウイルス、日本脳炎ウイルス(JEV)など60種類以上に上るウイルスから構成されるフラビウイルス属、牛下痢症ウイルス(BVDV)、豚コレラウイルス(CSFV)、ヒツジボーダー病ウイルス(BDV)から構成されるペスチウイルス属、および1989年に発見されたC型肝炎ウイルス(HCV)を含む名称未決定な第3の新しい属(この属に相当するウイルスはHCVのみである)の3種類のウイルス属から構成される。1995〜1998年に発見されたGBウイルスA(GBV-A)、GBウイルスB(GBV-B)、および新たなヒトの肝炎ウイルス候補として発見されたGBウイルスC/G型肝炎ウイルス(GBV-C/HGV)は、HCVに近縁なフラビウイルス科の第4の属ではないかとされているが、その性状には不明な点が多く、はっきりとした分類はなされていない。

 フラビウイルス科の3つの属は、沈降係数42〜49Sで外被膜を有する小型の球状ウイルスでポジティブセンス一本鎖RNAをゲノムとすること、ゲノムRNA上にsingle large open reading frame(ORF)を有し、ウイルス感染時にゲノムそのものがmRNAとして機能するという共通点によって一つの科にまとめられている。しかし、分子生物学的手法を用いたゲノムRNAの構造および複製増殖機構に関する研究が進められた結果、ゲノムRNAの5’末端にキャップ構造を有し、キャップ構造依存的翻訳によりウイルスタンパク質合成を行うフラビウイルス属と、ゲノムRNAの5’末端にキャップ構造が無く、5’非翻訳領域(noncoding region:5’NCR)のinternal ribosome entry site(IRES)と呼ばれるRNAの高次構造によって、キャップ構造非依存的翻訳を行うと推定されるHCVとペスチウイルス属の2つのグループに大別できる。フラビウイルス属のグループは、人獣共通感染症の原因ウイルスであり、蚊、ダニなどで媒介される節足動物媒介ウイルス(arthropod-borne vertebrate virus:アルボウイルス)であるのに対し、残る2つの属とGBウイルスのグループは節足動物による媒介を行わないウイルスであるという違いがある。しかし両グループとも脊椎動物及びヒトに感染すると重篤な疾病を起こすものが多く、ウイルス感染防御、治療の側面からウイルスの宿主特異性(トロピズム)、ウイルス病原性発現のメカニズムの解析が待たれている。

 本研究はこのような特徴を持つペスチウイルス属、HCV、GBウイルス(これらをまとめてuncappedウイルスと呼称する)のゲノムRNAの全塩基配列を決定し、ゲノムの構造を明らかにすることを目指した。さらに、ゲノム全長の塩基配列を対象とした分子進化遺伝学的解析によって、ウイルスがどのように病原性を発現するのか、どのようにスピーシーズバリアー(species barrier:種間の壁)を突破し分岐していったのかを探索した。

 第I章では、ペスチウイルス属のCSFVを対象として、5’末端の構造、及び塩基配列を明らかにするとともに、野外流行分離株であり強毒株であるALD株、ALD株を実験室で継代することによって作られた弱毒化生ワクチン株GPE(-)株のゲノムの全塩基配列を決定し、ウイルスの病原性発現のメカニズムについて検討した。

 第II章ではHCVの6種類のgenotypeのうち、抗ウイルス剤として肝炎治療に使用されるインターフェロン(IFN)に対する感受性、感染者の病態に顕著な差が報告されているHCV強毒株type 1bと弱毒株type 2aの比較を中心に、IRES機能を有するHCV 5’NCRの塩基配列の多様性とIFN治療効果との関係を解析すると共に、未だゲノム5’末端の塩基配列が明らかにされていないtype 3a HCVの5’NCRの全塩基配列を決定し、比較検討した。

 第III章では、フラビウイルス科第4の属として報告された3種類のGBウイルスのうち、ヒトの肝炎ウイルスとして報告されたGBV-C/HGVに解析の対象を絞り、日本人から分離した10アイソレートのGBV-C/HGVゲノム全長の塩基配列を決定し、その構造と機能について解析すると共に、フラビウイルス科のuncappedウイルスの分子進化を解析した。

 ゲノムの5’末端及び3’末端の塩基配列と構造、機能については以下のことが明らかとなった。1)CSFVのゲノムRNAは5’側が既報の塩基配列よりも9塩基長く、5’末端はリン酸基であり、キャップ構造やポリオウイルスに存在するVPgのようなウイルスタンパク質は付加していなかった。2)この9塩基がステムとなり5’末端にヘアピン構造が形作られることが明らかになった。3)ゲノムRNA3’末端には5’末端よりも長いステムを持つヘアピン構造が認められた(第I、III章)。他方、4)HCVは5’末端の塩基配列がhomology34%未満であったにも拘わらずtype 1b、2a、3aに共通したRNAのヘアピン構造が形作られることが明らかになった(第II章)。5)GBV-C/HGVの5’末端にも、HCVやペスチウイルス属と同様にキャップ構造やVPgは無く、リン酸基であること、5’末端だけでなく3’末端にも熱力学的に安定したヘアピン構造が存在することが明らかとなった(第III章)。フラビウイルス属ではすでに、ゲノムRNA5’末端に存在するヘアピン構造がウイルスゲノムの複製に必須の構造であることが示されており、uncappedウイルスに認められたゲノム両末端のヘアピン構造も含めて、フラビウイルス科のウイルスゲノムの複製に重要な役割を果たしていると考えられた。

 Uncappedウイルスに存在するIRESの塩基配列の多様性とウイルス病原性との関係については以下の結果が得られた。1)CSFVの強毒株であるALD株と弱毒生ワクチン株であるGPE(-)株の比較で明らかになった5’NCRのポジション39、60、220に位置する塩基の変異は、IRESの構造変化をもたらしていることが確認された(第I章)。2)HCVのtype 1b、type 2a、新たに決定したtype 3aの塩基配列を用いて、RNAのステムループ構造を比較したところ、type 1b、type 3aは同じステムループ構造を形作ったが、type 2aはポジション-313に位置する1塩基の置換によって、構造が変化していた。3)5’NCRのIRES機能を比較するためにレポーターとしてtype 1bのコア遺伝子をつなぎin vitro翻訳を行って結果を比較したところ、type 1bはtype 2aの約1.6倍の翻訳効率があった(第II章)。これらの結果から、CSFVやHCVのIRESの塩基配列変異がIRES構造の変化をもたらし、それが翻訳開始に影響を与え、ウイルス毒性やIFN感受性に関与する可能性があると考えられた。ポリオウイルスでは、IRESに存在する1塩基の変異によってin vitro翻訳効率に5倍の差が生じ、それが弱毒生ワクチンのSabin株と強毒のMahoney株との神経毒性の違いをもたらしているとされている。また1998年、BVDV genotype IIにおいて、野外強毒株と弱毒株の全塩基配列の比較が行われ、弱毒化に関与する遺伝子変異が5’NCRの2塩基であることが報告された。これらの報告は、著者の仮説を強く支持すると考えられた。しかし、CSFVのALD株、GPE(-)株においては、いまだ感染性クローンを用いた実験系が確立していないため、5’NCRの変異とウイルス毒性の関係を証明するには至っていない。またHCVは現在に至っても、効率のよいウイルス培養系が構築されておらず、実際にIFNがどのようなメカニズムで抗HCV効果を示し、IRESとどのように関係するのか全く明らかにされていない。著者が発見したポジション-313に位置する塩基以外の塩基置換がIFN感受性に関与している可能性もある。CSFVやHCVのIRESが実際にどのような構造をとり、ウイルス毒性やIFN感受性にどのように関与するのかを解析することは、今後の重要な研究課題である。

 GBV-C/HGVの5’NCRには、内部に複数のAUGコドンが存在していたが、single large ORFの開始コドンとして可能性のあるものは、すべてのアイソレートに共通して存在したポジション553〜555に位置するAUGであると思われた。ここを開始コドンとした場合、GBV-C/HGVは複雑なRNAの高次構造が予測される552塩基の長い5’NCRを持ち、HCVやペスチウイルス属の5’NCRと同様の特徴を有していた(第III章)。また1996年、SimonsらはGBV-AとGBV-C/HGV5’NCRを用いたin vitro翻訳、細胞へのRNAの導入と翻訳実験を行い、GBV-C/HGVの5’NCRがIRESとして機能することを示唆した。以上のことから、GBV-C/HGVの本領域にIRESの機能が存在すると考えられた。

 ウイルスゲノム全長を解析対象にしてフラビウイルス科の進化を分子進化遺伝学的に解析した結果、以下のことが明らかにされた。推定上の起源ウイルス(分子系統樹の根に相当する)は、最初に吸血節足昆虫により哺乳類や人に感染するフラビウイルス属と、哺乳類にのみ感染するペスチウイルス属、HCVおよびGBウイルス(A〜C)のクラスターに分岐した。すなわち、フラビウイルス科の最初の分岐は、蛋白質翻訳機構の違いと一致していた(第III章)。IRESが機能するためには、いくつもの宿主因子がIRESに結合することが必須であることが知られている。また、IRESを有するウイルスには、IRESに結合する宿主因子により、感染臓器、感染細胞が決定されるというIRESトロピズムの存在が報告されている。1997年HCVの5’NCRからE1領域までを昆虫細胞であるSF9細胞に導入し、IRES活性を測定したところ、SF9細胞ではHCVのIRESが機能しないことが明らかにされた。IRESを有するグループは、昆虫をベクターとすることがない。昆虫という宿主ではフラビウイルス科のIRESが機能するために必要な宿主因子が欠落しており、このためIRESを有するウイルスを受け入れず、この分岐がおきた可能性がある。フラビウイルス科のIRESを有するグループにおける5’NCRの塩基配列の著しい違いは、それぞれのウイルスが、それぞれの宿主因子を用いてIRESを機能させるためにスピーシーズバリアーを乗り越えて適応した結果といえるかもしれない。このように5’NCRの塩基配列はウイルスにより著しく異なるが、それにも拘わらずRNAの高次構造には類似点が多いことを本研究で明らかにした。本領域の構造の類似は、IRES機能を維持するという選択圧が、RNAの高次構造依存的にかかっているために生じたものであると考えられた。

 一般に、プラス鎖RNAウイルスのゲノムの複製には、ゲノムRNAのヘアピンあるいはステムループ構造のようなゲノム末端の高次構造とそこに結合する宿主因子が必要であるとされている。また複製に必要な宿主因子は、ウイルスによって異なることも示されている。フラビウイルス科のuncappedウイルスは、細胞での培養に成功した例が特に少なく、いまだ解析が進んでいない。しかし、これらのプラス鎖RNAウイルスとの類似性から、今回明らかにしたフラビウイルス科のuncappedウイルスの5’末端および3’末端に共通したヘアピン構造は、ウイルスRNA複製酵素の複合体や、宿主因子が結合するウイルスの複製に必須な構造であると考えられる。さらに、この部分に結合する宿主因子によって、宿主域が制限されている可能性があり、本グループの分岐に関係すると考えられた。

 現在、HCVやペスチウイルス属についてはIRESに結合する宿主因子の検索が進んでいる。本研究で明らかになったゲノムの構造とその特徴は、ウイルスの細胞特異性や臓器特異性解明の一助となり、将来、ウイルスのトロピズムを利用したウイルス特異的増殖制御への道を開く手がかりとなることが期待される。

審査要旨

 フラビウイルス科のウイルスは脊椎動物やヒトに重篤な疾病を起こすことが知られており、感染防御や治療の側面からウイルスの宿主特異性、病原性発現機構の解明が待たれている。フラビウイルス科のウイルスのうち分離培養法が確立されている黄熱ウイルスや日本脳炎、西ナイルウイルスなどの脳炎ウイルス群は、ゲノムRNAの5’末端にキャップ構造が存在し、キャップ構造依存的翻訳開始を行うことなど、ゲノム構造の解析をはじめ分子生物学的な研究が進んでいる。他方、分離培養法の確立されていないペスチウイルス属、HCV、GBV-C等の肝炎ウイルスに関しては研究の進展が遅れている。

 本研究は、完全なゲノム構造が明らかにされていないフラビウイルス科のペスチウイルス属、HCV、GBV-C(これらのウイルスをuncappedウイルスと呼称する)のゲノムRNA全長の塩基配列を決定し、そのゲノム構造を解明し、塩基配列の多様性がウイルス病原性発現に与える影響を解析した。ペスチウイルス属については、豚コレラウイルス(CSFV)の強毒株であるALD株、ALD株より作られた弱毒化生ワクチン株GPE(-)株のゲノムの全塩基配列を決定して比較検討した。

 またHCVについては、抗ウイルス剤として肝炎治療に使用されるインターフェロン(IFN)に対する感受性、感染者の病態に顕著な差が報告されているHCV強毒株type 1bと弱毒株type 2aの5’非コード領域(NCR)の塩基配列を決定しinternal ribosome entry site(IRES)の構造と機能を比較した。

 フラビウイルス科第4の属として報告されたGBV-Cについては、日本人から分離した10株のGBV-Cゲノム全長の塩基配列を決定し、その構造と機能について解析した。さらこれらの結果を基に、分子進化遺伝学的解析を行い、これらのウイルスがどのように種間の壁(species barrier)を突破し分岐していったのかを探索した。

 その結果、CSFV、HCV、GBV-Cはともに、5’末端にキャップ構造が無く、RNAのヘアピン構造が存在した。その下流にはIRESとして機能し、キャップ構造非依存的翻訳開始を行う5’非翻訳領域(5’NCR)、single open reading frame(ORF)、3’NCR、そして3’末端のヘアピン構造という共通のゲノム骨格をしていることが明らかにされた。

 ゲノム両末端のヘアピン構造は、フラビウイルス科のウイルスのゲノム複製に重要な役割を果たしていることが明らかになった。CSFVおよびHCVにおける強毒株と弱毒株の塩基配列比較により、CSFVでは5’NCRの核酸配列39、60、220に位置する塩基の差によりIRESの高次構造に差が生じること、HCVでは5’NCRの核酸配列313に位置する1塩基の差によりIRESの構造変化が生じることが確認された。さらにHCVではIRESの構造変化がin vitro発現系における弱毒株IRESの翻訳効率を強毒株の2/3に低下させることが明らかになった。これらの結果から、IRESの塩基配列の多様性がウイルス病原性発現に関与している可能性が示された。

 ウイルスゲノム全長を用いてフラビウイルス科の進化を分子進化遺伝学的に解析した結果、フラビウイルス科は最初に推定上の起源ウイルス(分子系統樹の根に相当する)から、吸血節足昆虫により哺乳類や人に感染するフラビウイルス属と、哺乳類にのみ感染するuncappedウイルスに分岐したと考えられた。これはキャップ構造を用いてウイルス蛋白質の翻訳開始を行うものと、IRES構造を用いてウイルス蛋白質の翻訳開始を行うものに分類され、蛋白翻訳機構の違いと一致することが明らかになった。

 この結果に加えレポーター遺伝子及びHCV構造遺伝子を接続したHCVのIRESは昆虫細胞内で機能しないことから、昆虫ではuncappedウイルスのIRESが機能するために必要な宿主因子が欠落しており、これらのウイルスを受け入れなかったことから、この分岐がおきたと考えられた。

 次にペスチウイルス属、HCV、GBV-Cのゲノムの機能領域別に分子遺伝学的解析を行った結果、uncappedウイルス属間の遺伝学的な距離は、5’NCRで最大になることが明らかになった。これらのフラビウイルスは最初に家畜に感染するペスチウイルス属とヒトを含む霊長類に感染する肝炎ウイルス群(HCV、GBV-C)に分岐し、その後C型肝炎ウイルス群(HCV)とG型肝炎ウイルス群(GBV-C)に分岐したと考えられる。

 IRESが機能するためにはキャップ構造と異なり、いくつもの宿主因子がIRESに結合することが必須である。またIRESに結合する宿主因子により、ウイルスの感染臓器、感染細胞が決定されるというIRES構造による宿主、細胞特異性の存在が報告されている。これらのことから、フラビウイルス科のuncappedウイルスの分子進化には宿主因子による特異性の違いが主因の一つとして関与したと考えられた。

 以上、本論文で明らかになったゲノムの構造とその特徴はフラビウイルスの進化、ウイルス病原性発現機構、ウイルスの細胞特異性や臓器特異性解明の一助となり、将来、ウイルスの特異性を利用した増殖制御や新たな治療薬開発への手がかりとなることが期待され、この分野の研究に極めて有用な知見を提供した。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54143