学位論文要旨



No 214587
著者(漢字) 藤井,裕二
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ユウジ
標題(和) サル免疫不全ウイルス感染アカゲザルにおける6-chloro-2’,3’-dideoxyguanosine(6-Cl-ddG)の免疫系及び中枢神経系に対する抗ウイルス効果に関する研究
標題(洋) Studies on anti-retroviral effects of 6-chloro-2’,3’-dideoxyguanosine(6-Cl-ddG)on immune system and central nervous system in rhesus monkeys infected with simian immunodeficiency virus
報告番号 214587
報告番号 乙14587
学位授与日 2000.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14587号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 河村,晴次
内容要旨

 1981年米国防疫センターによって後天性免疫不全症候群(AIDS)が報告されてから6年後の1987年、初めてAIDS治療薬としてAZT(3’-azido-2’,3’-dideoxythymidine)が米国で認可された。現在まで、ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤として、AZT、2’,3’-dideoxyinosine(ddI)、2’,3’-dideoxycytidine(ddC)、2’,3’-dideoxy-2’,3’-didehydrothymidine(d4T)、3’-thiacytidine(3TC)が、非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤としてnevirapineが、プロテアーゼ阻害剤としてsaquinavir、ritonavir及びindinavirの計9剤が認可され、これらの薬剤の併用療法がAIDS治療効果を発揮している。HIV感染者はウイルス感染後、免疫機能が低下すると様々な日和見感染症、悪性腫瘍、多彩な中枢神経症などを発症しやすくなる。1984年脳組織及び脳脊髄液(CSF)からHIVが検出され、中枢神経系でのHIVの感染・増殖が中枢神経症状の発現に関与することが明らかになり、血液脳関門や中枢神経系へのドラックデリバリーシステム(DDS)が重要となった。しかし、これまで上記の9薬剤のうち比較的脂溶性を有するAZTの投与でHIV脳症改善の臨床効果が報告されたのみである。また、AZTについてはHIV耐性株の出現か報告されてから、他の良好な中枢神経透過性を有する抗HIV剤を必要とする声が高まってきている。

 山陽国策パルプ株式会社(現:日本製紙株式会社)では、1989年種々のヌクレオシド誘導体に脂活性基を導入し、中枢神経系を標的とした一連の6-halo-2’,3’-dideoxypurine nucleoside誘導体が合成された。これらの薬剤は体内でアデノシンデアミナーゼにより脱ハロゲン化され、ddG、ddIといったヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤として抗ウイルス効果を示した。また抗HIV活性と種々の薬理学的特徴についても解析され、1991年にラット、1996年にアカゲザルを用いた実験で、in vivoでの中枢神経系透過性が明らかにされた。他方、1994年自覚症状のない無症候期(AC期)の患者においても、リンパ節内でHIVの増殖が確認されたためリンパ節を標的として治療薬の合成が行われるようになった。最近、脂溶性を有した薬剤がリンパ節への移行性に優れているといった研究結果が発表され、一連の6-halo-2’,3’-dideoxypurine nucleoside誘導体にリンパ節での抗ウイルス効果が期待されるようになった。これらの誘導体の中で6-Cl-ddGは、認可されたヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤中にないGuanosineタイプであり、in vitro試験でAZTと比較して優れた脂溶性及び同等の抗HIV作用を有し、毒性が低いことから、特に有望視されている。

 本研究では、6-Cl-ddGについてヒトAIDSの代表的な動物モデルであるサル免疫不全ウイルス(SIV)感染アカゲザル(Macaca mulatta)を用いて免疫系及び中枢神経系に対する抗ウイルス効果について解析を行った。

 論文は4章からなる。第1章では、ヒトリンパ球系細胞の一つであるCEMx174細胞を用い細胞内への薬剤移行性及びSIVmac239株を感染させたin vitroの系での薬剤の抗SIV効果、さらに、アカゲザルにおけるin vivoでの6-Cl-ddGのCSF、血液(Plasma)及びリンパ節移行性に関して、parent drugであるddGと比較検討した。第2章では、SIV感染アカゲザルの急性期における6-Cl-ddGのウイルス感染阻止効果の検討、第3章では、SIV感染アカゲザルのAC期における6-Cl-ddGの免疫系及び中枢神経系に対する抗ウイルス効果、第4章ではAIDS症状を呈し、ARC/AIDS期にあると推察されるSIV感染アカゲザルに対する治療効果を解析した。

 In vitroで6-Cl-ddG及びddGの細胞毒性、抗SIV効果を検討したところ、200Mでも顕著な細胞毒性は認められなかったのに対し、5MでSIV増殖を99%以上抑制した(6-Cl-ddGのED50は2.5M)。従って、有効濃度と毒性濃度の比(S.I.)は40倍以上あることが示唆された(第1章)。プロピレングリコールを溶剤として、体重kgあたり25mgの6-Cl-ddGを溶解し投与した場合、血中有効濃度が長時間維持され、投与8時間後でも4Mとin vitroで得られたED50を越えることが明らかになった(第1章)。この投与方法によるSIV感染急性期アカゲザル(薬剤投与群及び非投与群各3頭)への1日3回投与では、ウイルス感染24時間前から投与を開始したがウイルス感染は阻止できなかった。しかし、投薬期間中実験群における血中ウイルス抗原は測定限度以下を示し、明らかにin vivoで抗ウイルス効果を発揮した(第2章)。SIVに長期感染しAC期にある3頭のアカゲザルへ6-Cl-ddGを投与したところ、いずれの個体においても血中及びCSF中でのウイルス量の減少、末梢リンパ球中のウイルス産生細胞の減少が確認された。しかし、3頭中1頭では投薬2週目にウイルス量の上昇がみられた。これは、この個体のウイルス量が他の2頭に比べ100倍近く高かったことから、ウイルスに対する薬剤量が相対的に十分でなかったためと考えられた(第3章)。末梢血リンパ球数の変化では顕著な抗ウイルス効果のみられた2頭において、CD4+リンパ球数の投薬中における増加が観察された。またCSFへの薬剤移行が確認されたこと(第1章)、CSF中でウイルス量が低下したことから本剤が中枢神経系で抗ウイルス効果を発揮したものと考えられた(第3章)。顕著な効果を示した2頭のリンパ節中の各種リンパ細胞数及びウイルス産生細胞数の変化を検索したところ、ウイルス産生細胞数の顕著な減少が確認された(第3章)。これらの結果は、本剤がAIDSウイルスリザーバーと考えられているリンパ節に到達し、抗ウイルス効果を発揮したためと考えられた。薬剤のリンパ組織への到達は、HIV感染者のAC期からARC/AIDS期への進行を抑制するという観点からも重要である。ヒトリンパ球系細胞(CEMx174)及びアカゲザルをもちいて6-Cl-ddGとddGのリンパ節及び白血球細胞移行性を比較したところ、6-Cl-ddGは培養細胞でddGと比較して7倍高い移行性を示し、アカゲザルにおいても白血球及びリンパ節へのddGの移行がみられ、かつ白血球内及びリンパ節内で速やかに6-Cl-ddGからddGに変換されることが明らかにされた(第1章)。ARC/AIDS期のアカゲザルへの6-Cl-ddG投与に関する実験では、臨床症状の異常(行動異常、振戦、下痢)の回復、体重減少の停止及び増加、Tリンパ球サブセット(T cell、CD4+、CD8+)数の急激な増加とBリンパ球数の減少が認められ、これらの効果は6-Cl-ddG投与終了後も維持された(第4章)。行動異常、振戦の消失などの神経症状の改善がみられたこと、及びCSF中でddGが確認されたこと(第1章)から、本剤が中枢神経系で抗ウイルス作用を発揮したものと考えられた(第4章)。一連のSIV感染アカゲザルを用いた6-Cl-ddG投与実験で投薬中にCPK、GOT、GPT、LDH値が上昇したが、プロピレングリコールとPBSを混合した溶剤のみを投与した場合でも、これらの値が上昇したことから、各酵素活性の上昇は薬剤の影響でなく、溶剤によるものであることが確認された(第1-4章)。また、ARC/AIDS期にある個体の血液サンプルを用いてLDH、CPKのアイソザイムを分析したところ、これらは骨格筋由来であり、LDH、CPKの上昇は本剤投与による筋肉の炎症によるものと考えられた(第4章)。また薬剤投与中に、RBC、PLTの減少が見られ、全実験群においてほぼ同様の傾向を示した。これは本剤の影響と考えられる(第1-4章)。

 以上の結果より、急性期、AC期そしてARC/AIDS期にあるアカゲザルでの6-Cl-ddGの抗ウイルス効果の発現は、本剤の特徴である脂溶性が大きく寄与し、中枢神経系及び免疫系での有効性を強く示唆しているものと考えられた。また、薬剤による副作用は比較的少ないと思われた。

審査要旨

 1981年CDCによってAIDSの患者発生が報告されてから6年後の1987年、初めてAIDS治療薬としてAZTが米国で認可された。現在まで、ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤として、AZT、ddI、ddC、d4T、3TCが、非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤としてnevirapineが、プロテアーゼ阻害剤としてsaquinavir、ritonavir及びindinavirの計9剤が認可され、これらの薬剤の併用療法がAIDS治療効果を発揮している。

 一方、HIV感染者はウイルス感染後、免疫機能が低下し、様々な日和見感染症、悪性腫瘍、多彩な中枢神経症などを発症しやすくなる。1984年脳組織及び脳脊髄液(CSF)からHIVが検出され、中枢神経系でのHIVの感染・増殖が中枢神経症状の発現に関与することが明らかになり、血液脳関門や中枢神経系へのドラックデリバリーシステムが重要となった。しかし、これまで上記の9薬剤のうち比較的脂溶性を有するAZTの投与でHIV脳症改善の臨床効果が報告されたのみである。また、AZTについてはHIV耐性株の出現が報告されてから、他の良好な中枢神経透過性を有する抗HIV剤を必要とする声が高まってきている。

 また1994年自覚症状のない無症候期(AC期)の患者においても、リンパ節内でHIVの増殖が確認されたためリンパ節を標的として治療薬の合成が行われるようになった。脂溶性を有した薬剤がリンパ節への移行性に優れているといった研究結果が発表され、一連の6-halo-2’,3’-dideoxypurine nucleoside誘導体にリンパ節での抗ウイルス効果が期待されるようになった。これらの誘導体の中で6-Cl-ddGは、認可されたヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤中にないguanosineタイプであり、in vitro試験でAZTと比較して優れた脂溶性及び高い抗HIV作用を有し、毒性が低いことから、特に有望視されている。

 本研究では、6-Cl-ddGについてヒトAIDSの代表的な動物モデルであるサル免疫不全ウイルス(SIV)感染アカゲザルを用いて免疫系及び中枢神経系に対する抗ウイルス効果について解析を行った。第1章では、ヒトリンパ球系細胞の一つであるCEMx174細胞を用い細胞内への薬剤移行性及びSIVmac239株を感染させたin vitroの系での薬剤の抗SIV効果、アカゲザルにおけるin vivoでの6-Cl-ddGのCSF、血液及びリンパ節移行性に関し、parent drugであるddGと比較検討した。第2章では、SIV感染アカゲザルの急性期における6-Cl-ddGのウイルス感染阻止効果の検討、第3章では、SIV感染アカゲザルのAC期における6-Cl-ddGの免疫系及び中枢神経系に対する抗ウイルス効果、第4章ではAIDS症状を呈し、ARC/AIDS期にあると推察されるSIV感染アカゲザルに対する治療効果を解析した。

 In vitroで6-Cl-ddG及びddGの細胞毒性、抗SIV効果を検討したところ、200Mでも顕著な細胞毒性は認められなかったのに対し、5MでSIV増殖を99%以上抑制し、有効濃度と毒性濃度の比(S.I.)は40倍以上あることが示唆された(第1章)。プロピレングリコールを溶剤として、体重kgあたり25mgの6-Cl-ddGを溶解し投与した場合、血中有効濃度が長時間維持され、投与8時間後でも4Mとin vitroで得られたED50を越えることが明らかになった(第1章)。またヒトリンパ球系細胞(CEMx174)及びアカゲザルをもちいて6-Cl-ddGとddGのリンパ節及び白血球細胞移行性を比較したところ、6-Cl-ddGは培養細胞でddGと比較して7倍高い移行性を示し、in vivoでも白血球及びリンパ節へのddGの移行がみられ、かつ白血球内反びリンパ節内で速やかに6-Cl-ddGからddGに変換されることが明らかにされた(第1章)。

 SIV感染急性期アカゲザルへの1日3回投与では、ウイルス感染24時間前から投与を開始したがウイルス感染は完全には阻止できなかった。しかし、投薬期間中実験群における血中ウイルス抗原は測定限度以下を示し、明らかなin vivoでの抗ウイルス効果を発揮した(第2章)。

 SIVに長期感染しAC期にあるアカゲザルへ6-Cl-ddGを投与したところ、いずれの個体においても血中及びCSF中でのウイルス量の減少、末梢リンパ球中のウイルス産生細胞の減少が確認された。しかし、3頭中1頭では投薬2週目にウイルス量の上昇がみられた。これは、この個体のウイルス量が他の2頭に比べ100倍近く高かったことから、ウイルスに対する薬剤量が相対的に十分でなかったためと考えられた(第3章)。末梢血リンパ球数の変化では顕著な抗ウイルス効果のみられた2頭において、CD4+リンパ球数の投薬中における増加が観察された。またCSFへの薬剤移行が確認されたこと(第1章)、CSF中でウイルス量が低下したことから本剤が中枢神経系で抗ウイルス効果を発揮したものと考えられた(第3章)。顕著な効果を示した2頭のリンパ節中の各種リンパ細胞数及びウイルス産生細胞数の変化を検索したところ、ウイルス産生細胞数の顕著な減少が確認された(第3章)。これらの結果は、本剤がAIDSウイルスのリザーバーと考えられているリンパ節に到達し、抗ウイルス効果を発揮したためと考えられた。薬剤のリンパ組織への到達は、HIV感染者のAC期からARC/AIDS期への進行を抑制するという観点からも非常に重要である。

 ARC/AIDS期のアカゲザルへの6-Cl-ddG投与に関する実験では、臨床症状の異常(行動異常、振戦、下痢)の回復、体重減少の停止及び増加、Tリンパ球サブセット(CD4+、CD8+リンパ球)数の急激な増加とBリンパ球数の減少が認められ、これらの効果は6-Cl-ddG投与終了後も維持された(第4章)。行動異常、振戦の消失など神経症状の改善がみられたこと、及びCSF中でddGが確認されたこと(第1章)、CSF中でのウイルス量が低下したこと(第3章)から、ARC/AIDS期でも本剤が中枢神経系で抗ウイルス作用を発揮したものと考えられた(第4章)。

 以上の結果より、急性期、AC期そしてARC/AIDS期にあるアカゲザルでの6-Cl-ddGの抗ウイルス効果の発現には、本剤の特徴である脂溶性が大きく寄与しており、中枢神経系及び免疫系でのウイルス増殖抑制に有効であることを強く示唆しているものと考えられた。このように本論分はAIDSの新規治療薬に関するin vitro,in vivoでの有効性評価を霊長類動物モデルを用いて明らかにしており、ウイルス学のみならず臨床上の応用への貢献も大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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