学位論文要旨



No 214591
著者(漢字) 茂呂,雄二
著者(英字)
著者(カナ) モロ,ユウジ
標題(和) ヴィゴッキーの具体性のアイデアとその相互行為的拡張
標題(洋)
報告番号 214591
報告番号 乙14591
学位授与日 2000.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第14591号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐伯,胖
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 汐見,稔幸
 東京大学 助教授 寺崎,弘昭
内容要旨

 本論は、ヴィゴツキーのテクスト群に一定の解釈の枠組みを与えることを目的とする。とくに具体性の解釈枠組みを通して、ヴィゴツキーのテクストに潜在している可能性を取り出す。この具体性の観点は、従来にはない、ヴィゴツキーの解釈枠組みを提供できると考える。そのために、以下のような作業を進めた。

 まずヴィゴツキーのアイディアを、彼の使用する3種類のメタファーに注目して整理した。整理の作業を通して、ヴィゴツキーの思想の可能性が、明示的に提出された諸概念そのものにはなく、いまだ言い当てられていない可能性として潜在するという仮説を提示した。

 ついでヴィゴツキーの潜在的可能性が、具体性であることを論証した。この論証に際して、ヴィゴツキー自身が多くを依拠する、スビノザならびにマルクスの具体性のアイディアを参照した。さらに、エヴァルド・イリエンコフのマルクス読解を援用して、ヴィゴツキーの思想の核心が具体性にあることを論じた。

 そして具体性のアイディアが一定の適用可能性をもつことを、言語行為および学習の問題領域を取り上げて例証した。この例証の過程で、ヴィゴツキーの具体性が部分的な展開にとどまっており、拡張を必要とすることを指摘し、とくに相互行為に基づく拡張の方向を提案した。以上の作業を7章にわけて論した。

 第1章では、ヴィゴツキーのテクストに出現する3種類のメタファーを抽出して、ヴィゴツキーの思想のポイントを概観した。そして三つのメタファーが相互に依存しており、三つを束ねる統合的な中心が隠れていることを指摘した。つまりヴィゴツキーのアイディアに不在の中心があると問題を定式化した。そして、この問いに対して、まずは直観的であるが、具体性のアイディアが中心に位置すると予備的に答えた。

 第2章では、ヴィゴッキーの具体性のアイディアを、より鮮明な概念に発達させることを試みる。ヴィゴツキーに潜在する可能性は、ヴィゴツキーが目指そうとしたものにある。それは経験主義からの脱出である。ヴィゴツキーによる経験主義(経験心理学)批判の吟味を通して、ヴィゴツキーが経験主義と呼ぶ心理研究の広がりと、その困難を描き出す。その後、3人のアイディアを援用しながら、ヴィゴツキーの経験主義から脱出のルートを特定することを試みた。スピノザならびにマルクスはヴィゴツキーが頻繁に引用する思想家である。スピノザからは精神の自然への内属という〈内在的具体性〉を領有し、マルクスからは〈抽象から具体への上向〉という具体と抽象の弁証法を領有したことを論じた。つぎにダヴィードフをはじめとするヴィゴツキー派の第二世代のメンターでもあった、哲学者イリエンコフの〈具体的普遍〉の概念を補助線として、ヴィゴツキーの具体性をさらに明確化した。最後に、ヴィゴツキーの主著『思考と言語』の〈意味付けられたコトバ〉を取り上げて、具体性のアイディアに沿って、この〈意味付けられたコトバ〉が仕立てられていることを論じた。

 続く3章から6章までは、具体性の概念が一定の適用可能性をもつことを論証する。それと同時にヴィゴツキーの具体性の概念が限界をもつことも指摘して、ヴィゴツキーの具体性のアイディアの拡張の道筋を模索する。

 第3章では、行為の問題とくに言語行為を取り上げる。ヴィゴツキーの具体性は、マルクスの社会形成体を継承している。つまり精神の発生のオリジンをコミュニケーションの場にもとめるというアイディアを受け継いでいるのである。すると、このアイディアから相互行為としての心の営みという視点をヴィゴツキーの具体性から導くことができる。しかし、それは部分的な展開にとどまっていて、拡張を必要とする。とくに内化のアイディアは、内と外のダイコトミーを招来してヴィゴツキーのアイディアの陥穽ともなりかねない。そこでバフチンの対話論ならびにエスノメソドロジーのローカルな行為の達成の視点を導入して、ヴィゴツキーに欠けている相互行為のディテールを追加した。そして相互行為的に拡張された具体性の観点を、状況の組織化ならびに発話行為の二重性を話題にして例証した。知的行為の状況がいかに組織化されるのかを議論した後、発話の行為を取り上げる、発話同士が相互関係し深度を形成するが、これが内言として理解できることを論じた。

 第4章は、第3章への補遺であり、方言を使用する地域の小学校における教室談話の分析を通して、前章の相互行為としての心の営みというポイントの適用可能性を例証する。学習場面への参加のプロセスが、ローカルな相互行為を通して、子どもたちと教師によって達成されることを明らかにした。とくに種々の身体行為および方言と共通語という歴史的な言語の多様性を媒介にして、学習への参加プロセスが社会的相互行為として構成させるプロセスに他ならないことを述べた。あわせて、退職した教師へのインタビューによって得られた語りを事例として、方言と共通語が形成する言語的多様性の歴史的意味を考察した。

 第5章では学習を取り上げた。まず学習の規定に、コミュニケーションを通して構成される、行為の同一性と差異性の問題が潜在することを指摘する。そして通常学習を規定するうえでの困難とみなされる行為の同一性が、学習論の可能性となることを述べる。つぎに、これまでの発達の最近接領域のモノローグ的解釈の困難を指摘しつつ、じつはヴィゴツキーの発達の最近接領域というゾーンが、まさに、学習者とインストラクターの協同を通した、行為の同一性を達成するコミュニケーションの時空であることを論証した。しかしヴィゴツキーのゾーンが、学習者とインストラクターの原初的なアシンメトリーを純粋に取り出したにすぎないという限界をもつものであり、原初的なアシンメトリーの様態変化と複雑化を描いて、このゾーンを発達させる必要を指摘した。学習事態の束の間の性格、学習不全を代表とするゾーン構成の多様性、そしてゾーンが複合を見せる事例に依拠しながら、ゾーンの構成を発達させてみる。何がゾーンの発達を突き動かすのかについて、今日の学習論に依拠して考察して、ゾーンの発達のポリシーを引きだした。

 第6章は、第5章の補遺であり、対象物の復原という対象的行為を取り上げる。再度ヴィゴツキーの復原のアイディアを振り返った後、いくつかの復原の事例のエスノグラフィーを通して、復原の行為の特徴を指摘する。復原が日常生活にひろく観察できること、復原が回帰に向けられた行為でありながら回帰すべきオリジナルから隔てられた行為であること、復原が対象物にとどまらず活動のシステム全体を回復することなどの特徴をもつ活動であることを指摘した。最後に、行為の再生産過程としての学習からすると、偏った活動ドメインでありながら、行為の再生産過程としての学習の、普遍的なモデルとなることを述べた。つまり、復原が学習の発生のオリジンであり、極めて変異した事例でありながら、イリエンコフのいう意味での学習の普遍的具体となることを述べた。

 終章においては、本論におけるヴィゴツキー解釈の独自性と意義の特定と、本論の限界の確認を行なった。そして、現段階における、具体性にアプローチするためのスキーマを提案して、本論における議論を総括した。

審査要旨

 ヴィゴツキーは教育学や心理学の歴史上なんらかの変革が試みられるたびに新たに解釈され注目されてきた。とくに80年代以降、学習や教育の文化・歴史的側面が重視されるにつれて、ヴィゴツキーへの注目が高まり、いわゆる「ヴィゴツキー・ルネッサンス」とよばれる状況が生まれてきている。しかし、そこでのヴィゴツキー解釈は多様であり、必ずしもヴィゴツキー思想の全貌を的確に把握したものとなっていない。したがって今日、ヴィゴツキー思想の全体を読解する指針となるものが必要になってきている。

 本論文は、茂呂氏が長年にわたるヴィゴツキー研究を通して得たヴィゴッキー思想の核心となるものを「具体性」という概念で設定し、ヴィゴツキーの提起した諸議論の源流と、それらの相互のつながりを明らかにし、さらに具体的な相互行為分析への応用も視野に入れて、現代におけるヴィゴツキー読解の新しい指針を提起するものである。

 論文の第1章では、ヴィゴツキーのテクストに頻出する、「束の間の子ども」「心理的道具」「心の細胞」という3つのメタファーを抽出する。ヴィゴツキーの思想はこれら三つのメタファーを頂点にした三角形を構成しているが、茂呂氏はこの三角形の中心には核心が潜在し、それは「具体性」であるとする。第2章では、ヴィゴツキーが依拠するスピノザとマルクスを通して「具体性」を肉付けし、さらにイリエンコフを補助線にして、「具体性」の解明をする。スピノザからヴィゴツキーが領有したものは、「内在的具体性」であり、マルクスからヴィゴツキーが領有したものは、いわゆる「上向法」である。イリエンコフの議論からは、「具体的普遍」、すなわち、「たんなる抽象的普遍ではなくて、特殊的なものの豊かさをも自己のうちに含むところの普遍」を領有する。第3章では、ヴィゴツキーが精神の発生の場を具体性をもつコミュニケーションの場であるとするが、それは部分的な展開にとどまっているとし、バフチンの対話論ならびにエスノメソドロジーのローカルな行為の達成の視点を導入して、ヴィゴツキーに欠けている相互行為のディテールを追加する。第4章では相互行為的に拡張された「具体性」の観点から、方言を使用する地域の小学校における教室談話の分析をする。第5章では、学習にはコミュニケーションを通して構成される行為の同一性と差異性の問題が潜在しているとし、学習者とインストラクターの共同を通した行為の同一性の達成こそが学習であるとする。第6章では、行為の再生産過程としての学習のモデルとして、対象物の復原という行為をとりあげ、いくつかの復原事例研究をもとに、復原が学習の発生源であり、イリエンコフのいう「具体的普遍」であるとする。

 このように、「具体性」を中心に据えた本論文は、現在の多数のヴィゴツキー読解の中でも、きわめて独創的であり、かつ有効な指針を提供するものである。さらに「具体性」を相互行為からとらえた視点は、発話行為や学習などの価値と交通がからむ状況を分析する際に、新しい観点を提供するものである。以上により、本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものであると判断される。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51140