学位論文要旨



No 214599
著者(漢字) 武岡,裕一
著者(英字)
著者(カナ) タケオカ,ユウイチ
標題(和) 自己免疫疾患 全身性エリテマトーデス自然発症マウスにおける胸腺微小環境構造体の異常
標題(洋)
報告番号 214599
報告番号 乙14599
学位授与日 2000.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14599号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨

 主要な免疫臓器の一つで、胸腺T細胞の成熟過程の場である胸腺の微小な構造は、上皮細胞、マクロファージや細胞外マトリックスを含む胸腺間質細胞群により構成されている。これら胸腺微小環境構造体の変化が免疫機能に及ぼす影響や免疫異常を伴う疾患における関与の大きさが類推されている。本研究では、胸腺微小環境構造体の異常が正常なT細胞の分化・成熟を妨げ、自己反応性T細胞の末梢組織への移行を許し、自己免疫疾患発症の一因となるのではないかとの仮説に基づいて、細胞性免疫の異常を伴い、種々の自己反応性抗体を産生し、多臓器不全に至る自己免疫疾患である全身性エリテマトーデス(SLE)が発症する過程で、胸腺内微小環境の構造を規定している細胞群の形態、数、分布などに異常があることを明確に示すことを目指した。さらにこれに関連する遺伝子を明らかにすることを目的に検討を行った。

 SLEマウスの胸腺微小環境構造体の特徴を検討するため、代表的SLEマウス系統の胸腺を免疫組織学的に観察した。雌性NZB、(NZBxNZW)F1[以下B/WF1]、MRL/MP-lpr/lpr、C3H/HeJ-gld/gld及び雄性BXSB/MpJ.Yaaマウスの胸腺微小環境構造体を、マウスの胸腺T細胞や胸腺間質細胞群に対する種々の特異抗体を用いた免疫組織化学的手法で解析した。MTS1、MTS5及びMTS39は被膜下、皮質及び髄質の3種類の上皮細胞を認識し、MTS10は髄質及び被膜下上皮細胞を認識し、MTS44は主に皮質上皮細胞を認識する。MTS20及びMTS24は髄質上皮細胞の一部クラスターを認識する。これらの抗体の開発によりこれまで汎上皮細胞としてしか認識できなかった上皮細胞構造が、T細胞成熟・分化の過程で異なる役割を担う各種上皮細胞として領域別に観察することが可能となった。さらに、MTS37、MTS33及びMTS35はTリンパ球の各種分子を認識し、MTS12、MTS16あるいはMTS28は非上皮系胸腺間質細胞である血管内皮細胞、結合組織、マクロファージ様細胞を各々認識する。それらの13種類の特異抗体に汎上皮細胞を認識する抗ケラチン抗体、マクコファージ様細胞を認識するMac-1抗体を加えた抗体パネルを用いた。胸腺の連続凍結切片(8m)をFITC染色し、共焦点レーザー顕微鏡を用いて観察し、盲検下で評価した。重症度は3+から-の4段階で評価した。1-2カ月齢の正常マウス系統であるBALB/cあるいはC57BL/6マウスにおいて、MTS44抗体陽性の胸腺皮質上皮細胞は星状に細胞体を伸展させた形態を示し、各々の皮質上皮細胞が結合して網目状のネットワークを形成し、胸腺リンパ球で満たされているが、NZBマウスでは胸腺皮質上皮細胞の欠損や細胞形態の萎縮による網目状ネットワークの崩れ及び胸腺皮質上皮細胞の不在領域が観察され、これらの形態はMTS39および坑ケラチン抗体でも観察された。また、正常マウス系統ではMTS10抗体陽性の胸腺髄質領域の上皮細胞は皮質上皮細胞より細胞体の伸展が小さく、敷石状の形態を示し、皮質より狭い網目状の集合体を形成している。それは同心円状に集積し、境界のはっきりとした大きなクラスターを形成するが、NZBマウスでは髄質上皮細胞クラスターは変形し、境界部分が不鮮明になり、クラスターは小さく分散し、MTS10抗体の染色性の低下も観察された。それらの胸腺皮質及び髄質上皮細胞の異常は他の4種類のSLEマウス系統全てで認められた。以上の結果より、胸腺微小環境構造体、特に皮質上皮細胞ネットワークの崩れと髄質上皮細胞クラスターの萎縮・異形化という特徴的異常はSLEマウスに共通の異常であり、胸腺微小環境構造体に変化が起こっている可能性が示された。Tリンパ球を選別するポジティブセレクションあるいはネガティブセレクションは胸腺上皮細胞との接触により行われることから、SLEマウスの胸腺微小環境構造体、特に上皮細胞の変化は正常なTリンパ球の成熟・分化に大きな影響を及ぼす可能性が示唆された。

 SLEマウスに共通して認められた胸腺微小環境構造体の異常と他の自己免疫疾患モデルマウス、免疫不全病モデルマウス及び正常系統の加齢マウスと比較検討した。疾病は発現しないが自己抗体を産生するSM/Jマウス、自己免疫疾患であるインスリン依存型ヒト1型糖尿病の自然発症マウスモデルであるNOD/Ltzマウス、リンパ節自然欠損マウスであるALY/NscJcl-aly/alyマウス[以下aly/alyマウス]、免疫不全を呈するNOD-scidマウス、及びヒト免疫不全病・モスイートン病の自然発症マウスモデルであるC57BL/6J-Hcphme/Hcphmeマウス[以下me/meマウス]の胸腺微小環境構造体を、NZBマウスあるいは正常対照としてのBALB/c及びC57BL/6マウスと比較した。本研究には4-10週齢のマウスを用いた。一方、加齢マウスにおける胸腺微小環境構造体の変化の検討では6カ月のBALB/c、NZBマウス、12カ月齢のBALB/c、C57BL/6及びC3H/HeJマウスを用いた。胸腺の連続凍結切片(5m)を作製し、抗体パネルを用いたアルカリフォスファターゼ染色を行い、共焦点レーザー顕微鏡を用いて盲検下で評価した。自己免疫疾患モデルマウスであるSM/Jマウス及びNOD/Ltzマウスでは胸腺上皮細胞の異形化やネットワークの崩れ、MTS抗体の染色性の低下を示し、免疫不全マウスであるNOD-scidマウス、me/meマウス及びaly/alyマウスでは胸腺萎縮が共通に認められたが、胸腺上皮細胞はSLEマウス類似の形態変化や正常な胸腺微小環境構造体など各々異なる形態を示した。また、加齢マウスでは加齢に伴い胸腺萎縮、房の退縮及び脂肪体化が著しく、胸腺微小環境構造体、特に上皮細胞の変化は同週齢NZBマウスと比較すると軽度であり、NZBマウスの示す異常とは異なっていた。以上の結果より、自己免疫マウスはSLEマウスの示す胸腺上皮細胞の形態異常と類似の形態を示すが、免疫不全マウスの示す胸腺微小環境構造体の変化や、加齢に伴う胸腺構造の変化とは異なることが示された。

 SLEマウスの胸腺微小環境構造体の異常とSLE発症の関連を明らかにするため、B/WF1マウスにNZWを交配して得られた戻し交配マウスにおける、主要な胸腺微小環境構造体の変化である胸腺上皮細胞の形態異常とSLEの特徴的症状である抗二本鎖DNA抗体産生及び尿蛋白漏出との相関を検討した。雌性・戻し交配マウスが1カ月齢に達した時点で胸腺を摘出し、免疫組織化学的解析を行った。胸腺皮質及び髄質上皮細胞を上述の4段階で評価し、その合計を総合評価として0から6+で表した。尿蛋白をテラブロモフェノールブルー試験紙にて準定量的に、また血清中の抗二本鎖DNA抗体価をELISA法にて経時的に測定し、何れか一方が陽性と認められたマウスをSLE発症と判定した。12カ月齢で尿蛋白及び抗DNA抗体の上昇が観察されなかったマウスを非発症と判定した。102匹の戻し交配マウスを実験群とし、30匹の偽手術群と20匹の無処置群を対照群とした。実験群102例の内、17例(16.7%)は胸腺上皮細胞が正常な形態を示し、85例(83.3%)は皮質上皮細胞ネットワークの崩れや髄質上皮細胞クラスターの異形化という異常が認められた。また、抗二本鎖DNA抗体陽性であった41例のマウス全例で胸腺上皮細胞の形態異常が認められ、尿蛋白陽性であったマウス50例の内47例が胸腺上皮細胞の形態異常を示した。胸腺上皮細胞の形態異常と抗二本鎖DNA抗体は正の相関を示した(R2=0.162、p<0.001、n=102)。胸腺上皮細胞の形態異常と尿蛋白は正の相関を示した(R2=0.039、p<0.05、n=102)。以上の結果より、胸腺上皮細胞の形態異常が重症であるほど、SLEの特徴的症状である抗二本鎖DNA抗体あるいは尿蛋白が高値であるという正の相関関係を示し、胸腺上皮細胞構造体の異常とSLE症状が相関することが示された。

 胸腺微小環境構造体の異常に関連する遺伝子座の検索のためにB/WF1マウスにNZWを交配して得られた戻し交配マウスを用いた関連遺伝子座の解析を行った。1ヶ月齢で組織学的検討のため胸腺摘出を行い、尿蛋白漏出あるいは抗DNA抗体価を指標にSLE発症と判定された時点、または12カ月齢で非発症と判定された時点で肝臓を摘出し、組織よりDNAを抽出して関連遺伝子の一本鎖DNA高次構造多型(SSCP)解析を行った。NZB交配マウスにおいて尿蛋白漏出や自己抗体産生との関連が示唆されているNZBマーカーと称されるDNAマーカーに相当する15種類のプライマーを用いて解析を行い、胸腺上皮細胞の形態変化、坑DNA抗体価あるいは尿蛋白との関連を検討した。その結果、胸腺微小環境構造体の異常、尿蛋白あるいは抗DNA抗体に関連する遺伝子座が認められた。胸腺髄質の上皮細胞の異常はB/W遺伝型マウスの陽性:陰性の比率が24:13であるのに対し、W/W遺伝子型マウスは14:23で2値5.4でNZBマウスの第1染色体Crpに関連し、B/WあるいはW/W遺伝型マウスの陽性:陰性の比率が36:6あるいは26:13で2値5.4でNZBマウスの第4染色体D4Mit343に関連したが、皮質領域の異常と関連する遺伝子座は認められなかった。総合評価による胸腺上皮細胞の異常はB/WとW/W遺伝型マウスの陽性:陰性の比率が、総合評価2+以上を陽性とした場合は29:8と20:17で2値4.9、総合評価3+以上を陽性とした場合は22:8と14:17で2値5.0でNZBマウス第1染色体Crpに関連した。尿蛋白は2値4.9及び5.3でNZBマウス第4染色体及び第17染色体との関連が示され、抗DNA抗体価は2値4.5でNZWマウス第7染色体との関連が示された。以上の結果より、胸腺微小環境構造体の異常、特に胸腺髄質上皮細胞のクラスターの異形化に関連する遺伝子座の一つはNZBマウスの第1染色体上に存在する可能性が示された。抗DNA抗体はNZWマウスの第7染色体に関連していたおり、尿蛋白は既報の結果と同様にNZBマウスの第4及び17染色体と関連していた。

 本研究で得られた結果から、自己免疫疾患SLEのモデルマウスでは胸腺微小環境の構造を規定している細胞群、特に上皮細胞の形態、数、分布に異常が見られ、それらの形態学的変化は自己免疫マウスに共通の変化であり、SLE症状である尿蛋白や抗DNA抗体と相関していることが明らかになった。また、胸腺微小環境構造体の異常はNZBマウスの第1染色体に関連している可能性が示された。本研究により、SLEモデル動物の胸腺微小環境構造体の異常が明らかされた。

審査要旨

 本研究論文で学位申請者は、「自己免疫疾患全身性エリテマトーデス自然発症マウスにおける胸腺微小環境構造体の異常」と題し、免疫異常疾患を生じる遺伝的な背景を持つが異常を生じる機構が遺伝子のレベルでは明らかでない多種類のマウスを材料に、胸腺における形態的な異常の発生と免疫疾患の病態との関連を明らかにした。免疫異常が、リンパ球ではなくTリンパ球の分化と成熟の場である胸腺を形成するリンパ球以外の細胞に注目した点に、この研究の高いオリジナリティーがある。これら胸腺上皮細胞やマクロファージなどの胸腺間質細胞群は細胞外マトリクスを含む構造体を形成しているが、胸腺組織に対して作製した多様な特異性を有するモノクロナル抗体を巧みに利用して、これらの構造(胸腺内微小環境構造)の変化を明らかにした。論文の全体は、General Introduction、General Discussion以外に1-4章から成り、各々の章が独立した内容を持つ。第1章では種々の自己免疫疾患発症マウスを用いて胸腺の構造異常を追求し、第2章では、遺伝的免疫不全マウス及び加齢マウスにおける胸腺の微小環境構造の変化を明らかにし、第3章では、自己免疫疾患が種々の経過をたどるNZBマウスの交配系を用いて、病態と胸腺の構造異常発生との関係を追求し、第4章では、NZBマウスの戻し交配系を用いた胸腺の構造異常に関連する遺伝子座の解析を行った。

 第1章では、種々の自己反応性抗体を産生し、多臓器不全に至る自己免疫疾患である全身性エリテマトーデス(SLE)が発症する過程で、胸腺内微小環境の構造を規定している細胞群の形態、数、分布などに異常があることを明確に示すことを目指した。胸腺微小環境構造体、特に皮質上皮細胞ネットワークの崩れと髄質上皮細胞クラスターの萎縮と異形化という特徴的異常はSLEマウスに共通であり、胸腺微小環境構造体に変化が起こっている可能性が示された。Tリンパ球を選別するポジティブセレクションあるいはネガティブセレクションは胸腺上皮細胞との接触により行われることから、SLEマウスの胸腺微小環境構造体、特に上皮細胞の変化が正常なTリンパ球の成熟分化に大きな影響を及ぼす可能性が示唆かれた。

 第2章では、免疫不全を含む種々の免疫異常を引き起こすモデルマウス及び正常系統の加齢マウスにおける胸腺微小環境構造の変化を比較検討した。疾病は発現しないが自己抗体を産生するSM/Jマウス、インスリン依存型ヒトI型糖尿病の自然発症モデルであるNOD/Ltzマウス、リンパ節自然欠損のあるALY/NscJcl-aly/alyマウス、免疫不全を呈するNOD-scidマウス、及びヒト免疫不全病モスイートン病の自然発症モデルであるC57BL/6J-Hcphme/Hcphmeマウスの胸腺微小環境構造体では、胸腺上皮細胞の異形化やネットワークの崩れ、種々の抗体の染色性の低下を示した。胸腺萎縮が見られるが、遺伝的背景や免疫異常のタイプによって胸腺徴小環境構造の変化は異なっていた。また、加齢マウスでは加齢に伴い胸腺萎縮、房の退縮及び脂肪体化が顕著であった。

 第3章では、SLEマウスの胸腺微小環境構造体の異常とSLE発症の関連を明らかにするため、B/WF1マウスにNZWを交配して得られた戻し交配マウスにおける、主要な胸腺微小環境構造体の変化である胸腺上皮細胞の形態異常とSLEの特徴的症状である抗2本鎖DNA抗体産生及び尿蛋白漏出との相関を検討した。抗二本鎖DNA抗体陽性であった41例のマウス全例で胸腺上皮細胞の形態異常が認められ、尿蛋白陽性であったマウス50例の内47例が胸腺上皮細胞の形態異常が示された。以上の結果より、胸腺上皮細胞の形態異常が重篤であるほど、SLEの特徴的症状である抗二本鎖DNA抗体あるいは尿蛋白が高値であるという正の相関関係を示し、胸腺上皮細胞構造体の異常とSLE症状が相関することが示された。

 第4章では、胸腺微小環境構造体の異常に関連する遺伝子座の検索のためにB/WF1マウスにNZWを交配して得られた戻し交配マウスを用いた関連遺伝子座の解析を行った。SLE発症と判定された時点、または12カ月齢で非発症と判定された時点で肝臓を摘出し、組織よりDNAを抽出して関連遺伝子の一本鎖DNA高次構造多型(SSCP)解析を行った。その結果、胸腺微小環境構造体の異常、尿蛋白あるいは抗DNA抗体に関連する遺伝子座が認められた。例えば、胸腺髄質の上皮細胞の異常は第4染色体D4Mit343に関連した。一方、抗DNA抗体価は2値4.5でNZWマウス第7染色体との関連が示された。

 以上の結果から、自己免疫疾患SLEのモデルマウスでは胸腺微小環境構造を形成している上皮細胞とそのマトリクスの形態、数、分布に異常が見られ、それらの形態学的変化は自己免疫マウスに共通の変化であり、SLE症状である尿蛋白や抗DNA抗体と相関していることが明確に示された。また、胸腺微小環境構造体の異常がNZBマウスの第1染色体に関連している可能性が示された。

 以上の研究は免疫生物学及び免疫病理学の領域で重要な進歩をもたらすものであり、本研究を遂行した学位申請者は博士(薬学)の学位を得るに値すると判断した。

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