学位論文要旨



No 214604
著者(漢字) 中谷,良人
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,ヨシヒト
標題(和) 細胞質ホスホリパーゼA2の活性調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 214604
報告番号 乙14604
学位授与日 2000.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14604号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 序論

 哺乳動物細胞に広く存在するアラキドン酸代謝系の最終生成物であるプロスタグランジン、ロイコトリエン等のエイコサノイド類は微量で多彩な生理活性を示すオータコイドの一つであり、通常は生体の恒常性の維持に重要であるが、その過剰産生はさまざまな病変の一因となる。アラキドン酸代謝系の初発反応である膜リン脂質からのアラキドン酸の遊離反応はホスホリパーゼA2(PLA2)と呼ばれる酵素群により担われている。PLA2は3つのグループ(分泌性PLA2(sPLA2)、細胞質PLA2(cPLA2)、カルシウム非依存性PLA2(iPLA2))に分類できる。そのうち、cPLA2はアラキドン酸を選択的にリン脂質から遊離すること、M以下のCa2+濃度で活性を発現すること、MAPキナーゼでリン酸化され活性化することなどの特徴を有する。刺激に伴うエイコサノイド産生には、刺激後数分以内に観察される即時的反応と刺激後数時間以降に持続的に観察される遅発的反応があるが、cPLA2は様々な細胞における即時的あるいは遅発的エイコサノイド産生に関与することが示唆されてきた。本研究ではこれらの活性化の過程でのcPLA2活性調節機構について解析し、さらに下流のアラキドン酸代謝酵素群の解析を試みた。

方法と結果1.cPLA2の即時的調節(1)cPLA2のリン酸化

 マウス骨髄由来マスト細胞をIgE/抗原で刺激すると、一過的にcPLA2活性が上昇した。[32P]リン酸でラベルしたマスト細胞をIgE/抗原で刺激し、細胞ライゼートを抗cPLA2抗体で免疫沈降し電気泳動で分離後、オートラジオグラフィー解析した結果、cPLA2活性上昇と並行してcPLA2がリン酸化されることを見いだした。

(2)cPLA2の細胞内トランスロケーション

 細胞内Ca2+濃度を上昇させる刺激によって、cPLA2は刺激に伴い形質膜ではなく核周辺膜に移行することが知られている。そこで、cPLA2を強制発現したヒト胎児腎由来細胞株293を材料に用いて、蛍光抗体染色法によりcPLA2の細胞内分布を検討した。無刺激細胞ではcPLA2は細胞質全体に分布していたが、A23187で刺激した細胞では核周辺部に強い蛍光が観察された。cPLA2のリン酸化はこのような細胞内移行に必須ではないことが報告されており、他の要因の関与を考える必要がある。そこで、私はこのcPLA2の核周辺部への特異的移行にcPLA2と相互作用する細胞内因子が関与することを想定し、本因子の同定を以下試みた。

(3)Far-Western法によるcPLA2相互作用タンパク質(P60)の検出

 各種細胞ライゼートをSDS-ポリアクリルアミド電気泳動で分離後、ニトロセルロース膜に転写した。この膜にグルタチオン-s-トランスフェラーゼ(GST)融合cPLA2を1%スキムミルク存在下添加した後、洗浄し抗GST抗体によるイムノブロッティングを行い、cPLA2相互作用タンパク質を検索した。ラット腹腔マクロファージ、マウス骨芽細胞株MC3T3-E1細胞を試料として用いた結果、両細胞ともに、コントロールとしてGSTを添加した場合に明確なバンドは検出されなかったが、GST-cPLA2を添加した場合にのみ分子量約60kDaのタンパク質(P60)が検出された。また、GSTとは異なるtagであるT7 peptideを融合したcPLA2をプローブとしてFar-Western解析を行った場合にも、MC3T3-E1細胞、ラット線維芽細胞株3Y1細胞を用いた場合にP60が検出された。

 次に、本結合に必要なcPLA2の部位を調べた。まず、cPLA2のN末端に存在するC2ドメインに注目した。C2ドメインを完全に含むGST-cPLA2(1-138)を作製し、Far-Western解析を行った。その結果、全長のcPLA2を用いた場合と同様にP60と結合することが観察された。さらに、結合部位の詳細な解析を試みた。cPLA2のC2ドメインのC末端側を削ったGST-cPLA2(1-81)にはGST-cPLA2(1-138)よりは弱いものの有意な結合が観察された。しかし、さらにN末端を削ったGST-cPLA2(36-81)やGST-cPLA2(1-35)には結合性が検出されなかった。過剰量のtagを持たないcPLA2の添加実験を行った。バキュロウイルス発現系を用いて調製したリコンビナントcPLA2をFar-Western解析の反応系に添加した結果、P60のバンドは著しく減少した。以上の結果から、P60はcPLA2のC2ドメインに結合することが示された。

 C2ドメインはCa2+依存的にリン脂質と結合する機能単位として知られている。そこで、本結合へのCa2+の影響を検討した。まず、Ca2+キレート剤であるEDTAの影響を検討した。Far-Western解析の反応系に5mM EDTAを添加するとP60のバンドは検出されなくなった。次に、最近報告されたcPLA2の立体構造解析に基づき、Ca2+との結合に直接関与するアミノ酸である43番目と93番目のAspを両方ともAsnに置換した変異体をプローブとして用いてFar-Western解析を行った。その結果、P60のバンドは検出されなかった。これらの解析から、cPLA2とP60の結合にはCa2+が必要であることが考えられた。

(4)cPLA2相互作用タンパク質(P60)の同定

 P60の細胞内分布を調べるために3Y1細胞を分画した。まず、3Y1細胞を1%NP-40で処理し、細胞質画分と核画分を遠心分離した。核画分を高濃度の塩で処理し、クロマチン画分と核マトリクス画分に分画し、それぞれの画分をFar-Western解析した。その結果、P60の大部分は核マトリクス画分に存在することがわかった。そこで、核マトリクス画分を電気泳動で分離後染色し、P60に相当するバンドを切り出し、消化酵素としてリジルエンドペプチダーゼを用いたクリーブランド法によるペプチドマッピングを行った。2つのペプチド断片のN末端アミノ酸を解読し、3Y1細胞より調製したcDNAを鋳型にdegenerate PCRを行った。得られたcDNA断片の配列を解読し、遺伝子データベース検索した結果、細胞骨格系の中間径フィラメントの主要構成成分であるビメンチンであることがわかった。実際に解読した2つのペプチド断片のアミノ酸配列がラットビメンチンの配列中に存在していたため、P60はビメンチンであると結論した。

(5)cPLA2とビメンチンの結合の解析

 ヒト副腎皮質癌由来SW13細胞には、自然発生的にビメンチンを発現していない亜株が存在する。そこで、ビメンチン発現株と非発現株のライゼートをFar-Western解析あるいは抗ビメンチン抗体によるイムノブロットを行った結果、ビメンチン非発現株にはcPLA2結合タンパク質及びビメンチンが共に検出されなかったのに対し、ビメンチン発現株に両方の解析で同様に検出された。従って、Far-Western法により検出された分子量60kDaのcPLA2結合タンパク質はビメンチンであることが示された。

 溶液中でのcPLA2とビメンチンの結合を調べた。あらかじめGST-cPLA2(1-138)を結合したグルタチオンビーズを作製し、Ca2+存在下あるいは非存在下でリコンビナントビメンチンとインキュベートした後、ビーズに結合したタンパク質をグルタチオンで溶出し、抗ビメンチン抗体でイムノブロット解析した。その結果、Ca2+存在下でのみビメンチンの結合が検出された。従って、溶液中でもcPLA2とビメンチンはCa2+依存的に結合することがわかった。

 cPLA2とビメンチンが細胞内でも結合し得るか検討した。cPLA2強制発現293細胞を材料に用いて、無刺激細胞とCa2+イオノフォア刺激細胞を免疫染色した後、両タンパク質の局在を共焦点レーザー顕微鏡で観察した。cPLA2はFITCの緑の蛍光で、ビメンチンはCy3の赤の蛍光で染色し、両者が局在が一致した場合黄色の像で表現される。無刺激細胞ではcPLA2とビメンチンの分布はあまり一致していなかったが、A23187で刺激した細胞では黄色の像を示す細胞が数多く観察された。従って、細胞内でもCa2+濃度上昇に伴って、cPLA2とビメンチンが結合する可能性が考えられた。

(6)本結合の生理的機能の解析

 本結合のアラキドン酸代謝への関与を調べるため以下の検討を行った。

 ビメンチン非発現SW13細胞にビメンチンcDNAを導入し、ビメンチンを強制発現した細胞株を樹立した。本細胞株と親株細胞をあらかじめ[3H]アラキドン酸でラベルし、Ca2+イオノフォア刺激により上清に遊離されるアラキドン酸量を比較検討した。その結果、ビメンチン発現細胞は親株細胞に比べて約2倍のアラキドン酸遊離を示した。つまり、細胞からのCa2+依存的なアラキドン酸遊離はビメンチンが存在すると効率良く進行したことから、細胞内でのcPLA2/ビメンチン相互作用が機能的に必要であることを示唆している。

 次に、ビメンチン側のcPLA2結合部位を検討した。ビメンチンは構造上3つのドメイン(中央部の繊維状構造をとるのに必須なロッドドメイン、N末端のヘッドドメイン、C末端のテイルドメイン)に分けられる。大腸菌を用いてビメンチンの各ドメインのみのリコンビナントタンパク質を作製し、Far-Western解析によるcPLA2との結合を検討した。その結果、ビメンチンのヘッドドメインとのみcPLA2は結合することがわかった。そこで、ビメンチンを構成的に発現している3Y1細胞にビメンチンのヘッドメインを過剰発現させた細胞株(3Y1-vim(1-125))を樹立した。本細胞株をCa2+イオノフォアで刺激したときのアラキドン酸遊離およびPGE2産生を親株細胞と比較した。その結果、ビメンチンヘッドドメイン過剰発現細胞では親株細胞と比較して両反応とも有意に減少するdominant negative効果が観察された。以上の結果から、cPLA2とビメンチンの結合がアラキドン酸代謝の正常な進行に関与することが考えられた。

2.遅発的エイコサノイド産生におけるアラキドン酸代謝酵素群の解析(1)cPLA2とsPLA2のクロストーク

 炎症性サイトカインであるIL-1/TNFで刺激した3Y1細胞における遅発的エイコサノイド産生は、cPLA2/12/15-LOX代謝物がsPLA2の発現誘導を引き起こし、別の経路で発現誘導されたCOX-2と協調してPGE2産生を惹起することを明らかにした。

(2)誘導型PGE2合成酵素の同定

 LPS投与ラットの脳可溶性画分よりPGE2合成酵素(PGES)の精製を行った。まず、脳可溶性画分を60-80%硫安分画し、透析した後、DEAE-Sephacelイオン交換カラム、Superdexゲルろ過FPLCで順次精製した。ゲルろ過FPLC後の精製品を用いて、クリーブランド法によるアミノ酸配列の解読を行った。その結果、遺伝子バンクに登録されているp23と呼ばれる機能が明らかでないタンパク質とほぼ完全に一致した。p23のアミノ酸配列にはGSTに共通に保存されている配列を有しており、新たなGST分子種である可能性が考えられた。

総括

 本研究によりエイコサノイド産生の初発段階を担う酵素であるcPLA2の活性調節機構として以下のような新たな知見が得られた。cPLA2とビメンチンがCa2+依存的に結合することが明らかとなった。本結合はcPLA2のC2ドメインとビメンチンのヘッドドメインを介することが示唆された。また、ビメンチン非発現細胞へのビメンチン再構成によりアラキドン酸遊離が亢進すること、ビメンチンヘッドドメインの過剰発現がアラキドン酸代謝にdominant negative効果を与えることから、本結合はアラキドン酸代謝の正常な進行に関与することが考えられた。C2ドメインはCa2+依存的にリン脂質に結合する機能単位として知られているが、本研究の結果から、cPLA2のC2ドメインはビメンチンとの結合にも関与することが想定される。ビメンチンが核周辺部に豊富に存在することから、cPLA2の細胞内移行に一部関与することが予想された。

 ビメンチンが細胞内小胞輸送に関与すること、また、脂肪滴を結合することなどを考え合わせると、cPLA2はビメンチンに結合した後、近傍に存在する核膜および小胞体膜を加水分解するか、あるいはビメンチン繊維に結合した小胞を基質とする可能性が考えられる。従って、cPLA2/ビメンチン間の相互作用が抗炎症薬の新たなターゲットになる可能性が考えられた。

 遅発的エイコサノイド産生機構にcPLA2とsPLA2のクロストークが起こっていることが示唆された。すなわち、cPLA2/12/15-LOX代謝物がsPLA2の発現誘導に関与し、アラキドン酸遊離を惹起することが考えられた。

 PGE2生合成経路の最終段階に関与するPGESは、炎症性刺激によって活性上昇することが示された。本酵素活性を精製した結果、p23であることがわかった。従って、遅発的エイコサノイド産生においては各アラキドン酸代謝酵素群の発現が上昇し、相乗的にエイコサノイド産生が亢進することが予想された。

審査要旨

 ホスホリパーゼA2の一種であるcPLA2は様々な細胞における即時的エイコサノイド産生に関与することが示唆されてきた。本研究はcPLA2の活性調節機構について解析し、いくつかの新知見を提供したものである。

cPLA2のリン酸化と細胞内トランスロケイション

 マウス骨髄由来マスト細胞をIgE/抗原で刺激すると一過的にcPLA2活性が上昇した。一方、放射性リン酸で標識したマスト細胞を刺激して、ライゼートを抗-cPLA2抗体で免疫沈降、電気泳動で分離後オートラジオグラフィーで解析した所、cPLA2活性の上昇と平行してcPLA2がリン酸化されることを見出した。一方、ヒト胎児由来細胞株293を用いてcPLA2の細胞内分布を調べたところ、無刺激時には細胞質全体に均一に分布する酵素がA23187刺激によって核周辺に集まることが判明した。リン酸化はこの現象とは無関係であることも明らかになり、cPLA2と相互作用する細胞内因子の関与が想定された。

cPLA2と相互作用する細胞内因子の同定

 各種細胞のライゼートをSDS-PAGEで分離、ニトロセルロース膜に転写、GST-cPLA2融合タンパク質を添加、さらに抗-GST抗体によるイムノブロッティングを行い、cPLA2と結合するタンパク質性因子の検索を行った。その結果、60kDaのタンパク質が検出され、このタンパク質について様々のcPLA2変異タンパク質との結合性を検討した。cPLA2分子内のC2領域にCaイオン依存的に60kDaタンパク質が結合することが分かった。また細胞を分画して調べたところ、この60kDaタンパク質は核マトリクスに存在していた。相当するバンドから得られる部分アミノ酸配列をもとにしてPCRを行い、本タンパク質が中間系フィラメントの主要構成成分、ビメンチンであることを明らかにした。ヒト副腎皮質がん由来SW13細胞に自然発生したビメンチン非発現細胞には60kDaタンパク質は検出されず、60kDaタンパク質がビメンチンであることがさらに確認された。cPLA2とビメンチンは溶液中でも結合でき、その結合にはCaイオンの共存が必要であつた。cPLA2を強制発現させた細胞を刺激して細胞内Ca濃度を高めるとcPLA2とビメンチンの分布が一致することから細胞内でもCaイオン依存的に両者が結合することが確認できた。

cPLA2とビメンチンとの相互作用の生理的意義

 ビメンチン非発現細胞に比較して、この細胞にビメンチンのcDNAを導入して強制発現した細胞株では刺激に応じて産生されるアラキドン酸量が2倍以上に増加した。またビメンチンのN末端ドメインが刺激に応答するアラキドン酸産生に対してドミナントネガティヴ効果を発揮することも判明した。この事実より、細胞内での両者の結合はアラキドン酸さらにはエイコサノイド産生に重要な役割を演じている可能性を示している。

 以上、本研究によりcPLA2の細胞活性化に応じた変化(リン酸化、Caイオン依存的ビメンチンとの結合、ビメンチンとの結合を介した核周辺へのトランスロケイション)の分子メカニズムの一部が明らかになった。炎症、アレルギーなどの病態生化学の進歩に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判定した。

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