学位論文要旨



No 214606
著者(漢字) 知場,伸介
著者(英字)
著者(カナ) チバ,ノブヨシ
標題(和) 細胞内脂質水過酸化物の細胞生物学的意義に関する研究 : リン脂質ハイドロペルオキシドグルタチオンペルオキシダーゼの細胞内水過酸化物レベルの調節とロイコトリエン産生
標題(洋)
報告番号 214606
報告番号 乙14606
学位授与日 2000.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14606号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 序論

 炎症やアレルギーでは、酸化ストレスが重要な意義を持つと考えられてきた。酸化ストレスは、これまで細胞障害性の側面が強調されてきたが、近年バイオシグナルとしてその意義が注目されている。そこで、炎症やアレルギーの重要なメディエーターであるロイコトリエンの産生について、酸化ストレスがどのように関与しているか検討することにした。

 ロイコトリエン生合成の律速酵素である5-リポキシゲナーゼは、核膜に存在し、アラキドン酸に酸素2原子を付加し、2段階の反応でロイコトリエンA4を生成する酵素である。その酵素反応中間体5-ハイドロペルオキシエイコサテトラエノール酸(5-HPETE)は、脂肪酸ハイドロペルオキシドであり、Redox調節の作用点の候補と考えられる。

 脂肪酸ハイドロペルオキシドは、グルタチオンペルオキシダーゼによって代謝される。広く細胞内に存在するグルタチオンペルオキシダーゼには細胞質グルタチオンペルオキシダーゼ(cGPx)とリン脂質ハイドロペルオキシドグルタチオンペルオキシダーゼ(PHGPx)がある。PHGPxは、唯一膜中の脂質ハイドロペルオキシドを直接代謝できる酵素として知られている。したがって、核膜で生合成される5-HPETEの代謝に関与する可能性が高い。そこでまず、PHGPxの高発現細胞を遺伝子組換えにより作成し、酸化ストレスによる細胞内5-HPETEレベルの変化を検討することにした。その結果、PHGPxが、細胞内の脂肪酸ハイドロペルオキシドレベルを調節することにより、ロイコトリエン産生を直接調節していることを見い出したので報告する。

本論1.酸化ストレスのロイコトリエン代謝への影響

 細胞内の5-HPETEレベルの変化を測定するため、化学発光高速クロマトグラフ法(CL-HPLC)による定量法を確立した。この方法により初めて細胞内の5-HPETEの測定が可能となり、A23187刺激によりラット好塩基球系白血病細胞RBL-2H3細胞内には、細胞107個あたり480±30pgの5-HPETEが蓄積したことが解った。そこで、この方法を用いて、酸化ストレスをかけたときの5-HPETEレベルの変化とロイコトリエン産生に及ぼす影響について解析した。細胞内の主要な還元力であるグルタチオンを枯渇させることによって酸化ストレスを負荷したところ、5-HPETEは著しく増加し、それに伴ってロイコトリエンの産生が高まった。

 酸化ストレスによるロイコトリエン産生の亢進の機序をより明確にするため、5-HPETEを代謝する抗酸化酵素グルタチオンペルオキシダーゼの組換え発現し、その結果もたらされる5-HPETEレベルの変動とロイコトリエン代謝系の関係を詳細に検討することにした。

2.リン脂質ハイドロペルオキシドグルタチオンペルオキシダーゼ(PHGPx)の組換え発現が及ぼすロイコトリエン代謝への影響

 5-HPETEを代謝し、ロイコトリエン酸生を調節できるグルタチオンペルオキシダーゼとして、膜中の脂質ペルオキシドも代謝でき、核膜にも存在するPHGPxを考え、組換え発現することとした。

 得られた組換え細胞について、PHGPxの局在性を確認したところ、核に局在していることが解った。そこで、この細胞を用いて、ロイコトリエン産生能を検討したところ、PHGPx高発現によってロイコトリエン産生が著しく抑制されていることを見い出した。このロイコトリエン産生能の低下は、基質であるグルタチオンを細胞内から除くことによって解除される。したがって、PHGPxの酵素活性によるものであることが確認された。宿主に用いたRBL-2H3細胞は、高発現させたPHGPxに比べても、はるかに高い細胞質グルタチオンペルオキシダーゼ(cGPx)を有している。しかし対照の細胞からグルタチオンを除いてもロイコトリエン産生能は変化しなかった。このことは、ロイコトリエン産生の調節にはcGPxの寄与はほとんどなく、PHGPxが特異的にロイコトリエン酸生を調節していると考えられた。

 そこで、PHGPxの高発現が、ロイコトリエン生合成経路のどの部分に作用してロイコトリエン産生能の低下を引き起こしているのかを検討した。まず、最初にホスホリパーゼA2によるアラキドン酸の切り出しを検討したが、変化は認められなかった。次に、アラキドン酸からの代謝物をHPLCで分離して、PHGPxの高発現による代謝経路の変化を測定した。その結果、PHGPx高発現細胞では、以外にも5-HPETEから5-HETEへの代謝の増加は認められず、すべてのロイコトリエン代謝物の産生が低下していることが明らかになった。5-リポキシゲナーゼや、その活性を助けるFLAPタンパク質の発現量についても差はない。このことから、PHGPxの高発現によってアラキドン酸から酸素2原子が付加して5-HPETEを生成する、5-リポキシゲナーゼ活性そのものを抑制したと結論される。

 その原因として、5-リポキシゲナーゼの活性化因子としての脂肪酸ハイドロペルオキシドをPHGPxが制御している可能性が考えられる。そこで、まずPHGPxの高発現による細胞内ハイドロペルオキシド量の変化を、ハイドロペルオキシドによって蛍光を発する色素を指標に、フローサイトメトリーにより検討した。PHGPx高発現細胞では、刺激を受けても細胞内ハイドロペルオキシドレベルは低く保たれていた。細胞内のハイドロペルオキシドレベルは、少量の脂肪酸ハイドロペルオキシドを添加することで、対照の細胞のレベルまで回復させることができる。そこで、12-HPETEを添加して、PHGPx高発現細胞のロイコトリエン産生能に変化があるか検討した。その結果、12-HPETEを少量添加することによって、ロイコトリエン産生能は回復した。この効果は、12-HETEにはなく、また12-HPETEは5-リポキシゲナーゼの基質にはならないことから、細胞内の脂肪酸ハイドロペルオキシドレベルの回復によるものと考えられる。

 以上の結果から、5-HPETEなどの脂肪酸ハイドロペルオキシドやそれを代謝するPHGPxが、5-リポキシゲナーゼの調節因子として働くことが明らかになった。5-リポキシゲナーゼは、活性化に当たってその活性中心のヘム鉄が2+から3+に酸化される。脂肪酸ハイドロペルオキシドの作用機序として、この活性中心に酸化シグナルとして働いている可能性が強い。

3.多形核白血球の浸潤とPHGPxの発現調節

 炎症やアレルギー反応の局所に浸潤する炎症細胞は、強い酸化ストレスにさらされている。このような環境下で、多形核白血球などの炎症性細胞は、脂質メディエーターであるロイコトリエンを産生している。そこで、これまで検討してきた細胞内ハイドロペルオキシドレベルによるロイコトリエン産生の調節機構が、このような条件下でどの程度寄与しうるのか検討した。

 カゼインを刺激剤として用い、浸潤してきた炎症細胞のグルタチオンペルオキシダーゼの発現量を検討すると、浸潤細胞ではいずれのグルタチオンペルオキシダーゼも発現量が低下していることが解った。とくに、PHGPxの発現量においてこの傾向は顕著で、腹腔に浸潤した多形核白血球では、ほとんど発現していなかった。ところがPHGPxの発現量の低下した多形核白血球を培養すると、発現量は回復した。一般に抗酸化酵素は、その性格からハウスキーピング酵素と考えられているが、PHGPxが特殊な環境下にあって発現量を著しく変化しうるということは、調節因子としてのPHGPxの役割を強く示唆する。そこで、培養の前後で、ロイコトリエン産生能を測定したところ、予想通りPHGPxの発現量が低下した浸潤細胞ではロイコトリエン産生能が高く、PHGPxの発現量が回復した培養後では産生能は低下していた。ロイコトリエン生合成系の酵素量に変化はなく、これまでの検討と同様にPHGPxの発現が低い状態では細胞内のペルオキシドレベルは高かった。これらの結果は、炎症細胞の浸潤過程でPHGPxの発現量を抑制する機序が存在し、その結果細胞内の脂肪酸ハイドロペルオキシド量が増加してロイコトリエン産生能を高めている、という可能性を強く示唆する。

結論

 細胞内の5-HPETEなどの脂肪酸ハイドロペルオキシドとその代謝酵素PHGPxは、ロイコトリエン産生の調節因子である。脂肪酸ハイドロペルオキシドとPHGPxによるロイコトリエン産生の調節機構は、局所に浸潤する多形核白血球によるロイコトリエン産生に関与している可能性がある。

審査要旨

 本論文は炎症、アレルギーのメディエータであるロイコトリエン産生への酸素ストレスの関わりを発見し、その分子メカニズムを解析したものである。

細胞内5-ハイドロペルオキシエイコサテトラエノール酸(5-HPETE)レベルとロイコトリエン産生

 まず、細胞内5-HPETEの微量定量を化学発光HPLCを用いることで確立した。この系を用いることで初めて5-HPETEの細胞内検出が可能になった。グルタチオンを枯渇させ酸素ストレスを負荷したRBL-2H3細胞における5-HPETE量は著しく増加しており、それとともにロイコトリエン合成が高まっていることを見出した。

リン脂質ハイドロペルオキシド-グルタチオンペルオキシダーゼ(PHGPX)のロイコトリエン産生制御への関わり

 PHGPXをRBL細胞に高発現させるとロイコトリエン産生は著しく抑制された。グルタチオン添加によって、この抑制は解除され、PHGPXの活性そのものがロイコトリエン産生制御に関わっていることが判明した。細胞内にもともと多量に存在する細胞質ハイドロペルオキシド-グルタチオンペルオキシダーゼがこの制御にはまったく関与していないことはRBL細胞にグルタチオン枯渇処理してもロイコトリエン合成は抑制されない事実からも明らかである。

 PHGPXの高発現がロイコトリエン生合成経路のどの部分に作用しているのか検討し5-リポキシゲナーゼの発現量ではなく活性を抑制していることを明らかにした。細胞内ハイドロペルオキシド量を測定するとPHGPXの高発現細胞では刺激してもハイドロペルオキシド量は低く抑えられていた。この系にさらに12-HPETEを添加してみるとロイコトリエン産生能は回復した。12-HPETEは5-リポキシゲナーゼの基質とはならず、このことからHPETEやそれを代謝する酵素、PHGPXが5-リポキシゲナーゼの活性調節因子として機能していることが明らかとなった。

多形核白血球の浸潤とPHGPXの発現調節

 カゼイン刺激で浸潤してくる炎症細胞ではPHGPXの発現量が低下していた。特に多形核白血球はこの酵素の活性は検出されず、発現も認められなかった。浸潤白血球ではロイコトリエン産生能は亢進していて、この細胞を培養して"不活性型"にしていくと、次第にPHGPXの発現が認められるようになり、ロイコトリエン産生は低下した。炎症細胞の浸潤過程でPHGPXの発現量を制御する機構が存在し、これによりロイコトリエン産生が調節されていることが判明した。

 以上、本研究により、脂肪酸ハイドロペルオキシドとその代謝酵素PHGPXが炎症メディエータであるロイコトリエン産生の調節因子であることが分かった。生物薬学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判定した。

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