学位論文要旨



No 214607
著者(漢字) 野村,知子
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,トモコ
標題(和) ラクトシルセラミド合成酵素の精製およびクローニング
標題(洋)
報告番号 214607
報告番号 乙14607
学位授与日 2000.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14607号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨

 スフィンゴ糖脂質はセラミドと糖よりなる複合糖質であり,そのほとんどが細胞膜に存在すると言われている。これらスフィンゴ糖脂質は,細胞の分化・癌化・老化などに伴いその組成が変化すること,また,血球分化,神経突起の伸張,細胞重層化,細菌・ウイルス感染のリガンドなどの生理活性を有することが知られている。

 スフィンゴ糖脂質の生合成は,特異性の高い糖転移酵素によりセラミドに糖が1つずつ転移することにより行われており,大部分のスフィンゴ糖脂質はセラミドにグルコース,ガラクトースの2糖が結合したラクトシルセラミドを前駆体として合成される。従って,これらの生合成を司る糖転移酵素はスフィンゴ糖脂質生合成系において極めて重要な酵素であると考えられる。しかし,ラクトシルセラミド合成酵素についてはクローニングの報告はなく,本酵素遺伝子のクローニングはスフィンゴ糖脂質生合成の全容を解明する上で非常に重要な課題であると思われる。

 現在までに遺伝子のクローニングされた糖脂質糖転移酵素は5つあるが,これらに共通の配列は見い出されておらず,ホモロジークローニングは行うことができない。また,ラクトシルセラミドに対する特異的な抗体やラクトシルセラミド合成酵素合成欠損株がないことから,これらを利用した発現クローニングも難しい。

 そこで,本研究においては,精製ラクトシルセラミド合成酵素を用いた遺伝子のクローニングを行うこととした。まず,ラット脳より本酵素を精製し,その部分アミノ酸配列をもとにラクトシルセラミド合成酵素遺伝子をクローニングした。また,ラクトシルセラミド合成酵素の生体における機能についても検討した。

結果I.ラクトシルセラミド合成酵素の精製及び性状解析

 ラクトシルセラミド合成酵素は微量蛋白質であることから,精製効率の高い複数のアフィニティカラムを組み合わせ,大量に存在する夾雑蛋白質を効率よく除去する手法をとった。

 ます,アフィニティカラムとしてレクチンカラムを検討した。認識糖の異なるレクチン4種について検討した結果,N-アセチルグルコサミンを認識するWGA-アガロースが最もよく本酵素を吸着することが明らかとなった。ラット脳膜画分をTritonX-100にて可溶化し,得られた可溶化画分をWGA-アガロースカラムにアプライしたところ,大部分の蛋白質は素通り画分に回収されたが,酵素活性は約60%が200mM N-アセチルグルコサミンにより特異的に溶出された。次に基質を利用したアフィニティカラムを検討した。UDP-ガラクトースが本酵素の糖供与体であることから,UDP-アガロースを選択し,Mn2+存在下WGA-アガロースの溶出画分をアプライした。大部分の蛋白質が素通り画分に回収される一方,酵素活性はUDP-アガロースに吸着し,1mM UDPにより特異的に溶出された。このUDP-アガロースの溶出画分をヒドロキシアパタイトにアプライしたところ,酵素活性は素通り画分に回収されたが,蛋白質の大部分はカラムに吸着し,ここでも大部分の夾雑蛋白質を除去することができた。この素通り画分の濃縮と蛋白質の分離を目的として,陰イオン交換カラムMiniQカラムを検討した。酵素活性はそのほとんどがMiniQカラムに吸着し,NaClの直線濃度勾配により酵素活性が溶出された。これら酵素活性が認められた画分についてSDS-PAGE及び銀染色を行ったところ,61kDa付近に酵素活性と対応するブロードなバンドが認められた。この61kDaのバンド強度をデンシトメータにて解析したところ,酵素活性の溶出パターンと一致したことから,この蛋白質がラクトシルセラミド合成酵素であることが推定された。精製倍率は約60000倍,活性回収率は約30%であった。

 精製されたラクトシルセラミド合成酵素についてその性状のいくつかを解析した。本酵素は,他の多くの糖転移酵素と同様,金属イオンとしてMn2+を要求した。また,Mg2+及びCa2+により弱く活性化されたが,EDTA存在下では酵素活性は認められなかった。本酵素の基質特異性については,糖脂質生合成系において末端にガラクトースが転移可能な糖脂質を選択し検討した。その結果,本酵素はグルコシルセラミドを最もよい基質とし,セラミド,ガングリオシドGM2,アシアロガングリオシドGA2,ラクトシルセラミドにはガラクトースを転移しないことが分かった。一方,グロボシドに対しては弱い活性が認められ,糖蛋白質糖鎖を有する卵白アルブミンに対しても低い活性を示した。本酵素はWGA-アガロースカラムに吸着し,N-アセチルグルコサミンにより特異的に溶出されたことから糖蛋白質であることが推測された。そこで,得られたラクトシルセラミド合成酵素についてN-グリカナーゼ処理を行ったところ分子量は61kから51kに減少し,本酵素がN-結合型糖鎖を有する糖蛋白質であることが示された。

II.ラクトシルセラミド合成酵素のクローニング

 ラクトシルセラミド合成酵素の部分アミノ酸配列を解析した。得られた4つのアミノ酸配列はいずれも新規であり,これらについてホモロジー検索を行ったところ,ペプチド1及び2はマウス糖蛋白質糖鎖1-4GalTとそれぞれ47.5%,47%の相同性が認められた。糖蛋白質糖鎖1-4GalTは糖蛋白質糖鎖のN-アセチルグルコサミンにガラクトースを1-4の結合様式で転移する糖転移酵素であり,ガラクトースを1-4の結合様式で転移するという点でラクトシルセラミド合成酵素と同様の性状を示す。結合様式が同じ糖転移酵素はある程度の相同性を示すことが報告されていることから,ペプチド1と2の位置関係は糖蛋白質糖鎖1-4GalTと同じであると考え,これらペプチドの相同性の低い部分のアミノ酸配列をもとに,ペプチド1から5’側の,ペプチド2から3’側の縮重プライマーを作成した。これらを用いてラット脳のcDNAライブラリーを鋳型としてPCRを行い,得られた新規の203bpの塩基配列をもとに常法に従ってラット脳cDNAライブラリーのスクリーニングを行った。その結果,5.7kbのインサート長を有するクローンを得,これについてその全塩基配列を解析した。得られたcDNAは新規であり,1146bpの翻訳領域と,その5’上流部分に約500bpのGCリッチな領域を有していた。本遺伝子は382アミノ酸をコードし,また,塩基配列から推定されるアミノ酸配列から,本酵素はN末付近にアミノ酸20個の膜貫通領域を1つ有すること,N-結合型糖鎖結合可能部位が8カ所存在することがわかった。このcDNAクローンから全アミノ酸コード領域を含むDNA断片を切り出し,ラクトシルセラミド合成酵素活性を持たない昆虫細胞Sf9を用いて発現させたところ,高い酵素活性が検出され,本遺伝子がラクトシルセラミド合成酵素をコードしていることが確認できた。

 ラットにおけるラクトシルセラミド合成酵素のmRNAの発現をノーザンハイブリダイゼーション法により調べた。その結果,調べた全ての臓器においてmRNAの発現が認められたが,その発現強度は臓器により異なっていた。ラクトシルセラミド合成酵素遺伝子の発現は,脳において最も強く,次いで腎臓,肺,骨格筋に強い発現が認められた。肝臓での発現は少なかった。脳はガングリオシドの含有量が高い臓器として知られており,その前駆体を合成するラクトシルセラミド合成酵素の発現量も高いと考えられた。また,ラットに用いた縮重プライマーを用いてマウス・ヒト脳のcDNAライブラリーからラクトシルセラミド合成酵素遺伝子をクローニングした。これら3つのラクトシルセラミド合成酵素は,そのアミノ酸配列がよく保存されており,膜貫通部位,N-結合型糖鎖結合可能部位も全て保存されていた。

 1-4GalTは,複合糖質のN-アセチルグルコサミンあるいはグルコースにガラクトースを1-4の結合様式で転移する糖転移酵素である。ラクトシルセラミド合成酵素はセラミドに結合したグルコースにガラクトースを1-4の結合様式で転移する酵素であり,従って,1-4ガラクトース転移酵素の一つであると言える。最近,1-4ガラクトース転移酵素が相次いでクローニングされ,現在までにラクトシルセラミド合成酵素を含めて6つの酵素についてその塩基配列が明らかとなった。これら6つの酵素はその活性中心があるといわれているC末側での相同性が高く,1-4ガラクトース転移酵素のコンセンサス配列が複数箇所存在することが推測された。

III.ラクトシルセラミド合成酵素の生体内での機能1.毛周期におけるラクトシルセラミド合成酵素遺伝子の変動

 毛は毛周期に従い,伸長と脱毛を周期的にくり返す。この毛周期に注目し,ラットの皮膚における糖脂質糖転移酵素遺伝子の発現を検討した。ラット皮膚を生後1日から1週間おきに採取し,RNAを抽出して半定量的RT-PCRを行ったところ,ラクトシルセラミド合成酵素及びGM2/GD2合成酵素は毛周期の初期成長期にあたる時期に特に強く発現することが分かった。初期成長期は毛包が形成される時期であることから,両酵素は,これに何らかの役割を果たしていると考えられた。

2.ストレス応答としてのラクトシルセラミド合成酵素の変動

 ノーザンハイブリダイゼーションにより,ヒトにおいてはラクトシルセラミドは脳の他に副腎でも高発現しており,なかでも副腎皮質において強く発現していることがわかった。副腎皮質はストレスに応答してステロイドホルモンを分泌する器官として知られていることから,ストレス負荷によるラクトシルセラミド合成酵素の変動について検討した。ラットに拘束ストレスを負荷し,その副腎を摘出して遺伝子の発現量を調べたところ,ラクトシルセラミド合成酵素遺伝子の発現量が有意に上昇していた。そこで,ステロイドホルモン分泌におけるラクトシルセラミド合成酵素の役割を探る目的で,ステロイドホルモン分泌能を有するマウス副腎腫瘍由来のY1細胞を用いた検討を行った。Y1細胞は,ACTH及びそのセカンドメッセンジャーによりステロイドホルモンの分泌が増大することが知られているが,ラクトシルセラミド合成酵素は,これらの刺激により一過的に活性が上昇することがわかった。また,糖脂質合成阻害剤の濃度に依存してステロイドホルモン分泌量が低下し,ステロイドホルモン分泌に糖脂質合成が関与している可能性が示唆された。

審査要旨

 ラクトシルセラミドは大部分のスフィンゴ糖脂質の前駆体である。したがってこの糖脂質の生合成を司る糖転移酵素(ラクトシルセラミド合成酵素)はスフィンゴ糖脂質生合成系において極めて重要な役割を演じていると考えられる。現在までにいくつかの糖脂質糖転移酵素のクローニングが行われているが、共通の配列はなくホモロジークローニングは不可能である。発現クローニングも実施不可能であるため今日まで構造に関する情報は皆無であった。本研究は本酵素を精製し、部分アミノ酸配列を得、PCRを行うことによりラクトシルセラミド合成酵素のクローニングにようやく成功し、その性質、機能の一端を解析したものである。

ラクトシルセラミド合成酵素の精製と性状解析

 本酵素は超微量タンパク質であり、精製効率の高い複数のアフィニティカラムを見出して精製する戦略が唯一有効と思われた。試行錯誤の結果、WGA-アガロース、UDP-アガロース、ヒドロキシアパタイト、MiniQカラムの組み合わせでラット脳から調製した膜のTritonX-100可溶性画分から61kDaのタンパク質が精製された。精製倍率60000倍、回収率30%であった。N-グリカナーゼ処理によって分子量は51kDaに減少したことからN-結合型糖鎖を有する糖タンパク質であることが判明した。Mn2+を活性発現に要求。グルコシルセラミドを最も良い基質とした。

クローニング

 部分アミノ酸配列を得、この情報をもとにラット脳cDNAライブラリーを鋳型としてPCRを行った。得られたcDNAは新規であり、1146bpの翻訳領域を有していた。Sf9細胞に発現させると高い酵素活性は検出され本遺伝子がラクトシルセラミド合成酵素をコードしていることが確認された。N末端付近にアミノ酸20残基からなる膜貫通領域が見つかった。他の1-4GalTと比較したところ、活性中心が存在すると言われるC末端での相同性が高いことも判明した。また得られた情報を元にヒト、マウスのクローニングも行い、3つの種間でよく保存されていることを明らかにした。

 ノーザンブロット法で組織分布を調べたところ、脳における発現が最も強く、ついで腎臓、肺、骨格筋であった。

毛周期におけるラクトシルセラミド合成酵素遺伝子発現変化

 毛は毛周期に従い、伸長と脱毛を繰り返す。この周期における本酵素発現変化をラット皮膚を用いて検討した。生後一日から一週間おきに皮膚を採取し、RNAを抽出半定量的RT-PCRを行った。毛包が形成される時期である初期成長期に本合成酵素が特に強く発現することが分かった。毛包形成過程でラクトシルセラミド合成酵素が何らかの役割をはたしている可能性が示された。

 以上、本研究においてスフィンゴ脂質合成のキー酵素のひとつと見なされてきたラクトシルセラミド合成酵素の構造がはじめて解明され、その性質や発現変動などが明らかにされた。複合糖質の生化学,細胞生物学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判定した。

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